報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十五章 物怪もっけ自縛じばく

地涌オリジナル風ロゴ

第870号

発行日:1995年7月28日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

狂僧・日顕がまたも無抵抗の所化に凄惨なリンチを加えた
三人を中啓でメッタ打ちにしあと一人を素手でブン殴った

日顕といえば、日顕宗の一枚看板男。この日顕が、宗祖日蓮大聖人の大慈大悲を体現する、人類において一番尊い生き仏である――というのが邪宗・日顕宗の教義。邪宗・日顕宗では、この看板男・日顕に信伏随従することが、信仰の正しい在り方である、と説く。

ちなみに、平成三年十一月二十八日に創価学会に対して出された「破門通告書」には、つぎのように書かれている。

「本宗の僧俗は、自行においても、また広布進展の上からも、法主の指南に信伏随従しなければなりません。しかるに、創価学会では、この血脈付法の法主に信伏随従する信条を、『盲信への強要』であると誹謗したり、また法主に対して、『二枚舌』『悪鬼入其身』『天魔』『法滅の法主』『日顕宗』などと誹謗中傷の限りを尽くし、本宗の命脈である唯授一人の血脈の尊厳を、甚だしく冒涜しているのであります。これは、明らかに本宗相伝の僧宝義・血脈義に背反する大謗法であります」

権威権力をもって、すべての創価学会員に狂僧・日顕を崇めることを強制したあこぎな宗門の体質がよく出た文である。

とともに、権威を大上段に振りかざした宗門の時代錯誤ぶりに、失笑せざるをえない。大根役者が大見得を切っているようですらある。

創価学会が、狂僧・日顕について「二枚舌」「悪鬼入其身」「天魔」「法滅の法主」と表現してきたことは、実に的確であった。創価学会「破門」後も、日顕の狂態の度合いは深まるばかりだ。

その日顕が、またやってしまった。またも、所化に対して目をそむけたくなるような暴行を加えたのである。

日顕は七十二歳である。世間一般の七十二歳ならば、好々爺然とし、孫の生育を楽しみに生き、余力ある人は地域のボランティアに参加している年齢である。これまで生きてきたことを感謝し、地域や近隣の人々になにがしかの貢献をしたいと、普通の人間なら思う年の頃だ。

まして宗教人ならば、心は円融円満にして、その完成された人間の存在が周囲の人々を安心させ、なごませ、勇気づけるものでなくてはならぬ。

しかし、日顕は七十二歳にしてこめかみに青筋を立て、十代の若者を中啓でメッタ打ちにし、素手で殴りつけたのである。宗教的絶対者が、宗教的権威をもって修行途上の、それも少年にリンチを加える。これほど陰惨なことがあろうか。

事は、七月二十一日(金)の丑寅勤行のはじまる前に起こった。日顕は、中啓でまず所化三人をメッタ打ちにした。二人目を中啓で殴っているとき、早くも中啓の両端にある漆塗りの部分が壊れはじめ、三人目を打ちすえたときには中啓はバラバラになってしまった。

日顕は、その中啓が暴行の具として用をなさないと見るや、四人目の所化を素手で殴りつけた。このとき日顕の顔は青ざめ、唇は血の気を失っていたという。

日顕の所化四人に対する暴行事件は、突発的に起きたので、周囲の者はなにが原因で日顕がそこまで切れてしまったのかサッパリわからなかったということである。

日顕は四人の所化を痛めつけ、いくぶんスッキリしたのだろうか、なにごともなかったように足早に暴行現場を離れ、素知らぬ顔で丑寅勤行をはじめた。

先ほどまで青鬼のような顔をしていた男が、今度は仏面して読経をする――この豹変した日顕の姿を見て、ある者は背筋の凍る思いがしたと語っている。

いま日顕のそばに仕えている者は、戦々兢々たる思いである。なぜなら、日顕が異常なまでにイラついているからである。

その原因は、どうやら日顕の犯したシアトル買春事件にあるようだ。十月にクロウ夫人が東京地方裁判所で同買春事件について証言をすれば、いずれ日顕の出廷の日が来る。日顕は、その日が怖いのである。

だから、シアトル買春事件についての秘密会議の頻度が高まるにつれ、イライラも募ることになる。

そこで日顕は、体制のなかで絶対服従を強いられ、まったく無抵抗の十代の少年に暴行を働き、鬱憤を晴らすのである。しかも、暴行を受けた四人の所化の親は、いずれも在家だという。

計算ずくで少年を痛めつけ、それを精神的なはけ口とする、日顕はそういう冷酷な男なのである。

家族友人葬のパイオニア報恩社