第480号
発行日:1992年8月22日
発行者:日蓮正宗自由通信同盟
創刊日:1991年1月1日
宗門が「除名」理由とした名誉会長の発言は全て「破門」後だ
暴君日顕は仏子を皆殺しにしその罪を糾すと叛逆だと言う
「池田大作 信徒除名決定」と題する特集記事を掲載した『大白法』の平成四年八月十三日付「号外」が出回っている。
池田創価学会名誉会長を「信徒除名」にしたことで、創価学会組織に多少なりとも動揺を与えたい日顕宗が、この『大白法』の「号外」を全国的に配布し始めている。末寺に対しても、いつになく大量の『大白法』が押しつけ配布されているようだ。
この『大白法』には、池田名誉会長を日蓮正宗大願寺信徒から「信徒除名処分」に付したとする「通告書」と、「池田大作信徒除名処分の件」と題する日蓮正宗宗務院の「院達」が掲載されている。
両文書とも、本号文末に参考資料として全文、掲載しておく。その趣旨は、天魔・日顕らに領導されている日顕宗が、いかに権威・権力的処置をもって信徒を圧殺しようとしたかを、後世の人々に伝えるためである。
この「通告書」と「院達」は、日顕宗がみずからに下した死の宣告書として、未来の史家に評せられることになろう。自宗の信徒組織の九九パーセント以上を「破門」にし、その指導者を「除名」にして、教団(日顕宗)の未来があると考えているとしたら、それこそ顚倒の輩である。
先の創価学会「破門」と、今回の池田名誉会長の「信徒除名」は、狂乱した日顕が妖刀をもって暴れ回ったが、太刀さばきを誤って自分に致命傷を与えたまでのこと。人々は遠巻きにして、「買春法主の狂えるさまを見よ」と笑っているだけだ。もとより、日顕宗は「C作戦」発動の機会を狙い、池田名誉会長の11・16スピーチ(平成二年)を言いがかりとして創価学会解体の策動を進めてきた。ところが「院達」は、「宗門としては、池田個人はもちろん、創価学会組織全体に対しても、度重なる善導を試みました」と述べている。
これほど事実に反した言葉はない。日顕宗が「善導」などおこなった事実があるだろうか。
まず、平成二年十二月二十七日には、突如、池田名誉会長を総講頭職より実質的に罷免した。それも、宗規変更にかこつけるという姑息な手段を弄してである。
その後、平成三年三月十六日に日顕が打ち出したのが添書登山だ。これもまた、登山方式の変更に見せかけて、創価学会組織としての登山を禁止したものであった。そして、十一月二十八日には、創価学会を「破門」にした。
これが、日顕宗の言うところの「度重なる善導」である。その間、日顕宗でも何回か文書を出したが、そのつど、創価学会側に完膚なきまでに破折されただけである。
もし、日顕宗で文書を出したことを「善導」と称しているのなら、今後は「ボロ隠し」と呼ぶべきだろう。日顕宗の文書の多くは、日顕の犯した“禅寺墓問題”“日顕シアトル買春事件”などのボロを隠す目的でしか出されていないからだ。
ところで、創価学会を「破門」にしたうえで、さらに池田名誉会長を「信徒除名」にしたが、このことを創価学会側から「屋上屋を架す」愚行と批判されていることを日顕宗では相当、気にしている。
「院達」も、「もとより、創価学会組織が破門に付されたとはいえ、池田大作をはじめ個々の信徒は、この時点においては日蓮正宗信徒としての資格を有していることは言うまでもありません」と強調している。
「信徒除名」にしてはみたものの大した効果もなく、処分された側からその愚行を笑われ、処分した側が、これは意味のある処分の仕方なのだと懸命に言い張っているだけである。これまた愚かなことだ。
敵陣に放り込んだ爆弾が炸裂したもののなんの威力もなく、敵陣から笑われているのに、本当は爆弾には威力があるのだと言ったところでなんの意味があろう。爆弾の威力がなければ、敵を勇気づけるだけのことだ。
池田名誉会長を日顕宗が「信徒除名」にした目的の一つは、創価学会組織に動揺を与え、切り崩しを計ることであった。
しかし、平成四年七月四日に池田名誉会長に対し「信徒除名」処分の通告書を出し、「C作戦」に沿ってマスコミを通じて騒いでみたものの、日顕らの意に反して創価学会組織は微動だにしなかった。
それどころか、創価学会員をいっそう結束させ、日顕が笑われただけである。それなのに、「信徒除名」は意味のあることだと力説しても、どうなるものでもない。
この『大白法』の本文でも、無理に「団体の処分」「個人の処分」と立て分け、それは意味あることとの主張をしている。
「宗制宗規に定める信徒団体には、法華講という組織があるが、もともと創価学会という団体は、宗制宗規に定めた法華講支部ではない。したがって、創価学会に対しては、宗制宗規による講中解散処分は当たらないのである。そのため、純粋に信仰的教義的な見地から、大謗法団体と化した創価学会に対して、日蓮正宗から永久追放する処分をとったのである」
なぜ、日顕宗が宗制宗規によらない創価学会「破門」という処分をしたのか。それは、宗制宗規によらない法的に無意味な処分であれば、創価学会側から法的に対抗されないと考えたからである。
日顕の奸計は、どれをみても一つの傾向性を持っている。それは、創価学会側に法的な対抗手段を取られないようにしていることだ。
まず、宗規の変更にこと寄せて、池田名誉会長の総講頭としての地位を喪失させたが、内実は総講頭罷免にほかならない。添書登山も登山方式の変更を建前としているが、創価学会員総体への登山止め処分だった。
創価学会「破門」処分は、創価学会側に法的に対抗されないよう配慮しながらも、創価学会員の動揺を大いに誘い、脱会させ、檀徒にしようと謀ったものである。
日顕が創価学会側の法的な対抗を恐れているのは、なによりも自分のおこなっていることに正義がないからである。日顕は法廷に引き出され、みずからの悪が社会的に裁かれることを恐れているのだ。
創価学会「破門」処分には、このような背景がある。それを『大白法』は、「純粋に信仰的教義的な見地」から創価学会を「永久追放」したとうそぶいている。真実は「謀略的な見地」から「破門」にしただけである。そこに色濃くにじみ出ているのは、日顕の臆病である。
『大白法』は、創価学会を「破門」し、遅れて池田名誉会長を「信徒除名」した己の愚かさに意義を持たせようと、次のような論旨不明のことも書いている。
「日蓮正宗には、池田大作の指導者としての責任を追及し、明らかにする必要がある。その結果、池田大作を信徒除名に処することよりも、むしろ組織団体たる創価学会自体を、日蓮正宗より破門に処することこそが、池田大作の指導者としての責任を問う、最も重大な措置であると判断したのである」
池田名誉会長の「責任を追及」するのに、創価学会を「破門」にする必要はないだろう。直接、池田名誉会長の「責任を追及」すればよいことだ。誰もが思うこの道理を、なぜ日顕宗はねじ曲げようとするのだろう。
その答えは簡単である。創価学会を「破門」した当時は、池田名誉会長を「信徒除名」にするに足りる充分な証拠がなかったからである。
七月四日、「信徒除名」を通知した文書に、「除名」の根拠としてあげた池田名誉会長の発言は、平成四年二月二十七日から六月二日までのものであった。いずれも、創価学会「破門」後の発言である。
まず、創価学会を「破門」し、その日顕の非を糾す池田名誉会長の発言を口実に、今度は池田名誉会長自身を「信徒除名」にする。これほど悪虐にして卑劣なやり方はない。子供を皆殺しにして見せ、親がその罪を問うと叛逆だと言う。日顕は悪虐非道の権力者である。
それでいて、池田名誉会長の「責任を追及」するために創価学会を「破門」したと言う。本当は逆だったのだ。個人の罪をつくるために、団体への卑劣な処分を断行したのだ。
日顕はかつての提婆達多が釈尊に対してそうであったように、民衆の幸福を日夜、考えている宗教指導者が、ただただ妬ましいだけなのだ。
『大白法』は、この謀略性を隠すために、同様の詭弁を繰り返す。
「この破門処分は、創価学会という組織団体になされた措置であって、個々の会員の信徒としての身分にまで及ぶものではない。〈中略〉このことは、池田大作においても同様である。日蓮正宗は、創価学会を破門に処することによって、巨悪の組織を排除するとともに、むしろ池田大作に対して、さらに反省懺悔を促し、改悛の機会を与えてきたのである」
池田名誉会長を「信徒除名」にするのに充分な発言をすることを待っていながら、この言い草である。日蓮大聖人の末流が真に恐れなければならないのは、宗制宗規ではなく、御本仏・日蓮大聖人のお怒りである。
狂える買春法主に処分されても、なにも恐れることはない。御本仏の真の弟子は、それを誇りとする。上野村の悪比丘も人を陥れるために宗制宗規ばかりを読んでいないで、御書を心肝に染めるべきである。
日顕宗の者たちは信心もなく、行躰も卑しく、法論すればことごとく負ける。人より秀でているのは、根性の悪さ、物欲、色欲だけである。
日顕宗が池田名誉会長を「信徒除名」にしたもう一つの目的は、末寺の板御本尊より「願主 池田大作」の名を消すことにある。
信徒でなくなった者の名を願主として残すわけにはいかないという、もっともな理由をつけ、願主名を削る気だ。法を盗み、供養を盗んだ末世の悪比丘が、盗みの痕跡を少しでも隠そうとしているのだ。
口では日蓮大聖人の弟子を装いながら、心は餓鬼の日顕宗坊主が、口をぬぐって仏の財物を懐にしようとしている。仏意仏勅の団体である創価学会を「仏法破壊の大謗法団体」と誹謗していながら、その供養だけは自分の物にしようとしているのだ。
日顕宗の者たちが、曲がりなりにも日蓮大聖人の弟子を自称するなら、少なくとも「謗法」と決めつけている者からの供養は辞退したらどうだろう。意地の一つも通し、創価学会寄進の寺院を出てから、創価学会を「仏法破壊の大謗法団体」と批判すべきだ。
勤労所得者の多くは、一生、働いても一戸建ての家を手に入れるのはむずかしい時世である。その庶民の供養に感謝もせず、財物だけ盗んで「破門」にする。それで「我々は出家だ。尊いのだ」と、女房、子供とともに寺院に住み、贅沢の限りを尽くし、威張る。
この社会のゴミともいえる盗人どもが、民衆から寺院を掠め取ったあげく、本堂に据えた板御本尊に刻まれた願主の名が気に食わないという。その願主名を削るために、願主である信徒を「除名」にする。その行為は、盗品に刻まれた持ち主の名を盗人らが懸命に削ろうとしているのと同じである。
だが、どう願主の名を消してみたところで、純真なる信徒を圧殺し続けた日顕らの歴史は消せない。一千万人信徒を「破門」にした魂の虐殺の歴史は拭えない。
〔参考資料〕
「通 告 書
日蓮正宗大願寺信徒 池 田 大 作
今般、日蓮正宗宗規に基づき貴殿を信徒除名処分に付したので、ここに通告する。
貴殿は、東京第二布教区管内の大願寺信徒であったが、最近の各種会合における貴殿の発言を調査したところ、本宗宗規第二二九条及び第二三〇条に基づき、貴殿を信徒除名処分に付すべきが相当と判断した。
そこで、貴殿に対して、七月四日付で通知書を送付し、通知書到着後三〇日以内に、当職宛てに弁疏の書面を提出するよう通知した。
しかるに、期日(八月三日)を経過した八月四日に至るも、貴殿からは、弁疏の書面の提出がなく、何らの意思表示もなかった。
よって、貴殿には、自己の行為についての指摘事実を全面的に認め、何らの弁疏を申し立てる意思もないものと判断し、所定の手続きを経て、貴殿を信徒除名処分に付し、本通告に及ぶものである。
これにより、貴殿は日蓮正宗信徒の地位を喪失し、今後信徒としての一切の権利を行使できなくなったことを念告する。
平成四年八月一一日
東京都杉並区西荻北二丁目二九番一二号
日蓮正宗佛乗寺
東京第二布教区宗務支院長
高 橋 信 興 印
東京都新宿区信濃町三二番地
創価学会本部
池 田 大 作 殿
」
「院第二一三八号
宗内一般
平成四年八月十一日
日 蓮 正 宗 宗 務 院 印
池田大作信徒除名処分の件
今般、東京第二布教区宗務支院長高橋信興より、大願寺信徒池田大作に対し、所定の手続きを経て、平成四年八月十一日付にて信徒除名処分に付し、その旨を通告いたしました。
池田大作は日蓮正宗信徒であり、また法華講総講頭という重要な地位にありながら、平成二年十一月十六日創価学会第三十五回本部幹部会において、本来外護すべき御法主上人並びに宗門僧侶に対し、事実無根の事柄を含む誹謗・中傷を行ないました。
ところが池田大作は、宗門より問題点を指摘されるや、一片の反省懺悔もないばかりでなく、その創価学会内における絶対的地位を利用して、本宗の信徒団体であった創価学会組織を、三宝破壊の大謗法団体へと変質させてしまいました。
宗門としては、池田個人はもちろん、創価学会組織全体に対しても、度重なる善導を試ました。しかし、池田大作によって変質されてしまった学会組織はもはや救いようがなく、日蓮正宗の純粋なる信徒組織として蘇生することは、到底不可能と判断せざるを得ない状況に立ち至りました。
そこでやむなく、昨年十一月七日付をもって創価学会に対して解散を勧告し、更に同月二十八日付で破門処分に付したのであります。
もとより、創価学会組織が破門に付されたとはいえ、池田大作をはじめ個々の信徒は、この時点においては日蓮正宗信徒としての資格を有していることは言うまでもありません。しかるに、池田大作は、創価学会組織破門の意味を全く理解せず、聖教新聞等に於いてあからさまに宗門を誹謗し、御法主上人猊下並びに宗門僧侶を罵倒して、他の多くの日蓮正宗信徒の信仰をますます妨害し、混乱に陥れてきました。
以上のような状況に鑑み、もはやこれ以上池田大作の悪行を看過することは出来ず、池田大作の所属寺院・大願寺の所轄支院長である高橋信興より、去る七月四日付『通知書』が送付され、信徒除名処分にかかる弁疏の機会が与えられました。
しかしながら池田大作は、その最後の機会をも無視し、一言の弁疏すらありませんでした。よって所定の手続きを経て、信徒除名処分が確定したのであります。これにより、池田大作は、日蓮正宗とは一切無関係となりました。
一方、最近の聖教新聞等の論調を見るにつけ、創価学会は、今回の池田大作信徒除名処分を契機に、今後ますます謀略・妨害・嫌がらせ等、その度合いを強めてくるものと思われます。
宗内各位には、これら天魔の操る邪教団体の迫害に一歩も退くことなく、宗開両祖の御遺訓を一層護持し、御法主上人猊下の御指南を身に体して、迷える創価学会員をはじめ一切衆生の為、ますます精進せられるよう望みます。
上記のとおり通達いたします。
以 上」