報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十七章 師弟してい倶生ぐしょう

単行本「『地涌』からの通信(13)」おわりに

日顕ら僣聖増上慢の祭祀特権階級は
日蓮大聖人の教法を信徒支配に利用する

日顕をはじめとする日蓮正宗中枢に、日蓮大聖人の教法を広宣流布していこうとの大情熱があるだろうか。日顕らには、大法弘通はおろか利他の心すらもないのだ。

日顕ら日蓮正宗中枢を形づくる血閥・法累のしがらみは、ただ一族の繁栄をむさぼろうとしているだけである。そのために、信徒支配をいかに巧妙におこなうかについて腐心してきたのだ。

日顕ら祭祀特権階級は、仏と信徒のあいだに割って入り、自分たちの存在なくしては、いかに末法の御本仏・日蓮大聖人の仏力・法力であろうとも信徒に届かないと主張する。

僧の介在なくしては、日蓮大聖人の大慈大悲も衆生に届かないというのだ。なんと傲慢なる日蓮大聖人の「弟子たち」だろうか。

日顕らは、死者に対し、「僧」がつけた戒名がなければ成仏しない、「僧」の引導がなければ成仏しない、「僧」のみが持つ成仏用の特別な本尊である「導師本尊」(日蓮大聖人とは縁もゆかりもないニセ本尊)なくしては成仏しない――などと純真な信徒を脅す。

言葉に宗教的粉飾をほどこしてはいるが、結局のところ「僧」しか死者を成仏させることができないから我々をないがしろにするな、「僧」を大事にしないと肉親の成仏は不可能だ、と脅しているだけのことだ。

日顕らは、生者に対しても脅しの手をゆるめない。「手続の師匠」である末寺住職を無視しては、「信心の筋目」をはずし成仏できないという。

それならば、これまで末寺住職が創価学会員にいったい何の信心を教えたのか。何も教えもしないのに、にわかに「師」として崇めろといい、崇めなければ成仏しないという。

日顕宗でいうところの「本尊」である日顕は、自分を“現代の大聖人様”と崇めなければ、御本尊を下附しないと脅す。日顕は、日蓮大聖人を七百年前の古仏にし、自分が現代の本仏になろうとしているのだ。

日蓮正宗の法脈に、このようなおぞましい謗法の流れが潜んでいようとは、誰も想像することすらできなかった。初めはただ一人、池田名誉会長のみ日蓮正宗の法脈に潜む邪義を見抜き、強く責めた。日顕ら邪僧の怒るまいことか。

「譬へば師子のねぶれるは手をつけざれば・ほへず迅流は櫓をささへざれば波たかからず盗人はとめざれば・いからず火は薪を加えざれば・さかんならず、謗法はあれども・あらわす人なければ王法もしばらくはたえず国も・をだやかなるに・にたり、例せば日本国に仏法わたりはじめて候いしに始は・なに事もなかりしかども守屋・仏をやき僧をいましめ堂塔をやきしかば天より火の雨ふり国にはうさうをこり兵乱つづきしがごとし、此れはそれには・にるべくもなし、謗法の人人も国に充満せり、日蓮が大義も強くせめかかる修羅と帝釈と仏と魔王との合戦にも・をとるべからず」(報恩抄)

われら師弟は、日蓮正宗の法脈に潜む邪義を責め出し、御本仏・日蓮大聖人の仰せのままの教法を、世界に弘めようとするものである。

1992年5月

家族友人葬のパイオニア報恩社