単行本「『地涌』からの通信(7)」おわりに
日蓮正宗の出家は、そもそも傲慢であった
それを「本化国主」が浄化してきた
創価学会の牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長の入信は、昭和三年であった。その当時の日蓮正宗のありさまは、末世の悪比丘の巣窟と化していた。
いま日蓮正宗僧侶は、血脈相承の御法主上人に逆らう者は、三宝破壊の重罪で堕地獄疑いないと強弁する。
だが、あにはからんや、両会長入信直前の日蓮正宗では、宗制宗規も無視して日柱上人を猊座から引き降ろすために、熾烈な内部抗争がおこなわれていた。
結局は、さしたる咎もない日柱上人を引きずり降ろし、総本山より放逐してしまったのである。
法主の尊厳も何もあったものではない。日蓮正宗僧侶のあらかたの者が、主殺しをおこなったのである。主殺しの血によって穢れた手を、歴史の流れのなかで洗い流し、何食わぬ顔をして今日に至っている。そして口々に法主上人の絶対性を説き、血脈相承の神秘性を語る。
なにをかいわんや、である。
日蓮正宗を興隆させ、代々の御法主上人を守護してきた信徒は誰か。法華講員でもなければ、脱会者でもない。創価学会の代々の会長であり、創価学会員である。
創価学会の貢献のなかで、ぬくぬくと育った日蓮正宗の僧侶たちが、法貴きが故に当然のなりゆきとして法が弘まったというならば、一閻浮提総与の大御本尊様の間近で暮らしながら、退嬰と抗争に明け暮れていた、明治、大正、昭和前期の各時代における日蓮正宗の実態を研究してみることだ。
日蓮正宗が、創価学会によって浄化され、純真な創価学会員の真心によって繁栄してきた現実に、謙虚な目を向けるべきだろう。
本紙『地涌』の描く近代の日蓮正宗の歴史を、歪曲されたものであると中傷する日蓮正宗の僧侶がいる。であれば、総本山大石寺に所蔵されている豊富な歴史的資料を公開することだ。そのうえで、歴史学者や宗教学者に、客観的な歴史を記述してもらえばよい。
いやがおうでも、創価学会によって大法弘通がなされてきたこと、日蓮正宗が興隆してきたことが浮き彫りになるだろう。
いまの時代、国主とは民衆である。狭義には民衆のリーダーである。「広宣流布の時・本化国主御尋有らん」今日この時のために、代々の御法主上人並びに日蓮正宗僧侶は法を伝えてきたのではなかったのか。
霊山会での約束に基づき創価学会が出現し、一閻浮提総与の大御本尊様の下に雲集して、嬉々として大法を弘通している。広宣流布の時がきているのに、僧侶たちは民衆に日蓮大聖人の仏法を開放しないのだ。
みずからの立場に拘泥するあまり、戒壇の大御本尊様を権威のなかに閉じ込めようとしている。日蓮大聖人が大御本尊様を御図顕された本義を忘れてしまっているのだ。
「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(百六箇抄)
仏意仏勅の故に創価学会は、広宣流布の主体者であった。未来もまた同様である。
1991年9月