報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十二章 奸計かんけい破綻はたん

地涌オリジナル風ロゴ

第410号

発行日:1992年4月24日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

またあの日顕が最高級温泉旅館で酒をあおり遊興していた
それがバレても薄ら笑いを浮かべ弁解するのみで反省なし

狂乱した者は、西も東もわからなければ、正邪の区別もできない。そして、自身の欲望を正当化するために、事実と違う根拠のない論を展開する。

四月二十一日午後一時半から総本山大石寺でおこなわれた、全国宗務支院長会議における日顕の姿は、魔に魅入られ狂乱した者が、どのような顛倒した論を展開するかという見本のようなものだった。

日蓮大聖人曰く。

「禅宗が教外別伝の所見は東西動転の眼目・南北不弁の妄見なり、牛羊よりも劣り蝙蝠鳥にも異ならず、依法不依人の経文・毀謗此経の文をば如何に恐れさせ給はざるや、悪鬼入其身して無明の悪酒に酔ひ沈み給うらん」(教行証御書)

【通解】禅宗の教義別伝の所見は東西を取り違えた見方であり、南北をわきまえない妄見である。それは牛羊にも劣り、コウモリと違わないものである。涅槃経の「法に依って人に依らざれ」、法華経譬喩品第三の「この経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん」の経文をどうして恐れないのであろうか。悪鬼が其の身に入って、無明の悪酒に酔っているからであろう。

日顕は、創価学会組織を切り崩し、信徒を自由に支配しようという目的で創価学会を「破門」にしておきながら、いまになって、この聖職者としてあるまじき行動をなんとか正当化しようと腐心しているのだ。

腐心しているとはいっても、新たな理論的裏づけを見出いだしたわけではなく、相変わらず陳腐な論を繰り返しているだけである。

日顕は、全国宗務支院長会議でまたも繰り言を述べた。

「大聖人様の三大秘法の本義を全く軽視し、侮蔑し、自分勝手な考えをもって、これを断じておると思うのであります。この考え方がやはり、一番根本に池田大作なる人物の大謗法の姿の元をなしておる」

この日顕の論については、これまで創価学会側から完膚なきまでに破折されてきたのに、狂乱した日顕は破折されたことすらわからないのだから始末が悪い。

年々歳々、正本堂の意義づけを変えてきた宗門こそ、三大秘法軽視の姿そのものである。さらに言えば、創価学会は三大秘法を軽視していないが故に、正本堂建立にあたり約三百五十億円ものご供養をしたのである。

一方、僧侶ならびに寺族は、約一億五千万円のご供養しかしなかった。これは、僧侶、寺族が本門戒壇を軽視し、正本堂建立をあなどっていたからにほかならない。

そうでなければ、日蓮正宗の僧侶、寺族は、戒壇の大御本尊様を荘厳し格護申し上げることにすら財を惜しむ、度をはずれた欲深い守銭奴といわなければならない。

日顕は、さらに次のように述べた。

「今日いろいろな面で、いろいろな姿があるが、池田大作の本心は、第六天の魔王が根本に入ったのである。法を護る姿のもとに隠れて、魔が仏法を、根本的に壊乱せんとする働きを徐々に作り出してきた。ここに末法弘通の実相がある」

このように日顕は述べたのだが、狂乱した日顕は、物事を「正直に」認識する力すらなくなったようだ。

池田名誉会長が日蓮大聖人の仏法を世界に弘めるため、瞬時も休むことなく広宣流布の指揮をとってきたのは、まぎれもない事実である。その歩みは、今日においてもたゆまずつづけられている。日顕は、その事実すらも無視しようとしている。

もし、池田名誉会長が広宣流布を阻害しようとするなら、池田名誉会長はみずからその歩みを止めればいいだけだ。世界広布への日々の前進を怠ればいいのだ。そうすれば、世界広布の歩みはまたたく間に遅滞し、教線は決定的ダメージをこうむることになるだろう。

日顕の言うように、なにも仏法破壊の働きを「徐々に作り出す」などといった、遠回りでまどろっこしいことをする必要はない。日顕の論理は、まったく事実にのっとっていない。

広宣流布は、創価学会の歴代会長が一念に億劫の辛労を尽くすことにより進展してきたのである。いまの時代にあっては、広宣流布を推し進めようとする波動は池田名誉会長の一心に、その源を発している。

事実、今日まで、池田名誉会長の広宣流布実現に向けての熱情によって、創価学会は世界に教線を拡大し、日蓮正宗は七百年の歴史にない隆盛をなしてきた。

池田名誉会長を中心に仏法史上、未曾有の教法流布をしてきたのが創価学会である。創価学会こそ法華経に予言された“地涌の菩薩”の集まりであり、創価学会は、とりもなおさず日蓮大聖人の仏意にそって出現した団体である。

もし、日顕の言うように、池田名誉会長の身に第六天の魔王が入り、広宣流布を破壊しようとするなら、広宣流布に一分の貢献もなさないで、かつ世界広布という視点から見ればとるに足らない存在である日顕と、いさかいを起こす必要などまったくない。

ただ創価学会を解散し、池田名誉会長自身の広宣流布への歩みを止めれば、それで済むのだ。

創価学会の最高指揮者が、その歩みを止めてたたずめば、宗門はかつての姿同様に葬式仏教として檀那にへつらい、謗法を見逃し、わずかばかりの供養に眼を細める存在に戻るだけのことである。

日蓮大聖人の仏意である大法弘通を阻止しようとする魔は、広宣流布の主体者である創価学会を破壊しようとする。なかんずく、創価学会の最高指揮者である池田名誉会長を失脚させ、広宣流布の波動を起こしている源を断とうとするだろう。

いま創価学会を破壊しようとし、大法弘通の大功労者である池田名誉会長に故なき汚名を着せようとしているのは、ほかならぬ日顕である。日顕こそ仏敵であり、魔なのである。

この日顕という男、広宣流布を推し進めるときにはなんの戦力にもならなかったのに、広宣流布を阻む役割を果たすときは、みょうに威丈高になり、仏子らを宗教的権威をもって脅してくる。まさに魔に魅入られた姿そのものである。

全国宗務支院長会議で日顕は、池田名誉会長のことを「僣聖増上慢」と罵っている。日顕は僣聖増上慢について説かれた仏の言葉を忘れたのだ。愚かな「法主」である。恩も忘れれば、御書も忘れている。

「或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂つて人間を軽賤する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん、是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮て好んで我等が過を出さん、常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲するが故に国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん、濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其身に入つて我を罵詈毀辱せん、濁世の悪比丘は仏の方便随宜の所説の法を知らず悪口し顰蹙し数数擯出せられん」(開目抄)

【通解】あるいは人里離れた閑静な場所に衣をまとい、静かなところで真の仏道を行じていると思い、世事にあくせくする人間を軽賤する者があるであろう。私利私欲を得る目的で在家のために法を説いて、その結果、形のうえでは六通に羅漢のように尊敬されるであろう。

この人は悪心をいだき、つねに世俗のことを思い、閑静な場所にいるとの理由だけで、自己保身のため、正法の者の悪口をならべたてるであろう。つねに大衆のなかにあって、正法の行者を毀るため、国王や大臣や婆羅門居士およびその他の比丘衆に向かって誹謗し、われらの悪を説いて、『これは邪見の人であり、外道の論義を説いている』と言うであろう。濁劫悪世のなかには多くのもろもろの恐怖する事件があり、悪鬼がその身に入ってわれら正法の行者を罵り、批判し、はずかしめるであろう。濁世の悪比丘は、仏が方便随宜の説法をしていることに迷い、経の浅深勝劣を知らず、正法の行者に悪口し、顔をしかめ、しばしばその居所を追い出すであろう。

これが「僣聖増上慢」についての依文であることは、日蓮大聖人の門下にとって常識である。「阿練若」とは人里離れた寺院のことで、すなわち僣聖増上慢とは、寺院に住む僧の中にこそ現れるのである。

僣聖増上慢の文字の如く「僣」は「狡」を意味し、ずるく悪賢い「聖」を装った者をいう。それに対して、在俗の魔は俗衆増上慢という。

この御書は、現在における日顕ら悪比丘のことである。日顕の身にあてはめて、ここまで正鵠を射た御文を読み、日顕は「不思議な因縁」を感じないのだろうか。

大衆のただ中にあって戦う在家指導者を指して「僣聖増上慢」とは、これにまさる妄語はない。

日顕は全国支院長会議に先立ち、午後一時から大坊対面所において支院長らと「お目通り」した。このとき日顕は、テレ隠しに薄ら笑いを浮かべ、「『中外日報』にああいう記事が載ったということは申し訳なかった。これからは、ちゃんとやりますから」と発言した。

『中外日報』の「ああいう記事」とは、去る三月二十三日に奥湯河原の最高級旅館で酒を飲み遊興する日顕の写真と記事が掲載されたことを指す。

この日顕の贅の限りを尽くした温泉旅行にお供したのは、“イメルダ政子”の異名をとる女房と、息子の阿部信彰(府中市・大修寺住職)一家、娘婿の早瀬義純(板橋区・妙國寺住職)一家であった。

温泉地の最高級旅館で、宗内僧俗の窮状をよそに酒をあおる日顕。この日顕について『中外日報』(平成四年四月十五日付)は、「自分で火をつけておいて、燃え広がる火魔に苦しむ人々の存在を知るや知らずや、知らぬ顔の半兵衛をきめこんでいるところは、まさしく僣聖増上慢の一面である」と記している。

湯河原の最高級温泉旅館で、血族そろって贅を貪り豪遊をする。そこには、衆生済度の心のかけらもない。これを僣聖増上慢といわずして、なにを僣聖増上慢といえるだろうか。

前に述べたように、全国宗務支院長会議を前にしての「お目通り」において、「これからは、ちゃんとやります」と、日顕は薄ら笑いを浮かべて言ったという。ということは、これからはバレないように隠密裏に遊興する決意を述べたということである。

「窮状の中、全国で頑張っている住職らに対し申し訳なかった」という、本来あってしかるべき言葉は日顕の口からは吐かれなかった。どこまでいっても、僣聖増上慢は僣聖増上慢である。慢心から醒めることはないのだ。

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