第336号
発行日:1991年12月2日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
正法を護持して難に逢うことは仏弟子として最高の誇りだ
一人の例外もなく学会員が「破門」されたとは実に意義深い
(今号は、前々号につづき「創価学会破門通告書」について記述します。前号に全国教師指導会を速報しましたので、このような次第となりました。ご了承ください)
日蓮正宗管長・阿部日顕と総監・藤本日潤は、十一月二十八日付をもって、創価学会に対し「創価学会破門通告書」を送ってきた。だが、この「創価学会破門通告書」は、日蓮大聖人の仏法の本義に反した邪義によって塗り固められている。まさに、今日の日蓮正宗は魔物によって牛耳られているといえる。
この「創価学会破門通告書」における日顕と藤本の主張は、ただただ自分たちに従わない創価学会は「破門」に相当するの一点張りである。
創価学会を処分する根拠となる日蓮大聖人の御聖訓もなければ、処分の具体的事由も一切、示されていない。書かれているのは、法主である日顕に従わないから「破門」にするということだけだ。
日顕が狂乱し、邪義を弄び、謗法に染まっている現在、いかに法主であろうとも、日顕に従わないのが日蓮大聖人の弟子としての心意気というものである。
開祖日興上人も、時の法主(貫首)が狂乱したときの非常事態を憂慮され、「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(日興遺誡置文)と御遺誡されていることは、宗内僧俗の知悉するところだ。
日蓮大聖人の仏法に依らず、ただ従えと言われても、法義に反する命令には断固として服従できない。この日顕一派の暴虐に抗して処分されることは、仏子としての最大の誉れである。熱原の三烈士の、燃えるがごとき不退の信仰心を追慕する創価学会員が、今回、一人の例外もなく「破門」に処されたことは、実に喜ばしいことである。
戒壇の大御本尊様は、熱原の法難を機縁として、末法の御本仏日蓮大聖人により御図顕された。いま日顕らは邪な策により、大御本尊様と仏子らとの間を理不尽に引き裂こうとしているが、仏子らの戒壇の大御本尊様に対する信仰心を断ち切ることなどできはしない。
法難にあたって団結し、正法正義を守り、共々に戦っている不屈の仏子らを、日蓮大聖人は大慈大悲をもって、いっそう温かく包んでくださることだろう。
それにひき比べ、日顕らの心の中には思い上がった傲慢さがあるだけで、信仰心のかけらもない。同じく日蓮大聖人の仏法を希求する衆生の一人でありながら、かりそめに僧形をなしているだけで信徒より尊いと、仏法に違背した主張ばかりしている。日顕らは、盲従を強いているだけのことだ。
日顕および藤本が、信徒に対して従えと声高に述べている箇所を、「創価学会破門通告書」の中からいくつか紹介する。
まず序文では、「法主・宗門からの、たび重なる教導・制誡に対しても、一片の反省懺悔すら示さないため、もはやこれ以上、本宗信徒団体として放置しておくことはできず、ここに、日蓮正宗からの破門を通告するものであります」と述べている。
宗門側の「教導・制誡」に対して、創価学会が「反省懺悔」しないということが「破門」の理由であるとしているが、日顕らが「教導・制誡」をおこなったことなどあるだろうか。
今回の混乱が表面化したのは、昨年十二月二十七日、日顕らがいきなり池田大作名誉会長を総講頭職より降ろしたことによる。このとき日顕らが、「教導・制誡」をしただろうか。してはいない。
宗制宗規の変更にともない地位を喪失したという一片の書類を送りつけて、実質的な罷免処分をおこなっただけである。しかも、そのようなペテン的な処分の背景には、創価学会の解体と檀徒づくりを作戦目的として掲げた「C作戦」があったのだ。
日顕らが、「創価学会破門通告書」で述べている「教導・制誡」に創価学会が従わないことが処分理由だとしていることは真っ赤な偽りだ。本当の処分理由は、日顕の貪瞋癡の三毒の前に、創価学会が平伏しないので我慢がならないというだけである。
同様なことは、添書登山についてもいえる。このときも、登山方式の変更であるとして、一片の事務的通知書を創価学会に出しただけだ。どこにも「教導・制誡」はない。
そもそも創価学会首脳が、日顕に「お目通り」を願っても「お目通り適わぬ身である」として、会うことすら拒否した。どこにも、「教導・制誡」などはない。日顕らによって策のみが先行し、これまで種々の謀略がおこなわれてきたのが真相である。
日顕らは、事の正邪を無視して一方的に従えと脅し、それでも従わないから「破門」にしてきただけだ。日顕らは、「破門、破門」と野干のごとく遠吠えしているだけのこと。この「通告書」には、遠吠えが随所にある。
「創価学会は、右宗旨の根本に絶対的に帰依し、法主の教導に従って、日蓮正宗信徒団体としての本分を守らなければなりません」
ここに言う「右宗旨」とは、「日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、本門戒壇の大御本尊を信仰の主体とし、宗祖以来の唯授一人血脈付法の法主の指南に基づいて、信行に励み、広宣流布に邁進してきた、七百年の歴史を持つ、正系の宗教団体であります」という、歴史的事実を無視し、日蓮正宗を史実以上に美化した記述のことを指すようだ。
謗法に染まった総本山を浄化してきたのは、仏意仏勅の団体である創価学会ではないか。いかに総本山大石寺が謗法に染まっていたかは、根檀家の実態、戦時中の神社参詣の奨励、神札問題などを見れば歴然としている。
日顕らは、歴史的な事実を無視し、ウソをつき、権威をふりかざして信徒に従えと言っているだけだ。以下、根拠なき日顕らの遠吠えを列記する。
「故に、本宗の僧俗は、自行においても、また広布進展の上からも、法主の指南に信伏随従しなければなりません」
「このことは、創価学会が、既に法主の教導に背反する大謗法団体と化したことを証するものであります」
「創価学会は、法主並びに宗門の、たび重なる慈悲の教導に背反し、本宗の法義・信仰を著しく改変して、仏法破壊の大謗法団体と化したのであります」
「創価学会破門通告書」とは、このような言葉の羅列にすぎない。実に無内容な感情的な文書である。そのほか、すでに創価学会側より破折し尽くされた邪論を繰り返している。
いわく、創価学会は三宝を破壊している。いわく、正本堂の意義について法主の「指南」に従わない。いわく、総本山へ登山しない。日顕らは、実に陳腐な論を繰り返しているだけである。
そして、言うに事欠いて、次のようにも記している。
「『聖教新聞』『創価新報』等の機関紙において、広い意味で僧宝に含まれる宗門僧侶に対し、実名、顔写真入りで、口を極めて悪口中傷し、その社会的信用を大きく失墜させております」
社会的信用を失うようなことをする僧こそ問題にされなければならない。謗法を犯したり、破廉恥な行為に及んだ僧が、それを追及されるのは当然である。信徒は、悪行をおこなっている僧を糾すことも許されないのだろうか。
末寺への参詣についても、次のように記している。
「創価学会は寺院参詣を志す純真な信徒の参詣をも阻止していると見られ、現に、ほとんどの創価学会員が所属寺院に参詣しておりません」
仏子らが腐敗した僧に愛想を尽かしているだけのこと。妙な勘ぐりをする暇があれば、信徒に慕われないみずからの不徳を懺悔することだ。
「僧侶に対して、信徒にあるまじき悪質な嫌がらせをし、寺院における法筵の場を乱し、果ては徒党を組んで暴力事件を引き起こすなど僧侶の布教を妨げております」
どこの寺の話だろうか。信徒に住職が噛みついた傷害事件のほかに、僧俗のあいだにどのような暴力事件があったというのか。どうも日顕らの主張していることは、主客転倒しているようだ。
それにしても、破折しようという意欲すら湧いてこない、実にふがいない「通告書」である。このような程度の悪い文書をもって、仏意仏勅の団体である創価学会を「破門」にするというのだから、日顕、藤本とも相当に狂っている。