報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十五章 物怪もっけ自縛じばく

地涌オリジナル風ロゴ

第873号

発行日:1995年8月26日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

法義を曲げ贅沢三昧をし慈悲の心もない増上慢・日顕が
「奥尻島大津波は余を誹謗したから起きた」と本仏宣言をした

買春坊主・日顕を生き仏と崇める日顕宗の第四十四回全国教師講習会が、大石寺において二十三日、二十四日の二日間にわたりおこなわれた。

その開講式の冒頭、まず教学部長の大村寿顕がつぎのように話した。

「ただ今より、平成七年度第四十四回の全国教師講習会を開講いたします。御法主日顕上人猊下には御法務極めてお忙しい中を親しく御臨席の栄を賜り、誠にありがとうございました。またこの後、尊い御講義を賜りますことは、全国の教師一同にとってこれに過ぎる喜びはございません。ここに厚く御礼を申し上げます」

仰々しい表現を使っての、いつもながらの日顕へのおもねりである。以下、大村の美辞麗句を使っての空々しい「開講の辞」が語られる。

美辞麗句の羅列を聞くかぎりにおいては、まことにレベルの高い教学錬成がおこなわれるのではと期待させるのだが、大村の最後のひと言で、この教師講習会の底が割れてしまう。

「教師講習会は総本山における尊い仏道修行であります。僧侶としての資質を向上させることも講習会の大きな目的のひとつです。朝夕の勤行等怠慢のないようにしていただきたいと思います。各位の御協力によって立派な講習会になりますよう切にお願いを申し上げ一言開講の辞といたします」

例年、講習会に参加した教師の中には勤行をサボる者が多い。大村はその点を率直に注意したのであるが、在家以下の怠慢な住職が日顕宗に多いことが、教学部長・大村のこの発言により裏づけられたのである。

さて仰々しい大村の「開講の辞」のあと、日顕が話をした。

「えー、第四十四回全国教師講習会が、あー、本日盛大に開催をされて、みな元気な姿で本日お集まりになりました。えー、教学部から聞いたところによると、だいたい全僧侶の人数の九〇パーセントを超えておる人たちがここに集まっておるらしいのであります。

えー、このことは、まっ、えー、おそらく、うー、他宗、他門の、おー、教団における、こういうような教義講習の催しにおいて、まず、できることのできない姿であると私は信ずるのであります。

申すまでもなく、宗祖大聖人様の御教えが実に仏法の根本の、おー、尊い、いー、内容のうえからの教えであり、それは我々が到底一生かかっても学びきることはできないのであり、そのような高く広く、また深い教えを我々がいただいておるといううえからこの宗門に籍をおく者は、道心があるならば、その宗祖大聖人様の御教えを根本としておこなわれるところの、この講習会に進んで出席をすることが当然であります。

しかしながら、なおかつ一割弱の人々が、まー、病気のため、その他いろいろな理由もあると思うけれども、えー、欠席をしておる姿もあるのであります。できれば九九パーセントまで、こういう講義に出席をするような姿に宗門がなってもらいたい、ということも感ずるのであります」

大村による儀礼一辺倒の話のあと、日顕のまとまりのない話を聞くと、その落差に驚きを禁じえない。

ともあれ、この日顕の発言から一割の者がなんらかの口実をつけて、この全国教師講習会を欠席したことが判明する。いまや、日顕に対し嫌悪感を抱く末寺住職は多い。腹の中を知り合っている仲間同士の話では、すでに日顕のことを、

「アイツ」

と呼び、あからさまにこきおろして鬱憤晴らしをしている。そのような者も、表立っては、

「御前様」

と呼んでいるのが日顕宗の実情である。誰しもが狂乱した独裁者である日顕に面従腹背して、この宗門史に残る暗黒の時代を耐えているのである。

過日、了性坊住職の長野経道が、突然、大阪八尾市の興妙寺住職へ異動になった。明らかな左遷人事である。長野は日顕の逆鱗に触れたのである。長野は、

「援助寺院の困窮ぶりは大変です。養育費もままならないありさまです。子供一人ひとりにいくらかでも養育費は出せないでしょうか」

と日顕に言上したそうである。これを聞いた日顕は、瞬間的に顔色を変え、えらい剣幕で長野を怒鳴り飛ばし、

「そんなものは出せない」

と断言したという。そして、すぐさま長野は異動させられた。

御本仏日蓮大聖人と己が同程度に尊いと思い、増長の極みにある日顕になにを言ってもムダである。ヘタに忠言すれば、耳に逆らうのは必定。狂乱する日顕に対抗するには、周到な組織だった抵抗をしなくてはならない。

日顕の増長ぶりは、この教師講習会の開講式の話でも確認される。

「これ、ホントかウソか知らないけれども、また奥尻島の問題もありましたね。あれも私があのころ、ちょうどあの直前に北海道へ用があって飛行機で飛んだ。まっ、新潮かどっかに載っていましたよ。日顕の飛行機が落ちればいいと。落ちるように祈ったっていう。

私だけ落っこちるならいいよ。飛行機が落ちれば、私と一緒に乗った人がみんな落ちるんだ。その人間も平気で一緒に落ちてもいいから、日顕を落とすために飛行機が落ちろと祈ったということが本当ならば、こんな人間の、もう、心をすっかり忘れた犬畜生以下の、獣にも劣る根性を持って、しかも、お題目を唱える者が祈るということは何事でありますか。そういう祈ったところの人たちといわれる人が、まっ、○○○○○かはしらんけれども、大きな災害を奥尻島であらわしたということを聞いた人が、こんなかにも多いと思いますけれども。

やはり、これもひとつの大きな現証であります。だから、時とともに現証というものが現れてくるということを、はっきりと、この感ずるのであります」(筆者注 ○印は聞き取り不能)

日顕は、自分の乗った飛行機が落ちるように奥尻島の創価学会員が祈ったので、その罰で奥尻島に大津波が押し寄せ多数の犠牲者を出したと、大真面目に話しているのである。

創価学会員が、そのようなバカげた祈りなどするはずもないが、このようなありもしないデマに、すぐさま乗じてしまう日顕の増長した心が、この日顕の話によく現れている。

しかしながら、仏の法に照らせば、悪侶は責められるべきである。日蓮大聖人の法義を曲げ、和合僧団を破壊しようと企み、買春をはじめ数々の堕落行為を重ねている狂乱坊主たる日顕を批判して、なんの罰が当たるというのであろうか。

自省の念を忘れ、御本仏気取りの破仏法者・日顕は今後ますます狂うことだろう。日顕宗の教師講習会は、その最初の日顕の話より、かくも狂っているのである。

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