報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

九章 破門はもん空言くうげん

地涌オリジナル風ロゴ

第334号

発行日:1991年11月30日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

御聖訓に依らず信徒団体に対し「破門」を通告するとは
やはり日顕一派は日蓮大聖人に敵対する魔物の集まりだ

日顕一派は「創価学会破門通告書」と題する一文を平成三年十一月二十八日付(創価学会への送付は十一月二十九日)で、「創価学会名誉会長 SGI会長 池田大作殿、創価学会会長 SGI理事長 秋谷栄之助殿、創価学会代表役員 創価学会理事長 森田一哉殿」を宛名とし、創価学会本部に送りつけてきた。通告人名は、「日蓮正宗管長 阿部日顕 日蓮正宗総監 藤本日潤」となっている。

同「通告書」は、本文の最後に結論として次のように記している。

「以上、創価学会は、法主並びに宗門の、たび重なる慈悲の教導に背反し、本宗の法義・信仰を著しく改変して、仏法破壊の大謗法団体と化したのであります。ここにおいて、本宗は、創価学会の過去における外護の功績が、いかに甚大であろうとも、謗法厳誡による宗門七百年の伝統法義護持と真の大法広布を目指す上から、もはや日蓮正宗の信徒団体として認めることができません。

よって、日蓮正宗は、宗教法人創価学会を破門に付し、以後、日蓮正宗とは無関係の団体であることを通告いたします。さらに、このような創価学会の指導を受け入れ、同調している全てのSGI組織、並びにこれに準ずる組織に対しても、これを破門に付し、以後、日蓮正宗とは無関係の団体であることを通告いたします」

「破門通告書」となっているが、実体的には創価学会に対する「絶縁宣言」ということになる。なぜなら、創価学会に対する「破門」などというものは「宗制宗規」に基づく処分ではないからである。いうなれば、単に「絶縁」を叫んでいるだけのことである。ここに、日顕一派のこざかしい逃げの姿勢が見える。

それでは、「宗制宗規」に基づく処分ではないということは、どういうことかといえば、法的にはなんの意味もなさないということである。法的に意味をなさないということはどういうことか、実に不可解なことではないか、と日蓮正宗僧俗すべてが考えることだろう。そのとおり、実に不可解なことなのである。これは、親の注意にふてくされた子供にたとえればわかりやすいだろう。

今回、日顕一派のしたことは、行儀の悪さを叱られた子供が親に対し、「お父さんもお母さんも、僕の親なんかじゃない」と、だだをこねているにすぎない。ふてくされて、自分の部屋にカギをかけて閉じこもってしまった。少し食料を持ち込んでいるので強気だが、いずれ腹が減れば出てくるだろう。

だが、問題なのは、子供のふてくされ方が隣近所に聞こえるような大声であるということだ。それを聞いて、一家の幸福を妬んでいた隣近所の何人かが、これを大袈裟にとりあげて騒いでいる。さてさて不良息子には困ったものだ。養ってもらって大きくなったことに対する感謝の気持ちなどまったくない。

さて、譬喩はこれくらいにして、では、なぜ日顕は法的に意味のない「絶縁宣言」を出したのかを考えてみよう。その背景には、日顕一派のいくつかの思惑がある。主なものを紹介すると次のようになる。

(1)創価学会側から処分が不当であるとして裁判に訴えられたくないという、日顕らの切実な思いが背景にある。法的に意味をなさない「宣言」を出すことは、法的に無意味であるから、「処分」の不当性を創価学会側が裁判所に訴えることはできない。

子供が親に対して「お父さんもお母さんも、僕の親なんかじゃない」と、いくら大声で叫んでも、それが裁判になじまないのと同じである。

日顕一派は、法的に意味のある「処分」をして裁判に引き出されることは、どうしても避けたいのだ。この謀略家たちは、裁判に引き出され、自分たちの陰謀が人々の前で明らかにされるのをなによりも恐れているのである。

(2)「創価学会破門」という刺激的な言葉を使うことによって、創価学会員の動揺を誘い、これを契機に檀徒づくりを促進しようとしている。

(3)一方、この「創価学会破門」という刺激的な言葉は、宗内の反創価学会強硬派の突き上げをかわすためのものである。

以上の三つの思惑の延長線上に今回の「創価学会破門通告書(実体的には絶縁宣言)」がある。日顕がこれまでおこなってきた創価学会に対する策動は、ことごとく我が身をかばっての謀略である。

「C作戦」に基づいて最初におこなった昨年十二月二十七日の池田総講頭の実質的な罷免は、宗制宗規の変更にこと寄せてのものだった。正面だって罷免処分にし、もし、その不当性を裁判所に訴え出られたら敗訴すると考え、日顕一派は表だっては宗制宗規の変更ということにして、池田名誉会長を総講頭職より実質的に罷免にしたのだ。

それは、日顕が法廷に引き出されるのを阻むための策である。と同時に、創価学会側が反発すれば、単に宗制宗規の変更にともなって地位を外されただけであるのに、それを逆恨みして、法主にさからったなどと、創価学会攻撃の一つの足場を確保しようとも考えていたのだ。

池田総講頭を実質的に罷免にしたその裏には「C作戦」がある。それ以降の動きも、すべて「C作戦」に基づくものである。ただ、日顕が創価学会側より法的制裁をされないように時間をかけ、そのうえで作戦の実行方法を変容させてきただけである。目的は「C作戦」の作戦書に明記してあるとおり、創価学会の「徹底壊滅」と「(信徒)組織の再編成」にある。

日顕が策謀した添書登山にしても、同様の謀略性がある。添書登山は、従来の学会の団体登山の廃止であり、創価学会員に対する実質的な登山停止処分である。

これまで約四十年間にわたり、創価学会の組織でまとまって登山してきたものを、突然、一片の通告書によって三カ月後の中止を通知し、添書登山に切り替えた。

各末寺で添書をもらえば登山させるということになっているが、これは、おそれ多くも戒壇の大御本尊様を道具に使い、創価学会組織を分断し破壊しようという謀略であった。

日顕は、戒壇の大御本尊様の御開扉を受けたいという純真な創価学会員の信仰心から発する願いを利用して、創価学会中枢と創価学会員とを離間しようとしたのだ。その本質的な目的は、これまた檀徒づくりである。

だが日顕は、この添書登山の謀略をおこなうにあたっても、自分が法的に訴えられることのないように逃げ道だけは作っていた。それは、添書登山は登山方式の変更で処分ではないという逃げ口上である。添書登山の策も、檀徒づくりを目的としながら、日顕が法的な反撃を食わないように配慮し練られたものである。

この十一月に宗門から出された「創価学会解散勧告書」(十一月七日付)も「創価学会破門通告書」(十一月二十八日付)も、いずれも創価学会の破壊を企図し、檀徒づくりを本質的に目指したものでありながら、日顕の逃げ道だけはチャッカリと確保しているのだ。

すなわち、これらの「解散勧告書」「破門通告書」は、単に宣言的意味合いのみを持つプロパガンダ(意図的な宣伝活動)で、法的にはなんの実効性もない。つまり、創価学会側からの法的な反撃はなされないと読んでのことである。

これまた、日顕一派の実に姑息な常套手段どおりに実行されているのだ。そして、マスコミに報道されることのみを狙い、創価学会員を動揺させ、脱会を促そうとの謀略である。

日顕というピッチャーは、絶対にストレートは投げてこない。いつもクセ玉の変化球である。ホームランを打たれることがあっても、ピッチャー返しだけは嫌だと、球種に頭を悩ませている。実に変わったピッチャーだ。

日顕が実効性のない「勧告書」や「通告書」を連発するおかげで、創価学会側はちょうど手ごろな刺激を受け、日ごとに団結を固めつつある。日顕がホームランは打たれてもピッチャー返しは嫌だと考えていると解説する理由がここにある。

それでは、この「破門通告書」によって、創価学会側の法的攻撃はできないのかというと、そうではない。考えられるのは、この無意味な「破門通告書」を真に受け、たとえば創価学会員の末寺への立ち入りを末寺住職が禁ずれば、創価学会員は信仰活動を妨害されたとして末寺住職を訴えることができる。

日顕は自分が訴えられるのは嫌だが、末寺住職ならかまわないと考えている。日顕はいつも決定は独断でやり、責任は自分以外の全員にとらせようとする。どこまでいっても、卑怯で汚い日顕のやり方である。果たして日顕の小狡い考えどおりに事が運ぶだろうか。

この後、創価学会首脳に対する個人的な処分をしてくる可能性もある。だが、その場合も宗制宗規に基づかない、またなにやら意味不明のことをおこない、お茶を濁して終わらせることも考えられる。

さて、十一月七日の「解散勧告書」が出たとき、本紙『地涌』では「解散勧告書で明らかになった法主と総監の教学力のなさ 法衣を着ているだけで尊いとは白衣を着た者はみな名医か」(本紙第313号、11月9日付)と題して、日顕一派の教学力のなさを嗤った。

日蓮大聖人の御聖訓、あるいは日寛上人の御文などの解釈がペテン的で本義をねじ曲げていることを嗤ったものだが、それに懲りてか、今回の「破門通告書」は御聖訓も代々の法主の御文も一切、引用していなかった。依文なしで、「創価学会破門」を通告したのだ。もっとも、仏意仏勅の団体である「創価学会」の破門を正当化する依文など、どこにもない。

日顕一派が依文なしで、「破門通告」をしたことそれ自体、今回の通告が、まったく恣意的なものであり、日顕の貪瞋癡の三毒に基づくものであることを、満天下に明らかにしたことになる。

16ページも文を書き、「信仰的、教義的な意味をもつ破門」(記者会見の総監・藤本の言い分)だとしながら、日蓮大聖人の御聖訓の一つも、その根拠として挙げることができない。それでも僧かと言いたい。

たとえ、内実はエセ坊主であっても、僧であるならば、信徒を処分するのに、あくまで「教導」であるという姿勢をとり続けなければならない。今回の「破門通告書」は、その体裁をとることすら忘れている。

そのうえ、文は幼稚である。日蓮正宗の僧はこの程度の文しか書けないのかと、品性と学のなさを日本国中の邪宗の者どもから嗤われることだろう。日顕一派は、信徒に、どこまで恥ずかしい思いをさせれば気が済むのだろう。

こう書けば、次に政治的プロパガンダの文書を出すときには、御聖訓をペテン的にいくつか引用するに違いない。日顕一派は、けっこう反応が単純なのだ。

その証拠に本紙『地涌』が「解散勧告」に際し、

「十一月八日十六時十分より十六時四十分まで、総本山大石寺において、日蓮正宗の記者会見があった。日蓮正宗宗務院の出席者は、渉外部主任・梅屋誠岳、同書記・阿部郭道の二名であった。総監、五部長は、皆逃げてしまった。世間にこれだけの一大騒動を巻き起こしていながら、責任者不在の記者会見を開いたのだった。その無責任ぶりに、マスコミ関係者もあきれていた」(本紙第313号、11月9日付)

と書いたら、今回は総監以下、五部長が全員、雁首を並べ記者会見をしていた。その記者会見で、総監の藤本は、「今回の団体の破門という措置は、宗制宗規によらない、信仰的な、教義的な意味をもつ破門ということでございまして」と、しきりに強調していた。

なんのことはない、創価学会側からの法的反撃を恐れ、「宗制宗規によらない」、すなわち法的に意味のないことだと、最初から逃げ口上を言っているのだ。

いくら逃げ口上を言っても無駄である。日顕を法廷に引き出す方法はいくらでもある。弁護士の助言によるものだろうが、いくら奇策を弄して法的責任を追及されないよう逃げ回っても、仏子らの正義の法廷闘争をまぬかれることは不可能だ。全国に五十ある地方裁判所で日顕の「御親教」がおこなわれる日は近い。

本日、十一月三十日午後二時より、全国の教師を集めた会合が総本山でおこなわれる。大多数の僧侶は電話で連絡をとりあいながら、「会合は大荒れになるぞ」という者もいれば、「手がつけられなくなった日顕は、もうどうしようもない。きょうはとりあえず静かにしていてやろう。日顕が死ぬか退座したあとに、もう一回考えようや」という者もいる。はたして、どのような会合になるだろうか。

(「創価学会破門通告書」に対する反論である本稿は、次々号の336号に続きます。なお、次号は全国教師指導会の速報です)

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