報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十五章 秘事ひじ 露見ろけん

地涌オリジナル風ロゴ

第493号

発行日:1992年9月5日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

日顕は「血脈」の話をするのに自分の寝ボケ話を結びつけた
御本仏・日蓮大聖人の「生死一大事血脈抄」の本義を忘れるな

日顕が「仏智」と言う場合、その意味は日顕の己心から発する「我見」を意味する。

平成二年十二月二十七日、宗門は宗規変更にかこつけ、創価学会池田大作名誉会長を総講頭職より実質的に罷免した。それ以来、宗門は創価学会破壊を目的にして、次々と「処置」を下した。

平成三年十一月二十八日には創価学会を「破門」にし、平成四年八月十一日には池田名誉会長を「信徒除名」にした。これらの一切の「処置」は、日顕によって下されたものである。

日顕の狂乱に基づく「処置」の結果、創価学会員はもとより末寺住職まで日顕に対して不信を抱くようになっている。日蓮正宗は、もうバラバラの状況である。

日顕は一人で虚勢を張っているが、失われた猊座の尊厳性は百年経っても回復は不可能だろう。それほど、日顕は威丈高になって信徒を脅し、“法主”でありながら慈悲のかけらもない姿を見せ続けたのである。

日顕は猊座を穢しただけでなく、日蓮大聖人の仏法をも地に堕としていることは、衆目の一致するところ。禅寺墓地での先祖供養が表面化した時点で、法義に随い身を退くべきだった。

それを「共同墓地」だとして黒を白と強弁したことにより、日顕はいっそう傷を深めることになった。禅寺墓地で法要をしたことを責められるや、追及する創価学会を「破門」処分にした。日顕のやることのどこに日蓮大聖人の仏法があるだろうか。

日顕は、それ以降も信徒を睥睨し己義を構えているが、信徒は法義の次元で日顕を糾してもムダであると判断し、いまでは日顕の破廉恥な行動を問題にしている。

日顕は、猊座を穢しているのだ。心ある僧俗は、日顕の不義、不正、悪品行を大いに責め、一刻も早く退座させなければならない。なにしろ汚物が猊座に居座っているのだ。座っている者が汚物であると宗内外に知らせ、猊座より汚物を取り除くことは、仏意に適っている。

スキャンダルにまみれた日顕は、今後ますます孤立するだろう。

これが現実に則した状況認識であるのに、日顕は全国教師講習会(八月二十八日・二十九日、於大石寺)で次のような強気の発言をした。

「宗門は今日に至るまでも創価学会の誤った邪義に対して、どこまでも僧侶たる立場と礼節と慈悲を失わずに正しく対処してきたということを私は、確信しておるのであります。

ごく一部の人の中には、何かその在り方の中で不充分なものがあったのではないかというような危惧、ないしそういうような意味での考えがあるやに聞きますが、私はそれは絶対に無かったと思っております。

常にいろいろな面において本当に正しく対処してきたということ以上に、御仏智に守られた。仏様の御加護によって、一昨年のあの開創七百年という、非常に不思議なまた、……勃発した創価学会の宗門に対する罵詈讒謗と、よる働きかけから本当に正しく法を護るための処置が正しくおこなわれてきたということを、またそれがむしろ私とか個々、個々の人の単なる考えでなく、深く考えれば三宝様の御加護によって、それが今日になせられたということを感じておるのであります」(二十八日の開講式での話)

日顕は猊座を穢し、一千万信徒の信望を失い、日蓮正宗を大混乱に陥れて、それでも「御仏智に守られた」と言っている。

日顕は、「これらをその時に応じて、御仏智の命ずるがままに、また深い時の在り方からそれに順応して、処置をしてきたということを感ずるのであります」(同)とも話した。「御仏智」がこのような日顕の狂態を好まれるはずがない。

以上、紹介したように、日顕の言う「御仏智」とは、日顕の貪瞋癡の三毒強盛な心より発する「我見」を示すのである。

日顕には「御仏智」などといった高次の宗教的な言葉を口にするほどの信仰心はない。「御仏智」を口にした開講式のあと、日顕は「講義」をおこなった。そのなかで、日顕は「血脈」を論じた。「血脈」を論ずるとき、日顕は我賢しと装い、日亨上人まで批判した。

この「血脈」の話の中で、日顕は「授受感応の心」について得々と語った。日顕は自分が教学部長になったときの話を、「血脈相承」にも共通する「授受感応の心」として披露したのだ。

ここで、日顕が教学部長に就任するときの話を長々、引用するが、他意はない。日顕が「血脈」という本宗の教義の深淵に関わる発言をしたので、日顕の言うところの「授受感応の心」を知り、日顕らの金科玉条とする「血脈」のなんたるかを知るために素直にすべてを紹介するのである。

それでは、日顕宗の奥義をうかがう話を、じっくり味わっていただこう。

「これは私のことを言ってあんまり恐縮だけどね、もう少し、本当の意味の心と心といいますか、またさらに言うならば、授受感応の心というものは、大変ですね。これはちょっと私は言っていいか悪いか、自分のことを言うとまずいんだけどね。まっ、言ってしまいましょうかね。

エヘッ、あのね、実はこれは御法を受けた時ではないんです。実は。昭和三十六年の九月の、いや八月の教師講習会の前の日なんです。そん時は私は本行寺の住職をしてましてね。きょう、いよいよお山に行くという、その日に本行寺の住職をしてましてね。

でっ、きょう、いよいよお山へ、まー、みんなも今日きたでしょう。登ってきたように、お山へ行くという、その日、本行寺にいて、いま本行寺、立派にしちゃったけども、昔はちっぽけなとこでね。大きな本堂なくて、四畳半の庫裡に私は寝てた、一人でね。朝の三時でしたけども、起きるとも、うつつともなく、フーッとこう身体がポッと起き上がっちゃったんです。寝てたら。

そしてね、その時、口からある言葉がでたんです。何だと思いますか? これはね、小さい声ですが、誰から、誰から言えとも言われたわけでもない、自分が言おうと思ったわけでもない、ポッと起き上がって、そして『教学部長』っていう声が出たんですよ。自分の口から。あれ、なんだこれは教学部長って、エヘヘ。おかしい、一体なんだろうと思ってね、あんまりおかしいんで、わかんないですね。

そして私はそれから登ってきて、私はその頃、本境坊が宿坊でしたから、本境坊で、その頃は僧侶も少なかったし、来たついでにすぐ、いまみたいにまとまってお目通りがなく、一人ひとり来た人がすぐ奥へ行ってお目通りした。

日達上人も、大変だったろうけれども、あのー、あれですね、まー、少なかったからね。それで私は目通りのために一人で、ずーっと塔中あがってきたんだ。そしたらちょうど浄蓮坊のとこで、浄蓮坊からあがるところですね、浄蓮坊と理境坊から上へあがるところ、鬼門のほうから、そしたら秋田慈舟さんという人とあそこにいらっしゃる高野永済さんと、いや日海さん、失礼、日海君と二人がやってきたんだ。上から。

で、『やー、こんにちは』って言ったら、日海さんが、その時は永済さんだったけどね、『あんた今度、教学部長だよ』って。そしたら文句、言ったもんです。『アホ言うんじゃない』、『あんた今度、教学部長だよ』っていうからビクッてしたよ、私、その時。

『えー、そんな馬鹿なことが』って、そりゃ言いますよね、一応ね。『そんな馬鹿なことが』って言ったら、『いまお目通りしてきたら、猊下がそうおっしゃってたから』って言ってね。で、秋田さんも、『うんうん、そうだよ』なんつって言ってました。秋田慈舟さんて人はね、知ってる人もいるでしょう。

それから『ほー』って思って行ったら、お目通りした。そしたら日達上人がお出ましになってきて、それでその時は誰もいませんでしたけれどもね、『あっ、君に今度、教学部長やってもらうからね』って、なんかこうあっさりでしたですね。『いやー、猊下、私などとても』って一応申し上げたんですが、『いやいや、いやいや』なんって、それでまー、結局、教学部長に教師講習会が終わった直後に辞令をいただいた次第であります。

それが昭和三十六年でした。まー、これは一つの妙なことと言えば言えますがね。これ決して私が、そんな妙なことがあったからということを、何か自慢げに皆さんに話したいという意味じゃ決してないんです。

しかしこの、やはりあの者に譲るという場合、重大な意味の場合はね、やはりその凡人、凡夫の形だけでみて、あれがないから違うとか、この形式がないから違うとか、そんなようなもんじゃないね、やはり。そのー、深い意味は血脈とかそういう意味においても当然、存在する意味があると思うんですね。

私の時も、血脈相承があったとかなかったとか、確かに言われた点もあったし、いまそのことを弁護してるという意味は決してないんですよ。そういうことじゃないけれども、いろいろなこの形だけのところを見てね、あれがあった、なかったというその短絡的な考え方が、実は違うんだと。もっと、深く厳然と大聖人様からの御仏智による御指南、相承の元意はですね、厳然と伝わるのであるということをね、今は特にこの血脈という問題が誤って伝えられている中において申し上げておきたいのであります」

日顕宗の言う「血脈」のありがたさが伝わっただろうか。実に低次元な話である。このような話を日顕は、日亨上人の「血脈論」を否定してまで話している。

増上慢というのは、東も西もわからなくなった者を言うのかと思っていたが、どうやら上も下もわからなくなるようだ。

日顕に告げるが、お前の血脈論は歴代法主の中でも抜きん出て最低だろう。「教学部長」「教学部長」と寝ボケてつぶやいたのは、日顕、お前が役職を欲しがる心を人一倍強く持っていたからにほかならない。三毒強盛だから、バカげた寝言を言ったまでだ。

日顕の言う「御仏智」だとか「授受感応の心」だとかは、まやかしにすぎない。要するに、日顕の「我見」である。全国の教師を前にしての「講義」がこれでは、日蓮正宗の“法主”は、この程度の話しかできないのかと全邪宗の者から笑われよう。

日蓮大聖人曰く。

「今日蓮が弟子檀那等・南無妙法蓮華経と唱えん程の者は・千仏の手を授け給はん事・譬えば夕顔の手を出すが如くと思し食せ、過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑有るべからず、過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり、謗法不信の者は『即断一切世間仏種』とて仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無きなり」(生死一大事血脈抄)

【通解】いま日蓮の弟子檀那など南無妙法蓮華経と唱える者に、千仏が御手を授けて迎えてくださるさまは、たとえば瓜や夕顔のツタが幾重にもからんで伸びるようなものであると思われるがよい。過去世において強盛に法華経に結縁していたので今生においてこの経にあうことができたのである。未来世において仏果を成就することは疑いない。過去、現在、未来と三世の生死において法華経から離れないことを法華経の血脈相承というのである。謗法不信の者は譬喩品に「即ち一切世間の仏種を断ぜん」と説かれて、成仏すべき仏種を断絶するがゆえに、生死一大事の血脈はないのである。

御本仏・日蓮大聖人が認められた御金言の本義と、日顕の寝ボケ話のどこに共通項を見いだせようか。日顕の話している「血脈」は邪説である。日顕が言葉を重ねるほど、御本仏・日蓮大聖人の仏法の本義はおおい隠される。

天台宗の慈覚は、日輪を射る夢を見て、法華経に真言が勝れたりと結論づけた。対して日蓮大聖人は、

「日蓮は愚癡の者なれば結論もしらず但此の夢をもつて法華経に真言すぐれたりと申す人は今生には国をほろぼし家を失ひ後生にはあび地獄に入るべしとはしりて候」(撰時抄)

と仰せになっている。所詮、夢のお告げなどはニセ法師の自己正当化の手段にすぎない。真言師は「秘法」を売り物にするが、日顕もその類い。「血脈」の正当性を語るのに「夢」を語るなど不気味の限り。

まことに日顕は、父子一体の「法滅の妖怪」である。

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