第490号
発行日:1992年9月2日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
日顕は裁判で大嘘を断罪された山﨑正友に謝罪していた
「あの時は嘘つきと言って悪かった」と謝ったと認めたのだ
去る八月十七日、大石寺大奥対面所において、行学講習会一期~六期生の所化二百名弱を前に日顕が話をした。このとき、日顕は山﨑正友に謝罪した事実を認めた。日顕の発言の要旨は次のとおり。
「かつてある人間に対して『あなたは嘘つきだ』と言ったのである。そのために、ワシとその人間の仲がギクシャクしたが、しかし、その人間の言ったことは本当だった。だから、ワシは最近その人間に謝ったのである」
日顕は、このことを池田大作名誉会長がウソつきであると中傷する話の中で述べた。相手が山﨑正友と言明することは避けたが、日顕の前後の話からみて、その「ある人間」が山﨑正友であると断定される。
平成元年から平成二年にかけての「C作戦」の下地がつくられた時期、日顕は、おもに二つのルートから情報操作されていた。一つは、本応寺住職の高橋公純ルート。この高橋ルートには、弟の段勲や山﨑正友の部下である梅沢十四夫が情報を流した。
高橋と梅沢は、創価学会攻撃の雑誌である『福田』を作っており、そこでさまざまな情報が梅沢から高橋に流された。高橋から日顕に直接報告される場合もあれば、駒井専道などを通して日顕に操作情報が流されたこともあった。
この梅沢の背後には、山﨑正友がいた。山﨑正友は、段勲にも情報を吹き込める立場にあった。
さらに高橋ルートのほかに、宗門が創価学会情報を収集するルートとして海外部主任・仏寿寺住職の関快道ルートがあった。関ルートには、財団法人日蓮正宗国際センターに所属していた市川厚が情報を入れた。
市川は、宗門に池田名誉会長を攻撃させるために意図的な情報を流していた。この市川の背後に、山﨑正友の存在があることも可能性の一つとして考えておかなければならない。
「C作戦」の立案に大きな役割を果たしたのは関快道だが、「C作戦」には山﨑正友が昭和五十三年に書いた「ある信者からの手紙」と酷似している箇所が多い。これらのことから、「C作戦」への山﨑正友の影響は大きいと見るべきだ。
日顕は、高橋ルートや関ルートなどから創価学会中枢に関する操作された情報を得て、池田名誉会長への妬みを強めた。このようにして、日顕が「C作戦」決行に暴走する下地がつくられたのである。下地をつくるのに大きな役割を果たしたのは、山﨑正友や市川厚であった。
日顕は山﨑らに情報操作され、池田名誉会長との仲を離間された。この事実を見抜けず、日顕は山﨑の掌に乗せられ、池田名誉会長を悪、山﨑正友を善と判断するまでになった。この顚倒の判断は、日顕が貪瞋癡の三毒強盛であることに起因する。
日顕は、山﨑正友に誑かされ、「C作戦」断行後の平成三年一月五日に、海外部書記(当時)の福田毅道を通して山﨑正友の部下である梅沢十四夫に山﨑への謝罪の伝言を依頼した(第191号参照)。
この事情については、梅沢が月刊誌『新雑誌21』(平成三年八月号より『新雑誌X』から改題)に真相を暴露している。梅沢は、高橋や福田から「創価学会のスパイ」呼ばわりされ、それに反撃するために極秘の伝言内容を公にしたのだった。
「当時、海外部書記の福田毅道さん、この人と約二時間話したんです。その時に、『梅沢さんは山﨑正友さんに連絡はとれますか』というもんですから、とろうと思えばとれますと言いましたら、その時に、『では山﨑正友さんに猊下さんからのおことづけをお願いしたいんだ』というわけです。
『これから言うことをそのまま伝えていただきたい、〈あの時はウソつきと言って悪かった。かんべんして下さい。〉このように伝えて下さい。梅沢さんは意味が分らなくてもいいんだ。こういう風に言えば山﨑正友さんは理解できるはずです。
ただしこのことは絶対に口外しないでいただきたい。私と梅沢さんの間だけにして絶対マスコミには特に言わないで頂きたい』ということでした。
それで帰ってきまして、たしか六日の日に山﨑正友さんに連絡をとりました。実はこれこれこういうわけでもって、その旨を伝えた。
山﨑さんはいわゆるかつての上司ですから、私のことを梅沢さんといったことは一度もない。それが『梅沢さんそれは本当かね。本当ですか』と、ていねいな言葉で二度も言った、『わかった、どうもありがとう』と、はじめて、あの人がなんていうんですか部下に対する言葉でなくて、『ありがとう』と二度も言った。
『意味は分りますね』このことづけをしたのはかつて大宣寺でもって一緒に机を並べた福田毅道さんという人です、福田毅道先生の電話番号教えますからと言って教えてあげたといういきさつがあるんです」(『新雑誌21』平成三年八月号)
日顕が、山﨑正友に見事なまでに情報操作された帰結が、日顕から山﨑正友への謝罪伝言となって現れたのだ。
山﨑正友は、昭和五十五年に創価学会を謀略によって攻撃した際、「俺は現代の提婆達多だ」と、憤怒の思いを込めて身近な者に語ったことがあったが、日顕は、この「現代の提婆達多」に心をからめとられてしまったのだ。
去る八月十七日、日顕は宗門の未来を担う所化を前にして、「現代の提婆達多」に頭を垂れたことを話した。日顕の心が、いまどこにあるかを如実に示す事実である。
もし山﨑正友が仮出獄したなら、日を経ずして日顕は山﨑の術中にはまるだろう。なにしろ、山﨑正友が服役する前にかけた術から日顕はいまだに醒めやらず、恥じることもなく極悪の山﨑正友に謝罪したと公言しているのだから。
十四章 仮面剥落 終