報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

十一章 虚言きょげん羅列られつ

地涌オリジナル風ロゴ

第368号

発行日:1992年1月8日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

法主の地位を否定されても反創価ならば手を結ぶ無節操さ
日顕が恥も外聞もなくあの文藝春秋で大嘘を羅列している

来る一月十日発売予定の月刊『文藝春秋』(平成四年二月号)に、日顕の署名原稿が掲載されている。本紙『地涌』編集部は、宗門内情報筋よりその記事のコピーを入手した。宗門内では発売を前にして、早くも『文藝春秋』のコピーが出回りはじめたのだ。

日顕の原稿には、「創価学会会員に告ぐ」との時代がかったタイトルがつけられている。かつて、二・二六事件(昭和十一年)のとき、兵士への投降を呼びかけて、「兵に告ぐ」という戒厳司令官・香椎中将の命令が出されたが、日顕の「創価学会会員に告ぐ」という高圧的な言い回しは、当時の軍部を想起させる。

「兵に告ぐ」は昭和十一年二月二十九日にラジオ放送された。

「戒厳司令部発表 ―兵に告ぐ― 遂に勅命が発せられたのである。既に天皇陛下の御命令が発せられたのである。お前達は将校の命令を正しいと信じ絶対服従をして誠心誠意活動して来たのであろうが、既に天皇陛下の御命令によってお前達は皆原隊に復帰せよと仰せられたのである。この上はお前達が飽くまで抵抗したならば、これは勅命に反抗することになり逆賊とならなければならない。(以下略)」

日顕は創価学会員に接するに、この戒厳司令部とまったく同じような対応である。信徒を人間と認めず、みずからを至上の者としている。至上の者の命令であるから、逆らえば「逆賊」であるといっているのだ。

論理は明解にして、まったく不毛である。現人神が現人仏になっただけ。「現代における大聖人様」のご託宣である。

それにしても、日顕はなにを思って文藝春秋の発行する月刊誌に登場したのだろうか。山崎正友は、昭和五十五年十一月二十日号の『週刊文春』において、日達上人から日顕への相承について疑義をはさむ手記を発表しているのだ。

この山崎の手記が、正信会の輩による日顕の血脈を否定する運動に発展し、百数十名の擯斥処分者を出すこととなったのである。

また、同じく文藝春秋の発行する月刊誌『諸君!』では、内藤国夫がおよそ十年間にわたり記事を書いている。その内藤の書く記事が正信会寄りであることは、衆知のことである。

長年にわたり、日顕の血脈を否定する報道をおこなってきた文藝春秋の雑誌に日顕が登場するとは、日顕の無節操さを象徴するような出来事である。

自分の血脈(この場合、次期法主としての指名)を否定する者であっても、反創価学会であれば手を結んでいく。日顕には怨念はあるが、思想信条はないようだ。

一宗の法主が、信徒に呼びかけるのに一般マスメディアを使うしか手立てがない、哀れなことだ。恥を世間にさらして、恥とも思わない。

おそらくは、一般マスメディアで呼びかければ、組織的圧迫で檀徒になれない創価学会員が何人か脱会して、自分のほうにくるのではないかと思っているのだろう。

現状認識もできない浅知恵しか持ち合わせていないのに、日顕という男は欲だけは深いのだ。その証拠に、創価学会は謗法だといいながら、いまだに日顕を筆頭とする日顕一派が、かつて創価学会員の施した御供養で生活し、創価学会の寄進した寺で生活をしている。日顕らは、単に乞食坊主なのだ。しかも日顕は、大ウソつきである。

日顕が『文藝春秋』に書いている原稿は、巧妙なウソばかりである。それでは、日顕が『文藝春秋』に書いたいくつかの代表的なウソを紹介する。

「『解散勧告』及び『破門通告』にいたる直接の端緒となったのは、一昨年十一月十六日の、池田名誉会長の発言でした」

日顕ら日蓮正宗中枢は、一昨年(平成二年)の夏には創価学会の解体と檀徒づくりを目的とした極秘作戦である「C作戦」の謀議を完了していた。日顕はそれ以降、「C作戦」実行のチャンスを狙っていたのだ。11・16の池田名誉会長の発言を日顕らが問題にしたのは、単に口実である。

まして、そのときの「猊下というものは信徒の、幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません」という池田名誉会長の発言を問題にする日顕こそ、人間として問題にされるべきだ。この日顕、口とは裏腹に自分を“生き仏”と思っているのだから始末が悪い。

日顕は、その後に秋谷創価学会会長らが話し合いを求めたが、「お目通り適わぬ身」と退けた。それにもかかわらず日顕は、月刊『文藝春秋』誌上で、次のように述べている。

「そういう経緯があっても、なんとか善導したいという気持ちは、捨てたわけではありませんでした」

「私たちの誠意をもった善導を聞かず、むしろ逆に彼らの立場からは批判なり、嫌悪なりということが、ずっと蓄積されていたのでしょう。それが一昨年、不意に無法な言いがかりという形で吹き出たと思うのです」

日顕は、「C作戦」を練りに練って創価学会攻撃を開始し、みずから話し合いを拒否していながら、このようなウソをシャアシャアとつくのだ。冥伽料の値上げを創価学会側に断られたことを根に持ち、「不意に無法な言いがかり」をつけたのは、欲深い日顕らであった。

平成二年十二月二十七日に日顕は、池田名誉会長を「規則改正」にこと寄せて総講頭職より一方的に降ろしたが、それについても、

「しかしそのときは、決定的な処分とかいうことではなく、法華講本部の規約改正ということを行い、総講頭などの本部役員の資格を一時的に喪失するということで、その後の反省を期待することとなりました。しかし、まったく期待はずれで、いよいよ宗門にたいして、反抗に反抗を重ねるような様子が出てきたわけでございます。その結果、昨年一年教導・制誡を重ねたすえに、やむをえず創価学会にたいする破門というところにまで至ったわけです」

と述べている。では、日顕らの「C作戦」(別ページに掲載)にはどのように書いてあるだろうか。

「この計画作戦の目的とするところは、池田名誉会長を総講頭職から解任し、日蓮正宗は創価学会とは無縁の宗教団体であることを一般世間に公表し、創価学会組織の徹底壊滅を図り、もって純粋なる信仰に基づく金甌無欠の組織の再編成を目的とする」

まぎれもなく「C作戦」の発端は、「池田名誉会長を総講頭職から解任」であったのだ。明記されているように、池田名誉会長を総講頭職より降ろすことは、「C作戦」の当初より予定されたことであった。

長年、宗門のために莫大な寄進を献身的におこなってきた池田総講頭に対し、宗門はねぎらいの言葉をかけるわけでもなく一片の通知で解任した。「C作戦」には、池田総講頭罷免にあたっての口上と贈答品が、前もって決められている。

「貴殿におかれては、長年にわたり法華講総講頭の要職を務められ、誠に御苦労様でございました。本年、開創七百年にあたり、新時代の広宣流布は新体制のもと、新たなる前進を開始したいと思います。ここに御書一部を贈呈し、感謝の意といたします」

現実に日顕らのおこなったことは、この「C作戦」に定められていたことと大同小異のことであった。その上で、「C作戦」は創価学会側に対して、無理難題をふっかけることを計画していた。

「『そして、池田名誉会長には、法華講総講頭職を勇退していただきました』

『今後、創価学会においては、日蓮正宗の外護団体として宗教法人創価学会の規則に忠実に従い、会長および理事長を中心として、宗門と一体となって貴会の運営をしていただきたいと存じます』

『今後、池田大作氏は、名誉会長の称号のみの立場の人となっていただき、宗門から教導を求めないかぎり、自宅にて待機願います』

『池田大作氏に対する給料については、従来通り、支払ってよろしい』

『第一庶務は、解散することを命じます』

『創価学会の法人責任役員の過半数を、日蓮正宗管長の指名する僧侶が占めることを命じます』

『聖教新聞などの学会発行の新聞・雑誌には、今後一切、池田名誉会長に関する記事を掲載することを禁止します』

『創価学会の中央会議、本部幹部会等の主要会議には、必ず宗務役職員の出席を願い出ることを命じます』」

日顕らは、創価学会に対して要求を突きつけ、それを受け入れて全面降伏するか、あるいは解体されるか、その二つに一つを選べと迫ることとなっていた。

日顕らは、池田名誉会長の総講頭実質的罷免のあと、「C作戦」が暴露されたため「C作戦」をそのまま実行に移すことはできなかった。だが日顕らは、これまでの経緯を無視して海外の信徒組織の改編を謀り、添書登山を強引に実行した。

これらはすべて創価学会の組織解体と檀徒づくりを目指したものだった。基本的な方針は、「C作戦」にのっとっておこなわれたのだった。

日顕が『文藝春秋』の文中で述べていることは、徹頭徹尾、事実に反した巧妙なウソばかりである。

日顕の『文藝春秋』掲載の手記は、十三ページに及んでいる。そのうち、本稿のここまでの記述の中で触れ得たのは、たった二ページと三分の一である。

ここまで紹介してきた日顕のウソに目新しいものはないが、これ以降も同様である。これまで日顕が、折りにふれて述べてきた同じウソの繰り返しである。すでに破折し尽くされた内容を、性懲りもなく書き連ねているのだ。

(これ以上、日顕のウソに興味ある人は、『文藝春秋』を本屋で立ち読みしてください。なお、その反論は創価学会側の『阿部日顕 法主退座要求書』(『聖教新聞』平成三年十二月二十八日付より掲載)に、すでに詳述されているので、それを精読されればよいでしょう)

日顕はこれだけウソをついていながら、

「日蓮大聖人様の教えは『正直』が根本です。あくまで、正しいことをきちんと言うことです。悪い人は事実を歪曲して、いろいろ嘘言ったりするけれども、そのためにどんな難が来ようとも、耐え忍びつつ、正直に正しいことを示していく、という教えです」

と、文中でしらじらしく述べているのだ。

日顕が、この手記で書いているのは、これまで紹介したようなウソと、僧侶と信徒の差別の強調である。いつもながら、信徒は僧侶に従え、もちろん、その論理の背景には、宗内すべての僧侶と信徒は、自分に「信伏随従」しろという気持ちがあるのだ。以下、日顕の差別観と隷属を強いる言葉を紹介し、軽く反論を記す。

「仏法においていかに僧の役目が重く大切であるかが明らかです。その僧は俗の立場とはっきり区別されております」

妻帯し子供をもうけていながら、出家を偽り俗ではないという。そればかりか、僧にあるまじき血族支配をもって栄耀栄華をきわめている。

「僧侶は直接に大聖人から伝わる法の中にあって、それなりの僧侶としての修行もし、寺院にも住して、その法を保っていくという立場は厳然としてあります。信徒はそのお寺の信徒として、あるいは日蓮正宗の信徒としての意味で僧侶の教えを受けながらやっていくのです」

日顕一派の僧は、信徒の寄進した寺院に住しながら、折伏をせず、教学も研鑚せず、ゴルフ、クラブ通いなどの遊興にふけっている。

「一般僧俗は、法主の血脈によって、『三宝』のひとつ、『僧宝』の一分に加わります。本宗の信徒は、唯授一人血脈付法の法主を仏法の師匠としますが、所属寺院の住職・主管もまた、血脈法水への手続の師匠と考えなければなりません。このように、僧侶は信心成就においては、僧俗が一体平等となるが、そこに至るまでの信心化儀という場面では、必ず師弟の筋目が存在するものです」

日蓮大聖人仰せの血脈とは、「生死一大事血脈抄」のとおり。御本仏は、すべての弟子檀那に「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとする」ことを願いとされていた。「血脈」を神秘化し、祭祀特権階級の独占物とすることは、バラモンに通ず。

「日蓮正宗である限りにおいては、ご本尊を信仰する限りにおいては、宗教改革なんていうことがあるはずがないと、私ははっきり申しておきたい。

そもそも宗教改革という言い方自体が、日蓮正宗の教義とはまったく相反するものです。むしろ彼らの考えていることは宗教改革ではなく、宗教改変というべきでしょう。三宝の問題にしても、自分たちも教えを広めているのだから、僧宝であり、だから、現在の僧とまったく平等であるというのです。これも僧にたいする観心主義偏向の素人考えです。こういう風に短絡的に考えること自体が仏法信者として失格です」

日顕は、三宝を歪曲している。僧宝を広義に解釈するなら、信徒まで僧宝に加えるべきである。また「僧」は元来、「僧伽」を意味し、和合僧団(出家と在家で構成された教団の意)のことである。

日顕は、僧が日蓮大聖人の仏法上、重要な役割を担っているとするなら、まず、みずからを正すことである。日顕の行躰、女房である阿部政子のおこない、どれも尊敬に値しない。それ以下の僧にあっても、そのほとんどが堕落した僧ばかりである。おまけに不勉強である。

阿部日顕と藤本日潤が創価学会に出した「創価学会破門通告書」と創価学会側が宗門に出した「阿部日顕 法主退座要求書」の文を並べ、教学力、教養、そして総合的な主張を較べて見れば、その差はあまりに開きすぎている。宗門と創価学会の実力の差は、誰が見ても明らかである。

これで在家(創価学会)は出家(宗門)に額づけといっても、どだい無理な話だ。その上、日常的な弘教の活動となると、それこそ天と地の開きがあるのだ。

日顕らは、信徒から尊敬されたいのであれば、尊敬されるだけの人間にならなければならない。それを強圧的に、“尊敬しろ”と強要するようでは、ますます人心は離れていく。

まして、

「日蓮正宗である限りにおいては、ご本尊を信仰する限りにおいては、宗教改革なんていうことがあるはずがない」

と強弁する。ぶざまなことである。

創価学会は、戸田第二代会長の指導のように「(信心は)日蓮大聖人様の時代に還る」ことを目指している。すなわち御書を根本にして、いっそう日蓮大聖人の教法に忠実である信仰をしようとしているのだ。本来、僧であるならば、“求道心のある信徒たちだ”と賞賛してしかるべきことだ。

日蓮大聖人の時代より七百有余年。日蓮正宗の教義の中には、日蓮大聖人の時代にはなかった、さまざまな不純物が入り込んだ。この教義の改変に、もっとも大きな影響を与えたのは、江戸時代に幕藩体制を寺社奉行と一体になって支え、民衆を支配した封建的思想である。

いま日顕らが述べている論理は、封建時代の残滓にすぎない。日蓮大聖人の仏法に背を向け、民衆を抑圧しようとの論理である。仏子らはいかなることがあっても、決して「聖職者」の横暴の前に屈してはならない。

日顕は、封建思想をもって信徒(民衆)を支配しようとしているのだ。それでいながら日顕は、

「私などもその教えを受けている者として、教団の中で私のことを上へ上へと奉りすぎるのはいけないと、いつも僧たちに言っているのです」

と、心の片隅にもないことを述べている。日顕にとって言葉とは、人を欺く小道具にほかならない。

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