報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十一章 虚言きょげん羅列られつ

地涌オリジナル風ロゴ

第367号

発行日:1992年1月7日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

新年早々、日顕は全国の教師と寺族を雨の総本山に集めて
自分に従わないなら「早く僧侶を辞めたらいい」と威嚇した

昨日(平成四年一月六日)、総本山大石寺に全国の教師と寺族が集まった。

午前九時五十分、大書院において日顕に「お目通り」をした。十一時より御開扉をおこない、終了後、引きつづき大客殿において全国教師寺族指導会をおこなった。この指導会は、まず日顕が二十分程度、話し、つづいて総監の藤本日潤が五分程度、話した。その後、再び日顕が十五分ほど話をした。

全国教師寺族指導会の雰囲気は一様に重かった。その原因として、新年早々の元朝勤行会がすこぶる不振であったことを挙げることができる。

東京、大阪などの名刹といわれる寺院にしても三百名程度の参詣者しか集めることができず、全国的には二、三名の参詣者しかこなかった寺院もあった。

脱会して直属信徒となった者の中には、早くも末寺住職に愛想をつかし離れはじめた者もいるのだ。いずれにしても、このような参詣者では今後、末寺住職らが生計を立てていくことができないことは、あまりにも明らかなことである。

全国教師寺族指導会に集まった者たちは、これから先の生活を考えると暗鬱たる気持ちに覆われて当然であった。表立ってはその不安を隠そうとしているが、そこかしこで親しい者同士が元朝勤行会の参詣者数を互いに確認しあっている姿には、とてもではないが新年を迎えての新たなる決意をうかがうことはできなかった。

「大変なのは自分だけではない」――これだけが、わずかに慰めになっているだけであった。いずれの末寺も元朝勤行会は惨憺たるありさまだったのだ。

全国教師寺族指導会に集まった者たちは、口には出せぬ切実な思いをそれぞれ抱いていた。だが同指導会において登壇した日顕および総監の藤本は、その参加者たちの気持ちを知ってか知らずか、ただ脅しと締めつけと命令を声高に繰り返すのみであった。

まず登壇した日顕は、「徒に遠くのことを、広布の姿を述べてもそれは、今の宗門の在り方に於いては、むしろ、誤りの姿となると思うのであります」と開口早々に述べ、指導会参加者の未来に対する希望すら断ち切ってみせた。驚くべき宗教指導者である。

直面する現実にあえいでいる者たちに、未来に対する希望すらも与えないのである。そのうえで参加者に対して、みずからの支配が先々にも及ぶことを印象づけるため、

「私もまだ、どうやら健康に恵まれております。私もまた、真剣に皆様と共に本年一年を、真の宗門の広布体制の確立の為に、また一層の正法流布への道を拓くための努力をして参りたいと存じておるのであります」

と述べた。日顕は、自分はまだまだ退座しないぞと言葉をかえて言っているのだ。

そう述べておいて、自分に従わない人間を威嚇している。

「最近は、このー、寺におりながら、宗門の正しい方針に背いて、かすかにせっせと曲がったことを、誤ったことをしておるようなことも、ごく、ごくごくの一部ではあっても、そういう僧侶がまだおるということを聞いております。そんな者は、早く袈裟を返上して僧侶を辞めたらいいと思います」

創価学会に対して思うようにできなかった日顕は、その鬱憤を宗内に対して向けはじめた。いよいよ、意に従わない宗内の僧に対して、あからさまに強権支配をもって臨もうとしているのだ。日顕は、宗内の多くの者が面従腹背をしている現実に気づいていながら、無視して統制を強めようとしているのである。

日顕につづいて登壇した総監の藤本はその発言の中で、創価学会員が集めた「法主退座要求署名」に触れた。

「創価学会は、その後も法主退座要求などという、とんでもない悪業を重ねておりますので、すでに破門されて日蓮正宗から追放されている団体であり、何の権利も法的根拠もなく、まったく無意味な事でありますから、宗門としては、明確に受領を拒否致しました。今後も執拗な挑発を繰り返してくることと思います」

総監の藤本は、日本一四一六万三五〇〇人、海外二〇八万六一三八人、総計一六二四万九六三八人の法主退座要求の署名に対して、「執拗な挑発」といった表現でしか評価できないのである。民衆の声を一切無視する傲慢な権威・権力者の姿そのままである。

藤本は最後に、法華講の組織に山積する問題を処理するために、来る一月二十八日、法華講指導教師指導会を開催することを述べた。だが、問題解決とは言っても、所詮、日顕らに都合のいい方針の押しつけと、信徒支配の強化策の徹底でしかないだろう。

藤本の発言の後、またしても日顕が登壇した。まず日顕は、昨年の登山者が少なかったことに対して恨みごとを言った。

「創価学会の者たちは、やはりまぁ、先般の破門に至る以前に於いてのことですけれども、総本山に参詣するように、個々個々の信徒会員に言うべきである。

しかるに、まったく反対の悪口と誹謗とウソを言って、総本山の様々なことを悪し様に罵り、参詣を一人でもさせないようにというような働きがありました」

日顕一派の専横に仏子らことごとくが怒り、破和合僧の策謀である添書登山に、不服従の精神をもって参加しなかったことが、いまだにもって理解できていないのである。

この情報化時代に、一部の幹部の引き回しで人の行動を制限できると考えること自体が、おかしなことなのである。人々の主体性も英知も認めていない独裁者の認識がここにある。

ともあれ日顕としては、どんなことがあっても本年は、登山者の数を伸ばしたいのだ。そのため日顕は、執拗に登山者の動員を命令している。

「本年度から、是非、ひとつ、支部を単位としての登山を一年に一ぺん計画を願いたい、と思うので御座います。で、これは支部の総登山という意味に是非、考えていただきたい。総登山ですから、ほとんどの来れる人は全部その時に、その支部においてですよ、えー、来ていただく意味であります」

そして、支部総登山の具体的な実施方法を、二月末までに内事部に届け出るよう要請した。全国教師寺族指導会を終えてみれば、日顕ら日蓮正宗中枢の強圧的な姿勢のみが目立った会合であった。

この日、総本山大石寺は参加した僧や寺族たちの心を反映するかのように、冷たい雨が降りつづいた。その雨がまた、参加者たちの心をいっそう暗くしたのだが、日顕はそれらの人々の心を思いやることもなく、

「今ちょうど雨が降ってきまして、えー、これは空気が大変乾燥しておりますから、大事な宗門の衆僧や寺族の方々に風邪をひかせないように、今、お湿りが来たことと思います。大変結構な日で御苦労様でした」(午前九時五十分よりの「お目通り」における日顕の発言)

と空々しくも言い放った。

全国から遠路登山した者に対する心温まるねぎらいの言葉は、日顕の口からはついぞ最後まで聞かれなかった。相も変わらず贅沢三昧をつづける日顕らと、食費、教育費にもこと欠く末寺住職らとの間には、埋めることのできない大きな溝ができてしまっているようだ。

家族友人葬のパイオニア報恩社