第365号
発行日:1991年12月31日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
仏敵となるか否かは池田名誉会長をどう評価するかによる
ならば仏子須らく折伏の大闘将を師と仰ぎ仏果を成就せん
本年一月一日に『地涌』を発信しはじめてから、早や一年が経過した。この間の創価学会と日蓮正宗に起きた激変ぶりは、年初には誰も予想し得なかったことである。
この一年、いったいなにが起き、なにが変わり、なにが明らかになったのか。およそ、ひと口では総括できないことばかりである。しかし、一年の終わりにあたり、概括的にそれを把握し、考えてみる試みは必要なことだろう。
では、どのような変化があったのか。第一番目に挙げたいのは、法主および僧侶の地位の低下である。当人たちはなにも意識せず、いまだに高慢な態度をとっているが、公平な目で見れば、法主および僧侶の威厳は地に堕ちた。
昭和五十四年四月二十四日、創価学会池田大作第三代会長を理由なき引責に追い込んでから、日蓮正宗の法主および僧侶の権威・権力は絶大なものがあった。僧形をなしているだけで、広宣流布を実体的に推進してきた稀有の指導者をも「勇退」させ得たからだ。
当時、池田名誉会長以外の創価学会の幹部、会員の多くは、その根本的矛盾に気づかなかった。その行く末に、どのような僧の腐敗と増長が起こるかということを考える想像力さえなかった。
「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(百六箇抄)
【通解】法というものは自然に弘まるものではない。人が法を弘めるからこそ、人と法がともに尊いのである。
この御金言の意味すら深く思慮しなかった。いうなれば、広宣流布は仏意の故に成る。したがって、本質的な部分においては仏意に基づく軌道があり、信徒は僧に礼節を尽くし、その分限を守り、僧俗和合を気遣い、弘教に余念がなければ広宣流布はできると誰しもが考えていたのだ。
日蓮大聖人の弟子を自認しながら、魔軍との命がけの戦いが広宣流布途上における必然であることすらわからなくなってきていた。日蓮大聖人の御一生が、何故に間断なき魔との戦いであったかについても、心を致さなかったのだ。
日蓮大聖人が仰せになった、
「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(上野殿御返事)
【通解】私、日蓮は生まれた時から今に至るまで、一日片時も心の安まることはなかった。ただこの法華経の題目を弘めようと思うばかりであった。
「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして殿尼御前御書)
【通解】第六天の魔王は十の魔軍を起こして、法華経の行者と生死海の海中にあって、凡聖同居の穢土をとられまい、奪おうとして争っている。日蓮は第六天の魔王と敵対する者として、大兵を起こして戦うこと二十余年である。この間、日蓮は一度もしりぞこうという心をおこさなかった。
などといった、魔軍との全存在を懸けた壮絶な戦いなどは、いにしえの仏の話で、身近なこととして捉えることなど、思いもよらぬことであった。
ところが、創価学会側が好むと好まざるとに関わらず、魔軍は広宣流布の行く手を阻まんと突然、姿を現した。
創価学会が礼節をもって接し、篤い御供養の精神をもって尽くしてきた、日蓮正宗の法主およびそれに連なる僧らが、狂態の限りを演じながら、あらゆる策略をもって仏子らを圧殺しはじめたのだった。増長の故に法主・日顕の身に悪鬼が入り込んでしまったのだ。
創価学会側に日常的な教学研鑚がなければ、法衣の権威をもって和合僧団を破壊しようとする僣聖増上慢の暴虐の前に、創価学会員は
だが現実には、鍛えられた仏の軍勢は日顕らの本質を見破った。僧宝である日興上人の遺志を継ぐべき貫首・日顕が、
僧宝である開祖日興上人が、「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(日興遺誡置文)と、御遺誡された憂慮すべき事態が現実のものとなったのである。
いまや日顕は、仏子らにとって侮蔑の対象でしかない。この一年で「尊貴な人」とされていた者が
一千万人の信徒が、こぞって同様な意識革命をなしたのだ。これを宗教革命といわずしてなんと言うのだろうか。しかも、無血でおこなわれたのだ。
“破邪顕正”は現実のものとなった。“邪”である日顕一派が破れることにより、“正”が顕れた。これが本年、二番目に挙げるべき変化である。
仏意仏勅の団体である創価学会の正義が実証されたのだ。日蓮大聖人のごとくに、人間に対する絶対平等観に立脚し、人間一人ひとりに例外なく生命の充足を喚起させようとしているのは、創価学会しかないことが明確になったのである。一人ひとりの衆生に対する大慈悲を、団体存立の意識として、会員があまねく共有している。
民衆に奉仕する本来の意味の聖職者は、創価学会に雲集していることが歴然としてきた。末法濁悪の今日、出家は俗を超える俗となり、在家の中にこそ本来の出家の精神が息づいていたのである。
いまや、創価学会という和合僧団を仏子全員が守り抜けば、日蓮大聖人御遺命の
身延離山の意義はなにか。一に謗法と断絶すること、二に世界広布を期することにある。宗祖日蓮大聖人の御魂は、断じて謗法の山である大石寺にはない。「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由」(美作房御返事)と、宗祖日蓮大聖人御遺言のとおりである。
日顕一派は、貫首・日顕を三宝の仏宝に位置づけ、公然と三宝破壊をおこない信徒を隷属させようとしている。御本尊様への御供養をかすめ盗り、私腹を肥やし、
日顕みずから先祖代々の墓を禅寺に建立し、禅寺の寺域で法要をおこなった。本来、独身にして身軽法重の範を示さなければならない貫首・日顕が、あろうことか妻帯し、その妻・政子が億単位の浪費をおこない、贅の限りを尽くしている。
不可解なことには、一部の特権階級の僧が聖僧たるべきことを忘れて
富士大石寺には、猊座神秘主義を主張する祭祀特権階級(宗教貴族)はいても、聖僧はいない。口では日蓮大聖人を宗祖としているが、身は邪法邪師そのままに堕落し、日蓮大聖人を迫害した極楽寺良観らの同類である。しかも大石寺の基底をなす、塔中寺院の檀家総代らは正法のなんたるかを知らず、謗法に慣れ親しんでいる。
まさに富士大石寺は、創価学会出現以前よりの大謗法体質を、六十余年を経た今日に至っても浄化できなかったのだ。むしろ、創価学会の献身による宗門興隆にともない、謗法は内在化し病巣は拡大していったといえる。
身延離山から、ちょうど七百年後の平成二年にはじまる日顕らの狂態によって、創価学会が謗法の山と化した
これだけをみても、宗祖日蓮大聖人の大慈大悲を身近に感ずるものだが、それにもまして、日蓮大聖人の教法に本来、具わっていた世界宗教としての特質を、仏子らが共通の認識とし得たことは、身近に迫る世界広布の胎動とも思えるのだ。
まぎれもなく平成三年は、宗教貴族の権威・権力の桎梏から、民衆の魂が解き放たれた年であった。
それを現実のものにし得たのは、仏法史上未曾有の団結と布教力を誇る創価学会の存在があればこそである。創価学会は世界的潮流である民主の時代において、すべての世界市民を幸せに導く旗手としての力を名実ともに備えることとなったのである。
平成三年という年は、創価学会の仏意仏勅に基づく正義が現れた年であった。
それでは、いままで述べてきた平成三年の二大変化である、僧の没落と俗の台頭という表立っての変化は、なぜ生じたのか。誰もが予期することができなかった激変は、なにを真因として起きたのか。激変の奥底にある核はなんなのか。これこそ本年一年を総括する上での最重要事である。
僧の没落、すなわち日蓮正宗の僧たちが「法師の皮を著た畜生」であること。俗の台頭、すなわち創価学会が「仏意仏勅の団体」であること。日蓮大聖人の御遺命である広宣流布実現にあたり、これらの重要な物事の本質はなにをもって顕現されたのか。それは、ただ一つに帰する。
一往は、創価学会池田名誉会長に対する憎悪の念であり、再往はそれに対極するかたちでの池田名誉会長一人の慈悲である。すべては池田名誉会長の
昭和二十二年八月二十四日の入信以来、池田名誉会長は、宗祖日蓮大聖人の仰せのまま死身弘法の戦いを展開した。その結果、池田名誉会長は、日蓮大聖人の門下として立宗以来、誰もなし得なかった大布教を実現した。
仏教史を
「
仏法の方程式どおり、いま障魔が競い起こっている。しかも起きた大難は、三類の強敵のうちで最後に現れるとされる最強敵である僣聖増上慢による法難である。
日蓮大聖人の仰せに曰く。
「上の三人の中に第一の俗衆の
【通解】前にあげた三人の中で、第一の俗衆増上慢の悪口よりも、第二の邪智の僧侶(道門増上慢)の誹謗はよけいに忍びがたい。また第二の僧侶の誹謗よりも第三の大衣を着た阿練若の僧(僣聖増上慢)による誹謗のほうが激しいのである。
「此の三の中に初は忍ぶ可し次の者は前に過ぎたり第三最も甚だし後後の者は
【通解】この三の中に第一の俗衆は忍びやすいが、第二の道門はそれ以上に悪く、第三はもっともはなはだしい。そのゆえは無智の大衆よりも僧尼、僧尼よりも聖人と仰がれている者の方が邪智であり、謗法であると知りがたいからである。
これまで具体的な姿、形を予想することすらもできなかった僣聖増上慢が、宗祖日蓮大聖人の法脈に現れたのだ。現れてみれば、その姿、形は、日蓮大聖人の仰せのとおりであった。
「或は阿練若に
【通解】あるいは人里離れた閑静な場所に衣をまとい、静かな所で真の仏道をしていると思い、世事にあくせくする人間を軽賤する者があるであろう。私利私欲を得る目的で在家のために法を説いて、その結果、形の上では六通の羅漢のように尊敬されるであろう。
この人は悪心を抱き、つねに世俗の事を思い、閑静な場所にいるという理由だけで、自己保身のため正法の者の悪口を並べ立てるであろう。常に大衆の中にあって正法の行者を毀るため、国王や大臣や波羅門居士およびその他の比丘衆にむかって誹謗して、我等の悪を説いて「これは邪見の人であり、外道の論議を説いている」というのであろう。
「
【通解】これに反して、日蓮の弟子のなかに異体異心の者があれば、それは例えば城者にして城を破るようなものである。日蓮は日本国の一切衆生に法華経を信じさせ、仏になるべき血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難に値わせ、挙げ句の果てにはこの佐渡まで流罪した。
「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云」(佐渡御書)
【通解】外道や悪人によって如来の正法が破られることはない。かえって仏弟子等によって仏法は破壊されるのである。獅子の身中に寄生した虫が獅子を食むとはこれである。
難競うをもって創価学会の仏意仏勅は証明され、僣聖増上慢の登場をもって、いまや時は広宣流布の正念場を迎えていることが確かに認識されたのだ。
この正念場にあって、仏子らは総じて法華経勧持品に明かされた遠離於塔寺の難を受け、あわせて開祖日興上人の身延離山の意義を、わが身に当てはめることができたのである。
それだけではない。添書登山の実施により戒壇の大御本尊様の御開扉を阻まれ、御本仏日蓮大聖人が佐渡流罪中に、残された弟子檀那がいかに気持ちを励まし、戦ったかをも偲ぶことができた。
実に逢いがたき難に直面している創価学会員は、今後どのように戦うべきか。佐渡流罪中の宗祖日蓮大聖人は、四条金吾の夫人に、次のように仰せになっている。
「而るにさえもん殿は俗の中・日本には・かたをならぶべき者もなき法華経の信者なり
【通解】ところで左衛門殿(四条金吾)は在俗の中では日本中に肩を並べる者もない強信な法華経の行者である。この夫に付添われるあなたも、日本第一の女性である。法華経の御為には、竜女にも匹敵するけなげな女性であると仏は思われているだろう。女という文字はかかると読む。藤は松にかかり、女は男にかかるものであるから、今はあなたは左衛門殿を師とされて法華経の信心を導かれていきなさい。
昭和四十六年五月八日に、先師日達上人は福山・正教寺内陣改装特別
「この左衛門尉殿は俗の中の第一の信者で、日本には肩を並べる者もない。大聖人が竜ノ口に於いて首を斬られようとした時、馬のくつわをとって自ら大聖人に従い参らせ、若し、大聖人が亡くなるようなことがあれば、自分も腹を切って死のうとせられた。これだけ強い信心の人であった。誠に俗の中で最も信心の強い法華経の信者であります。(中略)貴女の主人は非常に強盛な信心の方だから、その主人について信心して立派に即身成仏をしなさいということです」(『蓮華』昭和四十六年六月号)
日蓮大聖人は、在家であるにもかかわらず強盛な信徒である四条金吾を“師”とするように四条金吾の女房に仰せになっているのだ(ここでも、師を出家の者しか認めない日顕一派の主張が、己義であることが明らかになる)。
日蓮大聖人の御慈悲は、あらゆる衆生がどんな苦難に直面しようとも、見事に日蓮大聖人と血脈を継ぎ、一生成仏を遂げられるようにとのお気持ちであったのだ。出家が必ず師で俗・在家がどんな場合でも弟子でなければならないといった固定観念は懐いておられなかった。
なによりも第一義は、衆生一人ひとりの絶対的な幸福境界の確立、すなわち成仏にあったのである。
平成三年を締めくくり、平成四年に出発するときにあたり、仏子らは、みずからの“師”を生命に刻むことだ。いかに大難が起ころうとも、師弟が離間されなければ、創価学会は出現の一大使命を成就することができるだろう。創価学会員は師である池田名誉会長を守り、団結しなければならない。
一大変化が多元的に起きているように見える事象も、その本質をたどれば一事に帰する。折伏の大闘将である池田名誉会長をどのように評価するかをもって、その一切が彼我にわかれているのだ。
これこそ、ゆるがせにできない着目すべき視点である。それを深く認識するが故に、仏子らは微塵の疑いもなく池田名誉会長を師と仰ぐのである。
「在在諸仏土 常与師俱生」(法華経化城喩品)
その一点をはずせば、天と地も西と東もわからぬ顚倒の人となるのだ。今回の法難を師と共に勝ち抜き、三世にわたる師弟の絆をいっそう確かなものにしたい。
十章 父子暗証 終