報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二章 持者能忍じしゃのうにん

地涌オリジナル風ロゴ

第73号

発行日:1991年3月14日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

血脈と大御本尊を守るためには国家権力に屈服する
この日蓮正宗中枢の考えは大聖人の仏法に反するものだ

日蓮正宗時局協議会のメンバーは戦中の日蓮正宗の謗法について、どのように考えているのだろうか。

「時局協文書」は次のようにのべている。

「あくまでも『神札』を受け取ることを拒否すれば、その最高責任者である日恭上人、日亨上人にも投獄の危険が迫る。お二人の御法主上人が御身を惜しまれるはずはないが、御尊体が投獄に至れば、血脈断絶の危機に及ぶのである。

また、大石寺が身延の支配下に置かれれば、何よりも戒壇の大御本尊が、身延の支配下に置かれることになる。

戒壇の大御本尊を他宗の支配下に置き、血脈断絶に至る以上の大謗法が、ほかにあろうか。血脈付法の御法主上人のお立場として、果たしてこのようなことが 許せるであろうか。

日蓮大聖人、第二祖日興上人以来、謗法厳戒の“針金宗門”にとって『神札』を受け取ることは、また信徒にそれを勧めることは、断腸の思いでなくて何であろうか」

「針金宗門」とはよく言ったものだ。細くてよく曲がる。

謗法を犯した理由に、血脈と戒壇の大御本尊をあげているのだ。卑怯千万とはこのことである。日蓮大聖人の門下でもなければ、日興上人の末流でもない。「時局協議会資料収集班1班」は五老僧の眷属である。また、この文書を平気で宗内に配った宗務院も同様だ。このような恥知らずなことを当然のような顔をして主張するとは、相当に狂いはじめたか、本性をあらわしはじめたと見える。

日蓮大聖人が佐渡流罪中にあっては、鎌倉に残された弟子も、大聖人の御身を気づかうあまり折伏もせず邪宗といつわり親しむことが正しいのであろうか。日蓮大聖人は「やはらかに法華経を弘むべし」(佐渡御書)との弟子の軟風に対しても厳しく弾呵されているのだ。

また日蓮大聖人が竜ノ口に赴かれるとき、末法の本仏たる我が身が死ぬことになれば、血脈の源を作り得ないと、幕府に命乞いをされただろうか。「種種御振舞御書」を再読すべきであろう。

このような愚劣な論を日蓮正宗の僧が吐くとは予想もしなかった。この「時局協文書」を全国の教師に臆面もなく配布するとは、日蓮正宗宗務院は邪義邪説をもてあそんでいるとしか思えない。

日蓮正宗の中枢は、血脈、戒壇の大御本尊を守るためには、国家諫暁をなさず謗法を甘受し、いつでも国家権力に屈服すると天下に宣しているのである。このように幼稚な言い分では、身延をはじめとする日蓮宗各派にも笑われる。

「空に読み覚えよ老人等は具に聞き奉れ早早に御免を蒙らざる事は之を歎く可からず定めて天之を抑うるか、(中略)日蓮が御免を蒙らんと欲するの事を色に出す弟子は不孝の者なり、敢て後生を扶く可からず、各各此の旨を知れ」(真言諸宗違目)

【通解】暗記するくらいに読み憶えなさい。老人等は(字が読めなければ)耳で聞きなさい。早々に赦免されないことを嘆いてはいけない。きっとこれは意味があって、諸天が抑えているからにちがいないからだ。(中略)日蓮大聖人の流罪を許してほしい、そのようなことを言動に出す弟子は不孝の弟子である。そのような不孝の弟子の成仏は助けません。弟子の一人ひとりはそのことを知っておきなさい。

「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(殿尼御前御書)

【通解】第六天の魔王は、衆生を成仏の道から遠ざけようと、十種の魔軍を起こして、衆生を成仏させようとする法華経の行者と、娑婆世界において争っている。日蓮は第六天の魔王と敵対する法華経の行者として、大兵を起こして以来二十余年である。その間、退いたことはただの一度もない。

御聖訓に照らせば、弟子の選択すべき道は判然としている。

そのうえ、あろうことか偽書である「通諜」まで持ち出してきている。「通諜」については本紙第60号、61号、62号、63号で詳述した。「通諜」は、「戸田城外」が創価教育学会会員に神札を受けとるように指示した文書とされている。もちろん後世の偽作である。

「時局協文書」では、この偽書を真に受け、

「この『通諜』は、当時の情勢の上から、戸田会長が総本山の危機を鑑み、また会員各位の身の安全を考えた上での、ぎりぎりの選択であったというのが、本当の歴史なのではなかろうか」

と評価を下している。昭和十八年の六月、総本山で神札についての申し渡しのあった後に、創価教育学会の戸田理事長(当時)は、総本山および会員のことをおもんぱかって、宗門と同じ判断に達したとしているのだ。

偽書を持ち出して、牧口、戸田両会長も、当時の日蓮正宗の謗法容認路線に同調したと主張している。偽書に頼るしかみずからの正当性のよりどころがなくなったとは、みじめなことである。

そして果ては、「牧口会長の『一宗が滅びることではない、一国が滅びる事を嘆くのである』との発言はいかがであろうか」と難クセをつけている。曰く、

「もし日本が戦勝国となっていた場合、戦後、軍国主義はいよいよ強まり、軍部の支配下にあって、国民生活は、息をつく隙もないような状態となったであろう。欧州各国が、戦後、独立戦争に悩まされたように、占領地域を保持していくために軍隊を送れば、軍備戦費によって、国民生活をめちゃくちゃにしたに違いない。また、占領地域の人々と戦うために、戦死する者は、あとを絶たなかったであろう。

逆に、戦争に敗退して、国家が一旦滅んでも、国民が健在であるかぎり、再起できることが証明されたのである」

日蓮正宗は国家諫暁をなさなかったが、日本国が滅びたことによって戦後の平和日本が生まれたのだから結果的にはよかった、結果がよければすべてよしと言いたいのだ。

日蓮正宗は、日蓮大聖人の仏法が日本国にとってあってもなくても一緒と認めているに等しい。大聖人の仰せどおりしなくても、世の中がよくなったのだから、戦中の宗門の判断は正しかったと言っているのだ。こうなっては、もはや大聖人の弟子とはいいがたい。

牧口会長の国家観は、日蓮大聖人の弟子であるからには当然のことながら、大聖人の国家観を志向している。国家神道に裏づけられた軍国主義の「国」ではなく、「立正安国論」に日蓮大聖人が示されたごとく、まさに国ガマエに民の「くに*」であると理解すべきだ。国が滅びての民の悲愁にこそ重きが置かれているのである。「国」という言葉が当時の軍国主義国家を擁護するというのであれば、日蓮大聖人の「立正安国論」は北条幕府の統治する封建国家を擁護したものであったとでもいうのだろうか。

牧口、戸田両会長の不屈の偉業になんとか傷をつけようと言を弄しているが、かえってみずからの信仰心のなさ、見識のなさを露呈しているだけだ。

牧口会長の予審尋問調査(『特高月報』昭和十八年八月分所収)を一読してみればよい。獄中にありながら日蓮大聖人の仏法を宣揚して一歩も引かず、まさに死を賭しての国家諫暁である。

そのとき、宗門はなにをしたか。創価教育学会の戦いを、血脈と大御本尊様を危うくするものとして不快に思ったのではないか。時局協議会の論理からすればそのようになる。また悲しいかな、戦中の現実もそうであった。そのようなことを口実にして、我が身かわいさのあまり死身弘法の信徒を裏切ったのである。

日蓮正宗中枢の謗法容認路線はいまだもって変わっていない。法難にあっては血脈と大御本尊を理由に簡単に諂曲し、いつでも信徒を見殺しにするのだ。また平時にあっては、折伏戦に励む信徒を、権威をタテにきょう*慢謗法と決めつけ、隷属させようというのである。

日蓮大聖人が民衆救済を願って説かれた大慈大悲の仏法を、どうしてここまで歪曲できるものかと不思議に思う。腰抜けの「時局協議会資料収集班1班」および宗務院の役僧を卑しむものである。

御金言に曰く、

「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(教行証御書)

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