報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二章 持者能忍じしゃのうにん

地涌オリジナル風ロゴ

第62号

発行日:1991年3月3日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

獄中の牧口常三郎会長は折伏精神をもって尋問に臨んだ
国家神道を破折し立正安国論を引用して仏の法を説いた

 次に、戸田会長はなぜ敗戦前に出獄となったのかという、怪文書(本紙第60号詳述)の提起したもう一つの問題に答えよう。

この疑問を発する者は、治安維持法、不敬罪などで獄につながれていた徳田球一らの日本共産党幹部が、敗戦後の昭和二十年十月十日に劇的な釈放をされたことが印象にあるからだろう。

ところが宗教者の治安維持法違反、不敬罪犯に対する扱いは、これら左翼活動家とは違っていた。

戦時中、これらの法律に違反したことにより弾圧された宗教団体は多数あった。創価教育学会のほかにも、大本教、天理教、天理ほんみち、新興仏教青年同盟、ひとのみち教団、そしてキリスト教系の灯台社、セブンアドベンチスト、ホーリネス、無教会派などである。

これらの弾圧事件においては、非転向であっても、捜査や裁判の進行状況に応じて保釈がおこなわれた。

当時の日本共産党はコミンテルン日本支部として、敵国とみなされていたソビエト共産党の指示に基づいて武力闘争をおこなっていた。その地下組織化した共産党指導者と、破壊活動とは無縁の、言動・文書により法律を犯した宗教者とでは、法務当局の扱いはおのずから違っていたのである。

まして非転向の共産党指導者に対しては、実際は予防拘禁がおこなわれていた。破壊活動を予防するため、これらの武装共産党の幹部は、当時の法に基づいて無期限に獄につながれていたのだ。

その共産党幹部が敗戦に至るまで獄につながれていたことと、戸田会長が敗戦前の二十年七月に出獄したことを比較して、戸田会長は転向したからこそ出獄できたのだと結論づけるのは、歴史的な事実にあまりに無知と言わなければならない。

牧口初代会長、戸田二代会長の当時の言動のどこをとっても、神札容認あるいは転向などという事実は出てこない。なにをもって「通諜」などという偽書をもとに、牧口、戸田両会長に傷をつけようというのだろうか。「通諜」という偽書が本物に見える者は、己の心根が相当ゆがんでしまっているのだと自覚していただきたい。

それでは牧口、戸田両会長の獄中での戦いがいかなるものだったかを偲んで、一級の歴史的資料をあたってみたいと思う。動かしがたい史実をもってすれば「通諜」などというものがなんの根拠もない偽書であること、あるいは転向論が根も葉もない、とるにたらないものであることが納得できると思う。

牧口常三郎初代会長の獄中での戦いをうかがうことのできる予審尋問調書が、特別高等警察の厳秘資料である『特高月報』(昭和十八年八月分)に掲載されているので、その一部を紹介したい。

獄にあった牧口会長は、神札などの謗法払いについての予審判事の尋問に次のように答えている。一読しただけで、創価教育学会が学会員に神札を受け取るように指示したという「通諜」がいかにインチキであるかがわかる。

牧口会長は判事の尋問に淡々と答えているようだが、実は死を賭して国家諫暁しているのである。紙面の都合上、ほんの一部しか紹介できないのが残念である。

「取払ひ撤去して焼却破棄等して居るものは、国家が隣組其他夫々の機関或は機会に於て国民全体に奉斎せよと勧めて居ります処の伊勢大廟からだされる天照皇太神(大麻)を始め明治神宮、靖国神社、香取鹿島神宮等其他各地の神宮・神社の神札、守札やそれ等を祭る神棚及び日蓮正宗の御本尊以外のものを祭つた仏壇や屋敷内に祭つてある例へば荒神様とか稲荷様、不動様と謂ふ祠等一切のものを取払ひ、焼却破棄さして居ます。

就中天照皇太神宮の大麻は、最近殆ど何れの家庭でも奉斎して居りますから、一番取払ひの対象になって居ります。取払い撤去の趣旨はそれ等のものを各自が家庭内に奉斎して信仰の対象と為す事は御本尊の信仰を雑乱する事になり、謗法になりますのと一面に於ては天照皇太神宮の大麻等を家庭内に奉斎する事は前に申上げた理由から、却而不敬に当りますから撤去するものであります。

勿論之等の神宮神社仏寺等へ祈願の為参拝する事も謗法でありますから、参拝しない様に、謗法の罰は重いから、それを犯さない様に指導して居るのであります」

また、「法華経の真理から見れば日本国家も濁悪末法の社会なりや」との尋問に答えて、

「釈尊の入滅後の一千年間を正法時代、其後の一千年間を像法時代と称し、此の正法像法の二千年後は所謂末法の時代で法華経が衰へ捨てられた濁悪雑乱の社会相であります」

と述べている。

神国であるべき日本も、末法の社会相であると牧口会長は断じたのであった。また「立正安国論」の史観に基づいて、法華経の衰えるのを看過するようなことがあれば国が滅ぶと主張している。

「国には内乱・革命・饑饉・疫病等の災禍が起きて滅亡するに至るであろうと仰せられてあります。

斯様な事実は過去の歴史に依つても、夫れに近い国難が到来して居ります。現在の日支事変や大東亜戦争等にしても其の原因は矢張り謗法国である処から起きて居ると思ひます」

戦争が現人神・天皇の名のもとに聖戦とされた時代に、日蓮大聖人の教えを奉じないが故に起きた災厄であると主張するのは並のものではない。それを獄中において陳述しているのである。当時の状況下でこのような主張をなすことは、死をも意味することであった。

牧口会長の信仰の強さ、尊さに、ただただ感動するだけである。

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