報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二章 持者能忍じしゃのうにん

地涌オリジナル風ロゴ

第72号

発行日:1991年3月13日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

自らの諂曲と謗法を懺悔もしないで殉教の人をあげつらう
日蓮正宗の中枢はとうとう骨の髄まで腐ってしまったのか

「『神札問題』について」(以下「時局協文書」と略称する)と題する文書が、日蓮正宗の全国の教師に配られた。作成したのは「時局協議会資料収集班1班」ということである。

「資料収集班1班」の班長は富士学林図書館長の永栄義親(浄蓮坊)、所属メンバーは大石寺理事の小川只道(理境坊)、教学部主任の夏井育道(遠信坊)、富士学林主事の秋元意道(本住坊)、そして大坊の小林道剛、國井衛道、樽澤道広、田畑道権である。

この「時局協文書」は、次のように書きはじめられている。

「いわゆる『神札問題』については、二つの問題がある。

第一は、昭和十八年頃、総本山大石寺の書院が、国に借り上げられて『中部勤労訓練所』とされたとき、当時の『中部勤労訓練所』の所長たちが、書院の床の間に『神札』を祭った件である。

第二は、昭和十八年六月頃、創価教育学会初代会長牧口常三郎氏と、のちの創価学会二代会長戸田城聖氏が総本山に呼び出され、当時の御法主上人である第六十二世日恭上人並びに御隠尊第五十九世日亨上人の御前で、当時の内事部長渡辺慈海師(観心院日容尊能師)より『〈神札〉を受けておいたらどうか』と諭されたといわれることである」(筆者注 文中「内事部長渡辺慈海」とあるのは庶務部長の誤り)

「第一」の問題については、借り上げていた国が勝手に神札を祀ったのであるといった主張である。だからといって一切が免罪されるわけではない。総本山内に神札を祀られたことは、宗史に残る汚点であることを、まずは確認しておきたい。

しかしそれよりも問題にされなければならないのは、その背景にある宗門の戦争協力、国家神道容認の姿勢である。これこそが拭い難い大謗法なのである。

昭和十六年十二月八日の日恭上人の『訓諭』を、いまの時代からみて、日蓮大聖人の仏法に反しないと考えない者はいない。国家神道を基にした侵略戦争の礼賛一色である(本紙第30号詳述)。

昭和十七年の『大日蓮』一月号には、「戦争布告の大詔を拝して光輝ある元朝を迎ふ」(筆者は柿沼廣澄、のちの日蓮正宗総監)と題する巻頭言が所収されているが、内容は日蓮大聖人の御遺文を切り文調に借用し、戦争を礼賛し、宗内の僧俗を戦争に駆り立てるものであった。日蓮大聖人の教えを戦争に利用する、弟子にあるまじき行為である(本紙第37号詳述)。

昭和十七年十月十日には「院達」を「日蓮正宗住職教師会主管者」宛に出し、神嘗祭の意義を宗内に徹底し、伊勢神宮を遙拜させるように指示している(本紙第32号詳述)。

昭和十八年一月十五日、日蓮正宗報国団第七分団結成式にあたって日恭上人は、天皇の伊勢神宮参拝を称えている(本紙第34号詳述)。

昭和十八年十一月一日には、「院達」を「宗内一般」宛に出し、明治節(十一月三日)にあたって「官国幣社以下神社」に参拝するようにすすめている(本紙第33号詳述)。

神札の祀られた大書院は「中部勤労訓練所」に供され、後には朝鮮義勇軍の農耕隊の隊舎として使われたが、当時の記録を読めば、宗門は当初これを歓迎していたことがわかる。その帰結として神札を祀られることになったのである。

以上の事実は、戦中にあって宗門のなしてきた過去の過ちの氷山の一角である。日蓮正宗は、あまたの戦争協力、神道容認をおこなってきたのだ。これはとりかえしのつかないことである。いまできる最上の方法は、過ちを認め懺悔することである。

さて「時局協文書」の示す「第二」の問題にふれる。すなわち二上人立ち会いのもと、渡辺慈海庶務部長(当時)が、創価教育学会牧口常三郎会長以下の幹部に対し、神札を会員が受け取るように命じてはどうかと申し渡したことについてだ。

このことに関して、「時局協文書」は、

「この『神札問題』において、牧口会長及び戸田会長の二人の信心行体が、日蓮正宗信徒として、まことに立派であったことは、間違いのないことである。この大難時に当たって、『不自惜身命』の信心姿勢を実践されたということは、褒めても褒めきれるものではなかろう。

ただし、宗門に対しての感覚はいかがであろう」

この最後の一行に、日蓮正宗の「時局協議会資料収集班1班」の小ずるさが象徴されている。

「褒めても褒めきれるものではなかろう」とまで記述しながら、「いかがであろう」と結ぶ。

そもそも大法難にあって戦わざる者が、戦った者をあれこれと評価する立場にないことは自明の理である。糞尿をたれ流している者が、他の人を汚いとあげつらっているのに等しい。戦中の問題を語るにあたっては、まず宗門は懺悔することが前提である。自己の反省もしないで、他をあげつらうのは卑しい人間のすることである。

その卑しい者たちが、「褒めても褒めきれるものではなかろう」とは、牧口、戸田両会長も応ずる言葉があるまい。

家族友人葬のパイオニア報恩社