報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十二章 奸計かんけい破綻はたん

地涌オリジナル風ロゴ

第421号

発行日:1992年5月20日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

いまや富士大石寺は謗法の山と化し法は滅尽してしまった
大願寺の青年僧が日顕に怒りをもって「離山の書」を送った

大願寺在勤の青年僧・渡辺雄範氏が、五月十八日に日顕に送りつけた「離山の書」は、論旨整然として日顕の非を少しも逃がさず、日顕の犯した仏法違背の大罪を明確にえぐり出している。

そして、その罪を裁くに情に流されることなく、日蓮大聖人の御書に典拠し、畜生道に堕した日顕の人非人の非道ぶりを天下に明らかにした。

そのうえで、日顕が仏法上もっとも恐るべき僣聖増上慢であると結論づけ、日顕に対して、「あなたという『一凶』を倒すため全生命をかけて戦い、宗門の根本的改革が成るまでは、謗法の山と化した大石寺には還らじとの決意で、ここに離山を宣言いたします」と述べている。

以下に、渡辺氏が日顕を糾した「離山の書」を全文紹介する。

日蓮正宗の心ある僧俗は、先号に掲載した「大願寺決別の書」と併せて読まれ、来る五月二十三日に大願寺でおこなわれる“親教”が、僣聖増上慢たる日顕と食法餓鬼である大願寺住職・早瀬義寛との、おぞましいばかりの悪の饗宴にすぎないことを見抜くべきである。

所詮、日顕の催す“親教”は、高僧を装う売僧たちの「悪徳の栄え」を永遠ならしめんがためにおこなわれる、信徒から富を収奪することを目的にしたイベントにほかならないのだ。

離 山 の 書

私は、青年得度七期生、東京・大願寺在勤の所化でありますが、謹んで私の『離山の書』を猊下に奉呈させていただきます。

先に、『大御本尊御座します富山に、正法の僧一人としてなく、七百年の正統の誇り地に堕ち、興尊の法脈、遂に滅失せんとす』と、敢然と宗門改革の大業に起ち上がった青年僧侶改革同盟十名の方々の信心の叫びに、私もまた、心底より共感し、ここに、万感の思いをもって、その聖戦の陣列に馳せ参ずるものであります。

私は、猊下の弟子の一分として出家得度し、これまで、宗門興隆のため、広宣流布のため、また真の僧俗和合実現のため、全身全霊を打ち込んで御奉公に励んできたと自負しております。

昼夜の別なく法務に全力を傾け、その合間を縫って必死に勉強と唱題に明け暮れる日々でありました。適当に法務をこなし、後は世間の遊びにうつつを抜かす同僚の所化たちを横目に見ながら、『必ず、理想の宗門を作るのだ』と自分に言い聞かせ、愛宗護法の一念で、誠心誠意御奉公させていただいたこの六年余りでありました。

しかるに、最近の宗門僧侶の多くは、無気力で重苦しい雰囲気に包まれて信仰者としての使命感を喪失し、一方では退廃と享楽の淵に溺れ、さもなくば、他方、狂信的に猊下絶対を唱え、正信の信徒を足蹴にして、自らの首を絞めております。これはいったい何ということでありましょうか。

その元凶は、他ならぬ日顕猊下、あなたであります。猊下は、自らが招いた宗門の混乱と堕落の真因をまるでわきまえようともせず、悲しいかな、事ここに及んでも、一片の反省懺悔すらなく、ますます怒り猛り、いよいよ狡猾さを増し、名聞名利と猜疑心の虜となって、宗門全体を道連れに、破滅への道をひた走りに走り続けているのであります。

そのような猊下の振る舞いを見るにつけ、私の心の中には、何とも言えない重苦しいわだかまりがつのる一方であり、恐れながら、猊下への不信は、打ち消しても打ち消しても溢るが如く涌き出ずるばかりであります。

『悪法を以て人を地獄にをとさん邪師をみながら責め顕はさずば返って仏法の中の怨なるべし』

との御金言を心腑に染めるならば、このまま黙して猊下に随従し続けることは、宗祖日蓮大聖人様に対する師敵対これに過ぎるものはない、と痛感せざるを得ません。

御義口伝に云く、

『信とは無疑曰信なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身をこの経に移すなり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は末法の不軽菩薩なり』

信伏随従とは、単に猊下に従うことではなく、あくまでも法華経すなわち大聖人の死身弘法の御化導に従うことであることが、この御文に明らかであります。

猊下は、先日、三月三十一日の非教師指導会において、『僧道を全うするように努めよ』と申され、そのためには、『仏様を信じ、法を信ずると同時に、もう一つ大事なことは自分自身を信ずることである』と説かれておりました。

今、私は、信心の一念と広宣流布への決意の上から、大聖人を信じ、そしてまさに自分自身を信じ、真の日蓮正宗の僧侶として僧道を全うすることを念願いたします。

それがゆえに、あえて、ここに猊下の耳に逆らう諫言と決別の書を呈するものであります。

以下において、私の疑問と不信のよって来る所以を、大要三点に集約して述べさせていただきます。猊下におかれては、どうか、取るに足りぬ若輩者の言と無視することなく、宗門の興廃の危機を真っ向から見据えられ、僧位を極めたお立場でありながら、万一にも、僧道を踏み外したまま終わり、後世において“法滅の法主”と嘲られることのないようにしていただきたいと、僣越ながら、伏してお願い申し上げる次第であります。

まず第一に、猊下、あなたは、仏法上の過失を云々する以前に、人間性において異常であり、到底、一宗の法主・管長ではないと言わざるを得ません。

冷酷。激情家。無慈悲。偽善者。正直者を標榜しつつ、大ウソツキ。小心者。暴力主義者。幼児性。衒学的。人格の多様性それ自体は、十界互具の原理からして当然のことであります。これらの要素は、多かれ少なかれ誰しも有するものではありますが、しかし、猊下の場合は、その程度、複雑性がいささかその度を超していると言わなければなりません。

普通の立場であればともかく、一宗を統率する法主・管長としては、もはや有害であります。私たちはいつも戸惑いを覚えるばかりでした。

例えば、丑寅勤行の後など、私たち所化を、散々に中啓でひっぱたいたり、見るも恐ろしい形相で怒鳴りつけたかと思えば、最後にはなぜか必ず『へへへ』と笑い、寝室へ帰っていくのです。

計算づくか、人格・人間性そのものの表れかは別にして、どう見ても、心の奥で相手の反応を楽しみながら人をいたぶっているとしか思えない、冷酷無比な二重人格者の姿でした。

大聖人は、日本の天台宗を真言密教化した慈覚を、

『蝙蝠鳥のごとし鳥にもあらず・ねずみにもあらず』

と、弾呵遊ばされていますが、このコウモリのような二重性こそ、僣聖増上慢の輩の人格的特徴であります。猊下の二重性は、まさにコウモリ法主であります。そして、そうであるがゆえに、猊下の二枚舌や妄語の事例は数限りなく存在致します。

一昨年末の、いわゆる総講頭資格喪失事件も、当初は、マスコミも含めた内外に対して、あくまで規約の変更であって他意はない、と宗務院に再三釈明させておりましたが、本年の虫払い会の説法では、『反省の意を含め』ての処置であったことを、自ら言明しました。

しかし、それならば、なぜ規約の変更などというごまかしの釈明をしていたのでありましょうか。しかも、事実は、それもまだ正確ではありません。どう見ても制裁・懲罰であり、牽制・攻撃であります。ことの本質はまだ隠されています。

大体、猊下が、平成二年の夏の時点で、学会をカット(CUT)するつもりであったことは明白であります。その年八月に私たちが行学講習会のため登山した時など、連日宗務院の首脳が集まって猊下と協議を繰り返しており、お陰で私たちの目通りの時間が大幅に遅れたことを鮮明に記憶しています。

実際、講習会の講義でも、猊下の発言は、例年になく学会の活動を意識しての批判的な内容でありました。たとえば、『今の信者はなにかと言うとすぐ文化文化っていうけど、大聖人の仏法はそんなんじゃない。破邪顕正なんだ』との、吐き捨てるような批判の発言が脳裏に焼き付いて離れません。

何とも表面的で単純極まりない批判に、これが日蓮大聖人の広宣流布達成の御遺命を体する猊下の発言かと、がっかりしたことを今でも覚えています。破邪顕正を貫きながら広宣流布を現実に進めている学会の苦労など、全くわかろうともしていないことは明らかです。

ところが、このように行学講習会で『文化路線否定』を主張しておきながら、僅か数日後、出席した学会の文化祭では、出演者の演技に拍手し、両手を振って歓声に応えていたというではありませんか。

学会をカットするC作戦を胸に秘めながら、時至るまで偽りの和合を演ずるまことに狡猾な二枚舌であります。総講頭罷免を単なる規約の変更と言いくるめるのも、その二枚舌のなせる業でありましょう。

猊下の妄語の事例も、まさしく『ウソツキの天才』といって過言ではないほど、枚挙に暇がありません。最近も、三月三十日に五名の青年僧が大奥で決起した翌日の会食の席での猊下の発言は、憤りを押さえることのできないものでありました。

その時、猊下は前日の青年僧の決起に触れましたが、その中で、臼倉雄理氏が無抵抗の松岡雄茂氏を殴打した事実をねじまげ、『わしを守るためにやったんだから、いいんだ』と、松岡氏がいかにも猊下に危害を加えようとしたかのごとく、ウソをつき、臼倉氏を英雄扱いして暴力を積極的に容認・奨励する暴言を吐いたのです。

いかなる理由にせよ、暴力を認めるような者が一宗の法主といえるでありましょうか。ましてや、松岡氏は全く無抵抗であり、猊下に危害を加えるようなそぶりは全くありませんでした。にもかかわらず、突如、臼倉氏が立ち上がり、狂ったように一方的に松岡氏の顔面を三発殴りつけたのです。これは猊下の目の前の出来事です。猊下は、なぜウソをついてまで、暴力を容認するのでしょうか。

また、同じ席で、猊下は、宗門改革のため離脱した滋賀県・世雄寺の池田託道住職について、何と、『池田託道は、学会に金をもらって離脱し、あちこちの寺に誘いをかけている。とりあえず五千万、月給は八十万出すということらしい』と、信じられないようなデタラメを放言し、所化たちを『指導』したのであります。私は、念のため池田住職に確認いたしましたが、同住職は明確に否定されておりました。

猊下は、何の根拠があって、このようなデマを公けの場でいいふらすのですか。法主の立場にある者が、弟子達にウソを教えて扇動するなど、言語道断であります。また、名誉を著しく侵害された池田託道氏に対し謝罪をすべきであります。まことに法主にあるまじき暴言であり、この一事だけでも責任を取り、速やかに退座すべきではないでしょうか。

さらに、猊下は、比類なき冷酷人間であります。猊下は、自分の弟子でさえ、意に沿わないとみると、すぐさま僧侶をやめさせます。私たちが、どれ程の覚悟で出家しているかを考えたこともないのでしょうか。

すでに、百人以上の所化が還俗させられ、中には、何も悪いことをしていないのに、『僧侶に向いていない』という理由だけで、一方的にクビを宣告された人も何人かいました。そのうちの一人には、後腐れのないようにと、五十万円の『手切金』を渡す姑息さです。

ところが、これが特に宗門高僧・役僧の子弟になると、よほどの非行があろうとも、大目にみられ、何のお咎めもないのです。

たとえば、私が在勤する早瀬庶務部長の次男の正寛氏は、富士学林大学科の学生でありながら、ほとんど出席せず、出席しても授業終了の五分前に現れ、悪友を誘って歓楽街に繰り出すという傍若無人ぶりであります。

そのあげく、本年四月二十日ころ、富士学林大学科書記の小田切道等氏からその行躰を注意されるや、口論を始め、やにわに殴りつけ、飛び蹴りまで加えるという、信じられない所業に及んだのです。しかし、そのようなことがあっても、正寛氏には何の処分もなされておりません。

これが私のような門閥も何もない所化であれば、直ちに有無をいわさず追放処分になるであろうことは火を見るよりも明らかであります。

要するに、あなたの人間性は完全に破綻しており、人間失格・社会人失格の烙印を押されても、致し方ありません。まして、法主として不適格なのは言うまでもないでしょう。このうえは、一刻も早く退座して、これ以上老醜を晒さぬよう、忠告申し上げます。御聖訓に曰く、

『自業自得果のへんはすくひがたし』

と。

猊下には、一宗の管長としての管理能力も著しく欠如していると言わざるを得ません。

末寺住職は、猊下の目を盗んで、遊び放題、贅沢三昧のていたらくであり、猊下の前でのみ、もっともらしく『信伏随従』を誓っていれば安泰であることを、よく心得ております。

例えば、猊下が出したゴルフ禁止令は、全く無視されております。教学部長の大村寿顕氏からして、寺の中庭にホールを掘り、夫婦で練習に勤しみ、車のトランクにゴルフバッグを積み、ゴルフ場通いを続けていることは、有名であります。他の住職でも、『ゴルフは健康にいいんだ』と公然と反発している者が多くおります。

そもそも、大村氏のような、もともと教学力のない人間を教学部長に取り立てたこと自体、宗内では疑問の的となっています。

また、最近も、御本仏日蓮大聖人が『迹』で猊下が『本』だなどという、『顕本仏迹論』とでもいうべき邪義を所化に講義した福田毅道氏を処分するどころか、地方の住職に任命するという、とんでもない人事を行っています。

加えて、末寺住職の中には、過去に飲酒運転による轢き逃げで人を死亡させて懲役刑を受けた前科者や、管理不行き届きで寺を全焼させ、あまつさえ御本尊を灰にする大謗法を犯しながら、降級処分すらなく、平然と豪奢な本堂・庫裡を再建し、以前にも増して、贅沢な生活を満喫している者、男色家で信徒を誘惑する者等々、およそ僧侶の風上にもおけない者たちが多数おります。

彼らは単に僧階、法臘の順によるだけで、資質は一切問われず住職に任命されているのです。これら、一般社会では到底受け入れられないような問題僧侶たちに、猊下はなぜ厳正な処分をしないのでしょうか。

同様に、所化や若手教師に対する指導・監督の仕方も支離滅裂と言わねばなりません。なぜなら、大坊在勤の中高生には、異常なほど厳しく監視の目を光らせ、電化製品・私服・マンガに至るまで所持を厳禁している猊下が、末寺在勤の大学生になると、『まあ、おまえたちが末寺でタバコを吸ったり、酒を飲んだりすることに関しては、見て見ないふりをするから』などと言い、一転して国法で禁じられている未成年者の飲酒・喫煙を容認しているからです。これは、いったいいかなる方針に基づくのでしょうか。

僧侶としての自覚が疑われるような猊下の指導性は、平成元年十一月、秋季学林で若手教師対象の講義中に飛び出した、次の発言にも顕著に現れています。

『若いうちにあんまり真面目過ぎて、世間的な遊びを経験しないと、四十才くらいになって突然遊びにのめり込む危険がある。だから、若い連中は少しぐらい遊んだ方がいいんだ』

これは、当日参加した教師から間接的に聞いたことなので、表現は多少違っていたかも知れませんが、遊戯雑談を弟子に勧める法主とは、まさに前代未聞であります。

猊下がこのようないい加減な指導方針で子弟教育にあたるからこそ、厳しい制約の下で修行する所化たちは、早く大学生や教師になって楽をしたい、自由に遊びたいとひたすら低次元の願望を抱くようになり、結局、堕落僧が跡を絶たないのであります。

実際、猊下の弟子である所化で、自動車事故や万引等の社会問題を引き起こしている者が多数いるのは、否定しようのない事実であります。

出家して年数が経てば経つほど、信心が強盛になるのではなく、教師にさえなれば楽ができると思い、逆に堕落していく、これが現在の宗門の偽らざる姿なのです。

また、猊下は、大石寺住職としての管理責任も厳しく糾弾されて然るべきであります。その好例は、杜撰な納骨管理であります。現在、総本山の納骨堂には、夥しい数の遺骨が収納されています。しかし、それらの保管のために必要な努力は全くなされておりません。

掃除は年に一回やればいい方で、梅雨時にも換気一つせず、密閉された室内の遺骨は湿気を含み、骨壺一杯に水が溜まって、私たちがふたを開けるとお骨にはカビが生えている状態でした。

しかも、納骨の分類作業(一時預かり分と合葬用に仕分ける作業)は、私がいた頃、得度したばかりの、中学一年生に担当させておりました。遺骨を預かる責任の重大さなど知る由もない十二才の少年たちは、面倒臭さからぞんざいに取り扱うことが多く、預かった遺骨が紛失する事件がしばしば起こりました。

預かった遺骨を紛失したとなれば、法律的にも大変な問題であります。そこで、納骨係の金井雄文氏等は、責任者の松尾圭剛氏の許可を得て姑息な手段を使い、何とかその場を切り抜けておりました。

つまり、紛失してしまった遺骨の持ち主にアンケートと称して電話を掛け、骨壺の種類とお骨の内容(どの部分の骨が入っていたか)を確認します。続いて、同形の骨壺を探し求め、その中に合葬用の、全くアカの他人のお骨を詰めて、ニセの遺骨を準備するのです。そして、願主が引取りに来た時、何くわぬ顔付きでその偽物を渡すのです。

まことに悪質な行為であり、このような非行を放任している猊下の監督責任は、まことに重大であるといわねばなりません。猊下は、他人の遺骨を渡され、本物のお骨と信じ込まされている遺族の方々に対し、代表役員として重大な法的責任を負わなければならないのは当然のことでありますが、さらに、管長として、そしてまた大石寺住職として、深く謝罪し、その責任を明らかにすべき義務があります。

納骨管理に限らず、塔婆室での法務の実態は全く信徒を愚弄するものに他なりません。塔中住職たちは、平気でラジオを聞きながら塔婆を書き、若手の僧侶たちといえばコーヒーを片手に『三秒題目だ』などとふざけ合いながら、ミミズの這ったような題目を書きなぐる者さえいる始末です。

それでも、塔婆書きは遅々として進まず、申し込み用紙は溜まる一方で、二、三箇月も書かないままに放置されていることなどは日常茶飯事でした。

さらに、回向の仕方は手抜きとしかいいようがありません。忙しい時は、何百枚と束ねた回向用紙をめくるのもおっくうがり、木製の三方の上に乗せて御宝前にポンと置くだけで回向終了、ということにしているのです。

所詮、猊下には、信徒を守ろうとか、その幸福を考えようという意志はさらさらないと断言いたします。それゆえ極悪人をも平気で住職に任じ、弟子の行躰を正そうともせず、総本山内での信徒をバカにした悪行の数々を見て見ぬふりをしているのです。

このような管長があり得てもいいのでしょうか。明らかに管長失格であると断じます。よって、私は、この点からも猊下の速やかな退座を強く要求するものであります。

最後に、猊下、あなたの信心のなさは、宗門七百年の悪弊を一身に体現したかのごとき感を覚えます。猊下の実像は、信心の基本中の基本である勤行・唱題さえおろそかにする、懶惰懈怠の一老人に過ぎません。

それでいて、単に形式的に無上位を装い、あるいは、神秘的な相承を受けている、といった権威の『印籠』を振りかざし、信行学の全てに傑出した行動を現実に世界的規模で展開されている仏法指導者・池田名誉会長を、大謗法呼ばわりしているのです。そして、従わぬと見るや、陰で嫉妬に基づく醜い策謀をめぐらした――これが今回の事件の真相なのであります。

猊下は、『血脈の正義』を盾に、自分に従わない学会を謗法、堕地獄と決め付けておりますが、客観的にみて大聖人の仰せ通りの実践を貫いているのは、どちらでありましょうか。

信心は、権威でもなければ、形式でもありません。諸法実相の原理から言って、信仰者としての振る舞い、行動如何で正邪は決まるのであります。

猊下に盲従する輩は、猊下の異常な振る舞いは外用の辺であり、内証の悟りは別のところにある、などという珍説を立てて、苦しい言い訳にこれ努めておりますが、諸法(振る舞い)とは別に実相(悟り)があるとするならば、それこそ爾前権教であり、即身成仏を説く大聖人の仏法とは異質の邪論に他なりません。

日興上人は、明快に、

『身軽法重の行者に於いては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理任せて信敬を致す可き事』

と御指南されており、広布に命懸けで戦う『行者』こそ『仏』である、と御断言下さっています。法主の血脈を有する人が仏であるとは一言も仰せではありません。むしろ、

『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事』

すなわち、邪義を主張する法主の、悪しき権威権力とは断固戦って行け、とお示しなのであります。

なお、日興上人は続けて、

『衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事』

とも仰せられていますが、この場合の『貫首』は、あくまでも衆議が『仏法に相違』している、と見破れるほどの、信心の実践に裏打ちされた英知の方でなければならないはずであります。

すなわち、法華経と御書を真に『身読』された『行動者の貫首』(例えば日目上人のような方)であります。決して、猊下のように、信行の実践もなく、机上の空学問で自らを飾り立てた『虚飾の貫首』を指すわけではないのです。

総本山に在勤していれば、否応なく猊下の我が儘な行躰が、目につきます。自行としての勤行は丑寅勤行の一回だけ。それも、少し調子が悪いとすぐ欠席します。伝え聞くところによると、昨年、丑寅勤行の途中で喉の調子がおかしくなり、二座の半ばで突然導師席を立って姿をくらまし、とうとうそのまま戻らず、猊下の言う『不惜身命』も所詮その程度だったのかと、周囲の失笑を買っていたとのことであります。

夕方の勤行に関しては、数年前、画期的にも猊下が在勤者の六壺での勤行に参加するという話が起こり、一同期待して待っていましたが、その後何の音沙汰もありません。唱題に至っては、その姿をみかけた者など皆無であり、猊下の最高記録は三十分、しかも海外の学会員に頼まれてやむなく付き合った程度、と聞いております。

そんな具合ですから、折伏精神など一かけらもなく、総本山の檀家は相変わらず謗法だらけ、近末の寺院では檀家総代が浅間神社の氏子総代を兼任しているありさまです。

日興上人以来の『神天上』の法門を血脈相承しているはずの猊下が、どうしてそのような謗法の総代を呵責しないのでしょうか。逆に、猊下自ら禅寺に先祖の墓を建立したり、謗法ジャーナリストと結託したりと、あらんかぎりの悪業を積むに及んでは、何をかいわんやであります。

その上、猊下の私生活の乱れは目を覆うばかりであります。大多数の僧侶・寺族が貯金や保険を解約するほど財政的に窮迫し、悲鳴をあげている、その時に、あろうことか奥湯河原で一族あげて豪遊するとは、まともな神経ならばまず考えられないところでありましょう。

他にも、政子夫人の並外れた贅沢ぶりや、プール付き豪邸計画など、放逸の限りを尽くす猊下は、完全に大聖人の仏法を私物化する食法餓鬼であり、法主の地位を一門の繁栄のため利用しているに過ぎないのであります。

百八十万円といわれる紗の西陣織の大衣に身を包み、勤行・唱題も折伏もせず、妻帯して一族を引き連れては大名旅行と洒落込む法主など、かつて存在したでしょうか。その身を正しくせずして他を言うことなかれ、であります。猊下が、創価学会の信心について云々する資格など、絶対にないと断言致します。

いま、人類はかつてない地球的規模の多くの問題を抱えておりますが、その解決の方途はいまだ手探りの状態であります。

この混迷の時代にあって、闇を照らす日月のごとく、未来を指し示すことができるのは、唯一、大聖人の仏法であることは、言うまでもありません。

しかし、法が深遠であるのみでは、何の意味もありません。その法を正しく実践し、現実の社会に広める英知と行動の仏法指導者がなければ、画餅にすぎないのです。

この瞬間にも、世界のどこかで戦争に傷つき、飢餓に苛まれる人々がいるはずです。猊下、あなたには、その苦しみの声が聞こえないのですか。その哀れな姿に涙することはないのですか。宗祖大聖人は、

『一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし』

と仰せであります。その血脈を相承するはずの猊下は、いったい、いかなる実践をし、どのように衆生に同苦しているのですか。

否、猊下には、そのような大聖人の崇高な御精神は微塵もないのです。信仰者にとっての“死”を意味する『破門』をもって、広宣流布の団体の純信の仏子を切り捨てた猊下の行いは、ナチのホロコースト(大量虐殺)にも通ずる蛮行であります。

ゆえに、私は、猊下の無信心と仏法の私物化を弾劾し、この点でも、その速やかな退座を強く勧告いたします。

以上、長年私の心にわだかまっていたことを、三点に集約して述べさせて戴きました。

私が猊下を糾弾するのは、決して報復の目的ではありません。たとえ得度の師であろうとも、否、そうであるからこそ、その人が僣聖増上慢と化したからには、徹底して弾呵し破折し抜くことこそが、僧侶となって衆生済度の誓願を立てた者の責任であり、また、大聖人の弟子たる者の道であると確信するからであります。

本書状を結ぶにあたり、猊下の孫、正教君のことについて述べさせていただきます。

彼は、かつては池田名誉会長を心から尊敬し、慕う純情な青年でした。毎年欠かさず名誉会長に年賀状を出し、返事が来たといっては大喜びしていました。時には、どうしても我慢できず、登山した名誉会長を訪ね、名誉会長と夫人の暖かい人柄と配慮に、心から感動していたことさえあったのです。

そのころは、自ら信心にも真剣に取り組み、私などに、『末寺の住職や在勤者で勤行しないヤツがいるって聞きましたが、とんでもないですよね。オレは絶対そうはなりませんよ』と語っていたのを覚えております。

ところが、猊下は、正教君が名誉会長と会ったことを知るや、烈火のごとく怒り、二度と会わないよう、厳命したのです。それは、今回の問題が起こる以前のことであります。

さらに、今回の問題が起こって以後は、猊下や父親の阿部信彰氏は、有無をいわせず彼に徹底した洗脳教育を施しました。ほどなく、彼は反学会僧侶の急先鋒になり、その途端に、生活も信心も堕落の窮みに陥ったのです。

現在、大学の二年生ですが、出家の身でありながら親元で暮らすという特別待遇を受け、ヤクザまがいの服装で眼鏡を斜めにかけ、悪友の所化と誘い合っては深夜の繁華街に繰り出し、あげくの果ては電車の中で酔っ払いと大喧嘩する始末であります。

この事実を猊下はどのように見られるのでしょうか。いずれにしても、その責任は、善知識を遠ざけて悪知識に親近させ、善を悪、悪を善と言いくるめて、我が孫を含む弟子数百名を天魔の教えに引きずりこんだ猊下の所業にこそ、帰せられるべきであります。

これこそ、正宗を滅ぼす三宝破壊の大謗法と言わずして何でありましょうか。正教君の軌跡は、自壊の道を進む宗門の姿を示す象徴的な出来事であると思えてなりません。

まさにすべての悪の根源こそ、猊下、あなたにあります。『立正安国論』に、

『哀なるかな愚侶迷惑のそ*語に随うこと、早く天下の静謐を思わば須く国中の謗法を断つべし』

また、

『彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』

とあるのは、このことであります。

今日よりは、私は、猊下、あなたという『一凶』を倒すため全生命をかけて戦い、宗門の根本的改革が成るまでは、謗法の山と化した大石寺には還らじとの決意で、ここに離山を宣言いたします。

それこそが、

『日蓮聖人に背き進らする師共をば捨てぬが還って失にて候』

と日興上人が仰せどおりの、正宗僧侶のとるべき『王道』と信じてやみません。以 上

          平成四年五月十八日

           渡 辺 雄 範

阿 部 日 顕 殿」

十二章 奸計破綻 終

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