報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十七章 師弟してい倶生ぐしょう

単行本「『地涌』からの通信(16)」おわりに

仏を装っていた日顕の衣のうちに
煩悩に爛れた肉身が隠されていた

御本仏・日蓮大聖人と肩を並べようとした日顕が、みずからの下半身が起こした不始末のために滅びようとしている。生き仏を演じ、その無謬性のもとに一切衆生を額ずかせようとした男が、シアトルで売春婦と交わった事実が露見したことにより権威を失墜させ自滅した。

仏を装っていた男が、実は、めっぽう不道徳だったのだ。正絹の仏衣の下に、煩悩に爛れた肉身を隠していたのである。御授戒という敬虔な目的で渡米していながら、浄財をもって女性を転がし、おのが色欲を満たしていた。

これが、現代の仏を装った男の実に見苦しい真実の姿だった。日顕は化けの皮を剥がされたのだ。

この日顕を頭目に戴ける一党は、自分たちだけが仏の意に適った特別の人間だと主張し、自分たちに随わなければ、いかに衆生が御本仏を慕い唱題しても不成仏だとまで言っていた。日顕らは、仏を独占するためにのみ言を巧みにしたのだ。

この日顕らの主張は、仏法と相反するものであった。この一年半にわたる“日顕狂乱事件”は、このことを教えてくれた。日顕という僣聖増上慢との戦いを通して、仏子らは仏がきわめて身近なものであることを知った。

我ら衆生は無始以来の色心を有し、仏性を本然的に有していることを知ったのだ。我が身が妙法の当体であること(妙境)を覚知すること(妙智)をなし、絶対不滅の仏身となることにこそ、仏法の本源的な意義があった。唱題をすることにより、「教主釈尊」とまったく同じ生命となり得るのである。

仏は常にこの世界にあって仏の法を説かれている。仏意仏勅の団体である創価学会は、その実在を確信する者たちの集まりである。久遠以来の生命の結合が、魔との戦いのなかで純化され、尊い調べを響かせる。

いま虚構の仏は瓦解し、庶民の仏が台頭した。三世にわたる師弟の絆を確信した者たちが、不滅の勝利をつかんだのだ。

「我等衆生無始よりこのかた生死海の中にありしが・法華経の行者となりて無始色心・本是理性・妙境妙智・金剛不滅の仏身とならん事あにかの仏にかわるべきや、過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり、法華経の一念三千の法門・常住此説法のふるまいなり」(船守弥三郎許御書)

師弟の縁あればこそ、ことごとくの御聖訓も身近になる。

1992年9月

家族友人葬のパイオニア報恩社