報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十五章 秘事ひじ 露見ろけん

地涌オリジナル風ロゴ

第494号

発行日:1992年9月6日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

「御相承はもちろんお受けになっているが学者だから……」
傲慢な日顕は日亨上人に信心がないかのような批判をした

八月二十八日に大石寺でおこなわれた全国教師講習会の「講義」において、日顕が総本山第五十九世日亨上人を批判した。

「講義」を聞いていた者は、日顕が日亨上人の批判を口にしたとき一瞬ザワついたが、その後はいたって平静を装っていた。しかし「講義」終了後、仲間うちでは日顕の発言をあからさまに批判する者もいた。

日亨上人に対する今回の日顕の発言で、日顕はやはり増上慢なのではないかといった疑念が、宗内全般に生じはじめたようだ。

ともあれ、日顕が日亨上人の研鑚を批判できるような人間でないことは、衆目の一致するところ。日顕はどうひいきめに見ても、信心、学識、行躰のいずれも日亨上人に比べるべくもない。

それでは、日顕は日亨上人をどのように批判したのか。日顕の日亨上人への批判は、血脈相承について話しているときに出た。

まず日顕は、「堀上人がね、チョットわけわかんないようなことおっしゃってる」と話した。活字にすると発言の雰囲気が伝わらなくなるが、実に侮蔑した口調だった。日顕がこう言ったとき、場内は少しザワついた。

それにもかまわず、日顕は言葉を継いだ。

「こりゃそうなんだよ。堀上人はね、学者だから。そのー、主観的に信念をもってこういうふうなことで、こういうふうにすべきだとはおっしゃらない。これは堀上人のある意味ではいいとこであり、ある意味では悪いとこなんだ。だからあんまり会通がないんです。歴史の材料だけはある。御相承はもちろんお受けになってるけども。この文献に対する取り扱いの態度がそうなんです。あとから出てくる精師の造仏説もそうだ。

これこないだ、あの、ある偉いね、宗門のなんて言いますか、この文書班だね、時局対策の文書班の一人偉いのがいますよ。よく勉強してね。わしもあれ感心した。うん。随宜論、随宜論の時期は、まっ、ともかくとして、精師と敬台院からの関係からいって、あるいは法詔寺ができた翌年に造仏がおこったっていうんですがね。この状況をよく見ると確かに逆なんだね。いままでは精師が造仏論者で、堀上人もそう書かれているから、そういうふうに思ってたわけなんだな。敬台院時代に、そのちゃんとした本宗の信者、それ逆なんだ本当は」

日顕らは、法主無謬論を主張したいために、登座後の日精上人は造仏・一部読誦という教義違背をしていないと主張する。そのため歴史の改竄をしたいのだが、それには日亨上人の研究成果が障害になる。

日亨上人の研鑚に基づけば、日精上人が登座後も造仏読誦という教義違背をしていたことが自明の理となるからだ。したがって、日顕は歴史の改竄の意図をもって日亨上人を批判したのだ。

日顕は、日精上人が登座後は無謬であったと主張するのなら、歴史的に文献的に、衆人の納得する論を立てるべきだ。訳知り顔をして自分の思いつきで話しても仕方あるまい。

客観的に見ても、教学部長時代に女遊びにうつつを抜かしていた日顕が、畑毛の猊下を上回る研鑚をしているとは思えない。

日顕は、日精上人問題について勝手な思いつきを述べ、

「だから御相承お受けになった後において、ずいぶん謗法があるなんて学会が、『地涌』なんてバカ小僧どもが言ってるけども、そんなことはまったくないんです。そういうところに、これは一つのきちんとした文献に対する時間的問題とその内容と意義ときっちり、こう、何してくれば、一つ新しい智慧が出る場合が多い」

と結論づけた。日顕が今後、「バカ小僧」を屈服させ得るだけの立派な教学論文を発表するのを楽しみにしておく。退座後の寂漠を埋めるのに最適の教学研究テーマではある(日精上人問題については、第126号、第127号、第232号などを参照のこと)。

日亨上人は、大正十四年四月号の『大日蓮』に「血脈相承の断絶に就いて史的考察及び辨蒙」と題する次のような一文を書かれている。

「此点に於て血脈断絶法水壅塞の形ありと云はゞ云へるが、相承の内容に立入りて見るとき、御相承は殊に金口嫡々のは授受の型式作法に権威ありや、御当人に権威ありやと云ふ問題が起るべきであらう、而して法式と実人とは何れが主なりやと云ふ事を決定してかゝる時、若し実人に適確の権威あらば授受の作法は此を結成するの型式に過ぎざるから就師のやうな場合でも、血脈断絶法水壅塞の不都合は無い訳である。若し然らずして作法にのみ大権威存在して実人は何人でも宜いと云ふ事ならば、此場合の如きは血脈断絶の悲事となる訳である。又作法にも実人にも相互に権威あり法人映発して法主の大器を作ると云ふ事ならば、此場合は少くも法水一時枯渇の状を呈する不祥事となるであらう。此は局外者の抽象的の議論である。直ちに宗門教権の大事を批判すべき標準にはせぬが宜い」(『大日蓮』大正十二年四月号所収の「血脈相承の断絶に就いて史的考察及び辨蒙」より一部抜粋=詳しくは第129号参照)

この日亨上人の論に対して、日顕は批判をしている。しかし、日顕は日亨上人の論を理解しておらず、一知半解のまま的外れのことを言っているだけである。

日顕は次のように語った。

「要するに、このなにか、堀上人が人間について、御相承っていうのは人間について権威があるのか、儀式に権威があるのか、なんてことをおっしゃって、儀式に権威があるとすれば儀式がちゃんとおこなわれなかったということになると、これは法がそこに失速して停滞しちゃって流れていないんだということにもなると。なるとおっしゃっていて、いやそれはそうじゃないんだとおっしゃらないところが堀上人の、まー、いいとこなんだな。

非常に学者ですからね。断定をなさらない。だからといって信仰の上から拝するならば、これはやっぱり正しい筋目の上に断定してなきゃいけない意味がある」

日顕は変に“法主”から“法主”への相承に神秘性を持たせようとするから、日亨上人の説が邪魔になるのである。

「血脈相承」という語に宗教的な神秘性の移譲といった意味を持たせ、自身の立場を絶対的なものにしようとする日顕にとって、日亨上人の論理整然たる血脈論が気にくわないのだ。

日亨上人は猊座神秘主義を廃し、血脈の本義を信心に見いだされ、先のように書かれていると考えるべきだ。信心の本義から見て、相承の儀式のあり方、宗団のトップの継承のみにこだわる「血脈」の捉え方に、日亨上人は疑問符を投げかけられたと解すべきだ。

日亨上人こそ、日蓮大聖人の血脈論を正しく宣揚されている。それをまったく理解できない日顕が、自分に信心はあるが、日亨上人にはないような言い方をする。

「堀上人は、これは、そのー、あのー、もしそうであるとするならばっていうような言い方をおっしゃってますが、これはもう少しはっきり実はしていただきたかったかと私は思います」

このように、日顕は増長した我が心に従い、堀日亨上人を批判した。

日顕は「血脈」「法水」を神秘的なものにし、みずからが信徒大衆の上に立とうとする。一方、日亨上人は、「血脈」は「信心」と同じであるとして実にわかりやすくそれらについて書かれている。

「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり、信心は信行者にあり・此信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本仏より信者に通ふ有様は・人体に血液の循環する如きものなるに依りて・信心に依りて法水を伝通する所を血脈相承と云ふが故に・信心は永劫にも動揺すべきものにあらず・攪乱すべきものにあらず、若し信が動けば其法水は絶えて来ることなし、爰に強いて絶えずと云はゞ其は濁りたる乱れたる血脈法水なれば・猶仏法断絶なり、信心の動かざる所には・幾世を経とも正しき血脈系統を有し仏法の血液活溌に運行す、其は世間にて云へば子は親の心に違はす祖先の定めたる家憲を乱さぬが・其家の血統正しきが如く・仏法には師匠の意中に違はぬが血脈の正しき法水の清らかなるものなり、仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違へぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり此色心の転換も只偏に淳信篤行の要訣にあり、若し此の要訣を遵奉せずして・不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違ふ時は・法水の通路徒らに壅塞せられて我等元の儘の粗凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり、悲しむべき事どもなり」(『富士宗学要集』第一巻所収の「有師化儀抄註解」より一部抜粋)

猊座神秘主義の上にあぐらをかきたい日顕は、「生死一大事血脈抄」に認められた日蓮大聖人の御心に適った血脈論を展開する日亨上人を「学者だ」と決めつけ、信仰的確信に欠けているかのような発言に終始した。

日顕は我が意に適わなければ、先師方をも退ける。それほど日顕は増長してきている。この日顕の狂いが、日蓮正宗に開山以来の危機をもたらしたのだ。

石山の僧は、先に紹介した日亨上人の言葉によくよく耳を傾けるべきだ。

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