報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二章 持者能忍じしゃのうにん

地涌オリジナル風ロゴ

第61号

発行日:1991年3月2日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

学会が神札を受けるように命じたという「通諜」は
牧口、戸田両会長に傷をつけようとする者が偽造した

牧口、戸田両会長は、謗法容認の猊下の御指南を拒絶し、思想犯として入獄した後も、不退転の決意をもって信仰信念を貫いた。このことによって現在の大法弘通のときを招来することができた。

この創価学会の初代、二代会長の偉業になんとしてでも傷をつけたいと思っている僧侶がいる。その彼らが、これが創価学会が神札を受けとるように学会員に指導していた証拠だと、現在うれしそうに披瀝しているのが「通諜」と題する書面のコピーである。

それでは、「通諜」の全文を以下に紹介する。

「創價教育學會各理事

仝   各支部長殿

理事長 戸田城外

通 諜

時局下、決戰体制の秋、創價教育學會員には益々盡忠報國の念を強め、會員一同各職域に於いてその誠心を致し信心を強固にして米英打倒の日まで戰ひ抜かんことを切望す。依つて各支部長は信心折伏について各會員に重ねて左の各項により此の精神を徹底せしめんことを望む。

一、毎朝天拜(初座)に於いて御本山の御指示通り 皇祖天照大神皇宗神武天皇肇國以来御代々の鴻恩を謝し奉り敬神の誠を致し國運の隆昌武運長久を祈願すべきことを強調指導すべきこと

一、學會の精神たる天皇中心主義の原理を會徳し、誤りなき指導をなすこと

一、感情及利害を伴へる折伏はなさざること

一、創價教育學會の指導は生活法學の指導たることを忘る可からざること

一、皇大神宮の御札は粗末に取り扱はざる様敬神崇祖の念とこれとを混同して、不敬の取り扱ひなき様充分注意すること   以上

六月廿五日」

相当に執念を持って作っている。マニア的な偏執狂の仕業と思われる。だがどう作ろうともニセ物はニセ物、ボロは出る。

まず、書面の内容を述べる前に記しておくことがある。不思議なことに、誰一人として現物を見た者がいないのである。

この書面が出まわったのは、宗門と創価学会とのあいだが少しギクシャクしはじめた、昭和五十二年の八月の終わりか九月の初め頃であった。それ以前には見た者もまったくおらず、もちろんのこと、その存在すらも語られたことはなかった。昭和五十二年に突然、それもコピーのみが世の中に出まわりはじめたのである。実に不可解なことである。

さて、その「通諜」とやらのコピーを見ると、書面の四方がボロボロになっており、余白の部分も朽ちたように穴があちこちにあいているのがわかる。ところがそこまで朽ち果てているのに、なぜか文字だけはすべて判読できるのである。

また、書面の真ん中には縦に汚れが走っている。まるで長い間二つに折られてほこり焼けしたかのようになっている。それなのに、四方の朽ち果てたような破れは左右対称でない。余白の破れも同様である。真ん中がほこり焼けするほど長い間折られていたのであれば、当然のことながら朽ち方も左右対称であるはずだ。外見からだけでも、いろいろと疑念のわいてくる書面である。

それでは、書面の内容を吟味してみよう。

まず「通諜」という表題だが、正しくは「通牒」と書く。戸田理事長(当時)は教員として奉職していたので、文部省からの「通牒」はいつも見ており、本人もかなり使い慣れている用語なので、この「通牒」の「牒」という字を「諜」と書き間違うことは考えられない。

決定的な間違いがある。二項目の「天皇中心主義」という言葉は、現在から考えれば、戦時下において使われていたもののように思うが、意外にも、その当時は使われていないのである。

この言葉は、当時の右翼のなかでも、最も過激な数団体のみが使った、きわめて特殊な用語で、一般では使うことのないものであった。従って、教職に従事している者の多い創価教育学会の通達文書で使用することは考えられない。この語句を使ったことは偽造犯人にとって致命的な過ちである。

さらに「天皇」という語句を文中にそのまま続けて書くのも、時代を考えれば非常識である。当時の公式文書でこのような書き方をすることはない。「天皇」という語句の前を一文字あけるか、改行して最上部に書いていなければならない。

これらの諸点から、この文書が戦時下に書かれたものでないことは明白である。おそらくこの文書が作られたのは、書面のコピーが出まわりはじめた昭和五十二年当時であると判断するのが妥当ではないか。なぜならばニセ物を作った者は、必要性があるからデッチ上げたのだ。それを何年も放置するとは考えにくい。

「通諜」を偽造したのは、いったい誰なのだろうか。そのヒントになる言葉が「通諜」の文中にある。

「天拜」という言葉である。創価学会員にとって、戦時中に入信した者であっても「天拜」というのは聞き慣れない言葉である。「天拜(初座)」として後に初座と断り書きがしてあるが故に、初めて意味が通じるのである。

「天拜」は、かつて日蓮正宗の僧侶においてよく使われた言葉である。この偽書を作りあげた犯人が、凝りすぎて馬脚をあらわしたのである。単に「初座」としておけばよいものを、わざわざ「天拜(初座)」と凝ったために、逆に偽造犯人がしぼられることになった。

この「通諜」の偽造犯人は、日蓮正宗の僧侶かあるいはその周辺の者の可能性が大である。かつ旧字の使い方、文章の表現もボロを出しているとはいえ巧みであり、戦時中の状況を体験として知っている年齢の者であると推測される。

また、創価学会あるいは戸田会長に相当な恨みを持っている。当時の文献もある程度、研究している。そして書面の紙の偽装をひっくるめて、作成には何日もかけたと思われる。犯人はマニア的な偏執狂である。

人の妬みというものは実に恐ろしいものである。ということは、裏を返せば牧口、戸田両会長の獄中非転向がそれだけ素晴らしいということでもある。

家族友人葬のパイオニア報恩社