報恩社公式サイト③「地涌」精選

地涌選集

筆者 / 不破 優 

編者 / 北林芳典

八章 仏子ぶっし哄笑こうしょう

地涌オリジナル風ロゴ

第291号

発行日:1991年10月18日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日

日顕は「C作戦」開始のときは瞋りにまかせて独断で強行し
手に負えなくなったら皆の責任で学会を処分しようと言う

やはり、宗内を領導する日顕の自信に翳りが出てきたようだ。創価学会を処分するにあたり、法主の強権をもって断固としておこなうことができなかったからである。

池田総講頭の実質的罷免は、日顕および日顕お気に入りの者たちの密謀でおこなっていながら、最後の強硬措置である「破門」は、宗内の者たちの連帯責任でおこなおうとしている。それも見えすいた茶番劇によってだ。一年も経たないうちに、日顕の統率力はそこまで低下した。

昨十月十七日の午後三時十三分より四時十五分までのほぼ一時間、総本山大石寺大書院において、日蓮正宗の全国教師代表者会議が開かれた。出席者は、二百五十名から三百名。

この代表者会議は、日顕お手盛りの茶番劇に終始した。不測の事態が起きないように、前もって何度となく、「本日の会議は質問は一切なし」との徹底をおこなった。すべてを日顕らの書いた筋書きどおり進めようとするためだ。

日顕ら日蓮正宗中枢によって前もってつくられた筋書きにより、代表者会議は次のように進められた。

まず総監の藤本日潤が、大要次のように話した。

「創価学会は日々月々にエスカレートして、御法主上人猊下を誹謗し、宗門を天魔呼ばわりしている。御法主上人猊下の御指南に信伏随従する姿勢など一切なく、悪意と敵意に満ちた対応に終始している。もはや宗門として、なんらかのケジメをつけるべき時期にきている。そういう声が次第に宗内において大きくなり、かつ広まってきている。そこで急拠本日の会合を開催し、代表者各位より、ご意見や要望を宗務院に対して、ぜひお聞かせいただきたい」

総監のこの言葉を受け、あらかじめ決められていた六名の者が発言をした。その要旨を紹介する(発言順)。

青山聽瑩(広島県・興福寺住職)の発言要旨

・御本尊の下附を停止すべきだ。

・創価学会は切られることを首を長くして待っている。それならば望みどおり切るべきだ。

・学会の責任者の登山停止措置をとるべきだ。

石橋頂道(東京都・慈本寺住職)の発言要旨

・創価学会は、昭和二十七年の宗教法人設立時の三条件を守っていないので、宗教法人創価学会の解散勧告を出すべきだ。

高野法尊(熊本県・涌徳寺住職)の発言要旨

・懲戒、破門処分をすべきだ。

・処分の前に池田名誉会長および幹部に対し、独立宣言の勧告書を、僧侶全員、法華講幹部の連署でおこなう。

・その上で一般信徒に対しては、宗門が処分をしたら日蓮正宗の信徒でなくなるとの「正信教導書」を渡す。それをもって檀徒づくりを進める。

梅屋誠岳(神奈川県・寿照寺住職)の発言要旨

・このまま放置すれば宗門が悪いとの洗脳教育が徹底されてしまうので、一刻も早く創価学会に対し、また創価学会首脳に対する断固たる処置をおこなうべきだ。

花野充道(兵庫県・浄福寺住職)の発言要旨

・ことここにいたっては、両方がお互いに責め合っている、宗門も悪いという人が多く出てくるので、すみやかに「御本尊下附の停止」「登山停止」「講中解散勧告」「名誉会長、会長、理事長の破門」をすべきだ。この膠着状態がつづくと宗門がいやになる者が増える。

水島公正(埼玉県・能安寺住職)の発言要旨

・宗制宗規の信徒の処分条項である、「言論・文書等をもって管長を批判した時は……」等の条項をもって、信仰上の総責任者・池田名誉会長、集団の長・秋谷会長、法人の代表役員・森田理事長をただちに処分すべきだ。そうしないと創価学会によって会員は完全に宗門が悪だと洗脳されてしまう。

 

参加者の印象としては、発言をした六名は、この日のために相当に練習を積んでいたようで、まるで原稿を棒読みするように、よどみなくスラスラと話したということだ。発言者は特命を受けて、事前に宗務当局者らと、ことこまかな打ち合わせをおこなったことだろう。

総監の藤本は、六名の僧侶が発言した後、次のように語った。

「ただ今、六人の代表の方々から大変、各方面にわたる貴重なご意見あるいはご要望を開陳していただきまして、まことにありがとうございました。宗務院といたしましては、これらの貴重なご意見ご要望につきまして、充分、検討させていただきまして、猊下の御指南を賜りながら必要な処置を講じてまいりたいと思います。

私から申し上げたいことは、今日の会合の趣旨を踏まえて、各教区ごとに教区会を十月いっぱいに開催していただきたいと思います。

教区会でおこなうことは、教区内僧侶全員の決議をもって、今日の創価学会の現状からみて、宗門としてこのような措置をしてもらいたいとか、こういう措置を講じていただきたいとか、なんとか学会に対するケジメをつけるための方法を講じていただきたいとかの要望書を、全員の署名捺印をもって宗務院へ十月いっぱいにご提出いただきたい。

内容、書き方は、教区に一切おまかせします。全国的な統一的な内容でなければならないということはありません。本日、各代表者から出していただいた中に、皆さんのお気持ちもすべて集約されている。

ほかにもっとよい要望があればそれでもよい。とにかく全員の署名捺印をもって、宗門全僧侶の全総意として提出していただくことがもっとも大事なことである。正副支院長は大変なことと思うが、できるだけ早期に教区会を開き、決議して提出するように。

全国からの要望書を子細に検討し、猊下の御指南を賜って、できることから実行に移す。何をどのようにおこなっていくかについては、一切、宗務院におまかせいただきたい。これは皆さん方の総意を受けてのことであり、宗務院を全面的に信頼せよ……」(要旨)

なんのことはない。「内容、書き方は教区に一切おまかせします」と言いながら、全員が創価学会の処分決議に署名捺印せよと強要しているのだ。

この総監の話の後で、今回の代表者会議のシナリオに前もって裁可を与えた男である日顕が、これまたあらかじめ用意されていたであろう話をした。

「今日の会合は、聞くところによりますと、はじめに宗務院から考えて始めたことではなく、むしろ宗門の現状を憂うる多くの方々の御意見に基づいて、これらの御意見をハッキリと明らかな形で宗務院が聞くという意味において開催されたというふうに聞いております。

私もそのことを相談を受けて、やはり今の現状を深く考えたときに、この問題に関して、皆さんの意見を聞いて真剣にこの問題に取り組むべきときがきておるということを感じたのであります。しかして、そのことを許可しました。

先般来、多くの代表者の方々がそれぞれ信ずるところを、宗門の現状に基づいて述べたのであります。私もうかがっておりまして、その内容について一つひとつについて、具体的におこなうことにおいては、さらに検討することがあるかと思いますが、その憂宗護法の念は実に尊いものがある。(中略)

この大事なときに遭遇し、きちんとしたケジメをつけ(創価学会を)整理をするということについては、私の考えだけで皆さんに号令をかけるというべきことだけではすまない。そこにはやはり、皆さんのすべての人々が一つになっていくところに、大聖人様の御仏智に添い奉ることになる」(要旨)

かくして代表者会議の茶番劇は、筋書きどおり終了した。まるで学芸会である。これでは、日本最大の単一組織体である創価学会を教導できないのも、無理からぬところだ。このような学芸会程度の茶番劇をもとに、創価学会の処分を正当化しようというのだから笑止である。

いかに茶番劇をもって創価学会の処分を正当化しようとしても、その本質は単に日顕の瞋りのバブルがはじけただけだ。

この代表者会議に出席していた何人かの僧が、次のような感想を洩らした。

「日蓮正宗中枢は、質疑をされることを恐れていた。ともかく不測の議事進行になることを一番、懸念していたようだ。事前に何度も何度も、きょうの会議は質問は一切、受け付けないと徹底していた。なにを恐れているのかといいたい。これだけの重大議案を審議するのに、事前に議案を知らせることもなく、策謀をめぐらせ抜き打ち的におこなう。猊下らしいやり方だ。猊下は一部の者しか信用しなくなっている。末期症状だ」

「前回の池田名誉会長への謝罪要求署名は、有無を言わさず無理やりやらされたが、今回は、やり方や言い方はソフトだが、もっと陰湿でずるがしこいものだ」

「要するに、このまま放っておけば、猊下のテープや墓の問題で宗内がぐらついてくるから、一刻も早く強硬措置をとろうということだが、はたしてそれが通用するか。もう遅いのではないか」

日顕は、瞋りの塊となっている。いまでは自分を褒める言葉か、創価学会をけなす言葉しか受けつけなくなっている。これからは日顕の感情のおもむくまま、創価学会処分へと突っ走ることとなろう。

だがそれは、平成二年の夏に「C作戦」を立案したときからの既定方針でもある。日顕は「C作戦」を立案実行し、創価学会の解体と檀徒づくりを企図した。宗門が、自前の信者のみによって経済的に自立できることを夢見たのだった。

日顕らが密謀した「C作戦」の作戦書には、その目的が明記されている。

「この計画作戦の目的とするところは、池田名誉会長を総講頭職から解任し、日蓮正宗は、創価学会とは無縁の宗教団体であることを一般世間に公表し、創価学会組織の徹底壊滅を図り、もって純粋なる信仰に基づく金甌無欠の組織の再編成を目的とする」

日顕らはもとより、「創価学会組織の徹底壊滅」と檀徒組織の「再編成」を目的にしていたのだ。

昨年(平成二年)十二月二十七日、宗制宗規の変更にかこつけて池田名誉会長を実質的に罷免し、日顕は「C作戦」をスタートさせた。「C作戦」は当初、一カ月程度の電撃作戦を企図していたが、その作戦内容を知った創価学会側から予想外の強固な反撃にあい、作戦実行の変容を余儀なくされた。

だが、「C作戦」の最終目標は変わらなかった。日顕は現段階で「C作戦」の既定方針どおり、創価学会首脳の破門、創価学会の分離という最終目標に、いよいよ踏み込んだのだ。

それにしても、当初(総講頭罷免のとき)より「C作戦」という密謀にそって事を進めておきながら、日顕はこの最終段階において、なぜ、代表者会議などという学芸会にも等しい茶番劇をおこなわなければならなかったのだろうか。

その第一の理由は、冒頭に記したように、日顕の統率力の低下を挙げることができる。もはや、法主の強権をもって創価学会を独断で処分することができないところまで、日顕の統率力は低下したのだ。日顕本人も、一時の天をも衝く自信に翳りを見せはじめている。

日顕は、ここのところ失点つづきである。

宗門機関誌『大日蓮』において「現代における大聖人様」と呼ばせ、悦に入っていた。だが、全国教師指導会で創価学会員の切り崩しを命令している自身の発言を録音したテープを宗外に持ち出された。その品性のない暴言は、信徒たちの法主に対する幻想を吹き飛ばすこととなった。

日顕の失態は、これだけにとどまらなかった。日顕は五百五十万円もの金を費やして、先祖代々の墓を禅寺に建立し、父・日開上人の塔婆を建てて法要まで営んでいたのである。

法主でありながら、日顕は謗法厳戒の宗開両祖の誡めを破ったのだ。

日顕が猊座の尊厳を守ろうとするならば、退座あるのみだろう。ところが、追い詰められた日顕は開き直った。創価学会が日蓮大聖人の教法に基づき、法主でありながら謗法を犯した日顕に懺悔を求めたが、その創価学会に対して、いま日顕は処分をもって応えようとしている。

日顕は、みずからの犯した謗法の重大さの故に、このままであれば退座を余儀なくされるとの危機意識を持ち、日蓮正宗総体を道連れにして、日蓮大聖人の教法に背こうとしているのだ。

そして一方では、日顕みずからが引き起こした「檀徒づくりの暴言」「禅寺墓問題」などの失態により、檀徒づくりがストップした「責任」を回避しようとしているのである。

日顕は、創価学会を処分することにより、宗内強硬派の突き上げをかわそうとしている。そして願わくは、創価学会に対する「破門」などの強硬措置により、停滞した檀徒づくりにカツを入れようとしているのだ。

たしかにその策は、無知蒙昧な教学力のない信徒に対しては、効果があるだろう。勤行もしない、折伏もしない、教学も研鑚していない、そのような信徒を幻惑することはできるかもしれない。

だが、日顕ら宗門中枢と創価学会と、どちらが日蓮大聖人の教法に照らして正しいのかについて、創価学会員はすでに明解な答えを持っている。

まず日顕は、本年(平成三年)当初、創価学会員より三百五十億円の浄財を集めて建立した正本堂について、浄財勧募以来の経過を無視して、意義づけを勝手に変えようとした。

御供養を募ったときの正本堂建立の主旨を、完成後二十年も経過して勝手に変えるなどといった理不尽が、いかに法主とはいえ許されるはずがない。しかも、その正本堂の意義づけを変更しようとする日顕の真意は、池田名誉会長になんとか傷をつけようという不純な気持ちから発しているのだ。

本年初頭、日顕は、「正本堂の三大秘法に関わる意義づけを、池田名誉会長が先師日達上人に先行しておこなった。池田名誉会長の慢心がそこにある」(趣旨)などと言っていたが、事実は、先師日達上人の御指南がまずあり、池田名誉会長はそれを受けて、正本堂の意義づけを創価学会員に徹底指導していたにすぎないことがわかった。まったくの勘違いによる、池田名誉会長に対する讒謗であったのだ。

日顕は、正本堂の意義づけをめぐり、池田名誉会長に「慢心」のレッテルを貼ることに失敗するや、今度は「創価学会は三宝を破壊している」と主張しはじめる。その攻勢は四月ごろより盛んになった。

ところが、この「創価学会は三宝を破壊している」とする荒唐無稽な論は、日顕みずからが三宝破壊を犯すことにより破綻した。

まず、『大日蓮』六月号に掲載した内田和子という信徒が書いた論文は、日顕を「現代における大聖人様」と連呼している。おそらく、当代法主を「現代における大聖人様」と連呼する論文が宗門機関誌に登場したのは、宗史始まって以来のことであろう。この論文は、「現代における大聖人様」を自認している日顕の大慢心におもねり、『大日蓮』編集部が教義を無視して掲載したものにちがいない。

その後、日顕は、能化七名にみずからを「大御本尊様と不二の尊体」などと呼ばせている。僧宝の日興上人すらも飛び越え、仏宝の日蓮大聖人と並ぶ地位にすわろうとしている。日顕は、日蓮大聖人の教法の根幹である三宝を破壊する大慢心を起こしているのだ。

つまり三宝破壊をなしたのは、日顕ら日蓮正宗中枢だったのだ。これをもって、日顕らの創価学会に対する三宝破壊のレッテル貼りは頓挫した。

その次に日顕が思いついたのは、池田名誉会長を波木井実長に擬することであった。七百年前、身延を領地内に持つ地頭の波木井実長が謗法を犯し、日興上人は波木井の謗法を契機に、将来の世界広布を期して身延を離山し、現在の大石寺の礎を築かれた。

日顕は池田名誉会長を波木井になぞらえようとした。日顕は、波木井は日蓮大聖人の御在世中に大変な功績をもって日蓮大聖人をお守りしたが、日蓮大聖人御遷化の後に謗法を犯したために、日興上人は身延を離山された。いかに過去の功績があっても、その後に信心に歪みが生じれば、日興上人のように断じてそれを責めなければならない――日顕はそのように主張し、日蓮正宗あげて池田名誉会長を責めるように煽動したのだった。

だが事実は違っていた。地頭の波木井には、たいした功績はなかったのだ。日顕は、宗門に対する大功労者である池田名誉会長に、大謗法者の波木井実長の汚名を着せようとして、波木井の功績を讃えすぎた。波木井には、名誉会長に比すことができるほどの功績はなかったのである。

日顕は日蓮正宗の法主でありながら、日蓮宗身延派が奉る波木井を、史実に反して評価しすぎ、宗内外の笑い者となってしまった。このことにより日顕は、日蓮正宗始まって以来、最低の法主であるとの評価を固めることとなった。

こうして、日顕の創価学会攻撃の理論は、ことごとく破綻してしまった。もっとも日顕の編み出す理論は、池田名誉会長や創価学会に対する瞋りと妬みに発するものであるから、それも当然である。

日顕は今日に至るまで、創価学会を攻撃するに足る、正当な教学に裏づけられた理論を構築し得ていない。創価学会を攻撃するにはしたが、日蓮大聖人の教義にのっとった大義名分はまったく掲げることができないでいる。

日顕ら日蓮正宗中枢の創価学会処分の根拠は、ただ一つ。法主・日顕に逆らったということだけだ。そのために三宝破壊を推し進めてまで、法主である日顕を日蓮大聖人と同格であるとしている。

日顕に逆らうことは、日蓮大聖人に逆らうのと同じだとしているのだ。日顕らは宗教的な権威・権力をもって、日蓮大聖人の仏法に生涯を懸ける仏子を圧殺し、隷属させようとしているのだ。

日蓮大聖人は、末法の衆生の幸せを願って教法を説かれた。いま日顕ら日蓮正宗中枢は、みずからの支配欲を充たすために御本仏日蓮大聖人の御名を口にする。日顕らは、正真正銘の法盗人である。

池田名誉会長を総講頭から罷免してみせても、仏意仏勅の和合僧団を形成する仏子らの陣列は崩れなかった。もったいなくも戒壇の大御本尊様を策謀の道具に使い、添書登山の奸計をもってしても、仏子らの結束は微動だにしなかった。

いまなんの勝算あって日顕らは、創価学会に対して「独立宣言の勧告書を出せ」、「創価学会首脳を『破門』にするぞ」などと言うのだろうか。それも、茶番劇を踏まえて「衆議一決」しておこなうという。「大謗法、みんなで犯せば怖くない」との心理から、首謀者である日顕が、責任回避の常套手段として、「衆議一決」を持ち出しているのだ。

最初から腰砕けのような作戦で、鉄桶の団結を誇る創価学会を崩せると思っているのだろうか。そのこと自体が、日顕が慢の故に分析能力を失っていることを物語っている。

日顕らは妬みと瞋りに心を焦がし、天魔に魅入られ、悪鬼入其身の姿をさらしているだけである。日顕ら日蓮正宗僧侶は、狂うだけ狂えばよい。狂うことによって、日蓮大聖人の法脈に忍び込んだ、日蓮大聖人の仏法とは無縁の六師外道が、はっきりとその姿をあらわしてくるのだ。

このたびの戦いがなければ、日顕ら日蓮正宗僧侶の心に巣くっている悪鬼たちに、仏子らは知らずしらずのうちに魂を抜かれていただろう。仏法史上、未曾有の和合僧団である創価学会をも食い尽くす、三毒の強盛さである。

この現実を凝視するとき、末法万年尽未来際にわたる一切の衆生が、日蓮大聖人の大慈悲に浴するためにも、このたびの法戦は不可避であったことが、よくよくわかる。

池田名誉会長との三世にわたる師弟の絆を自覚し、一糸乱れぬ団結力をもって、仲よく朗らかに法戦に勝利することだ。

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