十七章 禿人遁走
第587号~第646号
(1993年1月14日~同年4月28日)
- 第578号 1993年1月1日
日蓮正宗自由通信同盟
邪僧日顕に率いられた邪宗日顕宗の邪義を徹底破折しよう
破邪によって日蓮大聖人の正法正義は守られ極悪は滅ぶ - 第582号 1993年1月9日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕が祝賀会で「C作戦」敗北宣言ともとれる発言をした
脱会者が作れないから今後は未入信者を寺に集めろだとサ - 第587号 1993年1月14日
日蓮正宗自由通信同盟
今になって「C作戦」を全面否定する日顕の頭は狂っている
この大嘘つきをいつまでも“猊座”に座らせて恥と思わぬか - 第593号 1993年1月21日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕一族は綱紀自粛を徹底した直後に温泉で豪遊していた
不誠実な日顕のやることは欺きばかり従えば不幸になる - 第595号 1993年1月25日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕は九月二日に落合を通し加藤の書状を受け取っていた
日顕の正信会復帰工作関与を否定するウソの核心が崩れた - 第598号 1993年1月31日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕の狂気の命令により大石寺の桜・二百十八本が切られた
総坊の間に累々と並ぶ桜の切り株は虐殺された屍のようだ - 第599号 1993年2月2日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕は伊豆長岡の旅館で年数千万円を費やし豪遊していた
あわれ金ほどに品はなし娘が泥酔し立て膝で荒れた - 第605号 1993年2月22日
日蓮正宗自由通信同盟
「お金がないわけじゃない」と“千畳敷”の坊建設を進め
浪費の穴埋めのために窮状に泣く末寺より金をしぼりとる - 第607号 1993年2月24日
日蓮正宗自由通信同盟
本部幹部会で椎名住職が「芸者写真」を撮った真相を語った
それを同時中継で見た全国六十万人が日顕の大嘘に呆れた - 第610号 1993年3月3日
日蓮正宗自由通信同盟
追い詰められた日顕が「芸者写真」の首を自分の首と認めた
写真は「合成」でなく袴も自分のもの日顕はやはりウソつき - 第611号 1993年3月4日
日蓮正宗自由通信同盟
『慧妙』が論理性に欠けた感情的な文で「芸者写真」を報じた
興奮のあまり一カ月前にみずから報じた大嘘を忘れている - 第614号 1993年3月10日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕は末寺住職に自分の寺のことばかり考えるなと説教し
渉外部長は「芸者写真」の最終責任を信徒の信心に転嫁した - 第615号 1993年3月11日
日蓮正宗自由通信同盟
創価学会解散を求める国会質問の裏に日顕と龍と段がいた
日顕宗は教義論争から逃げるため国会議員に泣きついた - 第619号 1993年3月18日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕の側近より千畳坊改め広布坊の設計図を極秘入手した
宗内の誰もが今時の三十数億円の浪費に腹を立てている - 第621号 1993年3月20日
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日興上人が追放すべしとされた実相寺院主も桜を切った
院主は日顕同様女を侍らせ魚鳥を食し酒と邪淫を好んだ - 第624号 1993年3月23日
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自前で千畳敷の広布坊を建てるかのように言ってた日顕が
「信心があるなら供養を持ってくるはず……」と言い始めた - 第638号 1993年4月12日
日蓮正宗自由通信同盟
日露戦争開戦時に日応上人は「御本尊一万幅」を売り出し
「戰勝大1祷會」で真筆御本尊を一般公開し戦費を集めた - 第639号 1993年4月14日
日蓮正宗自由通信同盟
小笠原は大御本尊の写真を「二円」で「お守り」として売り
日開は御本尊を差別化し「尊号」をオマケにつけ商品とした - 第643号 1993年4月24日
日蓮正宗自由通信同盟
法華講員の半数近くが供養目当ての来寺を嫌っているのに
売僧根性の日顕は真光寺“親教”を強行し供養を集める - 第644号 1993年4月25日
日蓮正宗自由通信同盟
恥知らずで嘘つきの日顕は自分の嘘に『地涌』まで利用する
広布坊建設反対署名を最初知ったのは『地涌』を読んでだと - 第646号 1993年4月28日
日蓮正宗自由通信同盟
仏壇よりベッドを選んだ破仏法者・山崎正友が仮出獄した
カツラをつけず紙箱一つを抱え老いた姿は人生の敗残者だ - 第647号 1993年5月2日
日蓮正宗自由通信同盟
いよいよ日顕の下半身の名誉が東京地裁で“吟味”される
自ら好んでこの場を提供した日顕はストリーキング坊主か - 第649号 1993年5月4日
日蓮正宗自由通信同盟
三日で暗転! 訴訟の根拠としていた「発言」は聞き間違い
池田名誉会長に一矢報いようとしたが矢は日顕に刺さった