三章 法脈濁乱
第87号~第119号
(1991年3月28日~同年4月29日)
- 第85号 1991年3月26日
日蓮正宗自由通信同盟
死罪(破門)にできなければ流罪(学会登山廃止)にする
ほんに日蓮正宗の中枢のやることは平左衛門尉にそっくり - 第86号 1991年3月27日
日蓮正宗自由通信同盟
僧の妻帯という日本独特の奇習が腐敗を助長した
日蓮正宗中枢は法華経に示された末法の悪僧そのもの - 第87号 1991年3月28日
日蓮正宗自由通信同盟
宗祖の御金言を切り文にして信徒を隷属させようとは
日蓮正宗の中枢は大聖人の予言された悪比丘である - 第88号 1991年3月29日
日蓮正宗自由通信同盟
広宣流布を担う創価学会を解体しようとする宗門中枢
これこそ予言された三類の強敵である僣聖増上慢の実体だ - 第89号 1991年3月30日
日蓮正宗自由通信同盟
民衆救済のための大御本尊を破和合僧の道具に使うとは
宗門中枢は僣聖増上慢の本質をさらけ出したと見える - 第90号 1991年3月31日
日蓮正宗自由通信同盟
展望のない争いに見える宗門をただす今回の戦いも
仏語に照らせば「筋書きのあるドラマ」だとわかる - 第91号 1991年4月1日
日蓮正宗自由通信同盟
「ほとんど嘘を言ったことがありません」との説法だが
日顕上人の最近の言動にはあまりに嘘が多すぎる - 第92号 1991年4月2日
日蓮正宗自由通信同盟
心に創価学会をつぶす奸計を抱き口では慈悲を説く
これほどの悪徳はいかに猊下といえども許せない - 第93号 1991年4月3日
日蓮正宗自由通信同盟
一宗の法主たるものが御本尊様の御前で宗門大衆に対し
ここまでとことん徹底的に口から出まかせの嘘をつくとは - 第98号 1991年4月8日
日蓮正宗自由通信同盟
名誉教授二人に文法の間違いを糾されても自説を直さない
恥を恥とも思わない日顕上人を日本国中が笑っている - 第99号 1991年4月9日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕上人はなんと由緒ある虫払法要の御書講において
卑しい心のままに珍奇な論を述べて宗門大衆に侮蔑された - 第100号 1991年4月10日
日蓮正宗自由通信同盟
正本堂に関する日達上人の御指南を「機情の見」と歪曲する
この日顕上人の強弁こそ御本仏の真文を踏みにじるもの - 第101号 1991年4月11日
日蓮正宗自由通信同盟
先師の訓諭、説法、御本尊の裏書き、ことごとくを否定し
己の僻見にあくまでこだわる日顕上人の比類なき妄執 - 第103号 1991年4月13日
日蓮正宗自由通信同盟
『新雑誌X』に謗法雑誌『福田』の戸井田巌の生原稿が登場
筆跡を見れば戸井田巌が高橋公純であることは動かぬ事実 - 第105号 1991年4月15日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕上人ら正本堂の裏手で花見と称し酒を飲んでの大騒ぎ
今この時期にここまではしゃげるとはいかなる者の眷属か - 第113号 1991年4月23日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕上人は少欲知足の教えに反して贅沢三昧のためか
痛風と糖尿を併発して御開扉、丑寅勤行にも出られない - 第115号 1991年4月25日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕上人の感情の起伏の激しさには何か不安を感じる
支院長会で怒りにまかせて総監を叱り大声で何事かわめく - 第118号 1991年4月28日
日蓮正宗自由通信同盟
宗門はこのありさまで登山会をつつがなく運営できるのか
二カ月後には添書登山が始まるのにまだ何も決めていない - 第119号 1991年4月29日
日蓮正宗自由通信同盟
真実を報ずる『地涌』を告訴しろと主張する住職がいる
法廷で一番困るのは嘘をついている日顕上人その人である - 第122号 1991年5月2日
日蓮正宗自由通信同盟
総本山第九世である日有上人の時(室町時代)に
留守居役の三人の高僧が大石寺を売り払ってしまった - 第123号 1991年5月3日
日蓮正宗自由通信同盟
「有師物語聴聞抄佳跡 上」という日蓮正宗の古文書に
日有上人が大石寺を銭二十貫で買い戻したと書かれている - 第124号 1991年5月4日
日蓮正宗自由通信同盟
大石寺の経営のためスカウトされた京都・要法寺の高僧が
二年後に日蓮正宗の御法主上人となった史実をどう見る - 第125号 1991年5月5日
日蓮正宗自由通信同盟
邪義を立てていた要法寺の出身の僧が次々と猊座についた
九代百年続いたこの史実を法主絶対論者はどう見るか - 第126号 1991年5月6日
日蓮正宗自由通信同盟
日蓮正宗の血脈の史実を離れた幻想による安易な絶対化は
日蓮大聖人の仏法に対し世人の誤解を生じさせはしないか - 第127号 1991年5月7日
日蓮正宗自由通信同盟
日精上人のような過ちを犯している法主に盲従することは
自ら日蓮大聖人の弟子であることを放棄することである