報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十二章 奸計かんけい破綻はたん

地涌オリジナル風ロゴ

第401号

発行日:1992年4月2日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

「こんなことになったのは、日顕! お前が悪いのだ」
この青年僧侶の痛憤の叫びから日顕は逃げようとしている

三月三十日、「お目通り」の場で日顕の非を糾弾した五名の青年僧侶の行動は、明けて三月三十一日にもさまざまな余波を生んでいる。

三十一日午前十一時三十分から、総本山大石寺の大書院において、日顕を囲んでの会食があったが、日顕は前日、公衆の面前で罵倒されたことに対し、何とか沽券をとりつくろおうとするのみであった。

日顕は食事をしながら、周囲の者に聞こえよがしに、「お前と呼ばれたのは、駒井、お前だよな」と、お仲居の駒井専道に対して同意を求めた。いつもながら“駒専”は、米つきバッタのように相槌を打ち、日顕に同意した。

日顕としては、公衆の面前で所化(青年僧侶)から「お前」呼ばわりされ、なすすべもなく、顔面蒼白となり体を震わせていた己の無能を、なんとかとりつくろいたかったのだろう。

断るまでもないが、「お目通り」において名指しされ、その非を糾弾されたのは日顕本人である。「お目通り」において決起した青年僧侶の一人である植松雄増氏(安住寺在勤)が日顕を指さし、「日顕! お前が悪い」等と日顕の非を糾弾したのだ。

日顕が、いつもながらの事実のスリカエで面目を保とうとしても無駄なことである。「C作戦」の断行をもって創価学会を破壊し、檀徒づくりを策したのは日顕である。日顕こそ破和合僧の張本人なのだ。

三月三十一日、「報告書」と題する怪文書が宗内に流れた。日顕宗側に立つ坊主が流したもので、作者はいつもながら勇み足で、問わず語りに真相を伝えてくれるFと思われる。

その「報告書」に、次のような件がある。

「御法主上人猊下を指さし『こんな事になったのは、お前が悪い』と、御法主上人猊下を『お前』呼ばわりして口ぎたなく罵り、社会人として、人間として、実に哀れな形態であった」

事実は、この「報告書」にあるように、指をさされて非を糾弾されたのは、日顕にほかならない。「お目通り」に際し、日顕と机をはさんで向き合い、「離山の書」を突きつけた菅原雄政氏(応顕寺在勤)に対し、日顕および日顕側近の駒井らは、しばし気をのまれ、何らの行動もとれなかった。

駒井が、日顕を諫める菅原氏に対し、制止の意思表示ができたのは、しばらく経ってからであった。

それについても、植松氏は、「黙れ駒専! これ以上、所化の自由を奪うのか」と一喝している。駒井への発言はこれだけだ。

「お前が悪い」と植松氏より直接弾呵されたのは、日顕なのだ。何をもって日顕は、会食の機をとらえ、駒井に相槌を打たせ、日蓮正宗僧俗の現下の大混乱の責任逃れをしようとするのだろうか。

ましてや、宗門を破滅させた一切の責任は、日顕以外にあろうはずがない。なぜ十名の青年僧侶が決起したのか。そのことは「離山の書」に明白である。

「私たちは、御金言にしたがい、法華経の敵をせめ、今こそ真の宗門改革を断行しなければならないと痛感するがゆえに、悩乱の猊下に対し、その弟子たる者の責任において心より諫言申し上げるものであります。

『猊下は、自らの感情といきがかりを捨て、創価学会に対する一連のあまりに理不尽な措置を撤回し、学会なかんずく池田名誉会長に心より謝罪するとともに、自らは速やかに退座し、懺悔滅罪すべきである。と同時に、日蓮大聖人の仏法の本義に則った宗門の抜本的な改革をなすべきである』と」(「離山の書」一部抜粋)

この青年僧侶の義挙に対し、日顕ら宗門中枢は処分をすることを表明するのみで事の本質から一切目をそらそうとしている。

宗門は三月三十一日、「日蓮正宗総本山大石寺」名で、やっと次のような短文の声明を「報道関係者各位」に配るのみであった。

「この度、御師範御法主日顕上人猊下に対し奉り、突然修行僧五名が、無礼不遜極まりない態度をもって『離山の書』なる文章を突きつけるという暴挙に及んだ。

一読、その内容たるや、本宗僧侶として見るに耐えないものであった。

このような暴挙の中で、中に居合わせた者が、御師範の前での不遜な行動を制止したが、今後、当日計画的な暴挙に出た背後関係を厳重に調査のうえ、断乎、措置する考えである以 上」

要は、法主である日顕の前で、「無礼不遜極まりない」、したがって「断乎、措置する」と言っているだけのことだ。“無礼打ち”を正当とする宗門の封建体質がここにも現れている。

もとはといえば、日蓮大聖人の仏法と無縁のこの宗門の封建体質が、僧俗和合を破壊させたのだ。“信徒の分際で無礼だ”。これだけの理由で仏意仏勅の団体である創価学会の破壊が正当づけられると思っている。

この出家の側の思い上がりが、広宣流布の進展において大きな障害となっているのだ。それを日顕は所化小僧に直接批難されたことのみが気になり、翌日になっても、「お前と呼ばれたのは、駒井、お前だよな」と、己の面目を保つことのみに腐心している。これでは宗門は、今後ますます自滅への歩みを速めるだけのことである。

「こんなことになったのは、日顕! お前が悪いのだ」――青年僧侶たちの痛憤の叫びが直接、聞こえてくるようだ。

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