報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

二十三章 権威けんい瓦解がかい

地涌オリジナル風ロゴ

第780号

発行日:1994年7月26日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

『週刊新潮』の乙骨、『週刊実話』の段のコメントが同じ
しかもそれが事実に反しているとなればお笑い草である

日顕宗の六万総登山は、予想されたとおり“平成のインパール作戦”そのものであった。日顕という一老人の虚栄心を満足させるため、六万人弱が炎天下に動員され、暑さに喘いだ。

それでは、灼熱地獄と化した前日の七月二十三日(土)、本番の二十四日(日)の大石寺の様子を詳報しよう。その有り様をつぶさに知れば、日顕が第六天の魔王に魅入られた者であることを誰もが確信するに違いない。

竜樹の大智度論には、第六天の魔王について、

「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在と云う」(大智度論巻第九)

とある。第六天の魔王は、法華経の行者が化導してきた人々を奪い、自在に支配して、己の楽しみとするのである。

この六万総登山に動員された者の多くは、日顕らエセ出家に誑かされ脱会した浅はかな退転者である。これらの人々は、日顕らに操られて徒労を重ね、知らず知らずのうちに歓喜を失っていく。その縮図が、この六万総登山に如実に現れていた。

七月二十三日(土)、晴れ。正午の気温は34℃。暑い! ただただ暑い!!

大客殿の前にはタテ十八・九メートル、ヨコ八・一メートルの大型仮設テント十二基と、その三分の一程度のテント十四基が設けられていたが、早くも、「暑くて中にいられない。ほかに涼しい所はないか」との苦情が次々と参加者から出る。

参加者のなかには老人、子供の姿がかなり目立ち、あまりの暑さで多数の者がすでにグッタリしている。大客殿前のだだっ広いコンクリート敷きの広場は、火にかけたフライパンのように熱くなっており、照り返しと地面をはって流れる熱風で、息を吸うのもはばかられるような暑さ。体感温度は40℃超か。

午後一時前、総坊売店で参加者の一人が倒れたのが目撃される。午後二時半頃には、総門脇の配線から煙が出て、ひと騒ぎ。

参加者の暑さに苦渋する姿を知ってか知らずか、日顕はいたってご満悦。午後三時から大書院で五百名の坊主が参加しておこなわれた目通りでは、

「しかし、まー、お天気になってくれて大変ありがたいけども、暑いね。(笑い)ウフフ。えー、まっ、しかし、だいたいこういうことは、そんなにたくさんありませんから、辛抱して、エヘ、よろしくお願い申し上げます」

と、気軽いもの。

午後四時三十分から五時四十分まで、広布坊において檀徒一千七百名、坊主五百名が参加し、入仏式がおこなわれた。開会前の入場時にケガ人が一名出て、医療センターに運ばれた。

総監・藤本日潤はこの入仏式において、

「本日は当広布坊がこのように立派に竣工せられまして、御法主上人猊下大導師のもと、全国の僧俗代表各位の御参列を得て、かくも盛大にかつ厳粛のうちに落慶入仏式がとりおこなわれましたことを、心からお喜び申し上げます。誠におめでとうございます」

と型どおりの祝辞を述べ、

「私ども僧俗一同、この喜びをもっていよいよ和合団結の絆を深め、地涌六万の一員たるの自覚のもと、勇躍歓喜して広布への前進を開始してまいることをお誓い申し上げるものであります」

と、「地涌六万」の実態を無視して浮ついた発言をした。

ちょうどその頃、一人の法華講員が路上で酒に酔って寝ていた。完全にグデングデン。この男も「地涌六万」の一人であることは間違いない。男はワッペンをつけており、「妙源寺(愛媛県)の中島」と名乗っている。

同じ頃、近くの「フジヤマ病院」に法華講役員が暑気当たりで担ぎ込まれ、点滴を受けていた。医療センターは、気分の悪くなった人が次々と運びこまれてゴッタがえしている。

こうした法華講員の混乱をはた目に、午後七時三十分から八時二十分まで大書院において、全国教師指導会がおこなわれた。

庶務部長・早瀬義寛が、創価学会を攻撃するために情報対策室を設置することを打ち出し、以下のように話した。

「まず、第一は『情報対策室』の設置であります。

今般、創価学会に関するあらゆる情報を的確に処理し、処理するために宗務院内に藤本総監を室長とし、宗務院ならびに内事部のメンバー、および各布教区ごとに担当員を置いて、情報対策室を設置することになりました。

これは、創価学会による寺院住職あるいは寺族、および法華講員に対するイヤガラセ、暴力行為、脅迫、迷惑行為、悪質な中傷誹謗、デマ宣伝、ビラの配布、尾行や、その他、目にあまる行為など、および法要や各種会合に対する妨害、あるいは学会の内部および外部からの情報などを集めて、これを情報の種類や内容によって分析し、学会のあくなき宗門攻撃の実態を明らかにするとともに、時に有効的な手段をもって社会的にも問題化していこうということも考慮にいれて設置をするものであります。

もちろん従来、各末寺からは各種の情報を御報告していただいておりますが、個々の対応として処理はしてきたものの、全体的あるいはもっと真意を深めた扱いについては、やや不充分な点がございましたので、今後は情報の活用の場を広げ、かつ有益的判断のもとに価値的処理をしていきたいと考えております。

そのため、このあとお願いする予定でありますが、各布教区ごとに情報収集担当者を置きまして、積極的に情報収集および調査活動をしていただくつもりでございます。

情報収集担当者は、先般、お願いをしました『大白法』の通信員を中心に、当方のほうで選ばせていただきましたので、通知をいただいた方々は、このあとこのままこの場にお残りください。収集担当の方々には、さらにその席で詳しく任務の内容など説明いたしますので、よろしくお願いいたします」

自分たちの組織を守るために創価学会を陥れ、脱講運動を社会問題化しようというのである。そもそも、謀略「C作戦」をもって創価学会を奇襲したのは日顕らであった。

創価学会組織を切り崩すことを目的に、池田名誉会長を何の前触れもなく総講頭職より実質的に罷免し、創価学会総体を“破門”にしておきながら、反撃されると社会問題化しようとする。坊主らの悪賢さには、あきれかえるだけである。

この奸計の裏には、山崎正友や段勲らが自民党の一部議員と綿密な連携をとっている。彼らは、九月に招集が予定されている臨時国会の衆参両院予算委員会に照準を合わせている。

早瀬の打ち出した「情報対策室」は、日蓮大聖人御在世当時、熱原の強信者をウソの罪で幕府に訴えた滝泉寺・行智の「訴状」の役割と同じなのである。

このほか、早瀬は、北海道・室蘭市の深妙寺住職であった大橋信明が、去る七月二十一日、交通事故死したことに触れ、

「誠に残念ながら、去る七月二十一日、北海道室蘭市深妙寺・大塚信明師が、あっ、失礼、大橋信明師が交通事故により亡くなりました。地涌六万大総会を前に、誠に痛恨の極みでありますが、いまはただ心から大橋信明師の御冥福をお祈りするのみであります。〈中略〉

また、くれぐれも無謀な運転は慎み、安全第一に、スピードの出し過ぎには気をつけるようにお願い申し上げます」

と注意を喚起した。さらに早瀬は、

「またマスコミが取材に入っておりますので、最後まで姿勢を正して、まっ、とくにこの居眠りなどしないようにお願いいたします」

と述べ、

「本日は六万の総会出席の登山者が山内にあふれておりますし、整理や警備の方々も寝ずに頑張ってくださっております。また六万総登山の意義を踏まえて、飲酒、お酒は厳に禁止いたします。

内事部からも、塔中へはお酒類は出さないように注意をしておりますので、この点、気をつけていただきたいと思います」

と坊主に徹底。このことは、日顕宗の坊主らの日常的な堕落ぶりを示すものとして注目される。

早瀬につづいて日顕が話をしたが、日顕の話は実に傲慢きわまりないもので、自分の命令は御本仏日蓮大聖人の御命令であると宣言した。

「やはり、この私が常に信じておりますことは、大聖人様が常住の御本仏様であられる……、我々の仏法に対する信心、一挙手、一投足はすべて大聖人様の御照覧遊ばすところであります。

したがって、宗門として大きな動きが、正しくある方向に向かって進まんとするときは、これは形のうえにおいては、そのとき、そのときの立場にある人が、ある者が、いろいろな面で申し上げることもありますが、その根本の意義においては、宗祖大聖人様の大慈大悲の御指南が根本になっておるんだ、と。したがって、明日の六万総登山も、大聖人様の御命令によって我々がここに集まるのであるということを明日も申し上げるつもりでございます。これは信徒の方々に。

しかし、まー、私はやはり、これはけっして、この、私の、私がっていう形も、よく『猊下の命によって明日の六万の登山がある』というような言い方もありますが、この根本精神は、けっして日顕の考えによってあるのではなく、大聖人の御命令をもって我々がそこに集って、これからの真の広布を誓い、また実践するための出陣式であるということを、えー、お互いにまず、ハラにしっかり入れていただきたいと思うのでございます」

この発言こそが、増上慢中の増上慢たる日顕の本音である。

“法主”の命令が即、日蓮大聖人の命令であるという意味において、御本仏日蓮大聖人が常住である、というのだから恐るべき邪義。まさしく、日顕は狂乱“法主”。

この日顕宗の教祖にして“生き仏”が、口を極めて虚勢を張る。

「それはこの、だからお互いにもう泥仕合じゃないんです。こっちはもうはじめっからもう、昭和、平成二年にいつも申し上げているとおり、処置をしたときに、もう仏法のうえにおいて、はっきり勝っておるんです!  『仏法は勝負なり』なんちって、いま頃になって秋谷が勝利宣言したっちゅうけども、これとんでもない。平成二年のときに、もう完全に、仏法のうえにおいて宗門は創価学会に対して勝利をしておるのであります。

それ以降はなんだっていうんだ、ただ犬の遠吠えでワーワーわめいたり、それからありもしないクロウ事件だ、写真偽造事件だ、いろんなものをデッチ上げて、それで悪口、誹謗、中傷をしておるにすぎないじゃありませんか。

もう、それは境界が違うんですね。それだけに、またひとつ、私どもがみなさんに申し上げたいことは、そのうえから、邪正の分別はあくまできちんとしていっていかなきゃならんと。それからもうひとつは、あくまでこの広宣流布に向かって、本当に我々僧侶は、あー、高い境界のうえから“上求菩提、下化衆生”の心をもって、日々夜々、あー、信行に励んでいくことが大切でございます」

日顕の命令により集められる「地涌六万」に、邪宗の者や物見遊山の者が数多く含まれているが故に、創価学会は日顕宗の「地涌六万」は烏合の衆と笑い飛ばし、六月十五日には秋谷会長談話を発表し、勝利宣言をした。

それが、日顕にとっては、はなはだ気に食わなかったようで、上記のような虚勢の弁となった次第。

このあと、自分の「唱題行」を自慢し、加えて常日頃より思っている末寺住職への不信をひとくさり。

「化他のうえからの衆生を導く“行”。この心が、やはりなきゃ困る。どうもなんか、『私のところは信者も少なく、信者が文句ばっかり言って、うるさいのばっかり。もう手のつけようもない』と。『私はどうしようもないから、もうお手上げだ』と。『まー、毎日テレビでも見て、そのうちに金がなくなりゃ少しは宗門から援助がくるだろう』。こんなのもある。『まー、とにかくメシを食っていきゃーいいんだ』と。まー情けない考えなんだね」

要は、“我一人尊し”と日顕は思っているのである。

つづけて日顕は、「原子物理学」「量子力学」「遺伝子の問題」について書いてある「相当厚い本」を最近読んだと自慢し、その著者について「天才」などと持ち上げながら、その舌の根も乾かぬうちに、

「せいぜい一番手前のところで、六識の、からのなんですね、観念観法あたりのところで、えー、現代の言葉でわかりやすく述べておるようです。そしてそれが、まー、ひとつの解脱の道だというようなことを言っておるようですね」

と評し、あたかも自分が仏法の甚深の意義を了解し、世のすべてを達観しているかのように装う。だが、その日顕の高尚な装いも、つづいて話した広宣流布の展開についての次のような低級な話でボロを出した。

「まー、ですから、そういう点から、このウサギとカメという譬えがありますが、あれはまー、みなさん、あれですね、どっちが負けたか勝ったというと、ウサギが負けたんですね。

これはあの、そんならお前と駆け比べっていうのか、これは、向こうのお山のふもとまで、どちらが先に駆けつくかっていうんだね。でっ、ウサギはピョンピョン跳んでったけれど、ここらでちょっとひと休み、ひと眠り、眠っちゃったわけですよ。

そのあいだに、カメは倦まずたゆまずノソノソノソノソ歩いてって、ついにウサギが目を覚ましたときには、カメは到達点に到達していたというんですがね。やっぱり、この、このウサギのこの考え、この、こう、心のなかには、はっきり言ってひとつ、『カメなんかに負けない、おれは絶対にすごいと思うんだ』という、この傲慢な、慢心、驕りがあるんですね。この驕りが人間の一番の、やはりこの、悪徳の意味になっていきますね。

それから、驕りがありますから油断する。『もうこれぐらいで、おれはこれだけ立派なことをやった。これ以上なにがあるんだ。あとは、みんなおれについてくりゃーいいんだ』って。そこにもう、なんか、誰のこと言ってるかわかる、これ?(笑い)

結局、この、あれですね、えー、慢心と、それから驕り、それによってウサギが負ける。カメは目立たないです。見栄えもよくないかもしれない。けれども、着々とみずからの進むべきことを、日々夜々、常に倦まずたゆまず進んでいく。

私は、これからの僧俗一致しての広宣流布の道は、そんな、いつの時代に広宣流布しきるんだとか、そんなへんてこりんな我見をもったね、考え方でなくですね、万年の広布に向かって、本当に着々として一歩一歩進んでいく、これはカメの歩み方で私はいいと思う。これは遅いじゃないか、遅い遅いといいながら、結局、油断して負けちゃう奴がいるんだから。

そんならむしろ、そんな者よりも、一歩一歩、遅かろうが速かろうが、誰がなんと言おうが、必ず一歩一歩、日々夜々、折伏修行、自行化他に進んで進歩していくということですね。これが、私は大事だと思うのであります」

“自分の命令が日蓮大聖人の御命令”と公言してはばからない「傲慢」「慢心」「驕り」の持ち主が、広宣流布の進め方については「カメ」の歩みでいいという。

この落差に、日顕の奥底に潜む真実をうかがうことができる。広宣流布は進まなくてもよい、ほどほどの信者がいて食うに困らなければいいという本心である。それ故に日顕は、「二十万世帯も来ればいい」と「C作戦」に基づき創価学会を切ったのである。

日蓮大聖人曰く。

「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ、うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(べん*殿尼御前御書)

【通解】第六天の魔王は、欲、憂愁、餓渇(うえとかわき)、渇愛(五欲に愛着すること)、睡眠、怖畏(おそれること)、疑悔(疑いや後悔)、瞋恚(怒りのこと)、利養虚称(財を貪ってむなしい評判を得ること)、自高蔑人(驕りたかぶり人を卑しむこと)の十種の魔軍を起こして、法華経の行者と生死の苦しみの海中にあって、六道の凡夫と四聖の聖人が同居している国土、煩悩、業、苦の充満する汚れた国土をとられまい、奪おうとして争っている。日蓮は第六天の魔王と敵対する者として、大兵を起こして戦うこと二十余年である。日蓮は一度も退く心はない。

カメのように広宣流布しろという日顕の言葉は、明らかに御本仏の命に逆らうものである。

それなのに日顕は、自分の意思は御本仏日蓮大聖人の御心と思い込んでいるようで、唱題の意義についても前代未聞の珍説を説いた。日顕がどれほど狂っており、かつ稚拙であるかを読者の方々に実感していただくため、日顕の“珍説法”を少々長くなるが引用する。

「ただ南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えるんだけど、その唱えるときは、これはどういう状態で身体が唱えているかというと、これはもうね、呼吸の場合は、“呼”なんですよね、つまり吐く息なの。吸う息でお題目唱えられる人いるかっていうと誰もいないと思います。ねー。吐く息でお題目を唱えるわけで、だからこう吸って、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。で、またある程度、五十回なんて唱えられない、まっ、五回か十回唱えたら、息がいっぱいもうなくなったら、またこう吸うわけです。それでまた、お題目がつながっていくわけです。

その吸うときの、この心ですね。これやはりあの、うっかりしていたんですが、この吸うときに、やはりこの信の一念という気持ちにおいて、ていうことはどういうことかというと、やはりあの、御本尊様と一体となるというか、御本尊様と自分が一体となっているんだという心をもって、その気持ち、その信で御本尊様を拝している形が基本ですからね。

けれども、その、そういう意味で、あの息を吸う。そうするとあとの唱題が、また、自然にスーッとその意味から、こうズーッとこう出てくるような、私のこれは感じですがね。まっ、体験的な感じなんですが、あると思うんです。

私どもは、まー、たしかにありがたいことに、私もみなさんも、ほとんどこう、あまり雑念浮かばないでしょう。とくに唱題行を百日間やったあとですから……」

唱題を呼吸法に貶めて、しかも自慢げに話す。その“法主”の拙劣な話を坊主五百人が真顔で聞いている。

「その息を吸うときに、御本尊様と一体になるという気持ちをもって吸うと、あとその、それはほんの瞬間的なもんですから、むずかしく考える必要はない。やれ仏界即九界の本因妙なりと、そんなようなことを考える必要はちっともないんで、ただ、息を吸うときにですね、御本尊を信じるんだから、そのまま御本尊即我が身、我が当体と拝する意味で息を吸うと、あとの、今度は吐くお題目がそれに準じた形でどんどんどんどん、こう出てくることを、私は実は感じたんです。

まー、そういう点から、やっぱり境智冥合になりやすいといいますかね、また、あるいは、この我々の命のなかに、この我々はわかんないけれども、やはり仏様の尊い命が自然にいよいよ強く宿って、功徳が成就していくというような、そういう意味で、えー、今後、御指南、御書にも書かれてあるように、えー、唱題行が本当の形において進んでいくところに、ものすごくそういう意味が起きてくると思いますので……。

まー、こういう点は、けっして私はこれは、このいまの話は、どうしろこうしろと言ってんじゃない。みなさんには、もしなんならばまた、あー、そういうことを聞いたから、じゃー、いちおう、試しに体験してみようと、吸う息のときに、あんまり考えない人が多いんじゃないかとも思うんですね。

吸うときに、むしろ御本尊様をはっきりと信じた意識をもって息を吸うというところに、なにかこの、全体の唱題の吐く息のどんどん唱えていくお題目の関連においてもですね、なにかこのまた、新しい面が、もし開けれれば、それもいいんじゃないかと思います。

私は、ちょっとそこに、私自身のなかで、なにかこの充実感を、はっきりいえば感じておるということを、えー、まあ、申し上げておく次第であります。

しかし、これは、あの、そういう首をかしげてる人がいるが、これは不思議、違うんだなんて思ってるかもしれないけれども、(笑い)違うと思ったら違うでいいんですよ。けっして、私が言ったからしろということじゃない。ただ、こういうとくに具体的な形でこういう、教える人がいないからですね、ただ、やはり、この、まあ、私が言ってることについて、もう一言付け加えれば、息、吐く息によって唱えるお題目であります。

ところが、吐く息というものは、吸う息を離れて吐く息はないんです。必ず吸う息によって吐くことができるんです。それから、吐くことによって吸うことができるんですね」

つまらぬ話である。禅坊主が唱題すると、このような迷案が浮かぶのだろうか。こんなつまらないことを考えて唱題していることこそが、雑念を浮かべて唱題しているというのだ。

唱題を深呼吸程度にとらえて、意味不明の禅問答の中に歪曲する。まったくもって日顕は天魔、法滅の妖怪。

日顕は、まだ語る。

「ですから、やっぱり、この息を吸うことと吐くこと、とくに、この吐くことによって、お題目を唱えるわけですから、その精神をもって吸うということは、けっして、その意味だけにおいては、あのー、これはとくに法を説くということではないと思います。

私は、そういう意味で多少、なにか感じさせていただいたものもありますので、みなさん方、若い人もいることですから、唱題行は、これから我々が本当にこの唱題をしながら、この唱題の功徳、信念、また唱題によって得たところの尊い、このあれですね、えー、命をもって、それもって、この衆生を導いていくということが大事であります。まっ、この唱題を常に忘れずに、また自行化他の根本の形において、えー、励んでいっていただきたいということでございます。

まっ、明日はいよいよ六万登山ですが、みなさんとともに、これからの僧俗一致の広宣流布に向かっての前進を誓い合いたいと思います」

何が言いたいのかサッパリわからぬ。炎天下で天日に坊主頭を晒したわけでもないのに、脳は煮え立ち、思考の回路が溶けている。なんとも哀れなる“御師範御法主上人猊下”の全国教師指導会での話であった。

日蓮大聖人曰く。

「頭阿梨樹の枝のごとくに・われたれども悪業ふかくして・しらざるなり」(種種御振舞御書)

夜九時。「地涌六万」の壮年が売店に来て、「だまされた! 温泉に行くといって連れて来られたのに……」とボヤいていた。

泊まっている者は暑さで眠れず、おびただしい人数の法華講員が外で涼をとっている。三門横にある酒屋の自動販売機には、法華講員が長蛇の列。

午後九時過ぎ、塔中の宿坊でケンカがはじまった。暑くて眠れず、些細なことでもいさかいとなる。このケンカは、灰皿がないと法華講員が役員に文句を言ったのが原因となったもの。

ほかにも、くわえタバコで歩いていた法華講員と、それを注意した役員とのあいだで、大ゲンカがあった。これは総坊脇でのこと。

午後十時十分頃、先に道路で酔っぱらって寝ていた妙源寺(愛媛県)の法華講員が、「法華講の青年部に取り囲まれ責められた。頭にきたので帰る」と言い、タクシーを呼んで同行の女性と下山。

午後十時三十分、広布坊に泊まっている女性法華講員が、パジャマ姿で売店街の喫茶店「プラム」に現れる。

「広布坊では二畳に三人が泊まっている。敷き布団はないし、毛布だけ。これは人間に対する扱いではない。クーラーが効かない上ギュウギュウ詰めで、暑くて暑くて耐えられない」

まさに広布坊の中では、人はまるで家畜の扱い。男も女も老人も子供も一緒にザコ寝。子供は暑くてハダカになっている。なかには、大人の男性でもパンツ一枚になっている者がいる。そのそばには、妙齢の女性がランジェリー姿で寝ていた。この危ない情景は総二坊。

総坊の中で眠れない者は、外に並べられている翌日使う本会場用のパイプイスの上で寝ていた。

外では、またケンカ。今度もくわえタバコで歩いていた壮年と整理班の青年とが、取っ組み合いになるのではと思われるような激しいケンカをしている。

涼を求めて夜の大石寺を歩く者の中には、ケガをする者もいた。確認されただけでも、三人の法華講員が側溝に落ちてケガをした。

要領のいい者は、近所の寿司屋などで酒を飲んでいた。「角寿司」では、法華講員数名がビールを飲み、寿司を食べ創価学会の悪口を声高に話していた。

浣衣坊(風呂場)の前は、シャワーを浴びようと子供連れの人たちが常来坊の前まで延々と並んでいる。

深夜(二十四日)三時半頃、次々と到着するバスをさばききれず大混乱となる。この混乱は二時間以上もつづいた。この間、着山しても車から降りられず、大変な数の人々が車中にカンヅメ状態となった。

午前五時半頃、三門前で女性一名が気分を悪くした。医療班が対応したが、輸送用の車両があちこちに呼ばれてフルに動いているため十分以上も来なかった。ここでは役員同士がケンカとなる。

狂乱した日顕の頭脳から発された「命令」を、御本仏日蓮大聖人の「御命令」と信じ、数時間後には「地涌六万」とやらが集うというのだが、果たしてどうなることやら。

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