報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十九章 菩薩ぼさつ涌出ゆじゅつ

地涌オリジナル風ロゴ

第694号

発行日:1993年9月4日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

日蓮大聖人の仏意を奉じ“地涌の菩薩”が涌出してきた時に
懶惰懈怠の坊主が妬み嫉み仏弟子を迫害するのは経文通り
〈仏勅シリーズ・第8回〉

戦争遂行のために国家権力による思想統制が進む中、それに抗して日蓮大聖人の仏法を強盛に世間に弘める教団が存在したことは不思議なことであった。地涌の菩薩とは、泥水に穢されず清らかな華を咲かせる蓮華のようである。この教団の実相を如実に見るにつけ、仏意仏勅の団体なればこそと思えるのである。

難の時代にあって、法義を曲げ、信徒を迫害した宗門に地涌の菩薩を名乗る資格はなく、国家神道に染まり狂刃を振るう国家権力に抗して布教を推し進めた創価教育学会こそ地涌の菩薩の和合僧団である。

なかんずく、創価学会の代々会長は、日蓮大聖人の血脈を自身のものとして、世間法に左右されず身軽法重の弘宣をおこなってきた。それが、創価学会の歴史の核心である。

日蓮大聖人曰く。

「一不染世間法如蓮華在水従地而涌出の事
仰に云く、世間法とは全く貪欲等に染せられず、譬えば蓮華の水の中より生ずれども淤泥にそまざるが如し、此の蓮華と云うは地涌の菩薩に譬えたり、地とは法性の大地なり所詮法華経の行者は蓮華の泥水に染まざるが如し、但だ唯一大事の南無妙法蓮華経を弘通するを本とせり」(御講聞書)

【通解】一、「世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し、地より涌出す」の事。
 日蓮大聖人の仰せにいわく、「世間の法に染まらず」とはまったく貪欲等に染められないことで、たとえば蓮華が泥水の中から生じているけれども、汚い泥に染まらないようなものである。この「蓮華」というのは、地涌の菩薩にたとえられている。「地」とは法性の大地である。結局、法華経の行者は蓮華が泥水に染まらないようなものである。ただ唯一大事の南無妙法蓮華経を弘通することを根本とするのである。

昭和十七年。前年十二月八日のハワイ奇襲、マレー半島上陸により、日本軍は太平洋戦争の緒戦を相次ぐ勝利で飾ったが、昭和十七年の中頃には、早くも戦局は日本にとって不利なものとなった。

一月二日、フィリピンのマニラを占領、同月十九日ビルマ占領、二月十五日、シンガポール占領と続いた日本軍の勝利も、六月五日のミッドウェー海戦において日本海軍が惨敗してから形勢は逆転した。八月七日には米軍がガダルカナル島に上陸、十二月には大本営がガダルカナル撤退を決定した。

この昭和十七年は、言論統制が徹底された年でもあった。新聞の整理統合が進められ、同人雑誌のほとんどは終刊にさせられた。十二月には英米音楽の演奏が禁止になり、雑誌なども英語名が禁じられた。

戦局が緊迫し、さらに悪化するにつれ、国家権力による国民への統制が強まった。このような暗い時代にもかかわらず、創価教育学会は折伏を推し進めていた。

だが、牧口会長時代の折伏は罰論を表にしたものだけに、折伏された者の中には強い反感を抱く者もいたようだ。まして、その折伏は時勢に反し、国家神道をも破折しておこなわれたのである。創価教育学会を官憲に投書をもって訴える者もいたようである。

昭和十八年七月分の『特高月報』は、昭和十七年一月以降、警視庁に創価教育学会について密告する者がいたことを記している。

「客年一月頃以降警視廳當局に對し『創價教育學會々員中には多數の現職小學校教員あり且其の教説は日蓮宗に謂ふ曼荼羅の掛幅を以て至上至尊の禮拜對象となし、他の一切の神佛の禮拜を排撃し、更に謗法拂ひと稱して神符神札或は神棚佛壇等を焼燬撤却し、甚しきは信者たる某妻が夫の留守中謗法拂ひを爲したる爲離婚問題を惹起せり』等屡々投書せる者あり」

官憲は、昭和十八年夏に創価教育学会幹部を大量検挙するが、その前年の一月にはすでに治安維持法違反、不敬罪の疑い濃厚として同会に対し強い関心を持っていたのである。

しかし、昭和十六年末に会員二千人を擁するまでになった創価教育学会の折伏活動は、昭和十七年になってますます活発なものとなった。

昭和十七年一月の「生活革新實驗證明座談會」は、都内十二カ所で開かれている。以降、都内で開かれる座談会は、二月十四カ所、三月十六カ所、四月十四カ所、五月十四カ所で開かれている。座談会出席者は一会場三十~六十名くらいであった。言論統制をものともせず、大変な熱気をもって都内全域で座談会が開かれていたのである。『價値創造』第六号(昭和十七年二月十三日付)はその第一面トップに、「門家の明鏡」と題して『兄弟抄』の御聖訓を紹介している。

その御聖訓の中に書かれている、

「魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云く『行解既に勤ぬれば三障四魔紛然として競ひ起る乃至隨ふべからず畏るべからず。之に隨へば人をして惡道に向はしむ。之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云々。此釋は日蓮が身に當るのみならず門家の明鏡也。謹で習傳て未來の資糧とせよ」

【通解】魔が競い起こらないならば、その法が正法であるとはいえない。摩訶止観の第五の巻には、「仏法を持ち、行解(修行と知解)が進んできたときには、三障(煩悩障、業障、報障)四魔(陰魔、煩悩魔、死魔、天子魔)が紛然として競い起こる。だが、三障四魔に決して随ってはならない。畏れてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる」等と書かれている。摩訶止観のこの釈は、日蓮の身に当てはまるばかりでなく、門家一同の明鏡である。謹んで習い伝えて、未来永久に信心修行の糧とすべきである。

という箇所が印象的である。この頃、座談会には官憲が立ち会うこともあったというから、弾圧を予見してこの御聖訓を拝するようにしたのであろうか。あらゆる障魔を恐れず、日蓮大聖人の仏法を弘教していた創価教育学会の気概が伝わる。

この『價値創造』に紹介された御聖訓は、

「天台宗の人人の中にも法華經を信ずるやうにて、人を爾前へやるは惡道に人をつかはす獄卒也。云云」

【通解】天台宗の人々の中にも、法華経を信ずるようでいて実際は法華経以前の華厳・阿含・方等・般若といった爾前の教えへ向かわせる者は人を悪道に行かせる獄卒である。

という箇所まで引用されている。

『價値創造』第八号(昭和十七年四月十日付)には、三月八日に開かれた中野支部座談会のもようが報じられている。

「この時牧口先生御出席。門家の明鏡について解説される。〔日蓮正宗の人ゝの中にも法華經を信ずるやうにて、人を爾前へやるは惡道に人をつかはす獄卒也〕と斷定された御言葉は痛烈であつた」

創価教育学会が折伏を進めていくに従い、日蓮正宗内にそれを心よく思わない人々が生じていたようで、牧口会長はこれら懶惰懈怠の僧を「獄卒」と断じていたのである。

『價値創造』第六号(昭和十七年二月一日付)には、渋谷義夫・埼玉県女子師範学校長(当時)に対する辻武寿・現創価学会参議会議長の折伏のもようが報じられている。その会話の中に興味を引く箇所がある。

「澁谷氏『まだまだそんなことでは弱い。正法と言ふのは國體である。日蓮もよいがあまり言ふと彈壓されるぞ』

辻『彈壓はされた方が却つて私達は面白いのです。日蓮正宗に來ないかぎり、眞の國體明徴は分かりませんよ』」

この辻氏の発言は、決して辻氏の一存でなされたものではあるまい。普段から創価教育学会内部で、このような会話がおこなわれていたものと思われる。それだからこそ、機関紙『價値創造』にも会話が紹介されたのであろう。

官憲に対し一種の緊張感を抱きながらも、それにも倍して広宣流布への思いを募らせ、果敢なる折伏がおこなわれていたようだ。辻氏は渋谷学校長との別れ際、

「釋尊は道理・文證・現證の伴はぬものは信ずるなと教へてゐます。罰が當ります。失禮のやうですが、先生本當です。罰が出たらどうぞもう一度お出で下さい」(昭和十七年二月一日付『價値創造』第六号より引用)

と意気軒昂に述べている。

二月一日には東京・神田の本部で幹部会が開かれた。ここで三支部が新設され、支部数は二十五となった。このとき、「挺身隊」という新組織が新たに作られた。その目的は、

「一、各職域の指導的地位にある者を折伏する

 二、特別會員の獲得

 三、退轉者の再折伏

 四、當宗の害蟲的信仰者の再折伏

 五、僧侶の諫暁」(昭和十七年三月十日付『價値創造』第七号より引用)

ということだが、この中で「五」に注目してもらいたい。僧侶を諫暁することを「挺身隊」の目的としなければならないほど、当時の日蓮正宗の僧は創価教育学会の進める広宣流布の戦いに対し冷淡であったということである。

創価教育学会が急速に教線を拡大するにあたり、重大な役割を果たした『價値創造』が、国家権力の言論統制によって廃刊となった。最終号は、昭和十七年五月十日発行の第九号。その第九号は第一面トップに「正師邪師善師惡師」と題して『最蓮房御返事』を掲載している。

「予日本の體を見るに、『第六天の魔王、智者の身に入り』て、正師を邪師となし、善師を惡師となす。經に『惡鬼其身に入る』とは是なり。日蓮智者に非らずと雖も、第六天の魔王我身に入んとするに、兼ての用心深ければ身によせつけず、故に天魔力及ばずして、王臣を始として良觀等の愚癡の法師原に取付て、日蓮をあだむなり……」

【通解】私が日本の姿を見るに、第六天の魔王が智者の身に入って正師を邪師となし、善師を悪師となしている。法華経に「悪鬼其の身に入る」と説かれているのはこれである。日蓮は智者ではないけれども、第六天の魔王が我が身に入ろうとしても、かねてからの用心が深いので身に寄せつけない。ゆえに天魔は力及ばず、王や臣下をはじめとして良観等の愚かな法師たちに取りついて、日蓮を怨むのである……。

この御書が『價値創造』に掲げられた一年有余の後、創価教育学会は宗門から迫害された。昭和十八年六月、宗門は創価教育学会に対し神札を受け取るよう命じ、創価教育学会がそれを拒否すると登山止めにした。

また、同年七月に牧口会長らが逮捕され、創価教育学会が弾圧されたことに恐怖した宗門は、ついには創価教育学会を信徒除名にする暴挙に出た。これら後に起きた僧による信徒団体への迫害を考え合わせると、『價値創造』の最終号にこの御聖訓が紹介されたことは暗示的ですらある。

なお、この御書の引用は、「法華經に云く、『惡世の中の比丘は邪智にして心諂曲等なり云云』」まで続いている。

この「邪智にして心諂曲」の「比丘」に、日蓮正宗の僧が含まれていることは無論のことである。『價値創造』にこの御聖訓が紹介されたのも、この意味においてであったと思われる。

この当時の日蓮正宗内には、簡単にこの意味を実感できるだけの悪比丘が、卑しい性根を隠すこともせず、おびただしく存在していたのである。

悪比丘らは、「当宗の教義は即身成仏だから、信心をした者が罰を受けることはない」と、牧口会長の罰論を批判し、折伏も勤行もしない怠け者の信者におもねる有り様であった。

悪比丘らは信徒が信仰に目覚めることより、従順に供養を持ってくることを望み、日蓮大聖人の仏法に忠実な創価教育学会の動きを煙たがったのである。

宗内の様子はこのようなものだったから、創価教育学会員が日蓮正宗の僧の中に「邪智にして心諂曲」の「比丘」を実感することは簡単なことであった。

余談になるが、今日の日顕宗の悪比丘らは、牧口会長時代の悪比丘らより狡智に長けていたようである。

創価学会の威勢を前にして本心を隠し、闇に紛れて紅灯に遊び、息をひそめて「C作戦」を練っていた日顕らは、悪比丘として相当に「進化」したということだろう。「邪智」も「諂曲」の度合いも、日顕らのほうが数段上である。

牧口会長は、この最後の『價値創造』(第九号)に、「法罰論」と題する巻頭言を書いている。その結論部分は、次のようになっている。

「『日女品品供養』に云く『又法華經をば經のごとく持つ人人も、法華經の行者を、或は貪・瞋・癡により、或は世間の事により、或はしなじな(品々)のふるまひ(振舞)によつて憎む人あり。此れは法華經を信ずれども信ずる功徳なし、かへりて罰をかほる(被)なり。〈中略〉』云云。

解に曰く、謗法とは單に不信者ばかりでなく、又た日蓮宗中の邪法信者のみならず、吾々日蓮正宗の信者であつても、純眞に大善生活を行してゐるものを怨嫉するものは『法華經を信ずれども信ずる功徳なしかへりて罰をかほる』ことゝなるのである」

日蓮正宗の「信者」であっても、創価教育学会員を怨嫉すれば罰があたると牧口会長は断言している。ここでは「信者」とされているが、本意が「僧侶」を含むものであることは当時の事情から察することができる。

このように『價値創造』の最終号は、日蓮正宗の法脈に巣くう悪比丘と悪信者を弾呵している。日蓮大聖人の仏法を広宣流布するために、仏意仏勅を体して出現した創価学会は、その草創期より法脈に忍ぶ魔の軍勢と戦うことを余儀なくされていたのである。

正法を弘める者に三障四魔、三類の強敵が猛然と襲いかかることは経文に明らかである。もちろんのことながら、魔は日蓮正宗の中にも存在する。

日蓮大聖人の御在世にあっては、法華経を奉じ日本第一の戒壇堂を擁した天台宗を含めたあらゆる仏教各派が、末法の御本仏を誹謗し、迫害した。仏法の本義を忘れ、時代からも取り残されたエセ仏教徒が、なににもまして真の仏弟子を妬み嫉む。

仏意仏勅の創価学会が、日蓮大聖人の仏法を奉じ折伏に邁進するとき、日蓮大聖人の末流の者らがそれを誹謗し迫害するのは、御本仏の一生に照らしてみれば、むしろ当然であるといえる。

日顕宗の者の中には、創価学会が宗教法人格を得たことにより独立志向になったなどと中傷する者がいるが、創価学会はその発足当時より日蓮大聖人の真の弟子としての使命感に基づき、日蓮正宗僧侶の腐敗や懈怠に対し戦っていたのである。

しかも、僧の堕落に直面しても意欲を挫かれることなく弘法をおこなってきた。戦時下における創価教育学会の戦いを見れば、そのことが明確となる。

昭和十七年十一月二十二日、創価教育学会第五回総会が神田の教育会館でおこなわれ、約六百人が結集した。このとき、創価教育学会の実勢は支部数二十八(東京十六、地方十二)会員数は三千人に及ぼうとしていた。

日蓮大聖人曰く。

「地涌千界出現して濁悪末代の当世に別付属の妙法蓮華経を一閻浮提の一切衆生に取り次ぎ給うべき仏の勅使なれば・八十万億の諸大菩薩をば止善男子と嫌はせ給しか等云云」(教行証御書)

【通解】地涌千界の菩薩が出現して末法濁悪の今の世に、妙法蓮華経を一閻浮提の一切衆生に弘通する仏のお使いとして法華経如来神力品第二十一で別付属を受けたのである。それゆえに、釈尊は法華経勧持品第十三において、仏の滅後に三類の強敵の難を耐え忍び、正法を弘通すると二十行の偈をもって誓った八十万億那由佗の諸大菩薩の申し入れに対しても「止みね善男子」と拒まれたのである。

家族友人葬のパイオニア報恩社