報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十七章 師弟してい倶生ぐしょう

単行本「『地涌』からの通信(2)」おわりに

僧侶の生活の乱れを忠告され逆恨みし
創価学会総体を排除にかかった

日蓮正宗の中枢の傲慢さには、常人の想像を超えたものがある。

まず平成二年四月には、塔婆料など冥加料の倍額値上げを一方的に通告してきた。それまでは事前に創価学会側に相談していたのに、慣例を無視したのだ。

同年七月、創価学会側が日蓮正宗の僧侶の生活の乱れをただすように申し入れたが、その忠告を逆恨みし、日顕およびその腹心で「C作戦」を練った。「C作戦」とは“カット作戦”の略で、池田大作名誉会長を破門にし、創価学会を日蓮正宗の信徒団体から排除しようというものだ。これを電撃的に実行に移し、その混乱に乗じて何名かの信徒を獲得しようと狙ったわけである。同作戦は八月に実行する予定だったのが延期となった。延期の理由としては、十月の開創七百年の一大行事を間近に控えていたためと考えられる。

日顕上人は「C作戦」の断行を決意したのちの平成二年十二月二十五日、高橋公純、段勲、押木二郎らとの謀議にあたって、「(創価学会員)二百万人のうち二十万人くればよい」と腹のうちを明かしている。

宗門は創価学会に対する一連の処分にあたり、十一月十六日の池田名誉会長の発言を問題にしているが、口実は何でもよかったのだろう。

十二月二十七日には、信徒の管長(法主)批判は処分の対象になることを、わざわざ宗規を改悪したうえで、池田名誉会長を実質的に総講頭罷免にした。実に用意周到である。

もし創価学会の団結が崩れれば、いったいどのような事態になったのかと考えたとき、背筋の寒くなるのは私一人ではあるまい。

本来なら信徒一人ひとりの幸福を考えなければならない僧たるものが、信徒を苦しめ迷わす奸計をめぐらすことに血道をあげていたとは、末法の諸相の一つとはいえ実に情けないことである。今の宗門中枢は、広宣流布をまったくといってよいほど忘失してしまっている。

一方の創価学会は、日蓮大聖人の仏法を奉じ、御本尊様を受持し、日夜その教えを弘通している。その仏意仏勅の団体を何のためにつぶそうというのか。単に臣下の礼を取らないから、気にくわないからつぶすというのだ。根底にあるのは瞋りであり妬みである。

日蓮正宗の中枢は、「三類の敵人」の第三類として挙げられた「僣聖増上慢」に符合する。僣聖増上慢とは「山林に住み衣を着て、真実の仏道を行じたと思い込み、人を軽蔑し自らは利益のみにとらわれ、しかも在家に法を説き、世間から敬われ、権力を利用して正法を弘める者を迫害する出家者」(『日蓮大聖人御書講義』第九巻・昭和六十三年刊)のことである。

いまや広宣流布の途上に、一大障害として覆いかぶさる日蓮正宗の中枢は、日蓮大聖人の御予言どおりの、「第六天の魔王」に魅入られた姿である。「悪鬼入其身」とはこのさまをいう。

この「僣聖増上慢」と戦うには、内に地涌の菩薩としての不動の自覚を持ち、外に忍辱の鎧を着、強く邪義を破さなければならない。創価学会出現の不思議は、この戦いを通していっそう鮮明になると確信する。

「三には阿練若の僧なり此の僧は極めて貴き相を形に顕し三衣・一鉢を帯して閑かなる所に籠り居て在世の羅漢の如く諸人に貴まれ仏の如く万人に仰がれて法華経を説の如くに読み持ち奉らん僧を見ては憎み嫉んで云く大愚癡の者・大邪見の者なり総て慈悲なき者・外道の法を説くなんど云わん、上一人より仰いで信を取らせ給はば其の已下万人も仏の如くに供養をなすべし、法華経を説の如くよみ持たん人は此の三類の敵人に怨まるべきなりと仏説き給へり」(法華初心成仏抄)

「阿練若」とは『仏教哲学大辞典』(聖教新聞社刊)によれば、「山林、原野等を意味し、人里から近からず遠からず離れた、比丘が修行するのに閑静で好適な場所をいう。一般には、人里離れた山寺や寺院等のこと、またそのような場所で法を説く比丘という意味にも使われる」となっている。

いまや地涌の菩薩の大軍は、仏法破壊をなす第六天の魔王の手下である僣聖増上慢を呼び出した。ここにおいて日蓮大聖人の「法華初心成仏抄」の御言葉も事実の上で証明され、法華経勧持品もさらに実語となった。

日蓮大聖人がいまのこの時を予想し筆を運ばれたことを思うと、御本仏の慈悲の深さに感動する。同時にこの戦いが、広宣流布の道程の上で不可避であったことを思い知るのである。

1991年4月

家族友人葬のパイオニア報恩社