十六章 宝珠亡失
第543号~第571号
(1992年11月7日~同年12月16日)
- 第537号 1992年10月26日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕が正信会との和解を頼んだのは加藤賢一という人物だ
宗務院は事実を知りながら否定し日顕に歯止めをかけた - 第543号 1992年11月7日
日蓮正宗自由通信同盟
江戸時代の常泉寺は幕府の庇護で栄耀栄華を極めていた
本寺が本寺なら末寺も末寺、本末ともに謗施で潤ったのだ - 第544号 1992年11月8日
日蓮正宗自由通信同盟
謗法まみれになり七百年を生き長らえた日蓮正宗の姿は
衣裏に宝珠をつけて彷徨した哀れな男の姿を想起させる - 第546号 1992年11月10日
日蓮正宗自由通信同盟
今年の富士学林研究科秋季授業においても御書研鑚はなし
とことん御書を軽視する日顕らは五老僧の生まれ変わりか - 第549号 1992年11月14日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕が宗門を私物化し猊座を穢し続けるから離山が相次ぐ
“法滅の妖怪”日開の五十回遠忌を前に淨圓寺が離脱した - 第551号 1992年11月16日
日蓮正宗自由通信同盟
芸者に囲まれた“法主”の姿は宗開両祖を誹るに等しい
御開山日興上人曰く「日蓮の御恥何事か之に過ぎんや」 - 第552号 1992年11月17日
日蓮正宗自由通信同盟
「(創価学会から)五千万円で離脱を勧められた」との
福田毅道の発言を本人が嘘と認め謝罪を約束していた - 第553号 1992年11月18日
日蓮正宗自由通信同盟
墓参りに駆り出され無内容な話を聞き日顕に金を差し出す
葬式仏教の典型のような催しに日顕宗の死が垣間見える - 第555号 1992年11月20日
日蓮正宗自由通信同盟
綱領ともいえる「法華講要旨」は「大聖人直結」を謳っている
狂った大村は正しい教学を忘れ「直結」は「邪説」だと誹った - 第560号 1992年11月29日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕や関は大石寺の日蓮正宗からの離脱まで考えていた
日顕は意に逆らえば学会のみならず日蓮正宗も切ったのだ - 第562号 1992年12月1日
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人々を騙して泥舟に乗せ苦海に沈めようとしている大狸が
最後にブチ上げたのはやはり“千畳敷き”構想でありました - 第564号 1992年12月3日
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日顕は“千畳敷き”の新坊を擁する大石寺にふんぞり返り
無任所教師は“タコツボ”に入り防人となって一生を過ごす - 第566号 1992年12月5日
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日蓮正宗が他派と訣別し独立したのは明治三十三年だった
大石寺に清流はなく謗法と交わり自らも邪宗と化していた - 第567号 1992年12月6日
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日蓮正宗が真に“正宗”であったのは学会との六十年間だけだ
邪宗となった“正宗”は“小宗”となり遂に“消宗”となる - 第570号 1992年12月13日
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邪宗日顕宗では創価学会を呪う祈祷がおこなわれている
呪詛をする祈祷師の代表格は敬台寺住職の日比野慈成だ - 第571号 1992年12月16日
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江戸時代の邪宗は庶民相手に高利貸しをし繁栄の礎とした
大石寺も同様で焦げついた金の回収を代官所に泣きついた - 第572号 1992年12月18日
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日顕本人が当の日顕を軽んじ侮り嘲り卑しみ蔑んでいる
だから邪宗でありながら日顕宗と呼ばれるのが嫌いなのだ - 第574号 1992年12月21日
日蓮正宗自由通信同盟
大嘘つきの日顕が虚言癖の福田に嘘をつかせて訴えられた
嘘ばかり言う嘘つき師弟は裁かれないと嘘が罪と判らない