報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十四章 権力けんりょく欺罔ぎもう

地涌オリジナル風ロゴ

第809号

発行日:1994年12月12日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

裁判で偽証までしたのにまだ隠しネタがあるとうそぶく
顛倒の輩・山崎正友が話すことはいつも真実の逆と知れ

去る十二月三日、日暮里サニーホール(東京・荒川区)において、「国際正法協会」主催による「『池田大作、創価学会の内情をよく知る』講演会」が開かれた。「国際正法協会」会長の園頭広周は、生長の家の本部講師をしていたが、生長の家から離れ、のち高橋信次なる人物を「現代の釈尊」と崇め、「釈尊の秘法」を説いている。

園頭は山崎との接点について、自著のなかでつぎのように書いている。

「〈平成六年〉四月三十日講演が終って五月一日、私は何人か連れて山崎氏を見舞いに行った。

そして、釈尊直伝の『神の光を入れる法』を行じた。山崎氏は現在の日本に取っては大事な方であるから、そのことを神に告げて、光の天下ることを祈った。

そうしたら、それから一週間目に『透析の必要なし』といわれて退院されたのである」(〈 〉内、筆者加筆)

この園頭の「国際正法協会」が主催する講演会で、山崎正友は最近になって何度も講演している。ハタからみれば、山崎は園頭が主催する「国際正法協会」の人寄せパンダ的役割を担わされているようでもある。園頭は、山崎正友のスポンサーであるともいわれている。

今回の講演会においては、山崎と売文家・内藤国夫が話をしたが、いつもながらのつまらぬ話なので、ここでは山崎の発言の一部を紹介するにとどめたい。

この山崎の発言を検証することにより、山崎が根拠のない虚言を弄し、虚勢を張っていることが、読者の方々にもよくよく理解されることだろう。

山崎は講演のなかで池田大作創価学会名誉会長に対し、つぎのように言及した。

「(池田名誉会長を)批判する、あれも、こういうこともある、ああいうこともある、こういうこともある、ずいぶんいろいろなことがある。ほかの人たちのようにドライに言い切れない、まだまだ言い切れない部分がずいぶんございます。それはやっぱり男と男同士、人間と人間としてそばにいた関係もございますので、そこまで言うのはちょっと気の毒だなーという部分がまだまだたくさんございます。それはちょっとこれからも控えねばならんことがあるかと思います。しかし、国会喚問ということにでもなりますれば、それの関係で必要なことは、お話ししなきゃならんかなというふうにも思っております」

この山崎の発言を聞く聴衆のなかには、山崎が池田名誉会長の決定的弱点を握っていながら、憐憫の情からいままで公開していないものがある、はたまた何らかのネタを隠し持っているのではと想像する者もいよう。

あるいはまた、この山崎のハッタリにすっかり乗せられている一部の自民党国会議員は、

「それならば、どんなことがあっても山崎先生を国会で証言させよう」

などと勢いづくことだろう。だが、山崎のこのような発言は、いつもながらのことであり、出獄後、まっとうな生き方を見つけ得ない山崎にしてみれば、反創価学会陣営に媚び、思わせぶりなことを言って生きるしか道はないのである。

山崎は同様のハッタリを、昭和五十六年に恐喝犯として取締当局に追いつめられていたときにもしている。

「私と池田氏との戦いはいよいよ後半戦に入り、対決の舞台は法廷に移される。もはや、どちらも逃げることの出来ない金網デスマッチであり、しかも、どちらかあるいは両方の足が折れるまでは離れることの出来ない“足四の字固め”でからみ合ったような格闘である」(『週刊文春』昭和五十六年三月十九日号)

「今から宣言しておくが、私は池田氏や学会に対して、絶対に手加減は加えない」(同)

この記述は、山崎が創価学会恐喝事件で逮捕され、拘留されていた東京拘置所からの手紙として『週刊文春』に掲載されたものである。

山崎は恐喝事件の裁判の公判を前にして、その裁判がみずからの犯した罪が裁かれるだけであるのに、池田名誉会長との戦いにその本質をスリ替えて、「金網デスマッチであり」「格闘である」「絶対に手加減を加えない」と敵意をむきだしに喧伝していたのである。

以上の拘留中の文面にあるように、山崎は今回の「国際正法協会」主催の講演会でのハッタリとまったく同じ文言を過去にも並べたてていたのだ。

では、その結果はどうであったろう。山崎は、裁判で池田名誉会長にダメージを与える事実をまったく提示できなかっただけではなく、自分の犯罪事実を隠蔽する目的でつぎつぎと偽証をなしただけであった。

その偽証の数々は、検察側によってことごとく打ち破られ、法廷では見苦しいまでの山崎の悪あがきが浮き彫りになった。

山崎を四年間、七十五回の公判を通して、冷静に観察しつづけた東京地方裁判所の吉丸裁判長は、山崎に対し恐喝犯として懲役三年の実刑判決を申し渡したが、同裁判長はその「判決文」において、

「公判では幾多の虚構の弁解を作出し、虚偽の証拠を提出するなど、まったく反省の態度が見られない」

と弾呵している。

みずからの罪を隠すために公判で偽証を繰り返した山崎は、いうならば戦場で空鉄砲を撃った男といえる。もしこのとき、山崎が実弾を持っていたなら、かならずや実弾を撃っただろう。

どこの世界に、実弾を持っていながら空鉄砲を撃つ者がいようか。まして、当の山崎は獄につながれようとしていたのだ。創価学会を傷つけ池田名誉会長を攻撃できる材料がわずかでもあれば、尾ヒレをつけてでも法廷で暴露しただろう。

これは、誰にでもわかる道理である。それなのに、出獄後のいまになって山崎が善人面して鷹揚なことを言っても、それは所詮、“引かれ者の小唄”にすぎない。

顛倒の輩・山崎においては、有無もまた逆転している。有るものは無いということになり、無いものは有るということになる。山崎が有るという創価学会攻撃のネタは、真実のところ無いのである。

それでは、同じ講演会で山崎の語ったつぎなる言葉は、どのように聞くべきだろうか。

「冒頭にも申し上げましたように、池田大作氏とは長いつきあいでありまして、個人的な恨みがあってどうこうということはございません。私は、やらなきゃならない、そういう人間としての良識と使命感に照らして行動しているわけでございます。個人の恨みとかそういうことでは、けっしてございません。どのように宣伝されようと、そういうことで行動しているわけではございません」

この山崎の発言の場合、山崎の心には「人間としての良識と使命感」はなく、池田名誉会長に対する「個人的な恨み」だけが心に充満しているのだと告白していると、正しくは聞くべきだろう。

心は怨念に支配されて千々に乱れていながら、外に平静をつくろう。現代の提婆達多の心奥がそこに垣間見える。

家族友人葬のパイオニア報恩社