第227号
発行日:1991年8月15日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
身延離山の本義は最勝の地を尋ね広宣流布を期すことにある
徒らに波木井の謗法を強調し本義を見失ってはならない
日顕上人はいま、池田大作創価学会名誉会長に対し、波木井実長のレッテルを貼ることに腐心している。十間四面の堂一宇を寄進したのみの波木井と池田名誉会長を比較することは、あまりに不当である。
池田名誉会長の日蓮正宗に対する寄進は、波木井など比較にならないほどの規模である。しかも、池田名誉会長の布教面での功労は宗史に抜きん出ており、三千年の仏教史上においても特筆されるべきものである。
身延離山にあたり日興上人が期された広宣流布の時が、眼前に広がりつつある。身延離山より奇しくも七百年にして、いよいよもって広宣流布は大きく開花しようとしている。今まさに僣聖増上慢も出来し、広宣流布は大詰めに差しかかった。
日蓮正宗総本山大石寺第六十六世日達上人は、昭和四十九年三月二日におこなわれた妙蓮寺本堂の落慶入仏法要の砌、次のように慶讃文を認められている。
「大行尊霊(筆者注 南条時光)は大聖人の大檀越の一人にして大聖人滅後は謗法に屈せず日興上人を援けて大石寺を建立し日蓮正宗の基礎を造れる大篤信の賢人なり
この大行尊霊去りて六百四十二年 昭和四十九年今また大行尊霊に継ぐ大篤信の偉人ありそれ法華講総講頭池田大作なり 今や此の人により宗門は総本山を初め各本山及び末寺に到るまで廃れたるを起し新寺を建立し信徒は日々に増大し一躍大宗門の名により世界に周知せらるるに至る
之れ池田大作の信心の威徳功績のいたす所にして全く昭和の大行尊霊とも云いつべし 日達妙蓮寺本堂新築再建慶讃の式に当り御宝前に総講頭池田大作の徳行を称え御本仏の冥加を得て願わくば此の功徳を以って普く一切に及ぼし宗門一層の隆盛と広宣流布並に世界平和を希う」
妙蓮寺は、宗祖日蓮大聖人より「上野賢人」と称えられた大檀那、南条時光の邸宅のあった場所である。南条時光邸の跡地に所在する妙蓮寺本堂の落慶にあたり、日達上人は、池田名誉会長(当時会長)を「昭和の大行尊霊」すなわち「昭和の南条時光」と讃嘆されている。
ところが今、それから二十年を経ずして日顕上人は、池田名誉会長をして身延を謗法の地と化した波木井実長に擬するのである。いかに日顕上人が定見を持ち合わせず、感情の高ぶり次第では、先師のお言葉も平気でないがしろにするかがわかる。
日達上人が池田名誉会長を「大行尊霊」にたとえられたのは、ゆえなきことではない。
日蓮正宗内事部内で発行されていた『蓮華』(昭和四十六年八月号)は、「総本山所有地の変遷」と題する吉田義誠(現在の吉田日勇能化)の一文を掲載している。その一文を紹介したい。
「第一次・第二次農地開放以前に総本山が所有していた土地は総計三一八四九四坪となっておりまして、ほぼ富士宮市全域にわたって散在しておりました。開放した土地は計二六六五三九坪で、残った土地は境内地を含めて五一九五五坪となってしまいました。
私どもが所化の頃、本山の御用でしばしば狩宿の井出家に使いに行きまして、その時千居を通って狩宿に出る道を通りましたが、その間は殆んど本山所有の山林でした。
この山林も未墾地買収によって開放されてしまいました。何でも、寺院関係の農地開放としては、その規模と徹底した開放に於いて、全国でも一、二位であったと聞いております。
その後、昭和三十四年十二月までに、日昇上人・日淳上人両猊下の御丹精により、本山の所有地は一一五二六七坪となって、ようやく総本山にも復興の曙光がさしはじめたのであります。
そして、御当代日達上人の代に至るや、急速に総本山は発展を遂げ、現在では総計一一三五五五一坪にものぼる、戦前の所有地の実に四倍という、広大な土地を所有するに至ったのであります。
総本山所有地の推移
これ偏えに、御法主上人猊下の御威徳のたまものと、総講頭池田先生の外護の赤誠によるものであると、深く感銘するものであります」
総本山所有の土地面積にしてから、昭和四十五年の時点で戦前の四倍にもなっているのである。池田会長就任前の昭和三十四年末の総本山所有地一一五二六七坪と比較するとなんと約十倍になる。その間、わずかに十二年。総本山大石寺の大変に急激な発展である。
この総本山の隆盛を実質的に支えたのは、創価学会員の死身弘法と献身的な御供養の精神であった。言うまでもないが、池田名誉会長の指揮なくしては、それも現実のものとならなかった。
池田名誉会長の赤誠を肌身で感じられていた日達上人が、池田名誉会長を「昭和の大行尊霊」と称えられたのは無理からぬことであった。
池田名誉会長の全魂を傾けた総本山への御供養の事実を無視し、“波木井実長”とのレッテル貼りをして根拠のない誹謗をするとは、日顕上人は実に無慈悲な人である。
「創価学会は間違っている」「猊下に信伏随従しない創価学会員は地獄に堕ちる」などと日蓮正宗中枢は述べている。だが、総本山の土地のほぼ九割が、創価学会の寄進あるいは創価学会員の御供養をもとに買われた土地であることを忘れないでもらいたい。
身延離山の意義として、日興上人が波木井実長の謗法を誡めても改めないので、身延を去ったということを挙げることは正しいが、それのみに拘泥し、あたかもそれだけが身延離山の本義であるかのように喧伝することがあってはならない。日興上人の尊い行動を矮小化することになる。
身延離山の本義は、日興上人が日蓮大聖人の御遺命を奉じ、最勝の地を尋ね、広宣流布を期したことにある。
「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇なり」(三大秘法禀承事)
【通解】霊山浄土に似たようなもっとも勝れた地を選んで戒壇を建立すべきものであろうか。時を待つべきである。事の戒法というのはこのことである。三国(インド・中国・日本)並びに全世界の人々の懺悔滅罪の戒壇であるばかりでなく、大梵天王や帝釈天等も来たり下って踏むところの戒壇である。
日興上人は日蓮大聖人の御聖訓を帯し、「広宣流布の時・本化国主御尋有らん期」(富士一跡門徒存知の事)のために、身延離山を敢行されたのであった。
日顕上人は身延離山より七百一年目の今日にあって、波木井実長を想起し「仏法の因縁を感ずる」(平成三年七月二十八日・法華講大会)などと言っていないで、日興上人が大法弘通を期して選ばれた「最勝の地」に、世界百十五カ国余一千万人の地涌の菩薩が結集している現実に大いなる意義を感ずるべきである。それこそ身延離山の本義にかなうことである。
持てる器で大海の水をすくい、器よりあふれるをもって大海をそしるようなことがあってはならない。己の器の狭量なるを恥ずべきである。
五章 綺語誑惑 終