報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十二章 奸計かんけい破綻はたん

地涌オリジナル風ロゴ

第400号

発行日:1992年4月1日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

日顕に対し決起した青年僧侶が「離山の書」を突きつけた
だが民衆を想う真正の声に日顕一派は暴力をもって応えた

三月三十日、総本山大石寺の天気は目まぐるしく変わった。晴れたり曇ったり雨が降ったり、あげくは雷まで鳴った。風雲急を告げる大石寺を象徴するような天気だった。

午後七時、大石寺大奥対面所において、日顕への「お目通り」がおこなわれた。この「お目通り」は、翌三十一日に末寺の在勤者などを集めておこなわれる非教師指導会に先立ちおこなわれたものだ。出席した所化はおよそ百二十名。

「お目通り」のとき、いつも日顕は大きな座卓に座り、いわば謁見をおこなう。この日も、いつものように「お目通り」がおこなわれようとした。だが、日顕の着座直後に予期せぬ出来事が起きた。

応顕寺(神奈川県横浜市)在勤の菅原雄政氏が、日顕の座る座卓の前に進み、「離山の書」を懐から出した。指示もされずに法主の前に進み出ただけでも参集者たちにとっては驚くべきことであったのに、菅原氏はそこで堂々と「離山の書」を日顕に突きつけたのだった。

「大聖の廟所まします延山に本仏の法魂跡形なく、立正安国論蔵する中山に宗祖の正義一分もなし。而して、今、私たち大聖人門下の青年僧侶有志は、声を大にして叫ばん。“大御本尊御座します富山に、正法の僧一人としてなく、七百年の正統の誇り地に堕ち、興尊の法脈、遂に滅失せんとす”と。

私たち青年僧侶有志は、宗開両祖の御精神を忘失し、広宣流布の聖業を放擲し、あまつさえ仏意仏勅の団体たる創価学会を破門するという暴挙を犯すに至った猊下、宗門と決別し、その真の改革をなさんがため、大石寺を離山することを決意し、ここに宣言するものであります」(「離山の書」冒頭の一部)

菅原氏が、座卓をはさんで日顕の真向かいに立ったときには、気をのまれ、キョトンとしていた日顕も、「離山の書」を突きつけられ、眼前に繰り広げられている事態がなにを意味するのかがやっとわかりはじめたようだ。

顔面は蒼白となり手は震え、極度な昂奮状態となった。だが、顔がこわばるだけで声すら出せない。

ようやく日顕一派の一部非教師が騒ぎ出し、それを皮切りに緊張の静寂は破れ、満座は喧噪の坩堝と化した。日顕一派は口々に菅原氏を悪口罵詈した。

菅原氏の日顕を諫める声は、大勢を占める日顕一派の罵声にかき消され、さらに実力で制しようとする者も出はじめた。

植松雄増氏(大阪府茨木市・安住寺在勤)は、「日顕!お前が悪い」と大声を発し、菅原氏に加勢したが、衆を頼む日顕一派は、なにがなんでも菅原氏の正義の行動を制止しようとした。

菅原氏の引きつづいての行動が不可能と見た松岡雄茂氏(東京都江戸川区・大護寺在勤)は、みずから用意した「決別の手紙」を手ずから渡そうと、日顕に向かい歩みはじめた。

その松岡氏に対し、臼倉雄理が顔面を殴打するなどの激しい暴行を加えた。眼鏡はコナゴナに壊れ、松岡氏の顔面は腫れ上がった。そのため後刻、警察が捜査のため大石寺に入ることとなった。

この「お目通り」には、指導者的立場にあるお仲居の駒井専道および学衆課の面々も立ち会っていたが、松岡氏らへの暴行を黙視するのみであった。

日顕による時代錯誤の「お目通り」は、憂宗の青年僧侶らの決起により、いま日蓮正宗のかかえる体質的矛盾をあますことなく露呈する場となった。

宗門は封建的支配により司られており、正義の言論は暴力的に圧殺されたのだ。その圧殺のため、大奥対面所は阿鼻叫喚の修羅場と化した。いまの日顕は、青年僧侶の真正の声に耳を貸すことすらもできないのである。

この大奥対面所での「お目通り」には、“日顕に非あり”とする五名の青年僧侶が参加していた。その五名とは、菅原雄政氏(前出)、松岡雄茂氏(前出)、植松雄増氏(前出)、大塚雄能氏(山形県鶴岡市・法樹院在勤)、山口雄在氏(大阪府岸和田市・平等寺在勤)。

この五名のほかにも、当日「お目通り」に出ていない青年僧侶五名が意志を同じくしている。その五名とは、渡辺雄悦氏(東京都国立市・大宣寺在勤)、土井雄育氏(本山大坊内)、橋本雄正氏(本山大坊内)、岡崎雄直氏(秋田県鹿角市・妙貫寺在勤)、大塚法樹氏(京都市・平安寺在勤)である。

菅原氏が日顕に突きつけた「離山の書」は、この十名の青年僧侶たちが連名したものである。これら日蓮正宗の青年僧侶たちは、決起の三月三十日を期して「日蓮正宗青年僧侶改革同盟」を結成した。

その意図するところは、資料として文末に「離山の書」全文を掲載したので、一読願いたい。あわせて、三月三十一日に日蓮正宗青年僧侶改革同盟員たちによる記者会見で表明された「離山声明」も掲載した。

日蓮正宗青年僧侶改革同盟の人たちは、日蓮正宗においても最優秀の人格識見を有する人材であった。青年得度者は、期ごとにその期の筆頭僧侶が決められ、その筆頭の者を「名頭」と呼ぶ。

ちなみに、同盟員のうち渡辺雄悦氏が六期生の副名頭、菅原雄政氏が七期生の名頭、松岡雄茂氏が同じく七期生の副名頭、岡崎雄直氏が八期生の名頭、橋本雄正氏が九期生の名頭、土井雄育氏が同じく九期生の副名頭、大塚雄能氏が十期生の名頭、大塚法樹氏が十一期生の名頭であった。

日顕らは、日蓮正宗の宝ともいえるこれらの若き俊逸たちを、日蓮大聖人の御遺命を達成するための人材として包摂することができなかったのだ。それも、法主である日顕の謗法の故に離山するというのだから、ことは重大である。

“現代における大聖人様”を自認する日顕が、その威をもって居並ぶ僧を謁見する「お目通り」の場において、青年僧侶にその非を追及されたことの意義は大きい。

歴史的に見れば、江戸幕藩体制の下において寺社奉行の手足となり民衆支配の代行をしてから、多くの既成仏教は権力者とともに繁栄を享受できる地位に甘んじてきた。

日蓮正宗もまた、その例外ではなかった。己の権勢が保てれば民衆の幸せなど二の次として、宗祖日蓮大聖人の慈悲の言葉すら民衆支配の道具として使ってきたのだった。

日顕ら日蓮正宗中枢の問題意識として常にあるものは、徳川幕藩体制下において掌中にした既得の権威、権勢、権益、権力の確保以外のなにものでもない。

そのために、江戸時代以来の本寺―末寺の秩序を至上のものとし、法主―住職―修行僧―信徒の差別を金科玉条とするのだ。

今回の青年僧侶たちの決起は、修行僧が法主を弾呵するという革命的な行為であった。ここにおいて日蓮正宗は、数百年来の封建的民衆支配の構造を自己内部より打ち壊されたことになったのである。

まさに自壊のはじまりであり、老たる僧侶社会も、世界的潮流である“民主の流れ”には抗しえないということが明らかとなったのだ。

決起した青年僧侶たちは、宗祖日蓮大聖人の大慈大悲の御心にのっとって行動したもので、宗祖大聖人に反し民衆の幸福の前に立ちはだかる日顕らに対して、痛撃の一槌を下した。

日顕の足元が音を立てて崩れはじめた。今回の事件は、その大きな兆候である。

〈参考資料〉

三月三十日に日顕に突きつけられた「離山の書」

「大聖の廟所まします延山に本仏の法魂跡形もなく、立正安国論蔵する中山に宗祖の正義一分もなし。而して、今、私たち大聖人門下の青年僧侶有志は、声を大にして叫ばん。“大御本尊御座します富山に、正法の僧一人としてなく、七百年の正統の誇り地に堕ち、興尊の法脈、遂に滅失せんとす”と。

私たち青年僧侶有志は、宗開両祖の御精神を忘失し、広宣流布の聖業を放擲し、あまつさえ仏意仏勅の団体たる創価学会を破門するという暴挙を犯すに至った猊下、宗門と決別し、その真の改革をなさんがため、大石寺を離山することを決意し、ここに宣言するものであります。

『日興遺誡置文』に云く、『於戯仏法に値うこと稀にして喩を曇華の蕚に仮り類を浮木の穴に比せん、尚以て足らざる者か、爰に我等宿縁深厚なるに依って幸に此の経に遇い奉ることを得、随って後学の為に条目を筆端に染むる事、偏に広宣流布の金言を仰がんが為なり』と。

私たちは、末法今時に生を受け、値いがたき仏法にめぐりあう無上の福運を得、人類の闇を照らす大聖人の仏法哲理の深遠さと偉大さに身をふるわせ、真の僧俗和合の大理想を求め、広宣流布への大情熱と不惜身命の決意をもって得度いたしました。

しかし、宗門内部の想像を絶する実態は、私たちのその燃ゆるが如き求道の息吹を、得度後旬日を経ずして無残に打ち砕くものでありました。

修行に名を藉りた暴力、法臘による徹底した差別、猊下を頂点とする上級者への卑屈なまでの服従の強制、そこには、広宣流布への情熱など微塵もなく、透徹した信心への峻厳な思いも教学研鑽の真摯な姿勢も全く存在しません。

唱題の中に信心を深め、教学研鑽の中に仏法の深い哲理に迫り、厳しい切磋琢磨の中に信心の向上と人格の陶冶を思い描いていた私たちにとって、それは、あまりにも信じ難い光景でありました。

しかし、このことは、法水が絶対であるから法器も絶対であり、大聖人の仏法の法義が正しいから宗門の体制も間違いはない、という考えが大いなる幻想であることを、私たちに教えてくれました。

忍難弘通の御生涯であられた大聖人と、その法戦に常随給仕された日興上人における師弟相対の御化導に照らして明らかなことは、『唯仏与仏』の御境涯で大聖人から日興上人に御相伝付嘱された『日蓮一期の弘法』こそ唯一絶対であり、その本義こそ我々が生涯命を賭して守るべきものであるという真理であります。

その『日蓮一期の弘法』、すなわち法水が絶対至高であるからこそ、それを伝持する法器は清浄でなければならず、その“振る舞い”は、その法水にかなうべく謙虚で精進怠りないものでなくてはならないはずであります。

しかるに、宗開両祖が命がけであらわされた『御化導』を、折伏・唱題もせず、袈裟・衣を著すだけで体現できるなどというのは、傲慢以外のなにものでもないと言わざるをえません。

修行という『因』を蔑ろにして、いたずらに仏の『果』徳のみを主張する『法主本仏論』は、まさに因果否定の外道見そのものであります。

そのような傲慢と外道見にとらわれ、信心と理性を失い、暴走し始めた猊下と宗門は、醜い自己保身と感情の赴くままに、『化導』の責任と資格を自ら放棄し、広宣流布の推進団体である創価学会を破門するという、五逆罪中最重罪たる破和合僧の大謗法を犯したのであります。これは、宗開両祖の御遺誡に対する重大な違背であると言わなければなりません。

私たちは、ことここに至り、これに対し座して黙することは、大聖人門下の一分として、また猊下の弟子として、かえって、師敵対の者となることを恐れ、呻吟し懊悩いたしました。

それは、『法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし』との御金言を真に拝するがゆえであります。

そのようなとき、宗派離脱の勇断をもって宗門覚醒に立ち上がられた七人の方々の『諫言の書』は、私たちに、宗門に希望の灯いまだ消えざることを知らしめ、そこに示された赤誠の主張は、私たちに深い納得と勇気を与えてくれました。

私たちは、御金言にしたがい、法華経の敵をせめ、今こそ真の宗門改革を断行しなければならないと痛感するがゆえに、悩乱の猊下に対し、その弟子たる者の責任において心より諫言申し上げるものであります。

『猊下は、自らの感情といきがかりを捨て、創価学会に対する一連のあまりに理不尽な措置を撤回し、学会なかんずく池田名誉会長に心より謝罪するとともに、自らは速やかに退座し、懺悔滅罪すべきである。と同時に、日蓮大聖人の仏法の本義に則った宗門の抜本的な改革をなすべきである』と。

私たちは、猊下がこれに虚心に耳を傾け、宗門に新生の契機が訪れざる限り、謗法と化した現宗門に漫然ととどまることは、かえって日興上人の御遺誡を虚妄にするものであると信じます。

よって、私たちは、封建的弊害の産物たる『所化の分際で』という差別観を打ち破り、ここに『青年僧侶改革同盟』を結成し、この際、大石寺を離山して、その改革と覚醒の一石たらんとするものであります。

そして、同信の僧侶を糾合し、真の僧道を全うすることを通して、師匠たる猊下への御報恩の一分とさせていただく決意であります。

以下においては、これまでの私たちの経験を踏まえ、腐敗堕落した宗門改革のため、青年僧侶の立場から、あえて三点にわたり述べさせていただきます。一 まず第一に、宗祖大聖人の死身弘法の御化導こそ一切の正邪の基準でなければならない、ということであります。

すなわち、『大願とは法華弘通なり』『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』『所詮四弘誓願の中には衆生無辺誓願度を以て肝要とするなり、今日蓮等の類は南無妙法蓮華経を以て衆生を度する此より外は所詮なきなり、速成就仏身是なり云云』等と仰せの如く、折伏弘教の御金言にかなう者こそが正しいのであります。

どのような高邁な理論であっても、“広宣流布”“衆生済度”という目的を欠くものは何の意味もないことは、言うまでもありません。

ところが、今、猊下、宗門は、七百年の伝統と衣の権威を振りかざし、このあえて言うまでもないはずの大聖人の精神を完全に忘れ去っているのです。信徒を掠め取る泥棒まがいの『脱会者づくり』を法主自らが声高に号令せざるをえない姿はその何よりの証左であります。

猊下は、一昨年末の突然の総講頭罷免の際の謗法ジャーナリストとの談合に始まり、かつて自らの血脈を否定する記事を掲載した出版社の雑誌への寄稿に至るまで、呆れ返るほかない無節操ぶりを世に示しております。

一宗の法主として断じてあってはならない謗法の数々を棚に上げ、“教導”などというもっともらしい言葉で学会を攻撃し、そのくせ、かたくなに話し合いを避けようとする狡猾さは、宗門人として、恥ずかしい限りでありました。

このような猊下の信心なき虚栄と黒い心は決して許されるものではありません。宗祖大聖人の御生涯を拝し、その御化導の足跡と比較するならば、猊下の卑劣さは一目瞭然であります。

その破和合僧の所作は『勧持品の二十行の偈』にことごとく符合し、その僣聖増上慢の本質は歴然としております。猊下は、自ら学会本部に出向いてでも話し合いを行うべきであり、そうあってこそ、衆生を導く師と認められるのではないでしょうか。

私たちは、猊座の尊厳を否定するのではありません。そこに僣む権力の魔性が問題であり、その魔性に身をゆだねた猊下が“広宣流布”と“衆生済度”の念を失い、宗祖大聖人の御精神を完全に踏みにじっていることを嘆くのであります。

今、かつてない未曾有の折伏を成し遂げ、事実として世界広布の波動を巻き起こしている実践の団体は創価学会であり、今日の宗門をここまで興隆せしめた人は歴代の会長であり、なかんずく池田名誉会長であるということは、動かし難い事実であります。

本門戒壇の建立を後世の弟子に託され、広宣流布を御遺命なされた大聖人の御精神に沿い奉ろうとするならば、この創価学会にこそ“広宣流布”と“衆生済度”の実践があるという厳然たる事実を虚心坦懐に認めるべきであります。

『千年のかるかやも一時にはひとなる百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり』との宗祖の御金言を恐れるならば、七百年の伝統を自らの手で灰にしてしまう愚挙だけは、断じて避けねばなりません。

猊下が堕地獄をまぬがれる道があるとすれば、直ちに袈裟・衣を脱ぎ、大御本尊の前にひれ伏して我が重罪をお詫びし、自らを衆徒に差し置き、余生のすべてを、衆生に捧げ御奉公すること以外にはないと断言するものであります。二 第二に、現在の宗内にはびこる『僧侶主体』という特権意識に基づく広宣流布観を捨て去り、『広布主体』の僧俗和合の実現を図ることこそ急務である、ということであります。

『四条金吾殿御返事』に云く、『正法をひろむる事はかならず智人によるべし、……設い正法を持てる智者ありとも檀那なくんば争か弘まるべき』云々と。

広宣流布への具体的活動は、その時代の様相を鑑み、僧俗が互いに相手の立場を理解し、自己の役分を最大限に発揮していくところにあります。

その僧俗の立場を、『弘宣』『伝持』『守護』の三付嘱の義によって立て分ければ、『伝持付嘱』は主に僧に対するもの、『守護付嘱』は主に在家に対するもの、『弘宣付嘱』は僧俗共に通じるものと考えられます。

まず『伝持付嘱』についてみるならば、僧侶が本来の意味で伝持すべきものは、『日蓮一期の弘法』すなわち法水であります。しかして、それは、決して真言密教のような神秘主義でもなけば、僧侶のみが独占するものでもないことは言うまでもありません。

法水は『信』をもって求むる一切の衆生に平等に流れ通うものであり、信心の血脈さえあれば誰人でも大御本尊の御威光を享受できるというのが宗祖の大慈悲であり、その仏法の本義であるからであります。

僧侶、なかんずく時の貫首の責務は、衆生に濁りのない清浄な法水を伝えるところにあります。したがって、法水の私物化など許されようはずがありません。

にもかかわらず、現在の宗門が、衆生に権威権力を振りかざし、法水を営利の手段としているとは、一体何事でありましょうか。それこそ、三毒強盛の姿であり悪鬼入其身による魔の所為と言わざるを得ません。

次に『守護付嘱』の衣文は、『立正安国論』の『仁王経に云く「仏、波斯匿王に告げたまわく・是の故に諸の国王に付嘱して比丘・比丘尼に付嘱せず何を以ての故に王の如き威力無ければなり」已上。』との御文であります。

ここで『王の如き威力』とは、主権在民の現代にあっては、社会の中で実証を示し、折伏し、民衆に広く弘教する和合僧団の団結の力であります。清浄に伝持された法水も広く衆生に施されてこそ意味があり、衆生があってこそ、法水の存在の意義があるといっても過言ではありません。

そして、一大和合僧団にあって守護すべきものは、僧侶の体制ではなく、法水であり、仏法の本義です。ゆえに、和合僧団は、その法水と本義にかなう法器と体制であれば、誰に命じられるまでもなく、これを守護するのであります。

さらに、今深く考えねばならないのは『弘宣付嘱』の意義でありましょう。

現宗門はさかんに“僧侶主体”と叫んでおりますが、本当にそれが日蓮大聖人の仏法の本義にかなうものと考えているのでしょうか。この国際化した民主の時代に適合した姿だと言うのでありましょうか。

もしそうであるならば、それは単なるエゴイズムであり、まともな世界観も歴史観も持たない低俗な縄張り意識の産物にすぎないと言わざるをえません。

たしかに『撰時抄愚記』では、『一期弘法書』をもって日興上人への弘宣付嘱とされております。しかし、僧宝たる日興上人が弘宣付嘱をうけられたからといって、現代においても「僧侶主体の広布」でなければならないとするのは、早計に過ぎます。

日蓮大聖人の広布観は、極めて現実的側面を重視されたものであり、当時の武家社会の封建体制に順応しつつ、人心の妙法化を図っていかれたものであります。

武家社会にあっては、僧侶が為政者の指南役、国師として影響力を有しておりましたから、日興上人が国主を折伏して天下の師範となることは、当時の社会制度に則った広布達成の唯一の方法でありました。

すなわち、“法主=国師”の広布観は、封建社会に適合するための世界悉檀であったとはいえ、決して第一義悉檀的なものではなかったはずであります。

むしろ、『民衆の民衆による民衆のための仏法』を志向された大聖人の御心を拝察し奉る時、仏法弘通の主体者はあくまで一人一人の民衆、在家の人々であって、この民衆主体の広布観こそ、大聖人の仏法の本義であると確信するものであります。民主主義、国際協調の現代こそ、大聖人の御心に適った民衆中心の広布がなされうる、絶好の『時』と言わずして何でありましょうか。

もちろん、激動する現代世界において、国家的利害も階級的対立も民族的偏見も今なお超克されるどころか、かえってそれらが新たな危機を生み出している状況に鑑みれば、広宣流布の意義はいやまして高いとはいえ、その実践の困難さは、言葉に尽くせぬものがありましょう。

しかして、そのいばらの道を切り開いているのが創価学会であり、なかんずく池田名誉会長であります。すなわち、現実の社会で世界広布を進めゆく実力と資格を持っているのは僧侶ではなく在家であるということであります。御先師は、そのことを深く洞察されたがゆえに、海外布教を創価学会に託されたのであります。

その在家の弘教の姿を、袈裟・衣を著する者の責務として敬い、心から応援してゆくのは当然のことであります。そのうえで、化儀の広宣流布を推進していくことが、僧侶の役分であります。

それこそ、真実、広宣流布の推進を目的とし、その達成のために何が必要かという観点からあるべき体制であり、『広布主体』の僧俗和合の姿であります。

私たち青年僧侶有志は、大聖人の御遺命の達成と世界平和を願う僧であるならば、まず自らのエゴイズムを克服し、『広布』を主体とする僧俗共戦の和合僧団を築くため、第一歩から宗門改革を断行せよと強く訴えるものであります。三 第三に、広布主体の真の僧俗和合を築き、新生宗門をつくり上げるためには、誤った教育観を改め、真の人材を育成することが不可欠である、ということであります。

腐敗堕落に慣れ、差別意識に凝り固まった役僧などに、新しい時代を拓くことなど思いもよりません。情熱をもって理想を求め、かつ現実に根差した改革に叡知を傾ける青年僧侶の育成こそが絶対に必要であります。

しかるに、現宗門の人材育成の実態は、信心による慈しみではなく暴力による強制があるのみであり、いかに建設的意見であろうとも、物を言えば力と権威で報い、結果として、進取の気性に富んだ若い芽を摘み取るだけのものであります。

猊下自身、所化などは叩かないと分からないのだ、というお考えとのことですから、その低俗な教育観にはただただ驚くばかりです。

私たちが知る限りでも、猊下が登座以降十有余年の間に、優に百人を越える弟子が、あるいは離弟処分を受け、あるいは本山を事実上追放されて還俗させられております。その一方、役僧やその係累の子息は万引きをしようが、女性問題を引き起こそうが、末寺から逃げ出そうが、たいして咎めもされず許されているのが実態です。

そうでない所化は、徹底して非人間的な差別待遇に喘ぎ、理不尽な暴力と威圧に去勢され、卑屈な服従に耐えているのです。そこには無気力と無責任が蔓延し、そのやり場のない不満は、いきおい下位の後輩と信徒に向けられていくという構造ができあがっているのです。

希望にあふれ、純粋な心を持ち、目を輝かせていた子供たちが、得度して数日で子供らしい輝きを失い、卑屈になり、『ばれなければ何をやってもかまわない』という要領だけを身につけていく様は、心ある者ならば正視に耐えないことであります。

目的観のないところに研鑽はなく、使命観のないところに成長は生まれません。また、何よりも、人材を育成する側に、次代を担う青年を育てようとする慈しみの念と信心がない限り、悪循環の繰り返しとなるばかりであります。

今、宗門にもっとも欠落しているのは、大聖人の仏法の前においては、その信心修行は法主であろうと役僧であろうと所化であろうと、また信徒であろうと、何ら差別はないという精神であります。

袈裟・衣を著するだけで、大聖人の御化導を体現し、法臘が長いというだけで悟りを得ているがごとき錯覚をまず捨て去り、若い力を侮り蔑ろにするようなことは直ちに止めるべきであります。

今、宗門改革を断行すべきときにあたり、私たちは、まず何をおいても、人材育成の理念と制度の抜本的改革が必要であることを強く主張するものであります。

以上、私たちの離山にあたっての決意と心情、ならびに宗門の現状に鑑み、私たちなりの改革への視点を述べさせていただきました。

猊下におかれては、私たちの信心の至誠よりのやむにやまれぬ行動に対し、御理解を賜るとともに、どうか、宗祖大聖人の本義に立ち還り、自らの進退をお誤りにならないよう、心からお願い申し上げます。

平成四年三月三十日

          日蓮正宗青年僧侶改革同盟

           菅 原 雄 政

           土 井 雄 育

           橋 本 雄 正

           岡 崎 雄 直

           松 岡 雄 茂

           渡 辺 雄 悦             大 塚 法 樹

           大 塚 雄 能

           植 松 雄 増

           山 口 雄 在

阿 部 日 顕 猊 下              」

〈参考資料〉

三月三十一日の記者会見で表明された「離山声明」

「昨日、三月三十日、私たち日蓮正宗僧侶有志十名は、『青年僧侶改革同盟』を結成し、阿部日顕法主ならびに現宗門の誤りに対し強く諫言するとともに、総本山大石寺を離山することを決意し、これを宣言いたしました。

私たちは、広宣流布という宗祖日蓮大聖人の御遺命の達成を僧侶の一分の立場において行じたいとの求道の一念をもって、大石寺の門を叩き、日顕法主の弟子となった者であります。

しかし、出家得度して見た日蓮正宗僧侶の実態は、そういう私たちの一念を無残に砕くものでした。すなわち、そこでは、広宣流布への情熱も峻厳な信仰の実践も全く存在せず、門閥、閨閥、出家の先後等による徹底した差別、修行に名を藉りた陰湿な暴力、法主を頂点とする上級者への卑屈なまでの服従の強制等々が横行し、豪壮で近代的な境内の外見に反し、およそ人に法を説く教団とは思えない殺伐たる雰囲気が支配しているのです。

そのような差別意識が実際に広布を進めている創価学会、なかんずく池田名誉会長に向けられ、劣等感と嫉妬の虜になり、ついには、昨年十一月二十八日、学会を破門するという暴挙に至りました。

そして、私たち青年僧侶がこれに少しでも疑義をもとうものならば、すさまじい脅迫と査問によって、これを押さえ付け、あるいは放逐するという行為に出ております。

ことここに至っては、もはや、現在の宗門に日蓮大聖人の精神は全く存在しないと断ぜざるを得ません。

よって、私たちは、日顕法主が、創価学会に対する不当な措置を撤回し、心より謝罪するとともに、速やかに退座して懺悔滅罪すること、ならびに、日蓮大聖人の仏法の本義に則り、宗門の抜本的な改革をなすべきことを、昨日、本山で行われた青年僧侶の指導会において法主に直接、諫言したものであります。

そして、私たちは、日顕法主がこれに虚心に耳を傾けない限り、このまま宗門にとどまることは、かえって大聖人のお叱りを受けることであると信ずるがゆえに、この際、大石寺を離山することを決意し、これを実行したのであります。

これに対し、暴力体質に染まり切った僧侶らは、私たちの顔面を殴打し、あるいははがい絞めにし、あるいは私たちの袈裟衣を取りあげるなどの非道な行為に及びました。これによって私たちの一人は全治十日間の顔面打撲の傷害を受けるにいたっております。その上、法主、役僧らは、これを眼前にして何ら止めることもなく漫然放置するという、まことに聖職者にあるまじき無慈悲ぶりを露呈したのであります。

本日、私たちがあえてこのような事実を公にしたのは、日顕法主を中心とする現宗門は既に自浄能力を喪失し、このままではその腐敗堕落と暴力体質を止めることが不可能であると考えたからであります。

今後は、宗門改革のため、同心の僧侶を糾合し、一身を投げうって、新生宗門の実現に挺身していきたいと考えております。以上」

家族友人葬のパイオニア報恩社