報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十九章 菩薩ぼさつ涌出ゆじゅつ

地涌オリジナル風ロゴ

第690号

発行日:1993年8月23日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

第二次世界大戦が一閻浮提内広令流布の大瑞であるならば
大戦に符合して“法華経の行者”が出現したことも確か
〈仏勅シリーズ・第4回〉

日蓮大聖人曰く。

「瑞相と申す事は内典・外典に付いて必ず有るべき事の先に現ずるを云うなり」(呵責謗法滅罪抄)

【通解】瑞相というのは内典についても、外典についても必ず後に起こることが先に現れることをいうのである。

世間のことですら、物事の起こる前には必ず瑞相がある。“法華経の行者”が末法において大法を弘通するときには、並外れた瑞相があることは、法華経を読めば容易に想像される。

如来神力品第二十一において別付嘱(結要付嘱)がなされ、上行菩薩が末法の世に出現し、南無妙法蓮華経を弘めることが明らかにされたが、この如来神力品第二十一で付嘱がなされるにあたり、“大放光”“大地動”などの十種の神力が現ぜられた。

日蓮大聖人は、

「此の神力品の大瑞は仏の滅後正像二千年すぎて末法に入つて法華経の肝要のひろまらせ給うべき大瑞なり」(瑞相御書)

【通解】この神力品の大瑞相は、仏滅後、正像二千年が過ぎて、末法に入り法華経の肝要が広まるという大瑞相である。

と仰せになっている。末法において南無妙法蓮華経が流布する瑞相は、釈迦の説法時においても、かくのとおりであった。それでは、実際に末法の御本仏日蓮大聖人の御在世当時は、どうであったろうか。日蓮大聖人が「立正安国論」を著される契機となったのは、正嘉元(一二五七)年の大地震であった。

「立正安国論奥書」には、「去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の刻の大地震を見て之を勘う」と明記されている。この正嘉の大地震は、『理科年表』(国立天文台編)によれば、マグニチュード七~七・五とされる。被害状況は、「関東南部…鎌倉の社寺完きものなく,山崩れ,家屋転倒し,築地ことごとく破損.地割れを生じ,水が湧き出た.余震多数」(『理科年表』より)というものであった。

ここで「社寺完きものなく」とされているが、社寺は当時の建築技術の粋を集め、多大の金銭を費やし建てたものである。その社寺がことごとく大損傷を受けたということは、首都・鎌倉がほぼ潰滅したということである。

日蓮大聖人が、「立正安国論」をもって民衆の苦しみを取り除き、国家の安泰をはかろうとされる契機となった正嘉の大地震はこのようなものであった。

日蓮大聖人は、この正嘉の大地震などについて次のように仰せになっている。

「人の悪心盛なれば天に凶変地に凶夭出来す、瞋恚の大小に随いて天変の大小あり地夭も又かくのごとし、今日本国・上一人より下万民にいたるまで大悪心の衆生充満せり、此の悪心の根本は日蓮によりて起れるところなり」(瑞相御書)

【通解】人々の悪心が盛んになれば、天には不祥の異変が現れ、地には不吉な災厄が起こる。また人間の懐く瞋恚(怒り)の大小によって、その現れる天変地夭にも大小がある。現在の日本国には、上一人より下万民に至るまで大悪心が充満している。この悪心は日蓮によって起こったものである。

末法の御本仏日蓮大聖人を憎む者たちが充満することにより、天変地夭が現れたと仰せになっている。

正嘉の大地震を契機に、日蓮大聖人は「立正安国論」を考えられ国家諫暁をされた。この「立正安国論」による国家諫暁の後、幕府による日蓮大聖人への迫害は激しいものとなった。末法の御本仏に対する迫害は、ついに自界叛逆難、他国侵逼難を引き起こすこととなる。

日蓮大聖人が、正嘉の大地震を契機として「立正安国論」を勘案されたのは、

「されば国土やぶれんと・するしるしには・まづ山くづれ草木かれ江河つくるしるしあり人の眼耳等驚そうすれば天変あり人の心をうごかせば地動す」(瑞相御書)

【通解】したがって、国土がまさに崩壊しようとする前兆として、まず山が崩れ、草木が枯れ、河川の水が涸れ尽きてしまう。また、人の眼や耳等が驚き騒げば天変が起こり、衆生の心を動かせば大地が振動するのである。

との理によるものと思われる。首都をほぼ潰滅させた大地震にの崩壊を予見されたのである。

さて、日蓮大聖人御在世の正嘉の大地震以降、現代に至るまでの地震および、それに伴う津波での死者が一万人以上を数える地震を列挙してみたい(『理科年表』を参考にした、マグニチュードはMとして表記)。

一二九三年五月二十七日(鎌倉時代)〈M七〉

・鎌倉…死者数千あるいは二万三千余人。

一四九八年九月二十日(室町時代)〈M八・二~八・四〉

・東海道全般……死者約四万一千人(ほとんどが津波による死者)。

一七〇七年十月二十八日(江戸時代)〈M八・四〉

・『宝永地震』五畿・七道…死者少なくとも二万人。

一七七一年四月二十四日(江戸時代)〈M七・四〉

・『八重山地震津波』八重山・宮古両群島…死者約一万二千人(ほとんどが津波による死者)。

一七九二年五月二十一日(江戸時代)〈M六・四〉

・雲仙岳…死者約一万五千人(ほとんどが津波による死者)。

一八四七年五月八日(江戸時代)〈M七・四〉

・『善光寺地震』信濃北部…死者約一万三千人、うち善光寺参詣者の死者七千人前後。

一八九六年六月十五日(明治時代)〈M八・五〉

・『明治三陸地震津波』三陸沖…死者約二万二千人(ほとんどが津波による死者)。

一九二三年九月一日(大正時代)〈M七・九〉

・『関東大地震』関東南部…死者行方不明者十四万二千余人。

以上、日蓮大聖人御在世から今日までに起きた、死者一万人以上を数える地震を列記したが、これらの地震の中で抜きん出て被害の大きいのが、大正十二年に起きた関東大震災である。

死者行方不明者十四万二千余人を数え、しかも首都機能を完全にマヒさせた。首都に潰滅的打撃を与えたのは、日蓮大聖人の御在世に起きた正嘉の大地震と、日蓮大聖人御入滅の十一年後に起きた正応六(一二九三)年の大地震のみである。

地震が国土の破れる瑞相とするなら、関東大震災は日本を襲った有史以来の他国侵逼難の予兆であったといえる。それはまた、大法興隆の時来る瑞相でもある。

日蓮大聖人曰く。

「而るに去ぬる正嘉年中より今年に至るまで或は大地震・或は大天変・宛かも仏陀の生滅の時の如し、当に知るべし仏の如き聖人生れたまわんか、大虚に亘つて大彗星出づ誰の王臣を以て之に対せん、当瑞大地を傾動して三たび振裂す何れの聖賢を以て之に課せん、当に知るべし通途世間の吉凶の大瑞には非ざるべし惟れ偏に此の大法興廃の大瑞なり」(顕仏未来記)

【通解】しかるに、去る正嘉年中から今年に至るまでの間に、あるいは大地震が起こり、あるいは大天変があって、これらは、あたかも釈尊の生滅の時の瑞相のようである。釈尊のような聖人が生まれてきていることをまさに知るべきである。大空には大彗星が出現した。だが、いったいどのような王臣が、この瑞相に対応するのであろうか。また大地を傾動して、三度も振裂したほど激しいものであった。だが、どのような聖人、賢人の出現をもって、この瑞相に当てることができるのだろうか。これらの大瑞は、一般世間における普通の吉凶の大瑞ではない。これはひとえに、大仏法が興隆し、釈尊の仏法が廃れるという大瑞であることを、まさに知るべきである。

この御聖訓に照らせば、関東大震災は時代を画する“法華経の行者”が出現する兆しであり、大法興隆の大瑞に違いない。

さて、ここまでは大地震を中心に歴史を振り返ってみた。続けて、明治以降の日本の歴史に見られる三災(穀貴、兵革、疫病)について、おもな事件を拾いあげてみたい。関東大震災を境に、日本が滅亡の歩みを一挙に速めていくことが確認される。

明治十(一八七七)年九月

・コレラ大流行。全国で一万三千八百十六人の患者が発生、そのうち死亡者は八千二十七人。致死率五八%。

明治二十七(一八九四)年

・日清戦争が始まる。

明治三十七(一九〇四)年

・日露戦争が始まる。

大正三(一九一四)年八月

・第一次世界大戦に参戦。

大正七(一九一八)年七月~九月

・全国で米騒動頻発。

大正十二(一九二三)年九月一日

・関東大震災。

昭和二(一九二七)年三月

・金融恐慌が始まる。

昭和四(一九二九)年十月

・ニューヨークの株式市場の暴落により世界恐慌が始まる。

昭和五(一九三〇)年十月

・米価暴落。

同年十二月

・国勢調査、失業者三十二万人と発表。

昭和六(一九三一)年

・東北地方に深刻な冷害(米の大凶作)。

昭和七(一九三二)年五月十五日

・五・一五事件。

同年七月

・文部省、農漁村の欠食児童二十万人と発表。

・ “米よこせ”運動が各地に発生する。

昭和八(一九三三)年二月十三日

・株式・商品市場が一斉暴落する。

昭和九(一九三四)年

・東北地方に深刻な冷害。

昭和十一(一九三六)年二月二十六日

・二・二六事件。

昭和十二(一九三七)年六月

・日中戦争が始まる。

昭和十六(一九四一)年十二月八日

・真珠湾攻撃(太平洋戦争が始まる)。

昭和二十(一九四五)年八月六日

・広島に原子爆弾が投下される。

同年八月九日

・長崎に原子爆弾が投下される。

同年八月十五日

・日本敗戦(第二次世界大戦終結)。

以上のように明治、大正から昭和の敗戦に至るまでは、実に激動の時代であった。

明治政府が樹立され、立憲君主の近代国家として歩みを始めた日本だったが、神道を国の基に据え、歩みついたところは戦争と飢餓、疫病の絶えない地獄そのものの世界であった。

日蓮大聖人曰く。

「是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し本門の三つの法門之を建立し一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からん者か」(法華取要抄)

【通解】このように国土が乱れた後に、上行菩薩等の聖人が出現して、本門の三つの法門(三大秘法)を建立し、全世界に妙法蓮華経が広宣流布することは疑いないのである。

国土の乱れるのは、広宣流布の瑞相である。第二次世界大戦が、一閻浮提広宣流布の瑞相であることは御聖訓に明らかである。そうであるならば、日蓮大聖人が仰せの広宣流布を達成するために、仏意仏勅の“法華経の行者”が出現していることも確かなことである。

日蓮大聖人曰く。

「大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」(減劫御書)

【通解】大悪は大善の来る前兆である。一閻浮提が打ち乱れるならば、「閻浮提の中に広く流布せしめる」ということは、よもや疑いあるまい。

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