十二章 奸計破綻
第400号~第421号
(1992年4月1日~同年5月20日)
- 第397号 1992年3月25日
日蓮正宗自由通信同盟
いよいよもって富士大石寺が桜見物の観光コースに入った
平安神宮、銀閣寺、醍醐寺、百済寺と桜で競って何になる - 第399号 1992年3月30日
日蓮正宗自由通信同盟
福島は龍が業者から巻き上げた金のカスリをもらっていた
偽りの“清廉の士”は美辞麗句で己を装う術にたけている - 第400号 1992年4月1日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕に対し決起した青年僧侶が「離山の書」を突きつけた
だが民衆を想う真正の声に日顕一派は暴力をもって応えた - 第401号 1992年4月2日
日蓮正宗自由通信同盟
「こんなことになったのは、日顕! お前が悪いのだ」
この青年僧侶の痛憤の叫びから日顕は逃げようとしている - 第402号 1992年4月3日
日蓮正宗自由通信同盟
龍の破綻した署名運動の裏で日顕が卑劣な動きをしていた
日顕は熱原三烈士を殺させた行智と同じ策を弄したのだ - 第406号 1992年4月13日
日蓮正宗自由通信同盟
元海外部書記の福田毅道が左遷され総本山より出された
“代々坊主”でない福田は日顕に使い捨てにされたのだ - 第407号 1992年4月16日
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福島源次郎は一人で脱会者を五千人つくったと公言した
日顕や坊主を本音では無能と思っているから言えたのだ - 第408号 1992年4月20日
日蓮正宗自由通信同盟
室町、江戸時代の富士大石寺はなんと身延詣でをしていた
日興上人の尊い心を踏みにじり謗法におもねっていたのだ
〈導師本尊シリーズ・第11回〉 - 第409号 1992年4月21日
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日顕の父である阿部日開は邪宗日蓮宗に肩入れをしていた
日開らが文部大臣に念書を出し勅額が身延山に降賜された
〈導師本尊シリーズ・第12回〉 - 第410号 1992年4月24日
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またあの日顕が最高級温泉旅館で酒をあおり遊興していた
それがバレても薄ら笑いを浮かべ弁解するのみで反省なし - 第411号 1992年4月25日
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全国の住職や法華講が懸命に登山者を募ってみたところで
日顕は「チョボチョボ」の人数が不満で御開扉が面倒臭そう - 第412号 1992年4月27日
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『地涌正統』が出版された裏には日顕宗の謀略があった
その司令塔は“陰の総監”の異名をとる河辺慈篤である - 第417号 1992年5月10日
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出獄と入獄の日・七月三日は師弟の不思議な縁の日である
それを傷つけ創価学会の団結を崩すことなどできはしない - 第418号 1992年5月13日
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「外護の会」主宰の押木二郎が完全に活動を停止していた
「C作戦」発動の前日に日顕と謀議をした者の一角が崩れた - 第419号 1992年5月18日
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“親教”は日顕の長期的独裁を可能にするための策である
末寺は経済的に疲弊し供養を独り占めする日顕のみが太る - 第420号 1992年5月19日
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日顕の大願寺“親教”を前にして青年僧がその実態を暴いた
暴力、権謀、享楽、博打などあらゆる悪徳が大願寺に栄える - 第421号 1992年5月20日
日蓮正宗自由通信同盟
いまや富士大石寺は謗法の山と化し法は滅尽してしまった
大願寺の青年僧が日顕に怒りをもって「離山の書」を送った