第778号
発行日:1994年6月27日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
偽書「出家功徳御書」を在家を差別する論拠とすることなく 僧たるもの民衆救済の本義に目覚め日顕一族の支配を断て
〈「出家」考 最終回〉
これまで三回にわたり、出家世界に生きる「僧」やその血族が、世俗社会に対する抜きがたい差別観を有していること、そして、その出家社会においても僧階に象徴されるような差別がおこなわれていることについて述べてきた。
さらに、出家社会の世俗社会に対する差別は、「僧」とその女房たちの世俗社会に対する“恨”と“厭”の感情に裏づけられており、その感情は宗門の核心部分を形成している。
「名家」「名門」といわれる血族が、宗門を支配していく限りにおいては、出家社会が風通しが悪く、閉鎖的であることと相まって、世俗社会に対する差別観が消えることはないだろう。
しかし、世俗社会に対する差別観を不変のものとし、血族支配が横行する限りにおいては、宗門の気風は停滞し、みずからの差別構造の故に人材が払底し、いずれ滅ぶことは眼に見えている。
日蓮正宗の全僧侶は、世俗社会を差別し民衆を蔑視すれば、自分たちが社会的存在意義を失い、その帰結として滅亡衰微の道しか残されていないことを知るべきである。民衆を身近に感じ、民衆救済の大情熱に燃える僧のみが、社会的存在意義を有しているのだ。
ところが、日蓮正宗の「僧」たちの心は、民衆に対する差別観に蝕まれている。日蓮正宗の核心部分が、世俗社会に対する“恨”と“厭”の感情を抱く血族の系譜によって支配されている今日においては無理もないのだろうが、仏法に違背するその差別観を排除しなければ、日蓮正宗の蘇生はありえないのだ。
日蓮正宗の「僧」らの世界に蔓延る在家に対する差別観を、端的に示している偽書がある。このような偽書が、宗門にあって御書として通用し、「僧」らの差別観に教義的に根拠を与えていることは、実に憂慮すべきことである。
と同時に、この偽書を「御書」として認知している宗門の実情は、出家らの在家に対する差別意識が、いかに強く深いものであるかを示して余りある。
その偽書とは、「出家功徳御書」のことだが、この「御書」は得度式などでも読まれ、日蓮正宗の「僧」の在り方を考えるうえでの依り処となってしまっている。
以下に、この「出家功徳御書」についての文献的な考察をし、内容の検討をおこなうが、そのことはとりもなおさず、「出家功徳御書」を依り処とする宗門の差別的体質を問う作業でもある。
「出家功徳御書」は、真蹟目録、録内目録には見当たらず、録外目録の「刊本録外御書目録」(編者不明、初刊本は江戸時代の寛文二〈一六六二〉年、再刊本は寛文九〈一六六九〉年)に初めて登場する。
その後、編年目録の「境妙庵御書目録」(編者=境持院日通、江戸時代の明和七〈一七七〇〉年)に収録される。この後の録外目録に、「出家功徳御書」はすべて入っているが、「刊本録外御書目録」「境妙庵御書目録」や、それ以降の目録においても、真蹟はもちろんのこと、しかるべき写本の所在も不明である。
しかも内容的には、曹洞宗の開祖・道元(一二〇〇年~一二五三年)の『正法眼蔵』に書かれている「出家功徳」(章題)と類似した個所がある。『正法眼蔵』は、道元の二十三年間にわたる説示を集めたもので、日本曹洞宗の根本宗典である。
『正法眼蔵』が巻となり、後世に伝えられたのは、永平寺二世・孤雲懐奘による謄写・清書の力に預かっているところが大きい。
「出家功徳」(章題)は、道元死去の三年後の建長七(一二五五)年夏に、道元の草案より書き写したものとされ、道元死去より七十六年後の嘉暦四(一三二九)年に『正法眼蔵』に加えられたとされる。
一方、日蓮大聖人の御書とされる偽書「出家功徳御書」は、弘安二(一二七九)年五月、身延での御述作とされている。
それでは、『正法眼蔵』所収「出家功徳」と偽書「出家功徳御書」の類似した個所を並記してみよう。
◇『正法眼蔵』所収「出家功徳」
「世尊の言く、仏法中に於いて出家せる果報、不可思議なり假使(たとひ)人あり七寶の塔を起て高さ三十三天に至るも、所得の功徳出家には如かず」
【現代語訳】世尊が言うには、仏法の中において出家する果報は、不可思議であり、たとえ、ある人が七宝の塔を建てて、その高さが三十三天(須弥山の頂上)まで届いたとしても、得られる功徳は出家の功徳には及ばない。
◆「出家功徳御書」
「出家功徳経に云く『高さ三十三天に百千の塔婆を立つるよりも一日出家の功徳は勝れたり』と」
【現代語訳】出家功徳経には「高さが帝釈天の住処である須弥山の頂上にとどくほどの百、千の塔婆を立てるよりも、一日出家した功徳のほうがすぐれている」と説かれている。
このように、『正法眼蔵』所収「出家功徳」と「出家功徳御書」の引用個所は、まったく類似しているのである。
しかし、「出家功徳御書」に「出家功徳経に云く」とあるのは過誤である。『大蔵経』所収の「佛説出家功徳経」を当たってみたが、件の引用個所は見当たらない。おそらく、偽書の作者がいい加減な気持ちで、箔づけのために「出家功徳経に云く」と記したと思われる。
参考のため付記すると、『正法眼蔵』所収「出家功徳」と「出家功徳御書」に用いられている件の個所は、『大蔵経』に収められている「愚賢経・出家功徳尸利提品」にある「起七寶塔高至三十三天。所得功徳。不如出家」に由来するとされている。
『正法眼蔵』所収「出家功徳」と「出家功徳御書」には、ほかにも何個所か類似点がある。もう一例、挙げておく。
「仏言く、及び我に依て鬚髪を剃除し、袈裟片を著し、戒を受けざる者あらん。是の人を供養するも亦た乃至無畏城に入ることを得ん」(『正法眼蔵』所収「出家功徳」)
【現代語訳】仏が言うには、私に依って、鬚と髪を剃り除き、袈裟衣を着て、戒を受けない者もいるだろう。しかし、この人を供養しても、また無畏の城(仏の徳)に入ることができる。
「大集経に云く『頭を剃り袈裟を著くれば持戒及び毀戒も天人供養す可し即ち仏を供養するに為りぬ』云云」(出家功徳御書)
【現代語訳】大集経には、「頭を剃り、袈裟を著ければ、持戒はもちろん、たとえ戒を破る者でも天人は供養する。すなわち、それは仏を供養することになるからである」と説かれている。
だが、文意において『正法眼蔵』所収「出家功徳」と「出家功徳御書」とを比較すると、前者に比較した箇所は俗から僧になることを勧めているのに、後者に比較した箇所は僧から俗になること、つまり還俗を阻むために書かれている。
それはともかく、道元の『正法眼蔵』所収「出家功徳」と作者不詳の「出家功徳御書」に類似個所が見出されること、「出家功徳御書」に記された引用文の出典記載に過ちがあることは注目に値する。
なぜなら、「出家功徳御書」が日蓮大聖人の御書であるとする徒輩は、大聖人が道元の『正法眼蔵』を下敷きに「出家功徳御書」が書かれた可能性を認め、そのうえ、出典の記述に過誤があったことを認めなければならないからである。
このような愚かなことを認めてまで、「出家功徳御書」を日蓮大聖人の御書に列したい弟子がいるだろうか。
ところで、「出家功徳御書」が『正法眼蔵』を下敷きに作られたものであるならば、それはいつの時代だろうか。それは、『正法眼蔵』が巻となり世に出た嘉暦四(一三二九)年以降(室町期)である可能性が高い。
また、日蓮正宗の僧・佐藤慈豊は、昭和四年二月十六日に『日蓮大聖人御書新集』を第五十六世大石日応の校閲を受け編纂発行したが、佐藤慈豊は「出家功徳御書」について、同書の「高祖󠄁遺文録眞偽決畧評」で次のように書いている。
「○出家功徳御書
傳へて云く聖筆にあらず。余云く文勢 大に他と異なれり。既に念佛無間等と破折するのみならず。良觀の名を擧げ、王者將軍をも教誡叱折し給ふ聖祖󠄁なり。誰に憚り、近日誰やらん承て申し候は等と筆を起し給ふべき。報恩抄の如く棄恩人無爲眞實報恩者たるべし。然るに只親のなされたる如く道をちがへず出家にてあるべしは、甚だ不明了なり。既に出家す佛の子となるなり佛に從へと教誡あるべきなり」
【現代語訳】伝によれば、大聖人の真筆ではないと言う。私見では、文の勢いが他の御書とまったく異なっている。すでに念仏無間などと破折するだけでなく、良観の名をあげ、王者や将軍さえも教え誡め、叱責される大聖人である。誰にはばかって、「近日誰やら承りて申し候は」などと筆を起こされるであろうか。報恩抄にあるように「恩を捨て無為(仏道)に入る、真実の報恩の者」となるべきである。ところが「只親のなされたる如く道をちがへず出家にてあるべし」とあるのは、はなはだ不明瞭である。すでに出家して、仏の子となっているのだから、仏に従えと教誡されるべきなのである。
さらに、日顕宗において富士学林図書館長の職にある永栄義親が、平成二年三月、「御書真偽検討委員会」の委員として、「出家功徳御書」の研究発表を課せられたが、その研究が終了し、ワープロ打ちのレジメが完成した頃、パソコンの前で、「まー、この御書は偽書だろうな。けど、猊下が得度式でこの御書を読む以上、『真書』とするしかないだろう」と語っていたことを参考までに記しておく。
さて、ここまで「出家功徳御書」について、主に文献的な考証をおこない、いくつかの疑問点を挙げたが、文の内容の検証をすれば、偽書であることがいよいよ明らかとなってくる。
以下、「出家功徳御書」の記述のうち、明らかに日蓮大聖人の教えに反する個所を列記して紹介する。
「されば其の身は無智無行にもあれかみをそり袈裟をかくる形には天魔も恐をなすと見えたり」
【現代語訳】故に、その身に智慧もなく、仏道修行をしなくても、髪を剃り、袈裟をかける僧の姿には、天魔も恐れをなすと経文には出ている。
「身は無智無行にもあれ形出家にてあらば里にも喜び某も祝著たるべし」
【現代語訳】身に智慧もなく、仏道修行をしなくとも、形だけにせよ出家であるならば、故郷の人も喜び、私も心から祝福する。
この二箇所の引用文は、同じ考え方に基づいて書かれている。
「無智」とは智慧のないこと、「無行」とは人を救うおこないのないことを言う。つまり二箇所の文の意は、「無智無行」であれ、剃髪し袈裟、衣をつけてさえいれば、天魔は恐れ、親や縁者が喜び、日蓮大聖人も祝福するというのである。
日蓮大聖人曰く。
「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(諸法実相抄)
【通解】行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はないのである。自身もおこない、人にも教えていきなさい。行学は信心から起こってくるのである。自身が置かれている立場、境遇で、一文一句でも仏法を語っていきなさい。
「出家功徳御書」は、日蓮大聖人の教えと真っ向から対立するもので、同書のいう「無智無行」の「僧」は末世の悪比丘の様相に等しい。
御本仏日蓮大聖人は、言葉の順序は入れ替わるが「無行無智」の者について、次のように仰せになっている。
「生死・無常・老少不定の境あだに・はかなき世の中に・但昼夜に今生の貯をのみ思ひ朝夕に現世の業をのみなして、仏をも敬はず法をも信ぜず無行無智にして徒らに明し暮して、閻魔の庁庭に引き迎へられん時は何を以つてか資糧として三界の長途を行き、何を以て船筏として生死の曠海を渡りて実報寂光の仏土に至らんや」(松野殿御返事)
【通解】森羅万象ことごとくは、生死の二法をまぬかれることのできない無常のものであり、人の命の長さが定まっていない所、むなしくはかない世の中に住んでいながら、ただひたすら昼も夜も今生の財産を貯めることのみ思い、朝夕、現世の利益だけを求めて、仏を敬わず法も信じないで、修行もせず、智慧もなく、いたずらに明かし暮らしていては、死んで閻魔王の庁庭に引き迎えられるときに、なにをもって資糧として衆生が輪廻生死する永続世界を行き、何をもって船、筏として苦しみの大海を渡って、仏の住処にいたることができようか。
日蓮大聖人は「無行無智」の者について、不成仏疑いないことを断言している。
この「松野殿御返事」には、堕落した「無行無智」の出家について、厳しい指摘がされている。
「受けがたき人身を得て適ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一つもなし・法師と云う名字をぬすめる盗人なり、恥づべし恐るべし」(同)
【通解】受けがたい人間として生まれ、たまたま出家した者でも、仏法を学び謗法の者を責めないで、いたずらに遊び戯れて雑談のみして明かし暮らす者は、法師の皮を著た畜生である。法師という名を借りて世を渡り、身を養っていても、法師としての意義は何ひとつない。法師という名字を盗んだ盗人である。恥ずべきことであり、恐るべきことである。
「末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説かせ給いて候なり、文の意は末世の僧・比丘尼は名聞名利に著し上には袈裟衣を著たれば形は僧・比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて我が出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致す、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事譬えば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来るを見ていがみほへ食合が如くなるべしと云う心なり、是くの如きの僧尼は皆皆悪道に堕すべきなり」(同)
【通解】「末世においては、犬のような下劣の僧や尼が、恒河の砂ほどたくさん出現する」と仏は説かれている。この文の意味は、「末世の僧や尼は名聞名利に執着し、外見は袈裟、衣を着ているので、姿かたちは僧や尼に似ているけれども、内心には邪見の剣をたずさえ、自分の出入りする檀那のところへは、他の僧や尼を寄せつけまいとして、いろいろと、ありもしない悪口を並べたてるのである。このように、他の僧や尼を寄せつけないようにして、檀那を独占しようとするさまは、たとえていえば、犬が人の家で餌にありついて食べているところへ、あとから他の犬が来るのを見て、いがみ吠え、噛み合いのけんかをするようなものだ」という意味である。このような僧や尼は、当然すべて悪道に堕ちるのである。
「松野殿御返事」に書かれた末世の僧尼のありさまは、日顕宗の「僧」の現状である。したがって、日顕宗の輩は「無智無行」の「僧」を擁護する「出家功徳御書」に親近するのである。
日蓮大聖人は「佐渡御書」においても、
「般泥経に云く『当来の世仮りに袈裟を被て我が法の中に於て出家学道し懶惰懈怠にして此れ等の方等契経を誹謗すること有らん当に知るべし此等は皆是今日の諸の異道の輩なり』等云云、此経文を見ん者自身をはづべし今我等が出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは是仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり」(佐渡御書)
【通解】般泥経には「未来の世に、かりに袈裟をつけて我が法の中で出家学道したとして、なまけ怠り仏道修行に精進もせず、これらの大乗経典を誹謗するような者は、これはみな今日の諸々の外道の者であると知るべきである」と説かれている。この経文を見る者は自分自身を恥ずべきである。現在、出家して袈裟をかけながら、なまけ怠って仏道修行に精進しない者は、釈尊在世の六人のバラモンの弟子であると仏は記されている。
と仰せになり、「懶惰懈怠」の「出家」は仏弟子に非ずと断言されている。同趣旨の御金言は、枚挙にいとまがない。
「出家功徳御書」は単なる偽書ではなく、これらの日蓮大聖人の教えを破る働きをなす極悪の偽書である。この「出家功徳御書」を肯定する宗団は、いずれ「無行無智」「懶惰懈怠」の悪比丘に占有され、それらの悪比丘が邪見をなして正法を誹謗することになるのである。
それは、まさに『涅槃経』に説かれている末世の悪比丘の姿そのものである。
「我涅槃の後乃至正法滅して後像法の中に当に比丘有るべし持律に似像して少かに経を読誦し飲食を貪嗜し其の身を長養す、袈裟を服ると雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現わし内には貪嫉を懐かん唖法を受けたる婆羅門等の如し、実に沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」(涅槃経)
【通解】私が入滅ののち、正法時代を過ぎて、像法時代の中において出家の比丘があり、外面だけは戒律を持っているかのごとく振る舞い、わずかばかりの経文を読誦し、飲食をむさぼり、その身を長養している。袈裟を着ているとはいえ、布施を狙うさまは猟師が獲物を狙って細目に見て、静かに近づいていくように、猫がねずみを狙っているようなものである。しかも、つねに自分は見思の惑を断じて阿羅漢果を得たと言っているであろう。外にはあたかも聖者のように賢く、善業をなすように見せかけ、内面には貪りとねたみを懐き、法門のことについては、人に向かってものを言わず、つねに唖法のごとく黙りこんでしまうバラモンの修行を積んだ尊者のごとく黙りこくっている。じつには出家の仏弟子ではないのに、僧の姿をして邪見が強盛で正法を誹謗するであろう。
日蓮正宗の「僧」らは、元来は仏法にない世俗社会に対する差別観の故に、偽書を御書と尊ぶまでになってしまった。
「日興遺誡置文」に曰く。
「偽書を造つて御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得可き事」
この日興上人の遺誡置文に明らかなように偽書を御書と号して、本迹一致の修行する者は、「師子身中の虫」である。偽書「出家功徳御書」を御書と拝しなんらの修行もしない者は、「師子身中の虫」以下ということになるのだろうか。
「出家功徳御書」は、日蓮大聖人の仏法に仇なす偽書だが、この偽書作成の目的は、僧の還俗を阻むことにあったことは間違いない。
「近日誰やらん承りて申し候は・内内還俗の心中・出来候由風聞候ひけるは・実事にてや候らん虚事にてや候らん・心元なく候間一筆啓せしめ候、凡父母の家を出でて僧となる事は必ず父母を助くる道にて候なり」(出家功徳御書)
【現代語訳】近頃、誰かが聞いて申すには、内々に還俗の心が生じているという風聞があるが、本当のことであろうか、それとも嘘事であろうか。心配なので、それについて一筆書いた次第である。およそ、父母のいる生家を出て僧になることは、必ず父母を助ける道である。
と書き起こし、還俗を望む者に対し、肉親への情をからめ、それを阻もうとしている。この趣旨は、同書において一貫している。
「されば出家と成る事は我が身助かるのみならず親をも助け上無量の父母まで助かる功徳あり、されば人身をうくること難く人身をうけても出家と成ること尤も難し、然るに悪縁にあふて還俗の念起る事浅ましき次第なり金を捨てて石をとり薬を捨てて毒をとるが如し、我が身悪道に堕つるのみならず六親眷属をも悪道に引かん事不便の至極なり。
其の上在家の世を渡る辛労一方ならずやがて必ず後悔あるべし、只親のなされたる如く道をちがへず出家にてあるべし」(同)
【現代語訳】故に出家するということは、我が身が助かるばかりでなく、自分の親をも助け、さらにさかのぼって無量の父母まで救うという功徳があるのである。
故に人身を受けることは難しく、人身を受けても出家になることは、もっとも難しいことなのである。それを悪縁にあって還俗の念が起こることは浅ましいことである。それは、ちょうど金を捨てて石をとり、薬を捨てて毒をとるようなものである。自分自身が悪道に堕ちるばかりでなく、親族全体までも悪道に引き込むことは、このうえなくかわいそうなことである。そのうえ、在家の身として世を渡る心労は、一通りのものではなく、いま還俗してもやがて必ず後悔するに違いない。だから親のされたように、道を違えず出家でいるべきである。
このように同書は、とことん骨肉の情にからめて還俗させまいとするのだが、この文中、「其の上在家の世を渡る辛労一方ならずやがて必ず後悔あるべし」とあることに、なにやら堕落した出家の本音を見る思いがする。この偽書の作者は、その程度なのである。
この偽書の作者は、後段を次のように結んでいる。
「然るに今宿善薫発して出家せる人の還俗の心付きて落つるならば・彼の五逆罪の人よりも罪深くして大地獄に堕つべしと申す経文なり、能く能く此の文を御覧じて思案あるべし、我が身は天よりもふらず地よりも出でず父母の肉親を分たる身なり、我が身を損ずるは父母の身を損ずるなり、此の道理を弁へて親の命に随ふを孝行と云う親の命に背くを不孝と申すなり、所詮心は兎も角も起れ身をば教の如く一期出家にてあらば自ら冥加も有るべし、この理に背きて還俗せば仏天の御罰を蒙り現世には浅ましくなりはて後生には三悪道に堕ちぬべし、能く能く思案あるべし、身は無智無行にもあれ形出家にてあらば里にも喜び某も祝著たるべし、況や能き僧にて候はんをや、委細の趣・後音を期し候。
弘安二年五月 日
日蓮花押」
【現代語訳】ところが、いまこの大勢至経の文は、過去世における善根が善い縁にふれて起こり、出家の身となることができた人が、還俗の心が起こって落伍するならば、彼の五逆罪を犯した人よりも罪が深く、必ず大地獄に堕ちるという経文である。よくよく、この文もご覧になって、還俗を思いとどまるように考えなさい。
我が身は天から降ってきたものでもなく、地から湧き出てきたものでもなく、父母の肉親をわけた身である。我が身を損することは、父母の身を損することである。この道理をよく心得て、親のいうことに随うことを孝行といい、親のいうことに背くことを不孝というのである。
所詮、心にどのような考えが起こっても、身は、教えのとおり一生涯、出家として通していくならば、自然と仏天の加護もあることであろう。この理に背いて還俗するならば仏天の御罰を受けて、現世には浅ましいことになり、後生には地獄、餓鬼、畜生の三悪道に堕ちるであろう。よくよく考えなさい。身に智慧もなく、仏道修行をしなくとも、形だけにせよ出家であるならば、故郷の人も喜び、私も心から祝福する。ましてや、よき僧であるならば、なおさらのことである。詳しいことは、後便を期して申し述べよう。
御本仏日蓮大聖人の御名をもって、還俗しようとする者を、さんざんに脅しているのである。出家の者が還俗すれば、「五逆罪の人よりも罪深く」なるといったことを信じている者が日顕宗にいるならば、それはやめたほうがよかろう。
日顕が、女房政子の弟・野坂昭夫を重用していることをもって、このことは理解される。野坂昭夫は還俗した者であるのに、“裏猊下”といわれる政子と与して、末寺経理を掌握し、日顕ファミリーによる宗門支配において重要な役割をなしている。
だが、実際のところ、この「出家功徳御書」を偽書と退けることのできる出家は少ないだろう。「出家功徳御書」は、在家を出家が差別する「教義」的裏づけとなっており、出家している我が身に存在意義を与えているからだ。
「出家功徳御書」は、世俗社会と出家社会の結界をなすものであり、この結界があるからこそ俗より俗の出家社会、ことごとくが差別構造をなしているエセ僧伽に生きる我が身が肯定されるのである。
この偽書以外に、世俗を蔑視し遠ざけ、宗門中枢を占める血族におもねり、僧階という差別の階段を昇ることを是とする「御書」はない。
僧道を歩む第一歩である得度式で、この偽書を「御書」と拝し、世俗社会に戻ることは五逆罪以上と教えられ、出家のみが尊いかのように躾られる。
得度するにも、いろいろと年齢差があるが、親から諭され、さしたる道念もない少年が、この「出家功徳御書」のような偽書を「御書」と拝したときの影響の恐ろしさは、想像を超えるものがある。
そのうえ、宗門の僧から一面的に“法主の直弟子”としての自覚を植えつけられると、短絡的に自分が優れている人間、人から敬われて当然、果ては人は敬うべき──と思うようになる。
得度すると俗名を捨て、“法主”から与えられた道号で呼ばれるようになる。宗門は、親に対しても“さん”づけで道号を呼ぶことを命じる。
“法主の直弟子”としての自覚を親と子に持たせるために必要なことであったかもしれない。だが、子供たちは親すら威儀を正し、子供である自分を“さん”づけで呼ぶ姿を見て、出家は偉いのだと心底、思うようになる。
許されて親元に帰った所化の中に、両親に三つ指ついて挨拶させる者がいたり、食事のとき、当然のごとく上座に座る者がいたりする。それで、両親が鼻白んだかといえばそうではなく、僧道を歩む自覚ができたと喜ぶのだから、子供はますます増長する。
施をなす者におもねるなとの「日興遺誡置文」である、
「若輩為りと雖も高位の檀那自り末座に居る可からざる事」
は、決して恩ある父母に子供が非常識な振る舞いをすることを許容しはしない。
また、大石寺の所化たちは、始終、地元の村の子と同じではダメだと叱咤される。それはそれとして、もっともなことだが、所化たちは地元の子供たちとは身分が違うといった、はき違えた意識を持ち、それやこれやで貴族意識を血肉化していくのである。
なにしろ、所化たちが身近に見る大人の世界、すなわち僧社会が徹底した差別によって成り立っているのだから、成長にともない自然のうちに差別意識を培っていく。
同じ所化仲間でも、創価学会出身か、法華講出身か、寺族出身かによって差別される。言うまでもないが、寺族出身が一番上とされるのである。その寺族出身でも、親父の僧階が上であれば、その子供は威張っている。
さらには万事、法臘(出家してからの年数)が第一とされる宗門では、一日たりとも坊主を長くしていたものが上とされる。
したがって、青年になって得度した大学卒の者を、少年得度(小学校六年生から得度した者。のち中学一年生からとなる)の者が馬鹿にしたり、お茶汲みに使ったりする。
五十歳で一般得度した者などは、哀れである。日常的にお茶汲みなどの下働きをさせられ、“社会でダメだから出家した”だの、“インスタント坊主”だのと年下の者から馬鹿にされる。
出家の世界は一事が万事、差別の世界である。僧階が違えば、服装、法具、席次も違う。その差別の世界でうごめく「僧」たちが、一つの目標とする僧階が権僧都である。
権僧都になれば、中啓も金銀黒骨となり、紋衣をまとうことができる。紋衣とは、自分の家の家紋を入れた衣のことを示し、坊主らはこの紋衣を着れるようになる日を一日千秋の思いで待っているのである。出家して衣に家紋をつける馬鹿さ加減に、堕落した仏教の真骨頂を見る思いがする。
だが、差別社会で生きる当事者たちは、そうは思わない。紋衣を着たくて着たくて仕方がないのである。第三者から見れば、大の大人がそのようなことを思って差別社会を生きているのかと思うと、実に喜劇的である。しかし、「僧」らは外に賢善を装い、この内心の愚かさを見事に隠しているのである。
こうした、すべての愚かな差別は、得度式で読まれる「出家功徳御書」に始まり、同書によって肯定されるのである。
大僧正から沙弥に至る十七階級の僧階、その沙弥の下に位置する世俗社会──その差別のピラミッド構造は、偽書「出家功徳御書」によってこそ裏づけられる。
帰れば「五逆罪の人よりも罪深く」「堕獄」となる世俗社会より遠ざかるため、差別の階段を昇り、ピラミッドの頂上部分を形成する血族にまとわりつくことが、同書により僧道に則ったこととされ、父母の恩に報いることとされるのである。
日蓮正宗における僧の多くは、この差別構造にからめとられ、この差別意識を血肉となし、世俗を卑しみ、僧階の低い者を蔑如し、法臘短き者を侮っている。
いまや日興上人の御遺誡された、
「下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事」
「身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事」
という御文は、死文となってしまっている。
差別意識に凝り固まり、差別の階段から這い上がろうとする者を、日顕ら差別構造の上部を「血」によって形成する者が御することは、いともたやすい。
それでは、日顕を長とする血族支配を、どんな方法で打破することができるだろうか。出家社会が「血」によって領導されているという、この一大矛盾を解消することは、日顕の独裁を打ち砕くのみならず、日蓮正宗を蘇生させることにつながる。
本義においては、聖僧が宗内に台頭すべきであろう。僧が婚姻をなさず「血」を断ち、民衆を我が子として慈しみ愛することが肝要である。だが、現在の日蓮正宗においては妻帯僧が当たり前となってしまい、僧の子が“代々坊主”と呼ばれ尊ばれるという悪習すら生まれている。
まさに、宗門は死して腐臭を放っている現状だが、その死せる日蓮正宗を蘇らせる方法は、唯一つ、僧らが差別観をみずからの心から捨て去り、日蓮大聖人の教えどおりの道念を持つことである。
日蓮大聖人は自身の出家について、
「日蓮は日本国安房の国と申す国に生れて候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり、此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならん」(妙法比丘尼御返事)
【通解】私は日本国の安房の国(現在の千葉県南部)に生まれたが、民の家から出家して髪を剃り、袈裟を着た。その理由は、この生涯に、なんとしても仏になる種を植え、生死を離れる身になろうと決意したからである。
と仰せになっている。また、仏法を学んでいる最中における思いを、
「日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし・風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(妙法尼御前御返事)
【通解】私は、幼少の時から仏法を学んできたが、念願したことは「人の寿命は無常である。出る息は入る息を待つことがない。風の前の露というのは単なる譬えではない。賢い者も愚かな者も、老いた者も若い者も、いつどうなるかわからないのが世の常である。それゆえ、まず臨終のことを習って、後に他のことを習おう」というものである。
と御述懐されている。そのうえで、仏道を歩む者は、
「誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば我が身命を捨て仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし」(松野殿御返事)
【通解】もし、我が身が貧しくて布施をする宝がないならば、そして我が身を捨てて仏法を得られる機会があったならば、身命を捨てて仏法を学ぶべきである。
「我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ」(撰時抄)
【通解】わが弟子たちよ、試みに法華経に説かれているとおり、身命を惜しまずに修行して、仏法が真実であるかどうかを試してみよ。
と、懸命なる修行をすることを求められている。いうまでもないが、その修行は自行化他にわたる。
「一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」(一生成仏抄)
【通解】我々の一念無明の迷いの心は、磨かない鏡である。これを磨けば、必ず法性真如の明鏡となるのである。それゆえ、深く信心をおこして日夜朝暮に、また怠らないで磨くべきである。どのようにすれば磨けるのであろうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつることが、磨くことになるのである。
と、大いに唱題し、
「身命をば・ほろぼすとも正法をかくさざれ、その故は身はかろく法はおもし身をばころすとも法をば弘めよ」(聖愚問答抄)
【通解】身命を滅ぼしても、正法を滅ぼしてはならない。そのわけは、身は軽く法は重い。身をころしても法を弘めよ。
と弘教を命じられている。僧の自行化他におよぶ修行の思想的背景は、決して偽書「出家功徳御書」にあるような民衆に対する差別観ではなく、
「南無妙法蓮華経と唱え奉りて日本国の一切衆生を我が成仏せしめんと云う所の願併ら如我昔所願なり、終に引導して己身と和合するを今者已満足と意得可きなり」(御義口伝)
【通解】南無妙法蓮華経と唱えて、日本国の一切衆生を私(日蓮大聖人)が成仏させようという願いこそが、御本仏に約した「如我昔所願」(我が昔の所願の如き)になる。ついに導いて、衆生を仏の境界と一致させることは、私(日蓮大聖人)の「今者已満足」(今者は已に満足しぬ)である。
「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(上野殿御返事)
【通解】日蓮は生まれた時からいまにいたるまで、一日片時も心の安まることはなかった。ただ、この法華経の題目を弘めようと思うばかりであった。
「今日蓮は日本第一の法華経の行者なり其の上身に一分のあやまちなし、日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきを・たすけんがために申す法門なり」(種種御振舞御書)
【通解】今、日蓮は日本第一の法華経の行者である。そのうえ身に一分の過失もない。日本国の一切衆生が法華経を誹謗して無間大城に堕ちようとしているのを助けるために法門を説いている。
「法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり」(撰時抄)
【通解】法華経を弘める人は日本国の一切の人々の父母なのである。
という民衆に対する大慈大悲でなければならない。この日蓮大聖人の大慈大悲に覚醒すれば、民衆に対する差別観は一人ひとりの僧の心中より霧散し、ひいては日顕一族のような一部の血族による宗門支配を排することができるのである。
身軽法重の僧の決起を促すものである。
『平家物語』に収録されている祇王、仏御前の出家の動機と比較しながら、これまで日蓮正宗における出家の動機を考察してきた。
祇王の出家の動機は世俗社会に対する“恨”、仏御前のそれは“厭”であり、その“恨”“厭”という出家の動機を、日顕ファミリー形成の源となった日開、妙修にも見出すことができた。同質の動機は、同時代に出家した宗門の「僧」と、その女房にも多く見ることができる。
すなわち、宗門の核心部分が、このような血閥によって占められているという現状は、とりもなおさず、世俗に対する“恨”“厭”が、宗門の精神世界に蔓延っているということであり、その“恨”“厭”が、出家の在家に対する差別の源泉となっているということである。
宗門には、寺族出身の者を“代々坊主”、在家出身の者を“一代坊主”と呼ぶ習わしがあり、代々坊主が一代坊主を蔑み差別している。このことは、宗門の主流が血族によって形づくられており、たとえ出家した者であれ、出家社会の外にしか血縁を持たない者を、よそ者と見て警戒しているからである。
「血」を絆とする寺族らは、出家という特殊な閉鎖社会にあって共通の利益を守ろうとし、これまで代々にわたり獲得してきた一族の宗門内での権益、立場を守ろうとするのである。
そのためには、差別構造をもって宗内を統率しようとする。たとえば、従順な者は僧階を上げ、逆らう者は僧階を下げる。日顕が「C作戦」断行の最中の平成三年七月、宗規を改悪し、
「五 奪階 現僧階を剥奪し、沙弥に降す」
とし、「奪階」という破門よりも酷と思われる懲罰を新たに設けたのは、差別の極刑をもって宗内を恐怖支配しようとしたからである。真実の出家の動機を持たない「僧」らは、これに恐怖し手も足もすくんでしまった。
これ以降、出世を出家の動機とする者らが、ますます世俗を敵対視し、“恨”“厭”の感情を猛々しくする血族の者らに自由に操られていく。
所詮、血族に加えられることもなく、己の一生を血族の下に位置させ暮らすしかないのに「血」におもねり、浅ましい猟官運動にも似た妄動を、在家の父母を持つ“一代坊主”がおこなっている。
いずれ、我が子が“代々坊主”となることを夢見ているのであろうか。それでも、日顕らの形づくる宗門中核の外縁をなすにすぎない。
出家社会では、他の職業のように格別の技術、知識が必要ではない。しかし、上に立てば、途方もない栄誉と富を得ることができる。そうであれば、上位を血族によって独占しようとするのが人間の常。地位にまつわる栄誉と富は、血族間でタライ回しされることとなる。
そのため、正しい出家の動機を持った者は腐って去り、欲と地位に囚われた者のみが残り、宗門はほどなく死滅する。宗門を死滅させないためには、民衆を身近に感じ、慈愛をもって接するという、真実の出家の自覚に立つべきである。
それをもって、世俗に対する差別感情を超克し、出家社会の骨格をなす差別構造に身を委ねる愚かさをやめ、日顕らの血族支配を打破すべきである。
以上の主張をもって、本稿を著した。