報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

六章 両舌りょうぜつ破法はほう

地涌オリジナル風ロゴ

第235号

発行日:1991年8月23日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

総本山第六十世日開上人らは宗門機関誌である『白蓮華』に
禅宗の達磨大師の絵を掲げた広告を載せお金を貰っていた
〈法難シリーズ・第13回〉

明治時代の大石寺は、一部の僧侶の乱脈により大変に疲弊していた。先号(第234号)に記述したように、大石寺というだけで、地元では塩一升も貸してくれないありさまであった。

明治・大正期の日蓮正宗の機関誌は『白蓮華』だった。この『白蓮華』は明治三十九年六月五日、「日蓮宗富士派宗務院」(日蓮正宗は大正元年までは、日蓮宗富士派と名乗っていた)の名で、正式に「機関雑誌」として「公認」されている。以後、同誌には、宗派としての人事、公達(院達)などが掲載される。いわば今の『大日蓮』である。

この正規の機関誌を維持するにも、当時の日蓮正宗(日蓮宗富士派)は資金難のために悪戦苦闘していた。

そのため、『白蓮華』の第一巻第一号は「白蓮華の發刋に就きて」「白蓮華の發刋を祝す」という二つの文に続いて「功徳の母」と題する文を掲載している。『白蓮華』発刊に対する寄付を要望し宗内に呼びかけているのだ。その文を読めば、機関誌を発行するにあたって資金の捻出にいかに苦慮していたかが手に取るようにわかる。

「一金の浄財は福徳圓滿なる、未來の大果を産み出す處の大功徳と變ずるのである、實に一舉両得の大佛事ではあるまいか」

まずは功徳を力説し、すぐさま、「『白蓮華』の發行せらるゝは、實に現今の機擬に適切なる布教の機關であると思ふ、此事業を見ぬ素振聞かぬふりして、之が補助をせなかつたなら、宗祖本佛に對し奉りて罪障を背負はなければならぬ」と、『白蓮華』発行に協力しない者は罪障を背負うと脅している。

その後に続く言葉もふるっている。

「諸君に懈怠謗法の罪を造らせないように、豫め警告するのである」

この表現は実にストレートだ。『白蓮華』の発行に協力しない者は「懈怠謗法」だとしている。

いずれにしても『白蓮華』発行は、日蓮正宗あげての事業であり、布教の要に位置するものであった。それだけの金科玉条を翳しての出版であったが、金のためには実に節操がなかった。協力しなければ「懈怠謗法」とまで威丈高に述べていながら、『白蓮華』発行にたずさわった僧らは、金のために謗法を甘受してしまうのだ。

掲載されている広告は、実にお粗末なものである。とてもではないが、宗祖日蓮大聖人、開祖日興上人に言上のしようがない代物ばかりである。ここにその一部を紹介する。

まずは達磨の絵が大きく描いてある広告である。仏具店の広告だが、「木魚」「般若心経」「仏像」まで、日蓮正宗の機関誌で宣伝することはあるまいにと思う。

『白蓮華』第8巻第3号掲載の「ダルマ」の広告

『白蓮華』第8巻第3号掲載の「ダルマ」の広告

この広告は大正二年二月七日発行の第八巻第二号より始まり、同年十二月まで十一回連続で掲載される。翌大正三年にも、二月、五月、七月と掲載され、都合十五回も登場した。

この当時の『白蓮華』の発行責任者は阿部法運である。阿部法運といえば、のちの総本山第六十世日開上人のことで、当代日顕上人の実父にあたる。

いかに困窮しているとはいえ、達磨の絵を機関誌に大きく掲載して、お金をもらうようになってはおしまいである。

今日、宗門に一大貢献をしてきた創価学会を足蹴にするような所業を、日顕上人らは平気でしているが、高邁、高潔なことを言っておれるのも、創価学会員がこれまで黙々と御供養をし宗門を支えてきたからである。

この達磨の広告は、傲れる出家に信徒のあり難さを教えて余りあるが、一方で日蓮正宗の僧が、謗法に対してかつては、さして厳しくなかったこと、金がなければ平気で法義も踏み外すことを物語っている。

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