報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二章 持者能忍じしゃのうにん

地涌オリジナル風ロゴ

第63号

発行日:1991年3月4日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

戸田城聖会長は獄中にあっても仏道修行に精進して
法華経を読み唱題を重ね大悟を得ることができた

 創価教育学会の牧口常三郎会長、戸田城聖理事長は、巣鴨の東京拘置所に拘置されていた。巣鴨の東京拘置所とは、戦後、巣鴨プリズンとしてA級戦犯が収容されたところである。場所は現在の東京都豊島区東池袋にあたり、いまではサンシャイン60が建っている。

牧口会長、戸田理事長は東京拘置所の主に政治犯、思想犯が拘置されていた独房にそれぞれ入れられていた。牧口会長は四舎、戸田理事長は二舎に属する独居房だった。独居房のみの舎は三つあり、一舎、三舎、五舎は、雑居房のみだった。

当時の取り調べは、今日のような尋常なものではない。非国民扱いをされ、当事者のみならず家族も大変な思いをした。また法の運用はデタラメで、いつ釈放になるともしれず、食糧難のため獄中で衰弱死、あるいは餓死するものも出るありさまであった。

その中にあって牧口会長は、取り調べに対して国家諫暁の決意で臨まれた。戸田理事長も師たる牧口先生に思いを致しながらも、取り調べに敢然と立ち向かい、日蓮大聖人の仏法を奉じて一歩も引かなかった。獄にあっては日蓮大聖人の御遺文、法華経をひもとき、唱題につぐ唱題の日々であった。

ここでは、戸田理事長の獄中での生活を知るために、戸田理事長が獄中において書いた書簡の一部を紹介する。

▼昭和十九年二月八日に夫人に宛てた手紙の一部。

「一月十日ニ非常ナ霊感ニ打タレ、ソレカラ非常ニ丈夫ニナリ肥リ、暖カクナリ、心身ノ『タンレン』ニナリマシタ。立派ナ身体ト心トヲ持ッテ帰リマス」

▼昭和十九年二月二十三日に同夫人に宛てた手紙の一部。

「御書(日蓮大聖人遺文集)ダレカラカ借リテ下サイ。珠数ノ差シ入レ願ウ。法華経ノ講義書、千種先生カ堀米先生カラカ借リテ入レテ下サイ(ナルタケ一冊カ二冊ノモノ)」

▼昭和十九年九月六日に夫人に宛てた手紙の一部。

「決シテ、諸天、仏、神ノ加護ノナイトイウコトヲ疑ッテハナリマセヌ。絶対ニ加護ガアリマス。現世ガ安穏デナイト嘆イテハナリマセヌ。真ノ平和ハ清浄ノ信仰カラ生ジマス。

必ズ大安穏ノ時ガマイリマス。信心第一、殊ニ子ドモノ為ニハ、信仰スル様。ゴ両親トモ、信心ハ捨テマセヌ様」

▼昭和十九年九月六日に子息に宛てた手紙の一部。

「オ父サントハマダマダ会エマセヌガ、二人デ約束シタイ。朝何時デモ君ノ都合ノヨイ時御本尊様ニムカッテ題目ヲ百ペン唱エル。ソノ時オ父サンモ、同時刻ニ百ペン唱エマス。ソノウチニ『二人ノ心』ガ、無線電信ノ様ニ通ウコトニナル。話モデキマス。コレヲ父子同盟トシヨウ。オ母サンモ、オ祖父サンモ、オ祖母サンモ、入レテアゲテモヨイ。オ前ノ考エダ。時間ヲ知ラセテ下サイ」

さらに、出獄直後の昭和二十年九月の妹の主人宛の書簡を読んでいただきたい。信仰信念を貫いた者のその事実の前に感動あるのみである。

「K雄さん、城聖は(城外改め)三日の夜拘置所を出所しました。思えば、三年以来、恩師牧口先生のお伴をして、法華経の難に連らなり、独房に修業すること、言語に絶する苦労を経てまいりました。おかげをもちまして、身『法華経を読む』という境涯を体験し、仏教典の深奥をさぐり遂に仏を見、法を知り、現代科学と日蓮聖者の発見せる法の奥義とが相一致し、日本を救い、東洋を救う一大秘策を体得いたしました。(中略)

私のこのたびの法華経の難は、法華経の中のつぎのことばで説明します。

在在諸仏土常与師倶生

と申しまして、師匠と弟子とは、代々必ず、法華経の供力によりまして、同じ時に同じに生まれ、ともに法華経の研究をするという、何十億万年前からの規定を実行しただけでございます。

私と牧口常三郎先生とは、この代きりの師匠弟子ではなくて、私の師匠の時には牧口先生が弟子になり、先生が師匠の時には私が弟子になりして、過去も将来も離れない仲なのです。こんなことを言いますと、兄貴は夢のようなことを言っている、法華経にこりかたまっていると一笑に付するでしょう」

この一文につづいてなにごとかを書くことなどとうていできないが、凡愚の者にも、創価学会の出現の不思議が五体に伝わってくることだけは確かだ。

昭和二十一年十一月十七日、牧口会長の第三回忌法要が東京・神田の教育会館においておこなわれた。列席者は五~六百人であったという。このとき戸田会長は師・牧口会長を偲んで、次のように話している。

「思い出しますれば、昭和十八年九月、あなたが警視庁から拘置所へ行かれるときが、最後のお別れでございました。

『先生、お丈夫で』と申しあげるのが、わたくしのせいいっぱいでございました。

あなたはご返事もなくうなずかれた、あのお姿、あのお目には、無限の慈愛と勇気を感じました。

わたくしも後をおうて巣鴨にまいりましたが、朝夕、あなたはご老体ゆえ、どうか一日も早く世間へ帰られますように、御本尊様にお祈りいたしましたが、わたくしの信心いまだいたらず、また仏慧の広大無辺にもやあらん、昭和二十年一月八日、判事より、あなたが霊鷲山へお立ちになったことを聞いたときの悲しさ。杖を失い、燈を失った心の寂しさ。夜ごと夜ごと、あなたを偲んでは、わたくしは泣きぬれたのでございます。

あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで『在在諸仏土・常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか。

創価教育学会の盛んなりしころ、わたくしはあなたの後継者たることをいとい、さきに寺坂陽三君を推し、のちに神尾武雄君を推して、あなたの学説の後継者たらしめんとし、野島辰次氏を副理事長として学会を総括せしめ、わたくしはその列外に出ようとした不肖の弟子でございます。お許しくださいませ。しかし、この不肖の子、不肖の弟子も、二か年間の牢獄生活に、御仏を拝したてまつりては、この愚鈍の身も、広宣流布のために、一生涯を捨てるの決心をいたしました。ごらんくださいませ。不才愚鈍の身ではありますが、あなたの志を継いで、学会の使命をまっとうし、霊鷲山会にてお目にかかるの日には、かならずや、おほめにあずかる決心でございます。

謹書  弟子城聖申す」

昭和二十五年十一月十二日には、牧口会長の第七回忌法要が同じく東京・神田の教育会館でおこなわれた。このときの戸田会長の話。

「先生といえば戸田、戸田といえば先生といわれた仲で、昭和十八年の嵐にあったときも、もうこれで、先生とお会いできないと思っておりましたのに、警視庁の調べ室でいっしょになることができました。そのとき先生は、家から送られた品物のなかに、カミソリがはいっておりました。先生は、それをいかにもなつかしそうに、裏返し、表返しして見ていたのです。なにかの思い出でもあるかのように、ほんとうに恋しそうにながめているのです。

そのときに、同志稲葉君を蹴った刑事で斎木とかいったと思う男が、ものすごい声をはりあげて、

『牧口、おまえは、何をもっているのか。ここをどこと思う。刃物をいじるとはなにごとだ』と、どなりつけました。

先生は無念そうに、その刃物をおかれました。身は国法に従えども、心は国法に従わず。先生は創価学会の会長である。そのときの、わたくしのくやしさ。しかし、仏の金言むなしからず。わたくしが帰ったとき、斎木のいちばんいとしいと思っていた子どもが、頭から貯水池にはいって死んだのです。ちょうど三年以内です。そのときのわたくしの恐ろしさ。今日、わたくしは初めてこのことを申します。

それから、巣鴨に移されるとき、先生と対面がゆるされました。わたくしは

『先生、おからだをたいせつに』

と申しました。わかれて車に乗るとき、先生は、

『戸田君は、戸田君は』

と申されたそうです。

『わたくしは若い、先生はご老体である。先生が一日も早く出られますように。わたくしはいつまで、長くなってもよい。先生が、早く、早く出られますように』

と唱えた題目も、わたくしの力のたりなさか、翌年、先生は獄死されました。

『牧口は死んだよ』

と知らされたときの、わたくしの無念さ。一晩中、わたくしは獄舎に泣きあかしました。

先生のお葬式はと聞けば、学会から同志が、藤森富作、住吉巨年、森重紀美子、外一、二名。しかも、巣鴨から、小林君が先生の死体を背負って帰ったとか。そのときの情けなさ、くやしさ。世が世でありとも、恩師の死を知って来ぬのか、知らないで来ないのか。

『よし!! この身で、かならず、かならず、法要をしてみせるぞ!』

と誓ったときからのわたくしは、心の底から生きがいを感じました。

先生の生命は永遠です。先生がいま、どこにいられるか。猊下の御導師により、門弟らがともどもに唱える題目、先生はこの仏事につながれております。ここは寂光土です。先生の生命は、こつぜんとしてここにあらわれております」

獄中にあって日蓮大聖人の仏法を奉じ、師匠を慕い懸命に戦った戸田会長を、同じ信仰を持つ者として偲ぶことができることは、日蓮正宗の僧俗にとって無上の誇りである。冒頭(本紙第60号)に紹介した怪文書など風の前の塵である。

それにしても、この牧口、戸田両会長の偉業に傷をつけようと、御講の席で、偽書である「通諜」を取り出して、「学会は神札を受けるよう指示を出していた」「戸田会長は転向したので出獄できた」などと得意然と話している日蓮正宗の僧がいるとは、あさましいかぎりである。

家族友人葬のパイオニア報恩社