報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十五章 秘事ひじ 露見ろけん

地涌オリジナル風ロゴ

第501号

発行日:1992年9月13日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

日顕の話を煮つめると「血脈相承」は次期貫首の指名となる
この後継者指名に神秘性を強調することは法義に違背する

前号につづき、全国教師講習会(八月二十八日、大石寺)で日顕が話した「血脈相承」について吟味する。

(2)日顕は「相承の取り次ぎ」を認めた。

この「相承の取り次ぎ」は、第八世日影上人から第九世日有上人に「血脈」の相承がなされたときにおこなわれた。これを日顕は公式に認めたのである。

「血脈」を容れる器は人間である。そうすると、「相承の取り次ぎ」がなされたことは、「血脈」は格別な人間でなくとも受けることができることになる。なにか格別に次元の高い生命の感応があって「血脈相承」がなされるのではない。なにしろ“法主”になる資格のない者でも「血脈」は受け容れることができるのだから。

このことは「血脈」を受け容れる人間が、時代、時代に唯一人生まれることが約束された、仏に選ばれた特別な人間でもないことを示している。

もし、仏の特別な計らいで生まれてくることが約束された人間であれば、「相承の取り次ぎ」などといった異常な「血脈相承」がなされることもないだろう。

また、「相承の取り次ぎ」があったという事実は、「血脈」が、一器から一器へ寸分たがわず移されたものでもないことを示す。

結局、“法主”になる資格もない、すなわち特別な境界にない者が預かることのできる「血脈」は、決して神秘的なものではないと結論できる。

なお、ここで“法主”でない者を、「特別な境界にない者」と表現したのは、日顕宗の諸君の思考に立っての表現であると断っておく。筆者は、大石寺貫首(法主)が必ずしも「特別な境界」にあると考えていない。

日亨上人が登座後、「但し法階が進んで通稱が變更したから從つて人物も人格も向上したかどうか私には一向分明りません」(大正十五年四月号『大日蓮』「聖訓一百題」より)と率直な感想を述べられていることからも、それは断言できる。

さて、同じような「血脈相承預かり」は、第十五世日昌上人から第十六世日就上人への付嘱のときにもおこなわれている。理境坊日義が一時預かりをしたのである。

第五十七世日正上人から第五十八世日柱上人への相承は、より特殊であった。このとき、「血脈相承」を預かり伝えたのは、在家信徒であった(第316号に詳述)。

それでは、どうして過去に「血脈相承の一時預かり」がおこなわれたのだろうか。日顕の説明を聞いてみよう。

「これは当時として、これはしょうがないんですよ。なんたってかんたって、えー、どこへ行くにもテクテクテクテクと道中膝栗毛で行かなきゃならないからね。こういう時代の中では、なかなかおいそれとは間に合わない場合もある。ねっ。

そういう時において、前にも、あの者には話はしてあるけれども、相承は、金紙だね、金口から出た金紙の意義の相承を、お前に一応、預けるからと、これをあの人に渡してくれよって、いうことはこれは当たり前でしょう。そういうことは。それだからって相承が切れてるってことはない。前に、その前に、すでにいろいろと要点はお話してあるんですから。必ずそういうことをなさる場合は。

そういうふうに拝するならば、前もっていろいろな法門の、あのー、承らなきゃならない法義だけは承り、あと、最後のとどめとしての金口、金紙の、そのー、金口は、すでにもう先立って分々に、あるいはまたは全体に受けており、そして後から、さらに金紙の意義のことがなにされておるということから拝するならば、あー、一時、預かったからって、どうってことではちっともない。ええ。どういうことなんてことは、これどういうことも、こういうこともない。血脈を次の方に伝えんがために、あのー、前の方の御意志を受けて理境坊日義が次の方にわたしたってだけの話じゃないか。

これは当然、ずーっと、御仏智の上からの貫いておる意味と、最初に言ったね。その前の方から次の方へ、お前に譲るぞという意志であり、また、お受けするという意志であります。これがまた大事なんだ。その授受の意味において、まさしく相承の意味がある」

この日顕の発言は注目される。まず、注目すべき箇所は次のとおり。

「前にも、あの者には話はしてあるけれども」

「前に、その前に、すでにいろいろと要点はお話ししてあるんですから」

「承らなきゃならない法義だけは承り、あと、最後のとどめとしての金口、金紙の、そのー、金口は、すでにもう先立って分々に、あるいはまた全体に受けており、そして後からさらに金紙の意義のことがなにされておるということから拝するならば」

この日顕の発言によれば、「血脈相承」(猊座の禅譲)がなされるにあたり、口で伝えられるべきものがあるということになる。その口で伝えられるべきものの中身は、とりもなおさず「法義」そのものであるということも明かしている。

この日顕の発言によって、「血脈相承」が日蓮大聖人の霊的な魂が代々法主に伝えられるといったような神秘的なものではないと結論づけることができる。“相伝書”(御義口伝、百六箇抄、産湯相承、御本尊七箇の大事など、『富士宗学要集』第一巻)にそった法義の伝承がおこなわれるとみるべきだ。

ただし、兒貫首の存在は、法義が和合僧団に継承され、年月をかけて兒貫首に教え伝えられたことを示している。

日顕は、相承の意味についても、ここで述べている。繰り返すと、

「これは当然、ずーっと、御仏智の上からの貫いておる意味と、最初に言ったね。その前の方から次の方へ、お前に譲るぞという意志であり、また、お受けするという意志であります。これがまた大事なんだ。その授受の意味において、まさしく相承の意味がある」

と、言っている箇所。

この日顕の弁によれば、「血脈相承」の大事な部分は、先師より指名されたということに尽きるという。かつ日顕は、そこに御仏智が貫いていると強調している。

しかし、大石寺貫首を譲るということに、「御仏智の上からの貫いておる意味」など、とうてい認めることのできないケースがあることも、ここで確認しておきたい。

たとえば、第五十八世日柱上人から第五十九世日亨上人への相承の場合である。阿部法運(後の第六十世日開)が裏で糸を引き、日柱上人の意志に反し退座に追いこみ、後継の“法主”も日柱上人の意志に関係なく選挙で決められたものだが、日柱上人はこの選挙自体にも反対であった(第240号~245号に詳細)。

これらの史実からすれば、日顕の言う、「その前の方から次の方へ、お前に譲るぞという意志であり、また、お受けするという意志であります。これがまた大事なんだ」という言葉は、現実にそぐわない空理空論であるということになる。

日顕の「御仏智の上からの貫いておる意味」などという大仰な表現が、現実に則していないことは、歴代の“法主”の実状を振り返ってみてもすぐにわかる。それというのも、歴代の“法主”に法義に違背している者が多く見受けられるからだ。

たとえば、第十七世日精上人の造仏・一部読誦、第五十七世日正上人の謗法同座、第六十世日開の身延与同、第六十二世日恭上人の謗法甘受……などなど、“法主”の法義違背は数かぎりない。

これらの謗法を犯すことになる“法主”の指名に、「御仏智の上からの貫いておる意味」があったとすることは、謗法に対して峻厳であった日蓮大聖人を冒涜することになる。

まして、禅寺の墓地で先祖供養をしたり、シアトルで買春したり、「C作戦」を策謀したり、「かまし」発言をした日顕が“法主”となることが、御仏智に貫かれているなどといったことは、仏をバカにするものだ。

日顕は、「血脈相承」が、「御仏智」と「後継指名」(「お前に譲るぞ」)の二つの意義を含むものであると、先に引用した発言で強調している。しかし、「御仏智」は、いかに「血脈相承」を受けたという当人の発言といえども、史実に反した主張なので、これを認めるわけにはいかない。

そこで、日顕の発言を突きつめていけば、「血脈相承」には、残された一つの意義のみを認めることができる。すなわち、「後継指名」である。何度も強調するように、「血脈相承」の意味は次期法主の指名にあると見るべきだ。

日蓮正宗の歴史からすれば、その「後継指名」は前“法主”によってなされても、選挙によってなされてもよい。もし、選挙によってなされた「血脈相承」は法義に違背するということであれば、日蓮正宗の「血脈」は第五十八世日柱上人をもって断絶したことになる。

次期“法主”決定を含めた“法主”のあり方は、時代時代に和合僧団の内規で決められるべきことである。

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