単行本「『地涌』からの通信(4)」おわりに
日蓮大聖人の仏法を今日に蘇らせたのは
牧口・戸田の両先生である
師匠と難を共にすることは大変な福徳である。戸田城聖創価学会第二代会長は、師匠である牧口常三郎創価学会初代会長とともに獄につながれた。昭和十八年七月六日、両会長は治安維持法違反、不敬罪の容疑で逮捕されたのだった。
牧口会長は東京都豊島区にあった巣鴨拘置所において、昭和十九年十一月十八日、不帰の人となった。戸田会長は昭和二十年七月三日、極度の衰弱した身体であったが、九死に一生を得て出獄した。
昭和十八年当時、創価教育学会の幹部、総計二十一名が逮捕、投獄されたが、栄誉ある法華経の大難の真っ只中にみずからが位置していることがわからず、牧口、戸田両会長のほかは、ことごとく退転してしまった。ほとんどの者は、退転するにあたり、牧口会長のことを、自分および家族を不幸のどん底に落とした者として心底、恨んだのであった。
ところが戸田会長は、師匠とともに難に逢えた喜びを次にように述べている。
「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで、『在在諸仏土・常与師俱生』と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか」(昭和二十一年十一月十七日 牧口初代会長三回忌法要にて)
師弟の間柄とは、時空のへだたりを超えた宇宙に常住する生命の結合である。難は三世にわたる師弟の契りを、いっそう鮮やかに輝かせるものである。
「剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し、日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに・還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す、而るに貴辺・日蓮に随順し又難に値い給う事・心中思い遣られて痛しく候ぞ、金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か、経に云く『衆山の中に須弥山為第一・此の法華経も亦復是くの如し』又云く『火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず』云云、過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、『在在諸仏土常与師俱生』よも虚事候はじ」(生死一大事血脈抄)
末法の法華経の行者が必ず受ける難として「遠離於塔寺」(法華経勧持品)が予言されている。釈迦が予言してよりおよそ三千年後の今日にあって、一千万人の創価学会員が池田大作名誉会長とともどもに「遠離於塔寺」の難を受けている。
「在在諸仏土 常与師俱生」も疑いなし。
1991年6月