第817号
発行日:1995年1月12日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
山﨑は密書の中で末寺住職の再教育が必要であると指摘し
福島源次郎と龍年光を批判する文言を日顕宛に連ねている
〈山﨑正友密書編(4)〉
日本のマスコミを掌にしているかのごとく日顕宛の密書につづった山﨑は、「学会員対策」に話題を転じ、以下のように文を続けている。
「(二)、学会員対策について、
今日、邪宗日蓮宗と、正宗との勢力差は厂然としています。(学会を抜きにして論じます)その出発点は、身延離山であります。その後も正宗から、いく度も異流義が出ましたが、時の御法主がつぶして来ています。今回の事件が、身延離山型となるのか、それとも異流義鎮圧型となるのか。その意味するところの重要性は、御法主上人猊下にはよくおわかりのことと思います。正信会は、何とかつぶされないで勢力を維持することを目的にしました。それでよかったのです。しかし、御宗門は、学会に対してそうであってはならないはずです。あくまで学会を降さなくては厂史上、大きく立場を失います。守りでなく攻めでなくてはならぬはずです」
山﨑正友が今回の宗門と創価学会との対立について、どちらに正義があるかを問わず、勝敗の行方のみによって、「身延離山型となるのか、それとも異流義鎮圧型となるのか」と表現していることは注目される。
ここに山﨑の限界がある。勝利は民衆の支持を得るかどうかによって大きく決し、民衆の支持はまた、正義の有無によって左右される。
したがって、今回の日顕のやり方に正義があるかないかをまず検証し、その後、戦略、戦術が問われなければならないのに、結果としての勝敗のみに拘泥している発想に山﨑の無思想性が顕著に表れている。
日興上人が身延を離山されたとき、正義は日興上人にまぎれもなくあったが、日蓮大聖人ゆかりの地を出るという外形においては、もったいないことではあるが、当時においてはそれを敗北とみる者が多かったのではあるまいか。五老僧に連なる者たちは日興上人の離山を知り、さぞかしほくそ笑んだに違いない。
しかしながら、日興上人には日蓮大聖人の正法正義があった。日蓮大聖人の大慈大悲によって、七百年後、仏意仏勅の団体である創価学会が出現し、日蓮大聖人および日興上人の正法正義を世に流布し得たのである。
山﨑が正義の有無を問わず、かつての大石寺にならって権威を笠に着て、官憲に力を借りての「異流義鎮圧型」を日顕に勧めていることは、実に注目されるところである。山﨑は、日興上人の身延離山と同様な意義をもって、創価学会の石山(大石寺)離山が位置づけられることを、日顕が恐れていると見抜き、このような論をなしていると思われる。
「学会は、本来、守りの立場です。しかし、その戦法は、弾丸を打ちながら、攻めるふりをしながら守りを固める戦術をとりました。宗門は、いささかそれに引っかかった点が見られます。学会が、なりふりかまわぬ行為をするのは、そうしなくては逃げきれないと思っているからです。宗門は効果的で、しつような攻撃をつづけなくては、なりません。そのための戦線構築が必要です」
山﨑の発想は、いつものことながら稚戯にも似た戦ゴッコである。創価学会は宗門に権威をもって破門されながらも、組織的危機を見事に脱した。
創価学会に集う仏子らは、理不尽な日顕宗にあらがう過程にあって、教義的深化をなし得てきた。仏教史上、創価学会の出現がどういう意味をなすのか、あるいはまた、創価学会の初代、二代、三代と続く歴代の会長が、いかに不思議な師弟の絆をもって広宣流布の地平を切り拓いてきたかを、現実感をもって知ることができた。
日顕宗に謀略をもって抑圧されたことにより、“創価学会の発迹顕本”をなし得たのである。日顕という僣聖増上慢と戦わなければ、創価学会に脈打つ大確信はここまで際立ったものとして創価学会員一人ひとりに自覚されることはなかったであろう。仏教史的にみても、その大いなる意義を含む平成の宗教改革を、山﨑は、「その戦法は、弾丸を打ちながら、攻めるふりをしながら守りを固める戦術をとりました」といった幼稚なたとえ話をもってしか分析できないのである。
宗教にかかわりながら、このような次元からしか物ごとを見ることができないからこそ、山﨑は創価学会の顧問弁護士でありながら創価学会を裏切り、富士桜自然墓地公園の建設用地買収にあたり、四億五千万円も裏金を得るという非道を平然とおこなうことができたのである。
このような即物的な思考しかできない低劣な者が、日顕に「戦線構築」を呼びかけていることは笑止に値する。正義がなければ、どのような戦いにおいても最終的勝利を得ることはない。まして、その対立が宗教団体間のものであれば、なおさらである。
山﨑が戦の話に模して今回の日顕宗と創価学会の対立を述べているようだから、ひとこと付言しておこう。旗印が色あせては戦に勝つことはない。芸者や買春によって色あせた旗印は、早々に降ろすがよかろう。
「大体、学会員は、御法主上人猊下の書写なされたお型(ママ)木御本尊、又は常住御本尊を拝んでいるのでしょう。それが、御法主上人を非難中傷するとは、矛盾もはなはだしいではありませんか。それでは人法一箇ではないのではないか、とある学会員に話したら、黙りこんでしまいました。(正しい教義論争とはいえませんが)こうした、日常の信仰の上に生ずる、“破門”による矛盾を、適切に、かつこまめにとり上げることも必要でしょう。過去の言動との自語相違をクローズアップすることも必要でしょう」
この山﨑の言うような子供だましの「人法一箇」論で口を閉ざしてしまうような創価学会員がいるだろうか。
人本尊とは日蓮大聖人、法本尊とは南無妙法蓮華経、それ以外の「人法一箇」はない。山﨑の論によれば人本尊は日顕、法本尊は南無妙法蓮華経もしくは御本尊ということになるのだろうか。
もっとも、この迷妄の極みともいえる珍論は、日顕が大御本尊と不二の尊体という日顕宗の狂義にはピッタリ合うのだろう。
創価学会員は、御本尊を一人の手作業によって書写するという形態が、世界広宣流布の今日においては時代遅れであるとすら、いまでは考えている。
唱題に励み、折伏をし、何十年と信仰を貫いている創価学会員に対し、宗門は「仮本尊」としての位置づけしかなされていない「御形木御本尊」を授与し、その一方において、折伏も唱題もしない謗法まみれの法華講員には、金次第で「常住御本尊」を授けてきた。
御本尊にランクをつけ差別化し、檀徒固めの道具に使ってきた出家らの卑しさを、すでに仏子らは熟知している。そのようなときに、御本尊の書写係を御本尊と等しい尊体とみる日顕宗の邪義をもって仏子らを動揺させようとすること自体が、所詮、ムダな試みである。
それにしても、この程度の低次な知恵づけを在家にしてもらっている“法主”の低劣さに、呆れ果てざるを得ない。
「なお、末寺僧侶の再教育も必要かと思われます。(ママ)生講と各末寺の法華講との関係はうまく行っているのでしょうか。政治的な行動は、余り効果もなく、又、余り深入りすることもさけた方が賢明と思います。
私は、竜さん達とも、直接の交流はしないつもりです。私は、私の行き方をする方が価値的と考えますので」
山﨑に「再教育」が必要と日顕に“言上”されている末寺住職たちは、この文を読んでどのように感じるのだろうか。
ここでは山﨑が、蘇生講を率いる福島源次郎と日顕とがうまくいっていないことを見越し、かつ日顕が龍年光にも手を焼いているのを見抜き、文を連ねているのが注目される。
日顕に宛てた山﨑の書簡