第225号
発行日:1991年8月13日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
日蓮大聖人の御消息文を拝せば身延での困窮ぶりが窺える
波木井実長に大功績ありとする日顕上人は狂乱の極みか
先号(第224号)で波木井実長が、身延における日蓮大聖人の御生活を支えるうえで、さほど功のなかったことを論証した。日顕上人が言うように、「日蓮大聖人の三大秘法整足にあたり波木井の外護の功労が大きい」とするのは大きな誤りである。
それでは、身延における日蓮大聖人の御生活を支えたのは誰だったのだろうか。誰よりも功労の厚いのは、その当時の御消息文などから推察するに、南条時光である。御供養の回数、量ともに抜きん出ている。その他にも多くの檀越が、身延の大聖人のもとに御供養を送られている。
千日尼、富木常忍、四条金吾、窪尼、松野殿、三沢小次郎、桟敷女房、太田殿女房、阿仏房、国府入道、曾谷入道、大井荘司入道、高橋六郎兵衛入道、西山入道、妙法尼、新尼御前、池上兄弟などがそれだ。
御供養の内容は、綿、帷、小袖、さかずき、扇、むしろ、ござ、銭、生ひじき、枝豆、なすび、大根、芋、 筍、つくし、はじかみ、干飯、ごぼう、塩、麦、あわ、山芋、昆布、のり、酒、米、味噌、わかめ、串柿、筆、墨など多岐にわたっている。
しかしながら、身延における日蓮大聖人の御生活は、場合によっては食べることにも困窮するほど不自由なものであった。ことに雪害や水害で交通に障害のあるときは、飢えに直面されることもたびたびあったようである。
「食なくして・ゆきをもちて命をたすけて候ところに・さきに・うへのどのよりいも二駄これ一だは・たまにもすぎ」(庵室修復書)
【通解】食物がなくて雪をもって命を支えてきたところ、前には上野殿から芋を二駄、今また貴殿から一駄をお送りいただき、珠よりもありがたく思っている。
日蓮大聖人の身延での御生活ぶりがしのばれる。身延を領地に持つ地頭の波木井の庇護のもと、悠然と生活されていたのでは決してなかったのだ。なにも食べるものがなく雪を食べて飢えをしのがれているとき、上野殿(南条時光)より芋が届き、日蓮大聖人は丁重なお礼を述べられている。日蓮大聖人の心暖まるお礼の言葉が、檀越の信心を督励したであろうことは容易に想像される。
上野殿が塩を送られたときにも、日蓮大聖人は心よりのお礼を述べられている。
「七月なんどは・しほ一升を・ぜに百・しほ五合を麦一斗にかへ候しが・今はぜんたい・しほなし、何を以てか・かうべき、みそも・たえぬ、小児のちをしのぶがごとし。
かかるところに・このしほを一駄給びて候御志・大地よりもあつく虚空よりもひろし、予が言は力及ぶべからずただ法華経と釈迦仏とに・ゆづりまいらせ候」(上野殿御返事)
【通解】七月には塩一升を銭百貫文、塩五合を麦一升と取り替えたが、今は塩もまったくなくなり、なにをもっても買うことができない。味噌もなくなってしまった。小児が乳を慕うような思いであった。
このようなところにこの塩一駄をお送りくださった御志は、大地よりも厚く、大空よりも広く、とても我が言葉では言い表すことはできない。ただ法華経と釈迦仏(のお褒め)にお譲りするだけである。
このように、日蓮大聖人は塩一駄の御供養に対しても、「大地よりもあつく虚空よりもひろし」とされ、そのうえ「予が言は力及ぶべからず」とまで仰せである。御本仏にここまで称賛され、上野殿は無上の法悦にひたったのではあるまいか。
日蓮大聖人は、身延御滞在中に寄せられた他の御供養に対しても、次のように檀越にお礼を述べられている。
「さては財はところにより人によつてかわりて候、此の身延の山には石は多けれども餅なし、こけは多けれどもうちしく物候はず、木の皮をはいでしき物とす・むしろいかでか財とならざるべき」(筵三枚御書)
【通解】財は所により人によって変わるものである。たとえばこの身延の山においては、石は多いけれども餅はない。苔は多いが敷物がないため、木の皮をはいで敷物の代わりとしている。(だからお送りいただいた)筵が財にならないはずがない。
筵を御供養された信者に対し、すばらしい文章をもってその厚志をねぎらわれている。
次に紹介する御書を心に染める思いで読んでいただきたい。日蓮大聖人の御心が、読む人の心を際限なく温めてくれる。日蓮大聖人の教えを弘めることに生涯を捧げた者の功徳は無量であり、諸天も加護を怠ることはない。
「此れは又齢九旬にいたれる悲母の愛子にこれをまいらせさせ給える我と両眼をしぼり身命を尽くせり、我が子の身として此の帷の恩かたしと・をぼして・つかわせるか日蓮又ほうじがたし、しかれども又返すべきにあらず此の帷をきて日天の御前にして此の子細を申し上げば定めて釈梵諸天しろしめすべし、帷は一なれども十方の諸天此れをしり給うべし、露を大海によせ土を大地に加るがごとし生生に失せじ世世にくちざらむかし」(富木殿御返事)
【通解】これはまた歳が九十になっている悲母が、愛子(富木殿)に帷子を差し上げられたのである。みずから両目を無理し、身命を尽くして作られたことだろう。富木殿は子の身としてこの帷子の恩は報じがたいと思ってよこされたのであろうか。日蓮もまた報じがたい。しかしながら、かといって返すべきではあるまい。この帷子を着て、日天の前でくわしい事情を申し上げれば、きっと帝釈・梵天・諸天善神も知られることであろう。帷子は一つであっても、十方世界のあらゆる諸天善神がこのことを知られるであろう。露を大海に入れ、土を大地に加えるようなものである。生々に失われないし、世々に朽ちないであろう。
「すずの御供養送り給い了んぬ、大風の草をなびかし・いかづちの人ををどろかすやうに候、よの中にいかにいままで御しんようの候いけるふしぎさよ、ねふかければはかれず・いづみに玉あれば水たえずと申すやうに・御信心のねのふかく・いさぎよき玉の心のうちに・わたらせ給うか、たうとしたうとし、恐恐」(窪尼御前御返事)
【通解】種々の御供養をお送り頂きました。大風が草をなびかせ、雷が人を驚かすような(法華経誹謗の激しい嵐の)世の中にあって、今まで日蓮を信用されてきたことは不思議なことです。根が深ければ葉は枯れず、泉に玉があれば水が絶えないというように、信心の根が深く、心中に潔い信心の玉が輝いているからでしょう。まことに尊いことです。
「五尺のゆきふりて本よりも・かよわぬ山道ふさがり・といくる人もなし、衣もうすくて・かんふせぎがたし・食たへて命すでに・をはりなんとす、かかるきざみに・いのちさまたげの御とぶらひ・かつはよろこび・かつはなけかし、一度にをもひ切つて・うへしなんと・あんじ切つて候いつるに・わづかの・ともしびに・あぶらを入そへられたるがごとし、あわれあわれたうとく・めでたき御心かな、釈迦仏・法華経定めて御計らい給はんか」(上野殿御返事)
【通解】(冬には)五尺(約一・五メートル)も雪が積もり、もともと人の通わない山道は塞がり、訪ねてくる人もいない。衣服も薄くて寒さを防ぐこともできない。食物も絶えて生命もすでに尽きようとしている時に、生命(死)を防いでくれる御訪問、ひとたびは喜び、ひとたびは嘆かわしく思う。(食べる物も着る物もなく)いっそ一度に思い切って飢え死にしようと覚悟を決めていたときに、(白米をお送りいただいたことは)消えかけた灯に油を注がれたようなものである。なんと尊く、めでたい御志であろうか。釈迦仏・法華経が定めて御はからい給われたのであろうか。
日蓮大聖人が御供養を寄せた檀越を、ふところに抱きかかえるように包まれ、福徳を称えながらお礼を述べられることに、ただただ感動するのみである。この身延での日蓮大聖人の御生活を支えたのは、多くの檀越の方々であった。
と同時に、日蓮大聖人の御文を拝すれば、身延での生活があまりに不自由なことに驚く。波木井が地頭職にあり、その領地内に日蓮大聖人がいらっしゃるのに、日蓮大聖人に対しあまりに行き届かない様子がうかがわれ、筆者などはいらだちさえ覚えるのである。
御消息文より身延での日蓮大聖人をしのんでみると、当時の御生活があまりに困窮したものであったこと、日蓮大聖人が細々とした御供養に対しても最大のお礼を述べられていること、一方で波木井の外護の事跡の少なかったこと、などが判明してくる。
にもかかわらず日顕上人は、去る七月二十一日の全国教師指導会と同様、七月二十八日に総本山大石寺においておこなわれた法華講の大会においても、波木井実長をほめちぎっている。
「まことに身延における御化導こそ大事な意義を持っております。それを可能ならしめたところのものは、すなわちあの波木井実長氏の大聖人様に対する外護であり、心安く法華経を受持読誦遊ばされ、特にこの三大秘法整足の大法を、心豊かになんらの思いも患いもなくこの目的を達成遊ばされた次第であります。ここに考えまするならば波木井実長の功績は、非常に大きなものがあるということを今日深く考える人は少ないようであります」
史実にないのだから、「波木井実長の功績は、非常に大きなものがある」などと考える人など、少なくて当然である。なにを世迷いごとを言っているだろうか。そのような史実にもないことをデッチ上げようと考えているのは、日蓮宗身延派の輩ぐらいだ。
日顕上人が強調するような「波木井の功績」など、日蓮大聖人の御書のどこをどう読んでも出てこないのである。日顕上人は、日蓮大聖人の御消息文をしっかり読み直す必要があるだろう。
そしてなによりもまず、日蓮大聖人が身をもって示されたように、御供養を寄せた信徒、功労のあった檀越に対して、心よりお礼を言える「正直な信心」に立たなければならない。
その信心があれば、今回のような問題は起きなかった。みずからの威張った言動を、日蓮大聖人の御消息文に照らし、よくよく懺悔することこそ、日顕上人にとっていま最も肝要である。
山崎正友の勧める策そのままに、池田大作創価学会名誉会長を波木井実長に擬する暴論などもてあそばないことだ。日顕上人は日蓮大聖人の御消息文にも通じていない法主であることが、満天下に明らかになってしまった。もし史実を無視してまで、波木井実長をほめちぎりたいのなら、日蓮宗身延派へ宗旨替えすることだ。