二十一章 仏子反撃
第711号~第729号
(1993年11月28日~1994年1月24日)
- 第711号 1993年11月28日
日蓮正宗自由通信同盟
早瀬義寛などの日顕宗の売僧が“慈悲”を口にするのは
信徒から“供養”をせしめようとの卑しい下心を隠すため - 第712号 1993年11月29日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕はいまだに末寺の経済的困窮に親身になれないようで
住職に「肥料」をやれば布教をしなくなると考えている - 第715号 1993年12月8日
日蓮正宗自由通信同盟
出発前はハシャぎ、スペインでは居眠り、帰国してグッタリ
海外布教を前に日顕夫婦は偽名で一泊40万円のハニーな夜 - 第721号 1994年1月1日
日蓮正宗自由通信同盟
宗内きってのメモ魔・河辺慈篤自筆の極秘メモによって
日顕一派の悪だくみ「C作戦」の存在が完全に裏づけられた - 第722号 1994年1月3日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕が創価学会首脳のみならず信徒たる創価学会員を騙し
果ては宗内の僧まで欺いたことは「河辺メモ」により明らか - 第725号 1994年1月9日
日蓮正宗自由通信同盟
日顕という上野村の和尚が身内を相手に軽口をたたいたが
嘘にあきあきした住職達の反応は恐ろしく冷たく重かった - 第726号 1994年1月10日
日蓮正宗自由通信同盟
総監・藤本が「C作戦」を隠そうと大嘘の弁明をなしたが
語る言葉の端から矛盾が浮き出て逆に“存在”を証明した - 第729号 1994年1月24日
日蓮正宗自由通信同盟
「一分間に六十回だろう!」と怒鳴り血相を変えた日顕は
バシッ、バシッ、バシッ……と坊主三人の頭を中啓で連打した