二十七章 師弟俱生
単行本「『地涌』からの通信」おわりに
本二十七章「師弟俱生」は三十四冊におよぶ単行本「『地涌』からの通信」の「おわりに」として書かれたものである。読者の読み易さをはかるため、このたびの「『地涌』精選」発行においては、あらためてタイトルを付した。
「『地涌』選集」には、この「おわりに」について以下のように根幹となる考えが表明されている。
『地涌』は、「『地涌』からの通信」と題する単行本として三十四冊刊行されたが、その巻末に書いた「おわりに」は、「師弟不二」を基調とした。「師弟不二」こそ法難を克服しうる団結の基軸であり、かつ仏法の深淵に触れる直道と考えたからである。創価学会三代会長の師弟の系譜に確固と連なることこそ信心の肝要であり、三世を貫く価値であると確信する故である。
- 単行本「『地涌』からの通信(1)」おわりに 1991年3月 仏意仏勅の創価学会の不思議を感じ
断固たる決意をもって法主批判をしている。 - 単行本「『地涌』からの通信(2)」おわりに 1991年4月僧侶の生活の乱れを忠告され逆恨みし
創価学会総体を排除にかかった - 単行本「『地涌』からの通信(3)」おわりに 1991年5月「C作戦」は虚をついての奇略であった
今や当初の効果は見込めない - 単行本「『地涌』からの通信(4)」おわりに 1991年6月日蓮大聖人の仏法を今日に蘇らせたのは
牧口・戸田の両先生である - 単行本「『地涌』からの通信(5)」おわりに 1991年7月マスメディアは確固たる視座に立たず
批判のための批判に終始している - 単行本「『地涌』からの通信(6)」おわりに 1991年8月法難にあっては魔は師弟の関係を断ち切ろうとする
だが創価学会員は師を中心に結束する - 単行本「『地涌』からの通信(7)」おわりに 1991年9月日蓮正宗の出家は、そもそも傲慢であった
それを「本化国主」が浄化してきた - 単行本「『地涌』からの通信(8)」おわりに 1991年10月日顕は、怒鳴り声をあげて
創価学会の組織切り崩しを命じた - 単行本「『地涌』からの通信(9)」おわりに 1991年11月日顕は「法滅の妖怪」である
仏子の結束を崩すことはできない - 単行本「『地涌』からの通信(10)」おわりに 1991年12月日顕は「大御本尊」と不二の尊体と能化に言わせ
真実の和合僧団・創価学会の破壊を策す - 単行本「『地涌』からの通信(11)」おわりに 1992年1月日顕一派のやることなすことは
ことごとく日蓮大聖人の教法に反している - 単行本「『地涌』からの通信(12)」おわりに 1992年3月早瀬(日慈)閥と、阿部(日顕)閥との連衡
醜い者どうしが手をにぎり圧殺の支配 - 単行本「『地涌』からの通信(13)」おわりに 1992年5月日顕ら僣聖増上慢の祭祀特権階級は
日蓮大聖人の教法を信徒支配に利用する - 単行本「『地涌』からの通信(14)」おわりに 1992年7月池田SGI会長は世界に教法流布する
日顕ら僣聖増上慢はただ支配に腐心する - 単行本「『地涌』からの通信(15)」おわりに 1992年8月師に教えられたままに戦い福運を享受する
振り返ってみれば我が人生は錦に彩られていた - 単行本「『地涌』からの通信(16)」おわりに 1992年9月仏を装っていた日顕の衣のうちに
煩悩に爛れた肉身が隠されていた - 単行本「『地涌』からの通信(17)」おわりに 1992年9月やっぱりそうか、日顕の二段高の頭は
あの天頂部の高い達磨像にそっくり - 単行本「『地涌』からの通信(18)」おわりに 1992年10月天魔日顕は創価学会破壊を目論んだ
だが見えてきたのは天魔日顕の本性のみ - 単行本「『地涌』からの通信(19)」おわりに 1992年11月創価学会は金剛不壊の生命の結晶体
邪悪なるものがいかに策しても壊すことはできない - 単行本「『地涌』からの通信(20)」おわりに 1992年12月日顕は極楽寺良観と酷似している
その本性はウソつきの遊び好きだ - 単行本「『地涌』からの通信(21)」おわりに 1993年1月創価学会三代にわたる師弟の系譜こそ
民衆を成仏の直道へと導いたのだ - 単行本「『地涌』からの通信(22)」おわりに 1993年3月一閻浮提第一の合戦が起こる時
必ず民衆救済のため聖人が出現する - 単行本「『地涌』からの通信(23)」おわりに 1993年4月狂った法主の身に悪鬼が入る
創価学会は仏意仏勅であることが明らかになる - 単行本「『地涌』からの通信(24)」おわりに 1993年6月「権」をもって支配し信徒より「施」を受け続ける
坊主にとって“功徳聚”たる御本尊すら「道具」にすぎない - 単行本「『地涌』からの通信(25)」おわりに 1993年9月提婆は男のヤキモチ、竜女は女のヤキモチ
いずれもが破和合僧の本源となる - 単行本「『地涌』からの通信(26)」おわりに 1993年10月創価学会三代は法華経の行者である
霊山の一会は厳然として未だ散らない - 単行本「『地涌』からの通信(27)」おわりに 1994年1月河辺メモが「C作戦」の謀議が平成2年7月16日に
文京区西片の大石寺東京出張所で行なわれたことを暴露 - 単行本「『地涌』からの通信(28)」おわりに 1994年3月"自由"の名をもって人を差別し
"自由"を旗印にして人々を迫害する - 単行本「『地涌』からの通信(29)」おわりに 1994年5月日顕宗らは仏法を商売道具としている
故に彼らの"仏法"は"難解"である必要がある - 単行本「『地涌』からの通信(30)」おわりに 1994年8月日顕宗によれば御書はすべてではなく
御法門の部分でしかないだと - 単行本「『地涌』からの通信(31)」おわりに 1994年12月正法正義である故に大難にあう
顚倒の輩は大難にあうのはおかしいという - 単行本「『地涌』からの通信(32)」おわりに 1995年2月日顕宗の坊主が立ち会わなければ
在家の者は臨終正念しても成仏しないという - 単行本「『地涌』からの通信(33)」おわりに 1995年6月麻原彰晃率いる狂乱のオウム真理教は
なぜ創価学会に対しテロ活動をしようとしたのか? - 単行本「『地涌』からの通信(34)」おわりに 1995年11月権能も実力もない男が総理大臣になり
創価学会を叩く旗振りとなる哀れ