報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十二章 奸計かんけい破綻はたん

地涌オリジナル風ロゴ

第420号

発行日:1992年5月19日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

日顕の大願寺“親教”を前にして青年僧がその実態を暴いた
暴力、権謀、享楽、博打などあらゆる悪徳が大願寺に栄える

大願寺(東京・新宿区)に在勤する青年僧の渡辺雄範氏が、憤怒の思いをもって大願寺の悪を内部告発した。

渡辺氏は、五月十七日(日)午前三時、「このままでは“親教”を迎えることはできません」(趣旨)との置き手紙をして大願寺を出た。そして、みずからの考えを整理し、今後の自己の戦いの方途を定め、その思いを大願寺住職・早瀬義寛宛と日顕宛の二通の「書」として表した。

渡辺氏は、五月十八日(月)午前七時四十分、大願寺に赴いた。住職・早瀬義寛は不在ということで、義寛の女房(早瀬邦栄)が対応した。

そこに居合わせた執事、所化や十数人の法華講の前で渡辺氏は、

「住職は間違っています。即座に大願寺を出ていくべきです。辞めるべきです。これから断固、邪悪な住職と戦ってまいります」

と不退転で戦う決意を宣言した。

しかし、義寛の女房は「どうしたの、なにがあったの」と、オロオロとうろたえるだけであった。そこで渡辺氏は、義寛の女房にみずから認めた「大願寺決別の書」を手渡し、大願寺が破仏法の巣窟になっていることを糾し、大願寺を退去した。

渡辺氏は、大願寺を出たあと、ただちに日顕に「離山の書」を送りつけ、日顕が破和合僧の「元凶」であることを指摘し、仏法に殉じて日顕と生涯をかけて戦うとの決意を表明した。

いずれの「書」も、日蓮大聖人の仏法こそ人類救済の大法であると信じ、出離証道の大願をまっとうしようとする渡辺氏が、日蓮正宗の荒廃を嘆き、万難を排して悪を告発したものである。氏の仏法中の怨を憎む気迫は、天をも衝くものがある。

渡辺氏が怒りをもって認めた大願寺内部の恐るべき腐敗の様を知れば、とてもではないが、大願寺を民衆救済のための教法流布の拠点「寺院」とは認めがたい。

そこに住する僧形をなした者の堕落ぶりは、純真な日蓮正宗僧俗の想像の域を超えており、当然のことながら許容の埒外にある。

とりわけ、住職たる早瀬義寛は庶務部長の要職にありながら、自身の行為を一顧だにすることもなく、ただただ驕り、かつ増長し、鬼畜にも劣る姿を現じている。

渡辺氏の告発を読めば、自身の放逸なる欲望を満足させるために、早瀬はこれまで邪智を傾け、信徒から富を収奪することにのみ腐心してきたことがよくわかる。そして、仏意仏勅の団体である創価学会をあざむき、創価学会員をだましつづけてきた。

しかも、畜生界に堕した日顕宗という偽りの世界において覇を握ろうと、日顕にはおもねり、かつ媚び、同輩には謀をもって臨み、信徒には偽善をもって接している。

渡辺氏ならずとも、大願寺住職である早瀬の悪を見過ごすことはできないだろう。大願寺の青年僧が、魔の巣窟と化した大願寺の実態を詳らかにした意義は大きい。

来る五月二十三日に予定されている大願寺の“親教”において、日顕がいかに言葉を尽くして日顕宗の正義をとりつくろおうとしても、この義挙によって明らかになった大願寺の腐敗の実態は糊塗しうるものではない。

それ以前に、大願寺における日顕の“親教”の是非が問われるべきだろう。“親教”の強行は、日顕が大願寺の腐敗を是認することにつながる。そのことは、日顕が同じ穴のムジナであることを意味する。

以下、渡辺氏が早瀬の悪徳を暴いた「大願寺決別の書」全文を掲載する。なお、氏が日顕に宛てた「離山の書」は、次号において全文紹介する。

大 願 寺 決 別 の 書 

大願寺在勤渡辺雄範謹んで進言致します。

今、方廣山大願寺は、『大願とは法華弘通なり』との御金言も空しく、宗祖大聖人の崇高な御精神は微塵もなく、富士の清流は涸れ果て、ただ腐敗と堕落をむさぼる食法餓鬼が跋扈しております。

住職たるあなたは権力と保身の虜となり、所化は無惨にも退廃と享楽の淵に溺れ、求道と向学の息吹は、既に遠く消え果てております。

顧みれば、大願寺は昭和四十七年三月十六日、創価学会池田大作会長(当時)の発願により建立寄進された、全国の創価学会員待望の寺院でありました。

当寺が建立された新宿の地は日本の首都東京の中心であり、なかんずく世界広宣流布の本陣たる創価学会本部を擁する有縁の地であります。

さらに、建立された『三月十六日』は、昭和三十三年、二代会長戸田城聖先生が宗教革命を青年に託す儀式が行われた、創価学会員にとって永遠に忘れることのできない記念の日であります。

全国の創価学会の会員の方々は一体どれほどの期待と喜びをもって当寺の建立を迎えたことでありましょう。

しかるに、当寺に住職として赴任したあなたは、長年の間偽りの姿をもって、学会と学会員を騙し続け、その赤誠を踏みにじってきたのであります。

大願寺の在勤者として体験し、直接見聞きしてきたあなたの行為は、もはや人間として許されるものではなく、その罪の深さは計り知れないものがあります。そのあなたの所行こそが、豪壮華麗な寺院の外見とは裏腹に、目を覆うばかりの内部の荒廃を招いているのであります。

しかも、あなたは単に大願寺住職であるにとどまらず、全国の末寺・僧侶に範を垂れるべき庶務部長の要職にあるのです。その大願寺の腐敗は、宗門全体の堕落を象徴するものと言わなければなりません。

もとより、大願寺に在勤した二年間、あなたには何かとお世話になり、その御恩は決して忘れるものではありません。しかし、

『日蓮聖人に背き進らする師共をば捨てぬが還って失にて候』

との日興上人の仰せを思えば、世間の恩を捨て、『一凶』を断ち切るために立ち上がることこそ、大聖人の真の弟子たる道であり、あなたへの恩に報いる道であると確信いたします。

よって、私は、これまであなたが行ってきた様々な悪行を率直に申し述べさせていただき、あなたに対し、速やかに庶務部長と大願寺住職を辞し、袈裟・衣を脱いで大御本尊の前にひれ伏し、深く反省懺悔することを求めるものであります。

そして、もはや謗法の寺と化した大願寺にこれ以上止まることは、宗祖大聖人様のお叱りをうけるものと考え、ここに大願寺と決別することを宣言するものであります。

一 まず、最初に糾弾し告発しなければならないことは、今回の問題が起こるやあらわになった、あなたの醜い本音と本性であります。

これまであなたは、あたかも自分は創価学会の最大の理解者であり、池田名誉会長のことを最も尊敬しているかのような言動をなし、御講においても、最大に学会を称え、会員に対して媚びを売るが如き発言までしておりました。

しかし、昭和六十三年十二月に大願寺が新築落慶されたころから、“もはや用は済んだ”と手のひらを返すように、次第に裏で名誉会長や学会の批判を行い、学会員を小馬鹿にするような発言をするようになったのです。

そして、今回の問題が起こった一昨年の暮には、公然とその態度を豹変させ、口汚く学会や池田名誉会長を罵り、その本性を剥き出しにするに至ったのです。その豹変ぶりは、これが同じ人格の持ち主かと思うほどであり、私は、人間としてあなたを絶対に許すことができません。

その豹変ぶりの一端を示すならば、次のとおりであります。

1 まず、『池田なんて自分で原稿もかけない低能児だ。金で勲章をもらって喜んでいる馬鹿だ』との発言であります。

これは、今回の問題が起こって間もないときに、あなたが吐き捨てるように言った言葉であります。私は、その豹変ぶりと、何よりも、その事実認識の程度の低さに驚くとともに、およそ人に道を説く僧侶としては考えられないような言葉遣いに、これが一宗の庶務部長を務める人かと本当に情けない気持ちになりました。

三流週刊誌や退転者の言を鵜呑みにし、状況が変わったというだけで最大の功労者に対して罵詈雑言をあびせるやり方は、あなたの教養の低さと品格のなさ、そして人間として最低限のモラルさえ全く欠落していることを、余すことなく表しております。

私もそれまでは、あなたのことを、まともな人間のほとんどいない正宗僧侶の中では、多少なりとも見識のある人かと思っておりました。しかし、それが全くの誤解であったことを、この一言ではっきりと思い知らされました。

2 また、あなたは、同じく今回の問題が起きたころ、

『学会が法人をとったときから、俺はこういう時が必ず来るとわかっていた』

と発言し、また、『大願寺の新築落慶法要に池田が来ないことを俺は初めから見抜いていたんだ。俺も前から池田には批判的だったからな』

とも発言しております。

これらの発言をみれば、あなたは、学会が法人格を取得した当初からというのですから、何と十六、七歳の所化のころから、学会に敵意を抱き、池田名誉会長を陰で批判していたことがわかります。そしてその敵意をひたすら隠しながら、学会を賛嘆し会員の方々から御供養をしぼり取ってきたわけです。

そういえば、昭和六十年秋に池田名誉会長が入院されたときには、お見舞いに行くそぶりすらみせなかったと聞いております。それも、大願寺の目と鼻の先にある東京女子医大病院に入院されていることを知っていながらのことですから、あなたの真意が奈辺にあったかが判ろうというものです。

また、平成二年の夏には、私は、あなたが河邊慈篤氏と密談しながら、

『法華講さえしっかりしていれば学会の奴らに世話になる必要はない。法華講を育てなければならない』

と話していたことも、はっきりと記憶しております。既に、この当時から、いつ学会を切ってもいいように画策していたわけです。そして、同年末以来の宗門の学会に対する措置は、当然、庶務部長であるあなたが中心的立場に立って実行したのであり、その過程は、今となってみれば、『C作戦』の実行そのものであったのであります。

このように、あなたは初めから学会を嫌悪し、憎くて憎くて仕方がなかったのです。そして、その憎悪の気持ちを衣に隠して、学会、学会員から御供養を貪りながら、学会を宗門に隷属させる機会を長い間狙ってきたのであります。なんとも恐ろしいかぎりです。

あなたのような愚劣な人間が、僧侶であり、しかも日蓮正宗の庶務部長という要職にあること自体、大きな誤りであると言わなければなりません。

3 また、つい先日のことですが、あなたは、

『正本堂なんて、何であんなものが本門の戒壇なんだ。あんなもの百年もたてばぶっこわれるに決まっている』

という発言をされました。これほど御信徒の赤誠を踏みにじった発言がかつてあったでありましょうか。

当時の創価学会の方々は、食べるものも食べず、交通費を節約するため、どこへ行くにも歩き、子供に満足なものを買い与えることができずとも我慢して正本堂建立のため御供養したのであります。

私の両親もそうでありました。私は子供心にその姿に感動し、信心の尊さを知りました。それだけに、この言葉を聞いたときの私の悲しみと怒りはとても言葉では言い表すことができません。

そもそも、正本堂は、御先師日達上人がその意義を定められ、当時総監であったあなたの父親と、教学部長であった現猊下が、宗門執行部として推進したことではありませんか。その御先師の御事蹟を頭から否定するような発言は、いったい正宗僧侶として許されることでありましょうか。

傲慢と不知恩のあなたこそ、今回の問題の元凶であります。

二 次に、糾弾すべきは、宗務院庶務部長という要職にあることを幸いに、その権限を濫用し、まことに身勝手で無責任な行為を平然と行い、宗内に混乱と不信の種を撒き散らしていることであります。

ここにはその例証の一部を指摘いたします。

1 今回の問題が起こって間もなくのこと、常在寺の細井珪道住職が学会の批判をしていないとの噂を聞きつけたあなたは、大願寺在勤の野村信導に命じ、常在寺の所化を手なづけたりして、細井住職の身辺を探らせ、御講での話、住職の日常の行動や言動、学会批判の状況、常在寺の雰囲気等を子細に聞き出しておりました。これはまさにスパイ行為といわなければなりません。

あなたは、日ごろから日達上人の弟子の方々に対し、極めて強い不信感を持っており、その言動や行動には厳しい注意の目を向けておりました。

それはまさに、次の猊座を狙う勢力がこれら日達上人の弟子たちであり、それはとりもなおさず、あなた自身の野心の実現を阻む敵対勢力だからであります。

したがって、その旗頭たる細井珪道氏の動きは最も気になるところであり、同氏の落ち度は、すなわちあなたのプラスということにもなります。そこで、常在寺の中をスパイし、細井珪道氏の動向を探ることは、あなたにとって大変価値のあることなのでしょう。

しかし、あなたは聖職者であり、日蓮正宗の僧侶であります。謀略のために興信所めいた行為を行い、人をおとしめるような政治的な動きをすることは断じて許されません。

あなたのような者が庶務部長という要職にあること自体、宗内に混乱と不信と諍いの渦を巻き起こす元凶となるものであります。

2 また、昨年のことになりますが、河邊慈篤氏から大願寺入口の看板に使用する木材を送ってもらった際のこと、その木が若干古く、多少汚れていたのを見るや、あなたは、本気になって、

『あの野郎、ふざけやがって』

と口汚く河邊氏を罵っておりました。河邊氏と接するときの日ごろの態度からは想像も出来ないその姿に、図らずも、あなたの二面性をかいま見る思いでありました。

あなたは、いつも表面的には人が良く、面倒みのよい善人を装っておりますが、その実、常に虎視眈々と付け入る隙を狙い、人のあら探しをしているのです。

そのいい例が、もう一つあります。それは日ごろから、

『今回の問題は全部俺がやってきたんだ。総監なんて俺がいないと仕事ができないんだ』

などと放言してはばからないことです。日ごろの総監の前での態度とは裏腹に、陰ではこのように総監を軽んじているのです。そして結局あなたは、自分こそが宗門を動かしているんだと思いあがり、法主をも軽んじているのが実態なのです。

また、あなたの総監に対する態度の中で私が一番驚いたのは、平成二年十一月に執り行なわれた総監の義母の仮通夜のときであります。

その際、あなたは、ちょっと用事がありますのでと言って、自分だけ先にお経をあげて退出し、その足で孫の顔を見に九州に行ってしまったのです。

確かに仮通夜ではありますが、総監と庶務部長という関係から考えても、普通であればそのようなことをすべきでないのは当然のことでありましょう。

3 またあなたは、御親教の打合せがあると、法華講が帰った後、必ず、教区内の住職らとともに夜遅くまで酒盛りをしております。

このようなあなたの姿を見たら、法華講の人たちは何と思うでしょうか。その人たちの前では猊下を迎える姿勢について厳しく指導しておきながら、帰った後は、打って変わってこの有り様であります。

普段行われている教区会のときも、いったん酒盛りを始めれば、午後六時の勤行が行われようと全く意に介せず、酒盛りを続けております。総勢二十名前後の住職たちが、御信徒が勤行をしているのを尻目に酒盛りをしている姿は異様というほかありません。

しかも、中にはそのまま酒酔いで車を運転して帰って行く住職もおりますが、あなたは、庶務部長として何の注意もいたしません。これが御親教を迎える住職、庶務部長の姿勢でありましょうか。信伏随従とはまったく名ばかりの偽りのものであることは明白であります。

4 また、あなたが行っている所化の私物化も見逃せないところです。

大願寺の所化たちを、あなたの長男が住職をしている新潟の寺や、長女が嫁いでいる福岡の寺に法務と称して頻繁に派遣し、その実、長男や長女の家族旅行や行楽の留守番をさせているのであります。

あなたは、本来そのようなことをしている他の僧侶に、これを戒めるべき立場にあるのではないでしょうか。にもかかわらず、何のためらいもなく、平然と所化を私物化しているその姿には、心の底から憤りを覚えます。

あなたはよく、住職というものは大切な猊下の弟子を厳しく育成しなければならないなどと言っておりますが、そのようなことをよく真顔で言えるものだと呆れるばかりであります。

またこのことは、大願寺の住職と宗務院庶務部長という立場を利用しての職権の濫用でもあります。

通常、末寺の住職の方々は、一人で法務をこなし、寺の管理も行い、大変な思いで寺の運営をしております。仮に所化がいたとしても、一人であり、大願寺のように在勤教師がいるうえに五人もの所化がいる寺は数えるほどしかありません。

自分の子供が家族旅行に行く間、その寺の留守番のために所化を派遣するなどということは、大願寺という大きな寺であるが故にできることであり、また庶務部長という立場にあるが故に、クレームをつけられずに済んでいるのであります。まさに、これを職権の濫用と言わずして何と言えばよいのでしょうか。

あなたは、このような行為を無反省に繰り返すことにより、何よりも、自分の子供を甘やかし堕落させていることに、何故気づかないのでしょうか。

このような無責任、無節操な人間に、どうして庶務部長がつとまると言えるでしょうか。

5 さらに、あなたの無責任と無節操は、寺の経営に関する背任行為にまで発展しております。

すなわち、大願寺では、あなたの娘(次女)に給料を支払っておりますが、娘さんは他の会社で働き、そこで給料をもらっております。もちろん寺の仕事など何一つしておりません。

現在も、建築関係の会社で働いており、寺の仕事は全くしておらず、寺の手伝いをしているのも見たことがありません。そして、彼女が寺からもらっている給料は、毎月十一万五千円という高額なものであり、住み込みのお手伝いさんの給料とあまり変わらないものです。

私には寺院会計のことはよく分かりませんが、働いてもいない人間に給料を支払うことが許されないことくらいは誰にでもわかることです。これは明確な背任行為であり、立派な犯罪です。大願寺の会計は、猊下夫人の弟の野坂氏がやっておりますが、一体どういう報告に基づき、どのような会計処理をしているのでしょうか。

いずれにせよ、宗務院庶務部長たるあなたが、寺の手伝いもしていない自分の娘に給与を支払うという違法行為を行っていることは明らかであり、その責任はあまりにも重大であるといわなければなりません。

三 次に、あなたの信心なき懶惰懈怠の姿には、およそ御信徒の模範となり法華講を教導すべき住職としての資格が認められず、布教能力も管理・監督能力も全くないに等しいものと言わなければなりません。

あなたは、

『末寺は本山の出城であり、住職は猊下の名代である』

とよく言いますが、本山の出城を預かり、猊下の名代を勤めるためには、それなりの信心がなければならないのではないでしょうか。しかし、あなた自身の姿は懶惰懈怠の無信心この上ないものではありませんか。

宗祖大聖人の、

『船頭のはかり事悪ければ一同に船中の諸人損じ・又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』

との仰せに従うならば、あなたを住職として認めることは、信徒を傷つけ、これを損なう大罪となると言わなければなりません。

1 まず、あなたは、こともあろうに邪宗日蓮宗の寺院に塔婆供養に通うような者を、大願寺法華講の班長にしております。その班長は、そのことを自認しており、祈祷やおはらいはそちらのほうが良いとまで公然と発言しております。

このことを聞いた私は、大変な問題だと考え、直接あなたに報告をいたしましたが、あなたは、そのようなことは先刻承知の様子で、『しょうがないな』と苦笑するだけで全く問題にしようともしませんでした。もちろん、その班長を呼び付けて破折をするようなこともなく、いまだに班長として認めております。

これはまさしく、宗祖大聖人の、

『法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし』

との戒めを恐れない謗法与同以外の何ものでもありません。法華講が折伏した人の中に退転者が極めて多いのは、本質的には、かようなあなたの謗法容認の信心なき姿に原因があることは明らかであります。

あなたはじめ宗門の僧侶方は、謗法に対する感覚が恐ろしく鈍磨しております。猊下でさえ、禅寺に墓を建立しているほどですから、当然といえば当然のことかもしれません。

学会攻撃のためにとんちんかんな理屈で学会を謗法呼ばわりする前に、まず自らの襟をただし、自分の足元に広がりつつある謗法を問題にすべきでありましょう。

2 また、大願寺では、遺骨の預かり業務を行っておりますが、その実態はきわめて問題があり、杜撰きわまりないものとなっております。

まず、何よりも、納骨業務を行うのに必要な法律上の許可を全く取得していないことです。一時預かりという建前で実際には長期間の納骨を受け付けているにもかかわらず、全然、許可をとっていないのです。

あなたは、それが違法であることを知っているからこそ、大願寺における遺骨預かりの手続きを意図的に杜撰なものにさせているのです。

すなわち、通常であれば、遺骨の預かりと同時に預かり証を発行し、これを御信徒にお渡しするとともに、寺にはその控えの書類と預かりの台帳を備え、保管料の授受についても明確にしておくべきです。

しかるに、大願寺においては、遺骨を預かる際や保管期間を更新する際に、御信徒に対して預かり証や保管料の領収証が発行されることは一切ありません。そのうえ、寺には遺骨の保管に関する台帳すら存在せず、保管料は一般の御供養の中に紛れ込ませているため、保管料として計上されることはありません。こうすることで、長期預かりの証拠は全く存在しないというわけです。

実際に御信徒から遺骨を預かる際には、『遺骨預り願』という一枚の書類を書いてもらって寺に保管するだけであり、その一枚の書類ですべての管理が行われているのが実態です。

それも“管理”といえば聞こえはよいのですが、その一枚の書類に、保管料に関すること以外のすべての事項が雑然と書き込まれるだけのことです。

また、納骨保管の実態もひどいものです。納骨室は御宝前の裏にありますが、普段は掃除もせず通路として使われておりますし、御会式のような行事の際には、仏具等の物置として使用されます。遺骨を預けている方の気持ちを少しでも考えれば、このような杜撰極まりない管理などできるはずがありません。

このような杜撰な納骨業務は、信仰者としてはもとより、法律上も絶対に許されないことであります。これを平然と行っているあなたに住職の資格などあるはずがありません。

3 大願寺の場合、住職が寺にいないときには、通夜に行く所化が戒名を付けることが多々ありましたが、私は、大願寺に在勤して以来、戒名の付け方について一度たりとも指導らしいものを聞いたことがありません。

私が見る限り、大願寺では、信心の状態によってA・B・Cとランク付けをされ、それにしたがって院号を付けるかどうかを決めたうえ、あとは戒名字典のコピーのようなものを参考にして自分で付けるだけであります。あなたはせいぜい、

『お寺の名前なら間違いないから、困ったらお寺の名前をどんどん付ければよい』

と、極めていいかげんで、遺族の悲しみなど全く意に介さないような無慈悲なことを言うだけであります。

それどころか、あなた自身が、所化の目の前で実に不謹慎な戒名の付け方を平然としております。例えば、野村信導が受け付けた葬儀の依頼書を見たあなたは、

『信導が受け付けたから、“信導院”でいいか。いや、それはちょっとおかしいから、“○導院”でいいな』

などと言いながら戒名を付けているではありませんか。

このようなことで、どこに宗門のいう戒名の尊厳性があるというのでしょうか。故人の生前の行いなど全く無視した戒名によって、成仏が決まるはずがありません。

いくら宗門が戒名の尊厳性を力説し、戒名がなければ成仏は叶わないなどと強弁しようとも、あなたの姿を見れば、それが全くの絵空事であることは明白ではありませんか。

4 あなたは、御講の席でいつも唱題・折伏の実践について話をしておりますが、私はこの二年間、あなたが寺のお経のほかに、自らの行として唱題している姿を見たことがありませんし、また、御信徒が連れてきた人と数回話をした以外、折伏をしている姿も見たことがありません。

一体過去において何人の人に仏法の話をして、何人の人に御本尊を受持させ、何人の人を立派な信徒として育てたのでしょうか。全く言行不一致の僧侶として恥ずかしい姿であります。

しかし、それ以上に私が驚いたことは、本年二月七日の興師会において、“自分は大変忙しく、今週はずっと本山にいる”という話をするとともに、二月十六日の御誕生会では“忙しいところを、やっと本山から帰ってきました”というような話をしていたことです。

ところがその実、既に十一日には寺に帰ってきており、翌十二日には留守を装うためか、朝の勤行にも顔を出さず、その日の午後からは、新潟の長男の寺に孫の顔を見に出かけるという有様でありました。

なんと姑息なやり方で信徒を欺くのかと、端で見ていて本当に情けなく、事情を知らない信徒の方々に恥ずかしく申し訳ない思いで一杯でありました。先の九州行きといい、この話といい、あなたの正体はマイホーム主義の偽法師であります。

5 大願寺の法華講の内情には、極めて厳しいものがあります。十年前に脱会した旧法華講と今回の脱会者との間はいつも諍いが絶えず、たえず不満と愚痴と勢力争いが渦巻いております。しかし、あなたにはそれを捌くだけの度量も力もないことがはっきりとしております。

あなたは十年前に脱会した者たちには、まるで自分の部下のように厳しく接し、電話の応対なども横柄で命令口調です。しかし、今回脱会して法華講に入った者たちには気を使っておせじばかりを言い、また、同じ脱会者でも法華講員ではない直属信徒のグループには、まるで腫れものにでも触るような態度で、むこうの意のままになっております。

また、法華講や脱会者の間では、新旧ともに様々な内紛が起こっておりますが、あなたは常に八方美人で、相談に来た人の前では親身になって話を聞いている振りをしながら、陰にまわれば『あいつはとんでもない奴だ』とか『あいつの言いなりにはなるな』などと平気で放言しております。

このような状態ですから、問題は解決しないばかりか大きくなる一方であり、あなたに対する御信徒の不満は高まるばかりであります。

住職としては、全く無能といわなければなりません。

6 さらに先日、北米の法華講の方々が来寺した折り、あなたは何と言ったでしょうか。あなたは『今日はヤンキーが来るからな』と確かに言われましたね。私は一瞬自分の耳を疑いました。『ヤンキー』とは、英語の元意はともかく、日本ではアメリカ人に対する蔑称として使われている言葉です。

大切な御信徒の方々を指して『ヤンキー』などと呼ぶとは、およそ、御信徒を慈しみ、遠来の疲れを少しでもねぎらおうという真心など全くなく、御信徒を収奪の道具としか考えていない何よりの証拠であります。そして、それ以前に人間としての品性の欠如と差別に対する感覚の鈍磨を象徴していると言えます。

一体、誰がこのような者を僧侶として、住職として、又庶務部長として認めることができましょうか。

7 また、あなたは、どうして信仰の基本である勤行を平気でさぼるのでしょうか。

本山に午前八時に出発する時でさえ、朝七時からの勤行をするのを見たことがありません。朝がどんなに早くとも勤行はするべきであり、それが僧侶としての基本であり、修行の根本ではないでしょうか。ましてや勤行の時間に寺にいながら、勤行を怠るというのは、言語道断と言わなければなりません。

また、あなたは夕方来客があると、午後六時からの寺の勤行もせず、客と一緒に外食に出掛けてしまいます。そして、その外食先は常に高級な料理屋や一流ホテルであり、綱紀自粛を徹底すべき立場にありながら、その分をわきまえない身勝手さは目に余るものがあります。

後輩の住職の模範とならなければならない立場にありながら、平然と勤行を怠り、このようなだらしのない姿であることは、実に情けないことと言わなければなりません。

その他、あなたは庶務部の仕事にかこつけて、何の理由もないまま勤行をさぼります。在家の方々は、仕事を終えてから信心活動に出掛け、睡眠時間を削りながら勤行唱題・折伏の実践に励んでいるのです。

在家の方々のそのような苦労など、到底あなたの理解を越えるものでしょうが、いずれにせよ、あなたのような不埒な人間に、純真な御信徒を教導することなどできるはずがなく、指導教師の資格など全く無いものと断じるものであります。

四 今、宗祖大聖人の御精神を忘れたあなたの姿は、当然のことながら、荒廃著しい大願寺の姿そのものとなっております。次代を担うべき大願寺在勤の青年僧侶は安逸と遊興をこととし、僧侶の使命も自覚も、あなたの姿を見ては持ちえようはずがありません。それは、まさに法滅の宗門の将来を暗示するかのようであります。

そのようなあなたには、住職としての管理・監督責任を果たす意思も能力も全くないと断ぜざるをえません。

大願寺の在勤者たちの堕落した姿の一端を指摘いたします。

1 あなたの直弟子であり、大願寺執事の能勢寿生の乱脈ぶりは、到底僧侶とは思えないものであります。

彼は麻雀気違いであり、あなたが出張しているときは、必ず新宿の麻雀荘にいりびたり、徹夜で賭け麻雀をやっております。

汚い格好で寺から出掛け、野球帽をかぶってトラックの運転手になりすまして麻雀荘に通うその姿は、物に憑かれた放浪者のようです。そして彼は、賭け麻雀を行っているため、たえず仲間の僧侶から借金し、それも一人の人間から十万円以上の金額を借りていることもしばしばです。また、それでも足りず、両替用に準備してあるお寺の金を持ち出してまで麻雀に通っております。

後で返すとはいえ、ここまでくると、もはや麻雀好きの域を越え、病的とさえ言えます。

また、彼はしばしば夜中に寺を抜け出し、向島の常泉寺に行っては、常泉寺執事の原道準とともに、常泉寺の中で賭け麻雀をやっております。

この常泉寺内での賭け麻雀には、そのほか、少なくともあなたの次男である早瀬正寛、西片の大石寺出張所の執事である佐藤道幸なども頻繁に通っており、寺の門が閉まっていれば、塀を乗り越えて入り込み、麻雀をやっております。

日蓮正宗の総監が住職をつとめる常泉寺の中で行われている夜ごとの徹夜賭け麻雀。その面子は、常泉寺の執事、猊下の住まいである西片を取り仕切る執事、庶務部長が住職をつとめる大願寺の執事、それに、その庶務部長の息子。まことに正宗の命脈を象徴しているかのような情景ではないでしょうか。

この常泉寺内の賭け麻雀はつい先日も行われ、徹夜したため、佐藤道幸は、ふらふらしながらそのまま車を運転し、猊下夫人を本山まで送ったというのであります。実に不謹慎極まりないだけでなく、ひとつ間違えば大事故を引き起こすところであります。

また、能勢や原らは、常泉寺の近くにある吉原のソープランドに足繁く通うなど、僧侶としての自覚のかけらもない行為を繰り返しております。

さらに、能勢は、どこから手に入れてくるのか、いわゆる『裏ビデオ』と言われるものを大量に所持しており、彼の部屋には七十本から八十本のビデオが保管されております。

そして驚いたことに彼は、これらの『裏ビデオ』を一本二千円から三千円で都内の各寺の所化や僧侶仲間に販売し、小遣い稼ぎをしているのです。このことは僧侶の仲間内ではよく知られていることであり、常連の購入者が多数おります。

大願寺の中は、癌に蝕まれた肉体のように、ここまで腐敗がすすんでいるのであります。

私は、これまで何回もこのようなことは止めるよう、能勢に対して何回も注意をしてまいりました。しかし、彼は全く聞く耳を持ちません。彼は、あなたの弟子ではないですか。どうして注意をし、善導しようとしないのでしょうか。全く無責任な師匠と言わなければなりません。

2 また、所化の佐藤信暢は、普段の勤行はもとより、通夜・葬儀においてさえいつも居眠りをし、遺族・親戚からの苦情が絶えません。また、彼は非常に横柄であり、その態度の悪さは目に余るものがあります。通夜や葬儀の場で、彼の態度にどれほど遺族の方が嫌な思いをしたでしょうか。

私自身、彼に成り代わって謝ったことがあるほどです。同じ僧侶として、恥ずかしいかぎりであります。

そのうえ、信暢は、あなたが不在のときはいつも昼間からパチンコ屋にいりびたり、また毎晩のように、寺を抜け出し、寺の車でどこかへ出掛けて行きます。

修行僧として研鑚し、仏法の奥義に少しでも迫ろうとする気迫に満ちていなければならないはずの青年僧が、住職の不在を見はからってパチンコ屋にいりびたり、毎晩寺を抜け出しているようでは、その将来もおのずと明らかなところでありましょう。

すべては、あなたが僧侶としての範を示さず、ろくな指導もしないことによるものであります。

3 また、所化の野村信導も極めて不謹慎であり、葬儀の際、遺族に若い女性がいるとすぐに話しかけ、あるときなどは、夜寺を抜け出して、葬儀で知り合った女性に会いに行く始末です。

また、彼は、大願寺法華講の女子部の人と結婚を約束するほどの深い関係にありながら、別の寺の法華講の若い女性信徒とも付き合うという奔放な行動をしております。

あくまでもプライベートなことですから、いちいち容喙するつもりはありませんが、問題は、彼の不誠実で姑息なやり方が、大願寺法華講員に僧侶不信を呼び起こしていることです。

彼は、別の寺の女性信徒と付き合うようになってから、結婚を約束した女性とは別れてしまいましたが、自分のやっていることが法華講の中で問題とされるや、別れた女性とよりを戻したのです。そして彼女の口を封じて彼女とも何の関係もなかったかのように取り繕っております。

しかし、そのような姑息な取り繕いが通用するはずがありません。結局、女性を二人とも傷つけてしまうことは目に見えております。

このような自分勝手で不誠実な行動が許されるはずがありません。彼のやり方には、周囲の法華講員も厳しい批判の目を向けており、僧侶不信をつのらせております。

一方、あなたは、このような野村信導の奔放な行動を厳しく注意せず、放置している状態です。そして、このようなあなたの態度が僧侶に対する不信を増幅し、大願寺法華講の団結を破壊する大きな要因になっているのです。

僧侶が御信徒の模範になるのではなく、御信徒から指弾されるようなことをしていながら、これを漫然放置しているあなたの責任は極めて重大といわなければなりません。

4 さらに、大願寺の所化であり、あなたの次男でもある早瀬正寛は、以前から僧侶を辞めたいと言っては、父であるあなたを悩ませておりました。あなたは、何とか大学を出るまでは頑張ってほしいと、息子の正寛をなだめすかし、僧侶を続けさせておりました。そんな正寛が、ついに富士学林大学科において教師に対する暴力事件を引き起こしました。

元々遊び好きの正寛は、富士学林の大学科に入学しても、真面目に授業を受けようとせず、出席日数も不足していることから、本年三月に、留年することが確定しました。

彼は、もともと人柄は悪くないのですが、親が甘やかしすぎたせいか、わがままで何をやっても長続きせず、庶務部長という親の威光を笠に着るところがありました。

DCブランドの高級スーツに身を包み、金のネックレスを光らせて闊歩しております。大学科の授業に出席しても、終了五分くらい前に教室に入り、授業終了とともに仲間を引き連れて、カラオケやディスコに通うという生活でした。

そのような正寛に対し、仲間の所化や大学の教師などからも批判の声は上がっておりましたが、富士学林大学科書記である小田切氏は、以前から正寛の不真面目な態度に注意を与えておりました。例えば、小田切氏が、

『お前、やる気はあるのか。親が庶務部長だからと言って、その態度は何だ』

と注意をすると、正寛は、

『何いってんだ。そういうこと言うなら、庶務部長に言ってみろ。言えないだろう』

とやりかえす始末です。

そのような背景のもとに、今回の暴力事件は発生したのです。四月二十日頃のことだったと思いますが、日頃の態度の悪さにごうをにやした小田切氏が、その日も、黒のTシャツにスーツという正寛の服装を注意したことから、遂に口論となり、正寛は、やにわに小田切氏を殴りつけたうえ、飛び蹴りまで加えたのです。

何とも、次元の低い話ではありますが、宗義研鑚の場においてこのような傍若無人の振舞がなされたということは、実に驚くべきことです。

しかし、もっと驚くべきことは、このような事件が全く表沙汰にならず、もみ消されているということです。これが役僧を親にもたない普通の所化であったならば、まず確実に宗門から追い出されているところであります。

正寛に限らず、宗内では役僧の子どもが特別に扱われ過ぎております。問題を起こしても大目に見られ、親の立場を常に考慮されて特別扱いされている彼らは、いつの間にか自分自身でも特別な人間であるかのような錯覚に陥っていくのです。

もともと、正寛は常泉寺に在勤していましたが、富士学林の留年が確定したり、僧侶を辞めたいといったことから、本年四月から親元の大願寺に在勤替えになり、預かりという形になったものです。

この措置自体異例のことと言わなければなりません。当然、門閥も閨閥もない所化であれば、直ちに離弟となるところであります。遊びほうけて、僧侶としての修行もしない人間を、何故親元でさらに甘やかさなければならないのでしょうか。

どうみても、このような措置には納得できません。僧侶としての自覚も使命感もない人間に、親の体面だけで僧侶を続けさせることを許す体質は、一日も早く改善されるべきであります。

早瀬正寛の暴力事件について、何らかの処分があったということは寡聞にして聞いておりませんが、この問題に対する処置の在り方は、宗門のこれからを左右する重要な問題を包含しているといえます。

今回の暴力事件は、既に教区だけでなく、宗門全体に知れ渡っております。もし、この事態を放置し、あるいはもみ消すようなことがあれば、宗門の行く末に、また一つ、大きな病根を残すことは明らかであります。

5 以上のような大願寺における所化の腐敗堕落の責任は、すべてあなたにあるのです。正寛が引き起こした暴力事件にしても、その責任の大半は、父親であるあなたにあるとさえ言えます。

親の体面のみを気にして子どもに処し、ただ子どもを甘やかすことしか知らず、僧侶の何たるかを教えることもできない。そして、問題を起こしても、ひたすらもみ消すことしかせず、事の本質を究明しようとはしない。このようなあなたの体質が今回の問題を引き起こした一番大きな原因ではないでしょうか。

これとは逆に、あなたは身内以外には極めて無慈悲で冷酷な方です。所化に対するあなたの罵声と暴力とは、皆をおびえさせ、萎縮させております。そこには優しさも思いやりもなく、とにかく憎しみをぶつけているとしか感じられません。

その結果、所化の心は荒れに荒れ、その場を取り繕うことしか考えなくなるのです。先ほど述べた事実がそれを物語っております。

例えば、普段からあなたは、事あるごとに所化のことを『低能児』『のろま』『とうへんぼく』『くそ馬鹿野郎』などと、あたりかまわず怒鳴り散らしております。

それはおよそ、訓練のためとか、善導のためといった、思いやりのようなものは毛ほども感じられず、ひたすら所化の人格を踏み付け人間性を無視し、ただただ憎しみをぶつけているとしか思えないものです。

所化も人間です。喜びも悲しみも感じます。殴られれば痛みを感じ、激励されれば頑張ろうと奮い立ちます。罵倒されれば怒りを感じ、人格を踏みにじられれば心の底から憤りを覚えます。あなたはそんなことを考えたことがあるでしょうか。そんな所化の気持ちを思いやったことがあるでしょうか。

また、あなたはそれが修行の一つででもあるかのように、所化に対して暴力を振るいますが、断じて許されることではありません。仏法は慈悲を説き、生命の尊厳を教えるものであります。袈裟・衣を著する者がどうして暴力を振るうことが許されるでしょうか。

将来、信徒を善導すべき教師となる所化を暴力で教育すれば、その所化も暴力をもって人に報いるような人間となってしまうのは道理であります。

宗祖大聖人は『崇峻天皇御書』に、

『一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ』

と仰せであります。あなたのひどい暴力はこの宗祖の御指南に違背するものであり、決して許されるものではありません。

ちなみに、あなたの暴力の実態を、後世のためにここに幾つかあげさせていただきます。

1 野村信導の顔面を、法事に来た人の整列のさせ方が悪いというだけの理由で、合計三十発ほど平手で殴りつけた。

2 女性信徒からの質問事項を野村信導が報告しなかったという理由で、目の前のテーブルを乗り越えて、信導の顔面を膝で蹴り上げた。

3 野村信導が、寺の電話で夜中に友人に電話をしていたというだけで、突然、信導の部屋に踏みいり、信導の顔面を二十発ほど殴り付けた。

4 佐藤正俊が通夜のお供をした際、送りの車が来ているのに御寿司を食べるのが遅く、あなたに恥をかかせたという理由で、左手で頭を押さえ付けたうえ、合計三十発ほど顔面に往復びんたを行った。

5 あなたの娘から『帰りが遅くなる』という電話を受けた佐藤信暢が、その伝言をあなたに伝え忘れてしまった際、自分がこんなに娘のことを心配しているのに、どうしてそれを伝えなかったのかと言いながら、何回も殴り付けた。

6 桐越正忠が、来客の人数が増えたため、注文したざるそばが足りなくなってしまい、『住職の分はありませんので後で別に食事して下さい』とのメモを手渡した際、勝手に判断するなと言いながら、何回も殴り付けた。

このように、あげればきりがないほど、些細でくだらない理由から、突然に豹変して暴力を振るうのであります。このような有様は、宗祖の、

『人のものををしふると申すは車のおもけれど油をぬりてまわり・ふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり』

との仰せに真っ向から背くものであり、袈裟・衣を著する資格のないものと言わざるを得ません。

所化たちは、あなたの顔色をうかがうことしかしなくなり、あなたがいなければ、逃げるようにして寺を離れ、昼間からパチンコや競馬にうつつを抜かし、夜になればお寺の車を使って抜けだして、歌舞伎町や吉原へくりだすのであります。

このような所化の堕落した姿は、すなわち、あなたの信心なき懶惰懈怠の姿そのものであり、すべてはあなたの無慈悲、無責任、無節操な生き方の反映であります。

五 以上、私は、あくまでも法のため、宗門のため、そして真の僧俗和合のため、大願寺の荒廃した姿と、法師の皮を著たる畜生のごときあなたの悪行を指摘させていただきました。そうすることこそ、大聖人の真の弟子たる道と確信するが故であります。

宗祖大聖人は、

『此の度大願を立て後生を願はせ給へ・少しも謗法不信のとが候はば無間大城疑いなかるべし、譬ば海上を船にのるに船おろそかにあらざれども・あか入りぬれば必ず船中の人人一時に死するなり、なはて堅固なれども蟻の穴あれば必ず終に湛へたる水のたまらざるが如し、謗法不信のあかをとり・信心のなはてを・かたむべきなり』

と仰せであります。

今、未曾有の正法流布躍進のときを迎え、弘教の波動は世界に広がろうとしております。このような時にあたり、自らの姿で仏法を破壊し、正信の信徒を足蹴にしているあなたを、私は断じて許すことができません。私は、仏法の正義とその勝利を確信し、御本仏大聖人のお叱りを恐れるが故に、あなたへの戦いを決意致しました。

そして私は、先に、宗門改革に起ち上がった青年僧侶改革同盟十名の信心の叫びに心底より共感し、万感の思いをもって、その聖戦の陣列に馳せ参ずるものであります。

今日よりは、日蓮正宗からあなたを追放する日まで、命懸けで戦うことを決意し、ここに謗法の寺と化した大願寺と決別することを宣言するものであります。以 上

          平成四年五月十八日

           渡 辺 雄 範

 大願寺住職

   早 瀬 義 寛 殿」

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