十六章 宝珠亡失
第543号~第571号
(1992年11月7日~同年12月16日)
- 第543号 1992年11月7日
日蓮正宗自由通信同盟
江戸時代の常泉寺は幕府の庇護で栄耀栄華を極めていた
本寺が本寺なら末寺も末寺、本末ともに謗施で潤ったのだ - 第544号 1992年11月8日
日蓮正宗自由通信同盟
謗法まみれになり七百年を生き長らえた日蓮正宗の姿は
衣裏に宝珠をつけて彷徨した哀れな男の姿を想起させる - 第566号 1992年12月5日
日蓮正宗自由通信同盟
日蓮正宗が他派と訣別し独立したのは明治三十三年だった
大石寺に清流はなく謗法と交わり自らも邪宗と化していた - 第567号 1992年12月6日
日蓮正宗自由通信同盟
日蓮正宗が真に“正宗”であったのは学会との六十年間だけだ
邪宗となった“正宗”は“小宗”となり遂に“消宗”となる - 第570号 1992年12月13日
日蓮正宗自由通信同盟
邪宗日顕宗では創価学会を呪う祈祷がおこなわれている
呪詛をする祈祷師の代表格は敬台寺住職の日比野慈成だ - 第571号 1992年12月16日
日蓮正宗自由通信同盟
江戸時代の邪宗は庶民相手に高利貸しをし繁栄の礎とした
大石寺も同様で焦げついた金の回収を代官所に泣きついた