第825号
発行日:1995年1月28日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
阪神大震災の日、日顕宗の末寺は被災者が訪ねてきても
救援もせずただ門を固く閉ざして無慈悲な態度に終始した
一月十七日午前五時四十六分に起きた兵庫県淡路島を震源とするマグニチュード7・2の地震により、兵庫県南部を中心とする阪神地区は、最大震度7を記録する激震にみまわれた。
このため、一月二十七日午前〇時四十五分現在までに、死者五千八十三名、行方不明者五十一名、倒壊焼失家屋八万八千四百九十四棟が、警察庁によって確認されている。
この阪神大震災において、行政機関による救援が不充分な中、献身的な人々によるボランティア活動が、突然の不幸に打ちひしがれた被災者にとって、なによりの激励となってきた。このことは、テレビ、新聞等によって報道され、全国民のあいだに新たな真心の輪を広げている。
創価学会は、大震災当日すぐさま災害対策本部を設置した。各会館は地震直後より地域住民に開放され、避難者の宿泊所に供され、同時に救難物資の集配所、重要な連絡拠点として使用された。
この創価学会の救援活動のもようは、イギリスの夕刊紙『イブニング・スタンダード』やフランスの新聞『アンフォ・マタン』などにより、それぞれの国において報道された。ちなみに『アンフォ・マタン』紙は、「荒野になった神戸」という記事を写真とともに以下のように報道していた。
「水もない。食料もない。寒さと震えの中で、涙の出る暇もない。人々の嗚咽の中で、十二時間母を探し続けて、やっとの思いで救出することができたという、吉村さんという方を取材した。
彼は『現場は被爆した広島の時と全く同じで誰も助けてはくれなかった。何もかもあきらめていたところを、勇気づけ一緒になって(母を)助けてくれたのが創価学会の方でした。
創価学会は、政府の役人よりはるかに対応が早く、一人の人間を救おうと真剣に働いてくださった』」(平成七年一月十九日付『アンフォ・マタン』紙)
一月十九日付『聖教新聞』は、その第一面において、
「対策本部では、各地の会員から被災者の皆さんへ義援金を送りたいとの強い要望が寄せられていることから、義援金受け付けの口座を開設した」(平成七年一月十九日付『聖教新聞』)
として、
「三菱銀行 四谷支店 普通預金口座 略称口座名=創価学会地震対策 口座番号0686110」(同)
と銀行口座の紹介をしている。
創価学会は二十日、関西災害対策本部長が兵庫県庁を訪ね、貝原県知事に義援金一億円を贈った。二十五日には、創価学会から神戸市に六千万円の義援金が贈られ、西宮市と尼崎市にそれぞれ二千万円、芦屋、伊丹、宝塚の各市にはそれぞれ一千万円、淡路島の北淡町と一宮町に各百万円の義援金が贈られることが発表された。
創価学会災害対策本部の集計によると、同本部が二十二日までに被災地に届けた支援物資は、飲料水二十二万本、お茶十一万本(それぞれペットボトル)、おにぎり六十五万個、パン五十万個、缶詰三十一万個、携帯用カイロ三十五万個、毛布七万五千枚、卓上用コンロ三万五千個、電池二万三千個、紙おむつ四万人分、粉ミルク五千五百缶、トイレットペーパー七万五千個、ビニールカッパ二万九千個、医療品二万五百ケースなど多数に及ぶ。
そして、これらの物資を、ヘリコプター延べ四機、トラック延べ一千二百二十台、チャーター船延べ三十隻、バイク延べ九百台、自転車延べ一千三百五十台で運んだということである。
さらに、二十二日までに被災地に派遣された創価学会の救急医療班は、医師が延べ二百六名、看護婦が延べ四百九十名に達していると、同対策本部は発表している。
創価学会による大震災に即応した救援活動は、被災地の人々に大きな感動を与えている。とりわけ、地震発生の当日である十七日の夕刻、関西男子部のバイク隊八十二台が道なき道を進み、炎燃え盛る現地で、どこよりも早く食料や飲料水を被災者に配ったことは特筆にあたいする。
さて、このような心温まる救援活動を記したあと、日顕宗の無慈悲な行動を記すことは、なんとも気の進まぬことではある。しかし、後世に事実を伝えるため、おぞましいことも縷々、書かねばならない。
兵庫県西宮市に所在する正蓮寺(住職・天野之道)は、本堂、庫裡ともに全壊し、ペチャンコになった。御本尊は、尼崎市南武庫之荘の大妙寺に運ばれたという。
許せないのは、西宮市宮前町の妙言寺(住職・吉鶴愛道)、神戸市灘区の妙本寺(住職・長谷部道潤)などである。家屋が倒壊したり焼失して行き場を失った地域住民が同寺を訪ねたが、門を閉めてまったく救援しなかったという。
他宗の寺においては、住職がケガをしたり、家族に死者が出ていても、罹災者のために寺を開放したことが伝えられている。現地のある一般紙の記者は、
「門を閉めていたのは、日蓮正宗の寺だけだった」
と、ただ呆れている。その他、避難者を受け入れていても、それは法華講員だけという末寺もあるようだ。
この無慈悲な体質は、宗務院にも見られた。日蓮正宗宗務院は、一月十七日に「全国住職・主管各位」宛に「お知らせ」をファックスで発信したが、
「兵庫布教区西宮市所在の正蓮寺本堂・庫裡が倒壊いたしましたが、御本尊・住職及び寺族は無事です」
と知らせ、
「他の寺院は、建物に軽微の損害、仏具・什器備品の転倒、水道・ガス・電気の停止等のあった寺院もありましたが、各布教区とも大きな被害の報告はありません」
と記している。ところが、以上のように寺族や寺院の財産については関心があるようだが、信徒については、
「信徒の被害に関しては、神戸市を中心に家屋の倒壊など、相当の被害を受けているようですが、連絡不能のため、詳細は不明です」
とのみ書いている。
寺を開放して地域住民に奉仕しろとか、救援活動をしろとかの文言は、まったく見られない。それどころか、信徒について、「相当の被害を受けているようです」としながら、そのことに対し積極的な状況把握をする、しかるのち全国的な救援態勢を求める、といったことは全然、書いていないのである。
信徒の安否よりも、寺院の財産にのみ関心がいっている宗務院の本心がよく現れている「お知らせ」といえる。
一月十八日午後、宗務院は被災地を除く「宗内教師各位」「全国法華講中」宛の「兵庫県南部地震被災者に対する義援金募集の件」と題する通達をファックスで全国に送信した。本文は次のとおり。
「昨1月17日早朝に発生した兵庫県南部地震における犠牲者は、既に千数百名を越え、近年希に見る大災害の様相を呈しております。
つきましては、日蓮正宗といたしましても、宗内より義援金を募り、特に、当該地域において被災した寺院や、信徒へ支援してまいりたいと思いますので、よろしく御協力の程お願い申し上げます。
送金については、
寺院からの分については
⇒寺 院 名
法華講(直属を含む)からの分
については取りまとめのうえ
⇒支 部 名
にて、下記口座宛に、1月31日までに振り込み願います。
なお、振込用紙2種を別便にて追ってお送りいたします。
記
銀行名 静岡銀行 富士宮支店
口座番号 普通口座 599228
口座名 (宗) 日 蓮 正 宗
以上」
まず疑問に思うのは、「振込用紙2種」を宗務院から送り「義援金」を募集するということである。義援の気持ちがあるなら、振込用紙ぐらい末寺側で用意するのが当たり前であろうに、それほどの意識も末寺住職にはないと宗務院は見ているのであろうか。
この宗務院の通達のなかで、物議をかもしたのが、「当該地域において被災した寺院や、信徒へ支援してまいりたいと思います」というくだりである。
宗務院は、義援金の贈り先を寺院と信徒のみに限ろうとしたのである。これには宗内でも反発が出た。
あわてた宗務院は、一月二十一日午後、全国の教師と法華講宛に、「義援金募集の件について(お知らせ)」という通達をファックスで送った。
「先に、院第2470号をもって兵庫県南部地震被災者に対する義援金の募集をお願いいたしました。
その際、『被災した寺院や、信徒へ支援してまいりたい』と記載いたしましたが、皆様からの義援金は、本宗の被災寺院、信徒のほか、一般被災者についても、公共機関等を通じてその救援に役立てていただくつもりであります。
この旨、念のためお知らせ申し上げます。
以上」
なんとも、ぶざまな訂正、かつ過ちを正すに、なんとも鉄面皮な文面である。
宗務院による義援金募集の呼びかけが、これほどの形式主義であるから、受けるほうの末寺もいい加減なもの。
末寺住職は、互いに振り込み金額を相談し、ほどほどの法華講員のいる末寺でも、五万円から二十万円の額で落ちつきそうな様子である。一月三十一日が締め切りということだが、結果はどのようなことになるのだろうか。
なお、宗務院は、いまだに現地法華講員の状況を把握しきれていないようで、無論のことながら、現地における具体的な救援活動はなされていない。これらの事実から、日顕宗は日本で最低の宗教団体であると結論される。