報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十七章 禿人とくにん遁走とんそう

地涌オリジナル風ロゴ

第643号

発行日:1993年4月24日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

法華講員の半数近くが供養目当ての来寺を嫌っているのに
売僧根性の日顕は真光寺“親教”を強行し供養を集める

本日(四月二十四日)、千葉県千葉市の真光寺(住職・菅野正見)において日顕の“親教”がおこなわれる。

だがこの真光寺において、いよいよ“親教”をありがた迷惑とする動きが表面化した。真光寺法華講員の半数近くが、日顕が“親教”のために来寺することに不快の念を持っているのだ。

これまで全国十カ寺において、日顕の“親教”がおこなわれたが、受け入れの地元側は大変な負担を強いられた。事前準備、当日の整理・警備など、挙げればきりがない。

今回も役員は、当日午前九時には真光寺に集められ、全体の打ち合わせをし、夜七時に予定される日顕の同寺退出まで、ほとんど立ちっぱなしということになる。そこまで労力と神経を注いでも、妙観講が日顕の親衛隊よろしくわがもの顔で闊歩し、地元役員は無視されるだけなのである。

不愉快な思いをするのは、役員だけではない。“親教”参加者もそうである。日顕の“親教”中、参加者がトイレにでも立って日顕がご機嫌を損ねるようなことがあってはならないと、前日より水を飲むのを控えろとか、いろいろと細かい諸注意を与えられる。また参加者は、統一された名札をつけさせられる。

しかも当日は、午前十一時から午後〇時半の間に入場し、午後四時二十分までカンヅメになる。境内地から一歩も出られないし、食事もできない。参加者および家族が寺に問い合わせの電話をすることもあらかじめ禁止が徹底されている。そのうえに、御供養を出すことを要求される。

では日顕はというと、過剰警備に守られ、役員にねぎらいの言葉もかけず、高級車で乗りつけ、多くの警備の者に自分の体をグルリと囲ませ、姿も見せぬまま寺に入り、動様に過剰警備にまぎれて寺を去る。ときには囮の車を走らせたりもする。

おまけに日顕の説法はというと、いつもながらの開目抄講義をえんえん二時間以上にわたって棒読みするだけで、面白くもなんともない。午後十二時半に入場完了して午後一時から法要が開始され、午後四時二十分までほぼ四時間、しわぶき一つも遠慮される雰囲気の中で、畳にすわらされっぱなしなのである。

このため、“親教”参加者はいつも、長時間にわたる“苦役”で、ただグッタリとして家路につくのである。金をとられて苦痛を強いられ、“法主”の自己満足に奉仕させられるのである。信徒の苦痛に思いをいたすこともなく、“法主”は信徒から集めた大金を懐に、高級車で去っていく。

これまで日顕がおこなった“親教”の実情がわかるにつれ、“親教”をおこなう末寺に拒否反応が出るのも無理からぬところ。本日、“親教”がおこなわれる真光寺では、法華講が日顕の来寺に不快の念をあらかじめ表明している。

真光寺法華講の鳥海謙次氏および有志一同は、四月二十日付をもって、真光寺周辺の末寺の講頭、副講頭宛に文書(全文別掲)を出していた。

文中“親教”について、「内心、忸怩たるものを感ぜざるを得ない」と、率直な気持ちを述べ、「私達と致しましては、今回の御法主上人の御下向、御親教の目的は、結局は、私達から御供養を集めることにあるのではないのだろうかとの疑念を、どうしても晴らすことができないのでございます」と、高級車で寺に乗りつけ、大金を持って立ち去るだけの日顕に不信の念をぶつけている。

また、日顕が見栄で建てる広布坊についても、「特にこの建設計画につきましては、私達からの御供養を当てにしていると思わざるを得ないのです」と述べている。

真光寺では、二百余世帯の法華講員のうち、約百世帯が「広布坊建設反対の署名」をおこなっている。

その署名趣意書には、「この問題(筆者註 広布坊建設計画)について我々信徒に対する明快なご指南が無い限り、四月二十四日の御親修に対しましても快くお迎えするわけには参りません」と明記されている。

この署名趣意書と署名簿は、すでに日顕宛に郵送され、総監の藤本日潤が住職をする常泉寺には、法華講の代表が同様の写しを届けたということである。

日顕が独断で物事をおこなうことに対し、法華講内部には不満が恒常的に鬱積している。千葉・真光寺は、たまたまその不満が表面化したのである。

日顕らは、この真光寺の“親教”を、強圧的な過剰警備で乗り切ろうとしているようだが、宗門側の姿勢次第では、真光寺法華講の大量脱講に結びつくことも考えられる。さらには“親教”反対、広布坊建設反対の動きが、全国に広がることも予想される。
〈参考資料〉

真光寺法華講の鳥海謙次、有志一同が真光寺周辺の末寺の講頭、副講頭宛に出した文書

謹啓

四月も半ばを過ぎ、桜花の匂う水温む候となりました。

講頭・副講頭の皆様におかれましては、ますますご清栄のことと存じます。

さて、このたび、四月二十四日に眞光寺におきまして御法主日顕上人猊下の御親教が執り行われますが、私達、眞光寺法華講員有志と致しましては、この御親教に対し、内心、忸怩たるものを感ぜざるを得ないのであります。

今回の御親教について、様々な声ならぬ声があがっております。その最大のものは、「御供養をいくら包まなければならないのか」「いつも何かの理由をつけては御供養を出さなければならないようにしてくる」「一体何のための御親教なのか、御供養を集めにくるのだろうか」という声であります。

それも、私達、眞光寺法華講員からのみではなく、県下の様々な所から聞こえてくるのでございます。

この様な声は、既に講頭・副講頭の皆様のお耳にも届いていることと存じます。

実際、こうしたことは、これまではなかなか口に出すことも憚れることでありました。しかし、私達と致しましては、今回の御法主上人の御下向、御親教の目的は、結局は、私達から御供養を集めることにあるのではないのだろうかとの疑念を、どうしても晴らすことができないのでございます。

今は、千畳敷規模の「広布坊」の建設についての話があがっておりますが、特にこの建設計画につきましては、私達からの御供養を当てにしていると思わざるを得ないのです。

講頭・副講頭の皆様におかれましては、お立ち場上、これまでは内心の思いを口に出すことを憚ってこられてきたこととご推察申し上げます。しかし、このたびの機会を逸しては、御法主日顕上人猊下に何一つ事実を申し上げることもできないと感じ、今回、勇気を奮い、私達、檀家の真実の声をあげることに決めた次第でございます。

そして、このたび、一信徒と致しましては、御法主日顕上人猊下に対し誠に僣越至極とは思いましたが、別紙のような署名をもって御法主上人に私達の思いを送らせていただきました。

講頭・副講頭の皆様には、こうした私達の苦衷の思いを、是非とも分かち合っていただき、今回の御親教を良き機会ととらえ、皆様のお力で、是非、「広布坊」建設反対の声を各寺院であげていただきたく、拙文を認めた次第でございます。

実際のところ、講頭・副講頭の皆様も、私達檀家の現実の声を深くご存じのことと思います。

是非とも、貴寺院の法華講の皆様にも、「広布坊」建設反対に、勇気を持って立ち上がられることを呼び掛けていただけるよう切に希望するものであります。

頓首

四月二十日

講頭・副講頭殿

眞光寺法華講 鳥海謙次

有志一同

家族友人葬のパイオニア報恩社