第374号
発行日:1992年2月2日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
導師本尊に記されている「五道冥官」「冥官」という名は
日蓮大聖人の書かれた御書の中に一度として登場しない
〈導師本尊シリーズ・第3回〉
ニセ曼荼羅である導師本尊に認められている「五道冥官」は、日蓮大聖人の御書には一カ所も出てこない。
ニセ曼荼羅である導師本尊
導師本尊に「五道冥官」が書き込まれていることを理由に、ニセ曼荼羅と断定する本紙『地涌』の指摘に反論するために、日顕宗の教学関係者は「五道冥官」あるいは「冥官」の言葉を、日蓮大聖人の御聖訓の中に探そうとしている。
だが、その試みは徒労に終わるだけである。「五道冥官」「冥官」という言葉は、日蓮大聖人の御書の中にはない。あるのは「五道」という言葉だが、それも「六道」と並記されている事例のみである。「閻魔法皇」も「五道冥官」も一切、日蓮大聖人の御書の中に見いだすことはできない。
念のために記すと、「五道」は三カ所に登場する。繰り返すようだが「五道冥官」「冥官」は、まったく登場しない。「五道」が登場する箇所は次のような御書の文中である。
「三千塵点の当初に悪縁の酒を呑みて五道六道に酔い廻りて今謗法の家に臥したり」(御義口伝)
【通解】(迹門の意は)釈迦仏法の衆生は三千塵点劫という遠い昔に、悪縁の酒、不信、謗法の心を起こして、その結果、地獄から人・天にわたる五道、六道の不幸な生活を酔いめぐってきて、今また謗法の家に生まれたというのである。
「我等衆生・五百塵点の下種の珠を失いて、五道・六道に輪廻し、貧人となる」(御講聞書)
「設い又在在諸仏土・常与師俱生の人なりとも・三周の声聞の如く下種の後に・退大取小して五道・六道に沈輪し給いしが・成仏の期・来至して順次に得脱せしむべきゆへにや」(最蓮房御返事)
【通解】たとえまた「在在諸仏の土に、常に師とともに生ぜん」という人でも、三周の声聞のように下種された後に大乗を退転し小乗に堕ちて五道・六道に深く沈んできたのが、成仏の時がきて順次に得脱されるゆえであろうか。
引用した御書のいずれも、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)と並列的に述べられている。「五道」も「五道冥官」といった「十王信仰」や「地獄信仰」に裏づけられたものとは異質なものである。
なお、日蓮大聖人の御書には「閻魔」「閻魔法王」あるいは「地獄」などの名称が登場するが、御本仏日蓮大聖人が「閻魔」「閻魔法王」あるいは「地獄」を記されるときは、信徒に対し、生きているときに信仰に励むことを諭されてのことである。
「十王信仰」や「地獄信仰」などのように死者への追善を強要し、果ては法要のたびごとに布施を信者から巻き上げようとする、葬式仏教的な考えとは正反対の目的で使用されている。成仏は本人の生前の信仰にかかっていると終始、教えられているのだ。
それに反し、導師本尊は用語的にも歴史的にもまぎれもなく「十王信仰」「地獄信仰」に根づくものである。故人の成仏を、出家を呼んでの儀式の如何に委ねているのである。
結論的にいえば、日蓮大聖人の教法と「五道冥官」とはまったく無縁で、それを御本尊中に認められるなどといったことは、ありえないことである。導師本尊(導師曼荼羅)は、ニセ物以外の何物でもない。導師本尊は、日蓮宗各派が葬式仏教化するなかでデッチ上げられたもので、檀徒を支配し収奪するためのものなのである。
念のため、宗教法人立正安国会が日蓮大聖人の御真筆を集大成した「御本尊集目録」に当たり、そこに集められている百二十三体の御本尊の写真でも確認したが、「閻魔法皇」「五道冥官」の名はなかった。
余談になるが、日蓮大聖人御入滅に際し、枕頭に掛けられたと伝えられている御本尊に、「臨滅度時の本尊」と呼ばれる御本尊がある。現在は、鎌倉比企谷の妙本寺に格蔵されている。弘安三年十月に日蓮大聖人が認められた御本尊である。
この由来は、日興上人の弟子である日代が日郷に与えた書状の中に、「御円寂の時の件の曼荼羅を尋ね出され懸け奉ること顕然也、勿論なり」(宰相阿闍梨御返事)とあることによるとされている。
この「臨滅度時の本尊」にも、「閻魔法皇」「五道冥官」は配されていない、ほかの御本尊同様に、該当する座には「天照大神」と「八幡大菩薩」が配されている。
日蓮大聖人の御入滅にあたり枕頭に奉掲されたとされる「臨滅度時の本尊」の由来が正しければ、臨終にあたり特別に奉掲しなければならない、導師本尊のような別格の本尊などないということが歴史的に実証されることになる。
ともあれ、「五道冥官」という、日蓮大聖人のまったく使われたことのない名称を御本尊の中に書き入れた導師本尊がニセ物であることは、あまりに明白である。日顕は今後、このようなインチキ曼荼羅を書くようなことがあってはならない。
日蓮正宗宗務院は、一刻も早くニセ曼荼羅である導師本尊を末寺より回収すべきである。