報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十五章 物怪もっけ自縛じばく

地涌オリジナル風ロゴ

第874号

発行日:1995年8月28日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

末寺住職を権威権力で脅したって“折伏”ができるものか
日顕も藤本も仏教指導者としての力量不足を恥じるべきだ

日顕宗の全国教師講習会が、八月二十三日、二十四日の二日間にわたり大石寺においておこなわれた。二十三日は、開講式のあと、日顕が「百六箇抄」を約二時間講義。この講義の終わりのころ、日顕が大客殿の大改築計画をブチ上げた。

なんでも、現在、六百三十畳の大広間を千五百畳にするそうである。突然おこなわれた日顕のこの発表には、宗務院のメンバーも寝耳に水だったという。

この大改築計画は、いつもながらの日顕の秘密主義で進められていたのだ。広布坊のときも独断でおこない、三十数億円の拠出を宗内の反対を無視して日顕ひとりで決めたが、今度もそうであった。この大客殿の大改築費用も、数十億円規模になるもよう。

日顕は先師・日達上人の時代に造られたものをつぎつぎと抹殺している。大化城しかり、六壺しかり、総坊しかりである。日顕としては正本堂も大客殿も壊したいところだろうが、この堅牢なふたつの建築物は、そう簡単にはいかない。そこで、とりあえず大客殿を大改築し、鬱憤を晴らそうというのであろう。

若いときは女遊びにうつつを抜かし、さんざん散財にこれ努めた日顕だが、老境に至り、広大な大石寺境内を箱庭のごとくいじり回すのが趣味となったようだ。

仏の法を失った大石寺が伽藍仏教化していくのは、必然ともいえるが、一人の“法主”が死を目前にした何年間かで狂いに狂い、法を曲げ、伽藍をつぎつぎと建て浪費のかぎりを尽くし、一宗を転覆させてしまうとはどういうことであろうか。

この日顕が猊座に座りつづけるかぎり、日蓮正宗は衰微するばかりである。

二十三日午後七時から教師指導会がおこなわれた。総監・藤本日潤がまず話をしたが、教勢が伸びず相当あせっている様子がありありであった。おそらく、日顕の指示に基づいてであろうが、檀徒づくりが進まない末寺住職を、藤本は露骨に脅したのである。

「さらに本年度におきましては、宗務院といたしまして、お会式以後、年内実施をめどとして、折伏の上がらない寺院を対象として宗務院に招集し、やはりベテランの方々の応援をいただいて、マンツーマンの対話による指導会を実施することを計画しております。

そして一カ寺一カ寺ずつの実情を、実態に応じてのきめ細かな、ときには懇切丁寧な、ときには厳しい指導をおこない、いわば対症療法を示した処方箋を出してあげて、これに向かって精進、努力するよう指導して参りたい、このように考えているところであります。

しかしてそのうえで、数年間経過を見守り、もちろんその間に御相談の希望があればいつでも相談に応じて適正なアドバイスをさせていただきながら、数年にわたって経過を見守りまして、そのうえで、なおかつ依然として向上、発展が見られないところにつきましては、その時点において改めてつぎの段階への処置を考えていく、ということになろうかとこのように考えている次第であります」

この藤本の発言は完全なる脅しである。「改めてつぎの段階への処置」とは、住職から無任所教師への降格であることは誰しもが察するところ。

総監・藤本の末寺住職への脅しの言葉は、以上のものだけではなかった。藤本は末寺への資金的援助をカットすることをも明言した。

「なおまた、援助寺院に対する援助の在り方ということにつきましても、現在、検討を重ねているところでありますが、これまでも援助の方法、内容等がその寺院の発展のためには、かえってマイナスに働いているのではないか、すなわち、依存体質を助長せしめる結果を招いているのではないか、このように思われる。

そういう面があるということから、援助の在り方をいかにすればその寺院の自立、発展の方向へと促進することができるかという点に主眼をおいて、その立場からの検討、見直しを進めるべく鋭意準備中であるということを申し上げておきます。

いままでは、一定の基準の条件に合致しさえすれば安易に援助してしまう、そういうかたちがあったわけでありますが、これを改めて、今後は個別的に正しい実情、実態の把握につとめ、その事情、実態に即した適切な指導をおよぼしながらの適正な援助を目指してまいりたい、このように考えているところであります」

日顕や総監・藤本は、末寺住職は地位や金で脅せば“折伏”をすると思っているのである。それでいて、自分たちに指導力がないことを恥じもしない。

本当の仏教指導者なら、御本仏日蓮大聖人の教えを説き、聞く者をして感動せしめ、その人々が法悦にむせんで自主的に折伏に励むようにするであろう。

また、全国のあまたの地域にいる創価学会幹部のように、弘教による大功徳をみずからの体験を通して語るであろう。もっとも、折伏の経験のない日顕や藤本に、そのような話はできようはずもない。

日顕も藤本も、権威権力では布教できないことを悟るべきである。池田大作創価学会名誉会長と比して天地雲泥の力量の差があることを思い知るべきである。

日顕および総監・藤本は、末寺住職の家庭がどれほど困窮しているかについて知りもしないし、知ろうともしない。それでいて、みずからは平気で浪費をつづけるのである。

日顕が大客殿の大改築に数十億円を費やすことは先ほど書いたが、末寺への援助カットをチラつかせ、貧困の最中にある住職を無慈悲に脅している藤本もまた、いま自寺である常泉寺の大改装をおこなっている。

日顕、藤本ともに末寺住職の生活のことなど考えてもいない。二人とも他人に金を遣るのが、ただイヤなだけなのである。

「折伏しろというなら折伏して見せろ。説教するなら金をくれ!」

とは、ある末寺住職の声。日顕が独断で「C作戦」をおこない失敗し、末寺を困窮せしめたのだから、日顕が末寺に保証をおこなうのは当たり前である。

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