報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十七章 禿人とくにん遁走とんそう

地涌オリジナル風ロゴ

第619号

発行日:1993年3月18日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

日顕の側近より千畳坊改め広布坊の設計図を極秘入手した
宗内の誰もが今時の三十数億円の浪費に腹を立てている

日顕が見栄だけで三十数億円を散財するのに、誰もストップをかけられない。日顕のウソに“信伏随従”し、日顕の見栄にこれまた“信伏随従”する。すべてを随わせて当然と考えている日顕の、この傲慢なる生命に“信伏随従”することにより、日蓮正宗はいま確実に滅びへの道を歩んでいる。

日顕が見栄で三十数億円を費やす――。いわずと知れた千畳敷の大広間を有する千畳坊のことである。いやいや千畳坊ではない、日顕はごく最近、「千畳坊」をやめて「広布坊」と名前を変えた。したがって、いまのところは広布坊である。先々、また名前が変われば、そのつど変更をお知らせする。

さてこの広布坊、既報のように、着工予定は平成五年五月一日、完成予定は平成六年六月三十日。地上二階建で、二階部分に千畳敷の大広間がある。

しかし、日顕が見栄で建てるこの広布坊に、宗内のほとんどの者が内心では反対である。布教区で広布坊建設の反対の決議をしたところもある。日蓮正宗の危急存亡のこのときに、なぜ三十数億円もの費用をかけて建物を建てるのか。しかも「チョボチョボ」の登山者しか登山していないのに……。誰しもが抱く疑問である。

だが、その疑問が日顕に斟酌されることはない。“現代における大聖人様”たる自分の発案に逆らう者は許さない、といった思いしか日顕には湧いてこないのである。

周りの者も、それをよく知っているから面従腹背をする。下手に意見を建言すれば逆恨みされ、折を見て処分されるのがオチだから、愛想笑いをして心にもない相槌を打つ。その相槌は、ますます日顕の慢心をふくらませる。そして日顕は思いのままに暴走する。その結果、明年六月末に三十数億円の建物が建つのである。

本紙『地涌』編集部に、日顕が三十数億円を投じて建てる広布坊の設計図が届けられた。日顕にごく近い者からである。提供者は、「六万人総登山といっても、今の総一坊、総二坊で施設は充分だ。御前様はなにを考えているのか」と嘆いていた。

もっともなことである。

ただ日顕は、見栄だけで広布坊を建てようとしている。総坊一帯の桜を切り、あたりを圧する広布坊を建て、先師日達上人の事跡を総坊近辺から少しでも拭い去り、相対化しようとしているのである。

入手した広布坊の設計図を見るにつけ、六万人総登山で使った後、日顕はこの建物をなにに使うのだろうと、当然すぎるほど当然の疑問が湧いてくるだけだ。総一坊、総二坊、常来坊、塔中坊など、日顕がいみじくも言っているように「チョボチョボ」の登山者では、いずれの坊も満足に埋まることなどないだろう。正本堂の御開扉も百人に満たない日がちょくちょくあり、正本堂内中央のほんの数列で御開扉している現状である。そこにまた、千畳の広間を有する坊ができるという。

日顕が見栄で三十数億円を費やす「広布坊」の設計図

日顕が見栄で三十数億円を費やす「広布坊」の設計図

正本堂での御開扉では費用がかさむから、戒壇の大御本尊様を奉安殿に御遷座しようなどと日顕はこぼしていながら、またまた維持費のかかる不相応な坊を建てようとしているのである。

しかしこう述べれば、日顕は答えるだろう。

「正本堂での御開扉は費用がかかりすぎる。このまま正本堂で御開扉を続けることを考えれば、広布坊での御開扉に切り替えたほうが、長期的に見れば得だ」

日顕、実につまらないことを考えている。いや伝聞だから、実につまらないことを考えているそうだ、というくらいに押さえておこうか。

真偽のほどは定かではないが、ウソか真か、日顕のすぐ側の者から流れている話であることだけはたしかだ。日顕サイドとしては、宗内で反対意見が強くなれば、この程度の言い訳を考えているということであろうか。

それはさておき、宗内の者誰しもが日顕の考えていることを理解できない。ただ、たしかなことは、大石寺が宗教としての内実の伴わない、建物だけの伽藍仏教の典型となってしまったということである。

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