報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十二章 奸計かんけい破綻はたん

地涌オリジナル風ロゴ

第417号

発行日:1992年5月10日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

出獄と入獄の日・七月三日は師弟の不思議な縁の日である
それを傷つけ創価学会の団結を崩すことなどできはしない

日蓮正宗正光寺(山梨県甲府市、住職・阪口義馨)の法華講がつくっている『広布』という新聞がある。この『広布』(平成四年四月一日付)に、「シリーズ 学会のウソ 其ノ壱」と題する一文が掲載されている。

どうやら、「学会のウソ」を毎回、取り上げていこうという企画らしい。今回は、その第一回目で、「池田さんの入獄記念日は七月四日」というタイトルをつけている。『広布』は、池田名誉会長が大阪事件で逮捕されたのは、七月三日ではなく七月四日だと主張しているのだ。『広布』は、次のように書いている。

「七月の三日忘れじ富士仰ぐ

出獄と入獄の日に師弟あり

学会員ならば誰でも知っている、有名なこの和歌(?)。

所詮、歌とは心象風景ですから目鯨(めくじら)を立てることもないのですが、次の『大白蓮華』の記事が目に止まったので紹介しておきます。

四月大阪参院選における選挙違反(田村、中村らの百円札事件)の共謀容疑で大阪府警は、小泉理事長(六月二十九日)、池田渉外部長(七月四日)を逮捕したが、これは事実無根の冤罪であり、憤激した青年部では、事件の真相を明らかに発表し、大阪地検の不可解な行動を追及し、小泉、池田両先生を救わんと、この両大会を開催す。

戸田氏が出獄したのが七月三日、池田氏の入獄は七月四日。この事実は動かしようがない。

戸田氏がいつ出獄し、池田氏がいつ入獄しても、こちらには全然関係ないが、どうせ因縁を説くのなら、この事実のままの方がいいでしょう。もしかしたら、池田さんは計画的に因縁と因果倶時をかけてそのようにしたのかも知れません。いずれにしても、飾りすぎるとついついボロが出てしまう好例というところでしょうか。

ちなみに、これは『大日蓮華』第八十一号(昭和三十三年二月一日発行)に載ってました。池田大作さん、誠に不思議な御仁です」

『広布』は、「『大日蓮華』第八十一号」と書いているが、これは『大白蓮華』の「白」を「日」と誤植したもの。

『広布』は、昭和三十三年二月一日発行の『大白蓮華』に「七月四日」と記載されていることを取り上げ、あたかも池田名誉会長が自分の入獄の日を偽り、戸田会長出獄の日である七月三日に符合させていると主張しているのだ。

昭和三十三年二月一日発行の『大日蓮華』、いや間違い、『大白蓮華』を確認すると、『広布』の指摘どおり、「池田渉外部長(七月四日)を逮捕」となっている。

それでは、池田名誉会長の本当の入獄の日は、いったいいつなのだろうか。当然のことながら、真実は戸田会長出獄と同じ「七月三日」である。

すると、昭和三十三年二月一日発行の『大白蓮華』の「七月四日」の記載はどういうことかという疑問が起こるが、実は、これは単なる誤植なのだ。『大白蓮華』を『大日蓮華』としたのと同様、「三」と「四」を間違えただけなのだ。

気負い込んだ『広布』の指摘だったが、事実は間違いなく「七月三日」である。

ちなみに、池田名誉会長が不当逮捕された直後の『聖教新聞』(昭和三十二年七月二十一日付)には、次のような記述がある。

「六月下旬に入り事件は意外な方向に発展し、六月二十八日に小泉理事長が、続いて七月三日に池田参謀室長が逮捕されるという晴天へきれきの事態になった」

事件直後には「七月三日」と正確に報道されていた。それを、翌年二月の『大白蓮華』では「七月四日」と誤植したのだ。それが誤植であることは、一般紙の報道でも明らかになる。

昭和三十二年七月四日付『毎日新聞』は、「渉外部長も逮捕 創価学会の選挙違反」と題し、

「大阪の参院補選違反を追及中の大阪府警捜査二課では三日午後七時、東京大田区本蒲田『創価学会』渉外部長兼参謀室長、池田大作(二九)を公選法違反容疑で逮捕した」

また、七月四日付『朝日新聞』夕刊は、「創価学会渉外部長も逮捕」と題し、

「大阪府警捜査二課では三日夜、東京大田区調布小林町、創価学会渉外部長池田大作(二九)を公職選挙法違反の疑いで逮捕した」

と報じている。

まぎれもなく、池田名誉会長の入獄の日は七月三日だったのである。

大阪事件における池田名誉会長の逮捕は、まったく不当なものであった。大阪地検の検事は、逮捕した創価学会員への違法な取り調べによりウソの供述を引き出し、池田名誉会長を不当に逮捕した。

その逮捕の裏には、急激に教勢を拡大している創価学会にダメージを与えようという国家権力の腹黒い意図があった。検察陣は、最終的には戸田会長も逮捕しようとしていた。そのために、強引な捜査を展開したのである。

池田名誉会長は、昭和三十二年七月三日午後四時に大阪府警に出頭し、そのまま逮捕され勾留の身となった。出獄は、七月十七日の午後十二時十分であった。

午後一時三十分、戸田会長が大阪伊丹空港に到着。出獄直後にもかかわらず、池田名誉会長は伊丹空港に戸田会長を出迎えた。同日夕六時、中之島の中央公会堂内外に二万人の創価学会員が結集し、国家権力の不当な弾圧に抗議、同時に広布の前進を約した。

池田名誉会長の無実の罪が裁判で証明されたのは、四年半後のことであった。昭和三十七年一月二十五日午前十時、大阪地方裁判所一号法廷に田中裁判長が入廷し、判決文を読み上げ、池田名誉会長に無罪が申し渡された。

『広布』は、七月三日という同じ日に戸田会長が出獄し、池田名誉会長が入獄したという厳粛な事実を否定できると心をはやらせ、記事を書くにあたって不可欠な傍証を固めることや、裏をとることを怠ってしまったのだ。池田名誉会長を傷つけたいという邪悪な心が、真実を見つめる眼を曇らせてしまったのである。

牧口常三郎創価学会初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長のあいだには、不思議な師弟の絆がある。その師弟の不思議なくしては、日蓮大聖人の教法は世界に弘まらなかった。その事実を、日蓮正宗僧俗は冷厳に見つめるべきだ。

創価学会三代会長の死身弘法の戦いがなければ、釈迦の法華経も、日蓮大聖人の閻浮提広布も虚妄となるところであった。

したがって、創価学会初代、二代、三代会長の師弟の絆は時間、空間を超え、仏教史を貫く深い意味がある。創価学会が仏意仏勅の団体である所以である。

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